2006年01月06日

ノルン水上で体験した不快かつ危険な出来事

冬なので、スキーの話でも書いてみるか。
群馬県に、ノルン水上という小さいスキー場がある。半日どころか数時間過ごせば飽きてしまいそうな規模だが、アクセスが非常に便利?という大きな利点がある。神立スキー場も湯沢インターからあっという間だが、関越トンネルの手前の水上インターから恐ろしく近いノルン水上は、首都圏から最も近いスキー場と言えるのではなかろうか?(そりゃ人工スキー場の富士天神山とか御坂の方が近いが。つーか中央道方面はよく知らん)

ところで4年前このスキー場にて、極めて不愉快な体験をしてしまった。2chのスキー・スノボ板にも投稿して常連の「ポン太」氏に失笑された話だが、せっかくだからこちらで焼き直し。(つーか去年の冬に書こうと思ったのだが、グズグズしてるうちに春になってしもたw)
俺が初めてスキー場を訪れたのは、バブル崩壊の直後、まだスキーブーム真っ盛りだった。男性十数名+女性数名というありがちなメンバー構成のうち、全くの未経験者は俺一人だった。ゴンドラを降り、レンタルの板を装着してゲレンデに立ったのはいいが、どのようにすれば雪の上を動き回れるのか判らず、のたうち回るだけだった。気がつきゃ、俺をこのスキー旅行に誘った先輩方の姿が見えん・・・
もちろんそんな人間を放っておくほど非情なメンツばかりではなかった。よっぽど見るに見かねたらしく、普段はほとんど会話を交わしたことのない他課の女子社員が、ボーゲンや曲がり方など、最低限の基本的な技術を丁寧に指導してくれた。
当時の俺にとって、女性にあれほど優しくされるのは風俗に逝った時(笑)以外に無く、彼女にほのかな恋心を抱いてしまうのも無理はないことだった。つーか彼女は俺らモテない男どものマドンナで・・・(どんどん脱線しそうなのでストップ!)
そういうわけで何とか初日でスキー場に於ける移動方法を習得したので、二日目は完全放置プレイだった(笑)そりゃそうだ、皆さん、どん臭い奴のコーチをするためにスキー場に来たわけではないのである。そして以降十数年、誰にも技術指導を受けずに自己流で滑っている。
つーことで未だにコブや新雪、重い雪が全然ダメ、パラレルターンさえもまともに出来ない。体は麓を向いていなければならないことは理解しているが、ターンする度に体が曲がる方向を向いてしまうクセが直らない。以前ビデオ撮影されてしまったことがあるが、実に奇怪な滑り方であった。一度スキースクールに入って基礎から叩きなおしてもらうべきだと思う。

つーか・・・どこのスキー場に行っても、旗やポールを立て、ヘルメットをかぶってジグザグに滑っている人々を見かける。俺みたいのが真似しちゃイカン!ってことはねえだろうが、それ以前に体得すべき基本技術がある。その習得を怠っていた俺が痛い目に遭ったのも運命の必然かもしれん・・・

当時のノルン水上には、(千円だったか二千円だったか忘れたが)金を払ってゼッケンを付け、ポールバーンを一日中滑れるというサービスがあった。生意気にもこれが目当てでノルン水上を訪れたのである。監視する係員もいないので気楽に滑れたが、そのコースはポールバーン専用というわけではなく、しかもネットもないので、他のスキーヤー&ボーダーも入り込むことができるのである。事情を知らないボーダーがゴール付近で寝ころんでいてチビリそうになったこともあった。
そういう連中に脅かされつつも、夕方まで何度も滑って少しはポールに慣れ、終了時間が迫ってきたので最後の一本を気合を入れて臨んだのだが、恐ろしい事態が起こってしまった。

中腹付近で、中年の夫婦?がポールバーンのど真ん中に突っ立っていたのである。(左に蛇行しているこのコースの左隅にポールバーンがあり、左脇は林なので視界が遮られている。間抜けな俺は直前まで気づかなかったのである)
どん臭い俺はかわしきれずに激しく転倒し、大腿部を激しく打撲した。しかし派手に転倒した俺に対してこの中年夫婦は「あら、大丈夫ですか?」と他人事のような態度だった。
「ここは金を払って滑る専用コースなんだよ!無断で入り込んだお前らのせいで怪我したんだよ!」と俺が主張してもこいつらは「初心者なんでそんなことは知らない。もし責任があるとすればスキー場の方だ」の一点張りだった。
埒が明かないので、上の方でポールを片付け始めているパトロールを大声で呼び、事情を話した。「麓で話し合いましょう」ということになり、足を痛めた俺は雪山の遭難者を収容するようなソリに入れられて運ばれた。霊柩車に乗せられた死体の気分だった(笑)

簡単な手当(湿布)を受け、スキー場の責任者も交えて話し合いを始めたのだが、中年夫婦は先ほどの主張を繰り返すだけだった。「全面的にスキー場に責任がある。私たちは立ち止まっていただけ」(つーか、ゲレンデは立ち止まる場所でなく滑り降りるためにあるのだが?これを突っ込んどきゃよかった)
一応歩くことは出来る俺をみてババアの方が「大したことなくて良かったですね」とほざきやがったので、普段は気の弱い俺もマジ切れしてしまった(笑)
チャーリー浜みたいな(笑)「当スキー場の支配人」は、「何とか穏便に済ませていだたきたいのですが・・・」と繰り返すだけ。
こりゃもう警察を呼ぶっきゃないと思い110番してもらったところ、「相手の住所と電話番号を聞いて、何かあれば後日連絡すればいい」っていうので従うしかなかった。この程度の事でいちいちパトカーで駆けつけるのは億劫だったのだろう。
その日の夜は群馬県内の知人宅に泊まったのだが、どうにも腹の虫が収まらないので前橋署に電話して「あの人たちを何かで罰することはできないですか?」とたずねてみたのだが、「できません」の一言。被害届けでも出してみようかと思ったのだが、大した打撲ではなかったので結局やめた。(スキー場のパトロールの青年も、帰り際に「靭帯を痛めてたりしたら歩けないっすよw」と慰めて?くれた)

後日、2chのスキー・スノボ板で、俺がこの話を書き込んだスレとは別のスレで同様の話題が出ていたのだが、どうやらこういう場合でも、突っ込んできた方の立場がヤバイらしい。もしあの夫婦が大怪我をしていれば大事になっていただろう。
それにあいつらが主張していたように、スキー場にも大きな責任があると思う。ネットも設置せず、監視員も置かず、しかも蛇行しているのでスタート地点からゴールまで見通すことはできないコースだったのだから。
つーか、もし先にポールを滑っていた人が転んでいるところに突っ込んでしまったら・・・訴えられるのは俺の方だろう。そもそも、前方に立ち止まっている連中がいることに気付かなかったことが大問題である。要するにターンする度に曲がる方向に体を向けてしまう(つまり、いつでも前方を見ずに右か左を向いている)という致命的な欠点が災いしたのである。

結局、俺・中年夫婦・スキー場の三者とも、このトラブルの責任があるといえるだろう。それは理解できるのだが、今でもあいつらには腹が立つ(笑)それにもうノルン水上に行く気は起きないねえ。
ところでこのトラブルの後、しばらくは痛みが引かず歩き方が妙だったのだが、悲しいことに職場で誰も気付いてくれなかった。「俺、先月スキー行って派手に転んで足痛めたんですよ。歩き方が変だったでしょ?」と先輩に言ってみても「ウソ?気がつかなかったなあ・・・」という返答しかなかった。まあ、その程度で済んで良かったってことやねw


・・・ところで今度の土日は珍しく休みなので、またもや恥を晒しに行ってきます。野沢温泉というところに。ドカ雪が降ってる新潟県津南町を通過しないと行けない所だったりして。ゲレンデで転びまくることを恐れるよりも先に、無事にたどり着くことが第一関門だな(笑)
posted by 鷹嘴 at 15:28| Comment(3) | TrackBack(0) | スキー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
【質問】
 戦史を含め,韓国の歴史観には何故トンデモ珍説が蔓延り易いのか?

 【回答】
 産経新聞ソウル支局長,黒田勝弘によれば,事実はこうあるべきじゃないという「べき論」的史観で固まっているという.
 したがって,「べき論」によって事実を認めたくないあまり,史観が狂うのではないかと思われる.
 以下,黒田の発言を引用.

井沢元彦 その歴史認識ですが,韓国は清国を単に宗主国として位置付けています.
 どう考えても属国の位置に置かれていた.
 それを解放したのが,いわゆる日清戦争の勝利ではないですか.
 ところが韓国では,そうとは絶対に教えていない.
 その点を韓国人はおかしいとは思っていないのでしょうか?
黒田 専門用語では「服属」ですが,日本の新しい教科書がそういう表現を使ったのはけしからん,直せと対日要求項目の1つになっている.
 まあ,一般の人々は,中国の支配下にあったと思っています.

〔略〕

黒田 日本のおかげで「中国のくびき」から解放されたという事実を認めたくない,あるべき姿じゃないとの「べき論」的歴史観で固まっている.

〔略〕

黒田 韓国は今に至るも,学問的に,圧倒的に日本の影響,日本のものが残ったわけです.
 例えば,辞書,事典のたぐいは殆ど,日本のものからの重訳です.ロシア文学からギリシャ神話から,あらゆる世界の古典もそうです.
 韓国の知的社会は,そういう土台の上に形成された.
 それを,先生方はみんな知っている.
 しかし,それを絶対に教えないですね.

〔略〕

黒田 日本の知的財産を利用して韓国の知識世界が形成されたため,近年,それに対する自己批判というか,自らの手で辞書を作ろう,自分達で原典から直接翻訳しようという動きや声が出てきました.
 その際に,こういう論理になるんです.他者の,しかもあろうことか日本の知的財産を密かに利用して,学生達に教え,自分の業績を打ち立ててきた旧世代はけしからん≠ニね.
 そこには,日本の知的世界のこの社会における貢献については認めたくないし,言及しないという意識構造がありますね.




【質問】
 文禄の役、慶長の役は,最終的に朝鮮を征服、あるいは属国化できなかったんだから,日本の負けだろ?

 【回答】
 間違い。
 文禄の役、慶長の役の戦略目標は、明への攻撃であって、朝鮮の征服、属国化では無い。
 朝鮮はただ通り道にされただけだったのだが、明の属国としては,日本軍を何もせずに通す訳にもいかず攻撃した.
 戦力の過半は明からの援軍であり、実態は戦闘が朝鮮半島で行われた日明戦争だった訳。

 【質問】
 それにしては,当時の明海軍の活動は聞かないが?
 海上補給路を絶つなんて,ちょっと気の利いた将軍なら誰でも思いつきそうなもんだが.

 【回答】
 陸続きの半島が戦場だから海軍は出なくてもいいじゃないか.
 戦闘の惨禍にあうのはしょせん植民地で,本国じゃないしさ.
 それに、朝鮮での略奪暴行のほとんどは実は明兵の仕業だったりするから、略奪品を海軍とわけあいたくはなかったろう.

 そしてまた,現地での略奪調達方式しか頭になかった明軍には,日本軍が食糧のほとんどを日本から海路運んでいるなんて信じられなかったのさ(笑).
 って、おれも旧日本陸軍の「朝鮮戦役」で初めて知ったんだけどな

 だいたい,基地が無い罠。
 当時の軍船は手漕ぎか帆走だって忘れていない?
 中国本土から出撃して対馬海峡で戦闘するのは大変で効率が悪い。
 李瞬臣がやったゲリラ戦が出来る訳も無いだろう。

--------------------------------------------------------------------------------

 【質問】
 韓国に古い書物や建物がないのは,豊臣秀吉の侵攻のせいなのか?

 【回答】
 井沢元彦によれば,それは「秀吉がいわゆる朝鮮出兵において,多くの建物や文化財を焼き払ったことは事実だが,全て秀吉のせいではない」という.

 疑り深い人のために,直接韓国側の資料を引いておこう.
「いっぽう,朝鮮国王が都落ちした後,漢城府は極度の混乱に陥った.
 再び『李朝実録』に目を向けよう.
 都城の宮省火(焼)く.車駕将(まさ)に都中を出(い)でんとするに,姦民の先ず内帑庫(ないどこ)(内帑は国王の費用)に入り,争いて宝物を取る者有り.已に駕出ず.乱民大いに起こり,先ず掌隷院・刑曹を焚く.二局の公私奴婢の文籍在る所を以ってなり.(「宣祖修正実録」宣祖25年4月晦日)」
(「朝鮮日々記・高麗日記 秀吉の朝鮮侵略とその歴史的告発」北島万次著 そしえて行)

 この本に書かれている通り,朝鮮の宣祖王は国民を見捨てて王宮を放り出して逃亡したのである.
 そこでかねてから王の暴政に悩まされていた朝鮮民衆は,その無責任さに激怒し,王宮に乱入し,略奪した後に放火したのだ.
 「掌隷院・刑曹」というのは文中にもある通り,朝鮮の非人道的な身分差別を管理する戸籍の保管所だ.
 いわば悪政の象徴であり,だからこそ真っ先に狙われたのだ.


Posted by hubo at 2006年01月11日 17:45
●犠牲者数増加の歴史まとめ 完成版

時代                 犠牲者数     ソース        増加率(1%未満四捨五入)

終戦時                130万人    GHQ発表         ×
終戦時                130万人    国民党発表       ×
1948年                438万人    国民党政府報告書  3年で337%
1950年代              1000万人    共産党政権発表   10年たらずで約228%
1970年                1800万人   共産党政権発表    10数年で約180%
1985年(抗日勝利40周年)    2100万人   共産党政権発表    15年で117%
1998年(江沢民来日時)     3500万人    江沢民発表      13年で約167%
2005年(抗日勝利50周年)    5000万人   卞修躍博士発表    7年で約143% 

60年で130万→5000万。
よって平均増加率は年間約6.3%増。
この増加率が維持されたとすると、1億人突破は2017年頃、2億人突破は2029年頃、
そして22世紀初頭には128億人を突破するものと推測される。

ちなみに来年には南京大虐殺で殺されたとされる30万人の10.5倍、
約315万人の犠牲者が追加される見通しである。
Posted by hubo at 2006年01月11日 17:46
【質問】
 朝鮮戦争で米軍に助けられたことを,今日の韓国人はどう思っているのか?

 【回答】
 産経新聞ソウル支局長,黒田勝弘によれば,「アメリカは国益でそうしたのだから,お互い様だ」と.
 以下引用.

黒田 うーん.実感,実態としてはやっぱり,アメリカのおかげで国が守れたと,みんな知っているわけですよ.アメリカのおかげで国の発展があったというふうに思っています.
 ところが,それだけでは心理としては鬱憤でしょう.
 そこで心理的バランスをとるために,アメリカは我々のことだけを考えてそうしたのではなく,自らの国家利益からそうしたのだ,となる.
井沢元彦 だから,感謝する必要は全くないということですね.
黒田 そう.そんなに感謝することはない.お互い様だ,と.
 その傾向は最近,若い世代を中心に,非常に強いです.
井沢 物凄くプライドが高いんですかね.
 そういうとき,日本人だったら,感謝しつつ,自分達が力不足であったところも素直に認めると思うのですが.
 こういう自尊心は,私は儒教から来ているのではないかと考えています.
黒田 儒教も要因の1つでしょうが,もう1つ,地政学的理由があると思います.
 この地は昔から,周囲を巧く利用しながら,自分を保持してきたわけです.
 つまり,周囲の対立を利用し,両天秤にかけたり,ときには引き込んだり.
 要するに,外国勢力はいつも利用する存在だという考えが,徹底的に民族の体験としてあるんじゃないでしょうか.
井沢 利用するということは,尊敬するということにはならないわけですね.
黒田 ええ.アメリカあるいは日本に対しても,感謝ということはありえない.日本支配からの解放だって,アメリカなどの連合軍のおかげとは言いたくない.対外関係とは,互いに利用し利用される関係なのだとドライに見ている.
 失敗すれば,自分達が悪かったと反省するよりも,あいつが悪かったからと言って安心するのですね.
Posted by hubo at 2006年01月11日 17:49
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