靖国神社、生存の男性を合祀 遺族の訴えで取り消し
2005年12月08日11時18分
戦没者の名を記した靖国神社の名簿に、この夏、訂正が施された。太平洋戦争で死んだはずの韓国人男性が、実は戦後も生きていたことが、遺族の訴えで分かったからだ。 東亜日報東京特派員の趙憲注(チョー・ハンス)さん(45)は赴任前の02年1月、韓国政府の記録保存所で、父炳根(ビョン・グン)さんの「旧海軍軍属身上調査表」を偶然見つけた。「西山炳根」と日本名で書かれていたが、本籍地や生年月日などから父と分かった。 調査表には、「43年1月 ニューギニア方面で軍事施設工事中戦死」と記され、59年10月17日付で「靖国神社合祀(ごうし)済」と印が押されている。旧厚生省が93年に韓国政府に渡した資料に含まれていたとみられる。 憲注さんによると、炳根さんは実際は連合軍の捕虜として生き延びた。46年に帰国し、2003年に83歳で亡くなった。 憲注さんは今年7月、在日韓国大使館を通じ靖国神社に合祀取り消しを求めた。神社側は憲注さんが示した記録を確認し、合祀した人たちの名前を載せた「祭神簿」の炳根さんの欄に、斜線を引いて「生存確認」と書き添えた。靖国神社は大使館あての文書で、故人と、その家族に謝罪した。 ただ、靖国神社は祭神簿を事務上の名簿と説明する。朝日新聞の取材に対し、宗教的に重要とされる「霊璽簿(れいじぼ)」と呼ばれる名簿も訂正したかどうかは、「信仰にかかわるので、詳しく申し上げることは控えさせていただきます」と答えた。 憲注さんは「靖国にもメンツがあるだろうから、祭神簿の訂正だけでも大変なことだ。植民地の苦しみを味わった人々のことを考えるなら、日本の軍国主義と結びついた靖国神社にまつられた台湾と朝鮮の犠牲者の合祀取り消しこそ、行うべきだ」と話す。 国立国会図書館がまとめた資料に、靖国神社に合祀された旧植民地の台湾と朝鮮の出身者数がある。75年の時点で計4万8000人を超えている。 |