2019年05月12日

強制連行という歴史事実の否定、そして加害の継続(3)

 戦時中に日本帝国主義によって強制連行された朝鮮人の証言には、「徴用」によってやむを得ず、あるいは暴力的に連れ去られたケースが多いが、貧しい生活から抜け出すため、または「日本に行けば白い飯が食える」と誘われて応募したという話も多い。
 ある人は「日本に行けば2年間で2千円くらい貯金が出来る」という土建会社の誘いに応じて渡航したが、最初の説明と違って北海道美唄での炭鉱労働だった。拒否したが帰国を許されず、劣悪な環境で重労働を課せられた。日給は5円と聞いていたが実際は3円であり、食費など引かれると手元にはほとんど残らなかった。坑内の爆発事故で多くの同胞が亡くなり、逃げ出そうとした仲間は激しいリンチを受けたという。(朝鮮人強制連行の記録 朴慶植/著 未来社 P-108)

 2018年10月30日の大韓民国大法院判決によると、旧日本製鉄による1943年頃の工員募集広告には「2年間技術を習得すれば朝鮮半島の製鉄所の技術者になれる」となっていた。原告の一人はこれに期待して応募したが、実際は技術習得とは縁遠い重労働だった。食事は少なく、賃金が振り込まれる口座の通帳は企業側が管理し、終戦後も返還されなかったという。

 また2019年4月4日、強制連行被害者の男性がソウル地裁に加害企業である三菱重工への損害賠償請求を提訴した。この男性は戦時中、タバコなどの専売庁に就職したが(徴用されないという噂があったため)、1944年に専売庁で必要な木材を積み出すためだと騙され、長崎の三菱造船所に送られてしまい、1945年8月の原爆投下で被爆した。

 以上のように、日本帝国主義が朝鮮人民を奴隷労働に駆り立てる際、就業条件(労働の場所や内容、賃金)を偽って募集するケースが多かったようだ。もちろん途中で拒否は許されない。
このような不当な拘束は直ちに解かれるのが筋だが、働かせられた分の賃金を受け取る権利はある。日本帝国主義は労働者としての権利も侵害していたのだ。
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posted by 鷹嘴 at 16:00| Comment(0) | 労働問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする