これは2月9日朝日新聞「愛 タカラヅカG 軍歌去りレビュー再び」より引用。
戦時中、宝塚のレビューは禁止され宝塚大劇場は海軍に接収されて予科練の宿舎になり、宝塚の生徒らは各地の日本軍への慰問公演に動員された。
泉エリザさん(芸名:千里ゆり)が1944年に、北海道や樺太への慰問に動員されたときのこと。ある晩トイレに起きると、付き添いの男性教師らが廊下に座り込んでいた。
「将校が『女の子を差し出せ』って。それで先生たちは寝ずの番をしてくれてたの」
このように日本軍はアジア各地の女性を性奴隷にするだけでは飽きたらず、同胞さえも毒牙にかけようとしていたのだ。「国防」が聞いて呆れる。日本軍の、というか軍隊というものの本質を示すエピソードである。軍隊が出来ることと言えば虐殺、略奪、強姦であり、自国民もその被害から逃れられないのだ。
こうした日本軍の実態を語り継ぎ、そこから軍隊の本質を学ばなくてはならない。そして軍国主義の復活を狙う勢力を倒し、侵略戦争の根源である天皇制を廃止しなくてはならない。
・・・ちなみに泉さんが慰問公演を終えて宝塚の自宅に戻ると、「なんだかおじさんみたいな兵隊さん」が週に一回訪れ、風呂に入り「畳に寝っころがってぼーとしていた」。戦後「原爆の子」「第五福竜丸」などを世に送り出す映画監督・脚本家の新藤兼人さんである。
連日の上官からの暴行に「もう、敵がアメリカなのか帝国海軍なのかわかりませんでした」と当時を振り返る新藤さんは、タカラジェンヌの慰問公演だけが楽しみで、ぜんざいを作り生徒たちにふるまった。物資が欠乏する中、後に新藤さんと結婚することになる女優の乙羽信子さんは「水っぽかったけど、あのぜんざいが楽しみだった」と語った。
新藤さんは終戦の日に玉音放送を聞いて「ああ、これでまた脚本が書ける」という解放感を忘れたことはない、という。平和でなければ演劇も映画もテレビドラマも作れない。つーかネットであーだこーだ書きまくるのもできない。
2009年03月18日
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どうせ朝日の捏造だと言うんだろうけどw
それならどうして泉エリザさんや新藤兼人さんがそんなウソをつかなきゃならないのか教えてほしいけどw
反面、商行為として多額の報酬を得ていた慰安婦の存在を示す書類(給与明細など)も多数存在しているのも事実であり、自称被害者と思われる一貫性のない証言も数多く見られたことも忘れてはならない。
そもそも日本軍が強制した証拠なんて1個もないのになんで確定事項だと思えるか不思議
どうして朝鮮人や日本人が強制されて慰安婦になったという証拠があるなら教えてほしいけどw
はいダウトwww
じゃ、あなたが嘘だという根拠はナニ?
根拠も無しにうそつき扱いかよ、最低だな。
従軍慰安婦問題に関する政府の記録リンク
http://jseagull.blog69.fc2.com/blog-entry-459.html
http://www006.upp.so-net.ne.jp/nez/ian/
『 強制連行はあったか?
慰安婦の徴募について強制連行はなかったと主張する人がいます。娼妓取締規則に基づいた自由意志の確認でもやっておればはっきりした根拠があるのですが、この主張には根拠がありません。「私が強制連行をやった」と云う内容の本が出版されたことがあり、その本の証言があやふやであったことが話題になりましたが、もちろんこれは強制連行が「無かった」と云う根拠にはなりません。
慰安婦の徴募はいろいろな手段で行われました。日本の国内で行われたと同じ様な「身売り」もあり、なるべく穏便な手段で集めるのがやはり基本ではあったでしょうが、「○月×日までに慰安婦××名送れ」などという軍の電文(例えば台電935号)も残っているように、軍の命令系統を通じた指令です。徴集現場も、員数あわせには手段を選んでおれなかったでしょう。強姦事件で軍規の乱れを防ぐためと理由づけたのですから、十分な数の慰安婦を確保することも軍事作戦の一部だったのです。
最も確実な証拠のある軍による強制連行の例はインドネシアで起こった「白馬事件」とよばれている事件です。白馬というのは当時の隠語で「白人女性に乗る」ことを意味していたみたいです。インドネシアには数カ所に白人女性を使った慰安所があり、総計65名のオランダ人被害者の事例が記録されていますが、特に有名なのが1944年2月新設のスマラン慰安所の事例です。
これは南方軍管轄の第一六軍幹部候補生隊が17才以上のオランダ人女性をスマラン慰安所に連行して、少なくとも35名に売春を強制した事件で、まぎれもない軍による強制と言えます。オランダ抑留民団が必死の抵抗を示し、陸軍省から捕虜調査に来た、小田島薫大佐への直訴に及んで、軍中央も知らないでは済まされないことになりました。オランダへはすでに様々なルートで事態が知らされており、国際世論の反発を招くことが必至の状況でしたので、軍はやむなく2カ月後にこの慰安所を閉鎖する処置をとりました。小田島大佐は陸軍省の捕虜管理部であり、これらの女性は慰安所に送られる前から収容所に入れられていたので、捕虜虐待問題として扱われましたが、戦闘員でもない17才の女の子を捕虜というわけにもいかないでしょう。これは、どう見ても住民虐待つまり慰安婦事件そのものです。
こうした日本側の処置などが、記録に残ってしまったことと、被害者が白人だったので、連合国の追求がきびしく、関係者が戦犯に問われて裁判記録が残ってしまったことが今では決定的な証拠になっています。慰安婦に関しては資料が乏しく、「証拠がない」との居直りを許すもとになっているのですがこの事件はその意味で大変重要な完璧な証拠を備えた事例だと言えます。インドネシアでのオランダ人慰安婦についてはオランダ政府の調査報告書が出ており、白人慰安婦は総数200から300人と推定されています。報告書では「自発的」な慰安婦の存在も認めていますが、それはごくわずかです』
http://www006.upp.so-net.ne.jp/nez/ian/
軍の方針としての慰安婦の強制
この事件の重要な点は、「強制連行」の事実が陸軍省まで伝わったにもかかわらず、慰安婦の幽閉処置を解除しただけで、軍としては何等処分を行わなかったことです。日本軍内ではだれも軍法会議にかけられていません。陸軍刑法では「戦地又ハ帝国軍ノ占領地ニ於テ婦女ヲ強姦シタル者ハ無期又ハ一年以上ノ懲役ニ処ス。」とあり、慰安婦の強制連行・集団強姦は、もちろん日本軍の軍規に照らしても大きな罪だったわけですが、まったく処分の対象としなかった所に、慰安婦の強制連行に対する軍の考え方が示されています。 軍は強制連行した部隊・軍人を軍律違反とは認定しなかったのです。強制連行を行ったのは方面軍直属の士官候補生隊であり、逃亡兵でも敗残兵でもない、れっきとしたエリート部隊の組織的行動です。 連合軍のバタビア裁判では、この件で人道上の罪として、死刑1名を含む11名の有罪が宣告されています。組織的犯罪に対する裁判ですから命令されて強制連行に加わっただけの兵士は罪を問われていません。「個人的逸脱行為」は通用しないでしょう。 「希望者だけに限れ」という司令部の命令が十分伝わらなかったせいで、軍に責任はないというのも苦しいいいのがれです。司令部が「希望者に限れ」と命令していたにもかかわらず、その命令に従わなかったのが事実ならば「抗命罪」でさらに重い罪に問われるはずです。しかし、軍はいっさい処分を行わず、この事件に関する軍法会議は無かったのです。
関係者を処分しなかったのは第16軍司令部あるいは南方総軍司令部の判断ですが、第16軍だけが特殊な判断基準を持っていたという根拠はありません。日本軍では慰安婦の強制連行を罪悪とする考えが無かったのです。女性や土人(現地人)を蔑視し、命を捨てる覚悟の皇軍は何をしても許されれと思い上がり、略奪をなんとも思わぬ教育がなされていました。戦争中、女性を虐待して慰安婦にした罪で処罰された人はいません。これは、そのような事をした人がいなかったのではなく、白馬事件の例で見るように、いても処罰されなかったのです。
この事件に限らず、日本軍が実際に、事件は頻発していたにもかかわらず、強姦や住民虐待で処分した実例は非常に少ないのです。罰則はあっても実際上は、お咎めなしだったと言えます。強制連行・集団強姦は、組織的意図的に黙認されていたのです。軍人や軍に雇われたならずものが強制する売春があちこちで黙認され、オランダ抑留民団 のようなバックをもたないアジア人はみな泣き寝入りしていた。それが慰安婦問題の実態です。一度は閉鎖されたスマラン慰安所も白人ではない慰安婦を使って後に再開されています。再開後の慰安婦徴募についてはバタビア軍事裁判でもとりあげられませんでした。
慰安婦の証言はもちろん重要ですが、それににたよらずとも、極東軍事裁判関係文書の中から<モア島で5人の現地女性を兵営改造の慰安所に強制連行した中尉の尋問記録(検察文書5591号)が見つけられているなど、確実な軍の強制連行の例は他にもあります。中国での裁判でも 117師団長鈴木啓久中将が慰安婦の誘拐を行ったという 筆供述書を提出しています
朝鮮半島での強制連行
「強制連行」という言葉のイメージからは、軍人が銃剣を突きつけて無理矢理連行するといった白馬事件のような情景が思い浮かびますが、朝鮮半島では憲兵警察制度があって、軍が自由に警察や行政を動かせたので、軍が直接表に出る必要は少なかったでしょう。やり方が巧妙悪質になっただけで本質的には同じことです。
慰安婦を強制的に集めるためには、「看護婦にする」とか「工場で働かす」とかで遠くへ連れだし、慰安所で強姦してしまうことも行われました。日本に反抗した親をとらえて、親を助けたければ慰安婦になれとせまったケースもありました。憲兵や警察が、女性を拘束して、列車に乗せてしまうと云う例もあります。村長や自治会長等を通じた徴集の割り当て等も行われたようですが、慰安婦の証言でも、日本に協力した朝鮮人の行動などについては、なかなかはっきりしない点があります。
慰安婦の徴集のやり方について、間に朝鮮人が介在したことが多かったので、そのような場合は、軍の責任ではないとする意見もありますが、それなら慰安所に到着した時点で娼妓取締規則にあるように本人の自由意志であることを確認し、強制されたり騙されて来た者は、家に帰すべきです。しかし、そのような事を行った形跡はありません。直接命じてやらせたにしろ、黙認したにしろ、軍の責任で行われたことに違いはありません。
日本は男性朝鮮人・中国人を多数強制連行して鉱山やダム建設現場で酷使したことがはっきりしており、しかも軍規は強姦・略奪に甘かったとなれば、よほどはっきりした無罪証拠を発見しないかぎり、韓国で露骨な強制連行が信じられても当然だと思います。「証拠がなければ強制連行があったとは言えない」は日本側の勝手な理屈でしかないでしょう。
朝鮮での慰安婦徴集の違法性で議論の余地がないのは、未成年者を徴集したことです。現在日本で裁判をおこしている9名の元慰安婦達は全員が21歳未満であり、この場合、国際条約によれば、本人が了承したとしても慰安婦とする事は処罰の対象としなければならないはずです。もちろん、この人達は強制をうけて慰安婦になったと詳細な証言をしています。
これについても・・・。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/nez/ian/
「女性が不特定多数を相手に、性奴隷としての生活を強いられることは屈辱であり、悲惨このうえないことは自明ですが、連合軍による尋問資料の一部を取り出して、安楽な生活であったと主張する人がいます。
兵士から見ればかなりの大金を払ったたという記録もありますが、慰安所の料金は昭和13年当時「兵 1円50銭、下士官 3円、将校 5円」などと決められていました。相手によって値段が大幅に違う妙な設定ですが、軍が有無を言わさず値段を決めたから出来たことです。実際は軍が「キップ(花券)」を発行して、階級に応じて給与から天引きしたようです。慰安婦は値段交渉の余地なく花券を持った客の相手をさせられたわけです。
当時の兵士の給与が月10円程度だったので5円というのは相当高い金額に見えます。しかし、当時の内地のサラリーマンの月給は100円くらいですから、むしろ兵士の給与が異常に低かったわけです。これは兵士の給料というのは、住居費、食費、被服費が差し引かれたあとの小遣いという意味合いだったからです。軍人も自宅から通勤するサラリーマン的な位置、中尉くらいになると月給100円です。
客の90%は下級兵士だったわけですから「売り上げ」も知れています。一日10人としても月300円くらいで、その多くは経営者の懐に入ったのですから、「高給取り」のはずがありません。その支払いも軍が勝手に発行する通貨「軍票」での支払いでしたから、戦後は紙くずになりました。
業者や軍にピンハネされ、手元に残る収入も、多く前払いの借金の支払いに消えます。お金はまったく受け取っていないと証言している慰安婦も多くいます。そして前述したように支払いは軍の勝手に発行する紙幣「軍票」でしたから、終戦と同時にただの紙屑になりました。
慰安婦は将校用、下士官用、兵用にわけられ、将校用には内地から来た日本人のプロがあたり、アジア人は兵用として、ひどい場合にには、わらむしろで囲っただけの「部屋」の前に、兵隊が並んで順番を待つ「公衆便所」状態でした。休む間もなく次々に何人もの「処理」をさせられる代償として軍が勝手に決めた定額料金を受け取るのです。連隊長の許可を得なくては外出もできない監禁状態の場合もあり、衛生状態も悪く、前線近くまで連れていかれた人では、終戦まで命があった人は多くなかったかもしれません。
「安楽な生活」に引用されるミッチナ文書でも朝鮮人、中国人の慰安婦は未経験者が大半で、未成年者も多かったと言う違法性が読みとれます。戦後も悪夢のトラウマに悩まされ、過去を隠してひっそりと生きて行かねばなりませんでした。現在名乗り出ているのはごく一部で、親類縁者の無い人がほとんどです。」
大体一部そういう人がいたから何だというのでしょうか?一部にそういう人がいたからと言って全部そうだというのはあまりにもデタラメな暴論です。それに高い金を受け取ったから何だというんでしょうか?高い金受け取ったんだから強制じゃないとでも?
>自称被害者と思われる一貫性のない証言も数多く見られたことも忘れてはならない
そりゃ、人間何十年も経てば記憶も曖昧になりますし、それぞれ記憶力も違うでしょうから再三変わることもあるでしょう。何万人もいる慰安婦ならそれぞれケースも違うでしょうし。
若い人間だって、子供の頃の記憶を思い出しても「あっ、そういえば、あの件は こうだったな」と後から変わることもありますし、親や周りに言われて思い出して訂正することもあります。いわんや戦後何十年たってからの記憶ならば、なおさらです。
実際日本の原爆犠牲者や空爆犠牲者の証言も後から変わりますしね?
>自称被害者と思われる一貫性のない証言も数多く見られたことも忘れてはならない
よくネットウヨがほざく「証言は証拠にならない」論ですね。
>だから証言は嘘つけますね。だから裏付け証拠が必要なんです。
などというクソウヨもこのブログでも見かけました。
http://himadesu.seesaa.net/article/56962873.html#comment
「証言は証拠にならない」のなら、警察の犯罪捜査なんてなりたちませんよ?オウムの地下鉄サリン事件だって「麻原の指令によるもの」という証拠も証言しかないんですから。
問題はその信憑性とか、多角的に検証して誤謬がないかどうかを判断すれば、十分に証拠になると思います。ただし、人間の記憶は曖昧なものですし、被害の証言は時として共感を得たいがために大げさになりがちな傾向(ドラマタイジング・イフェクト)がありますから、ある手度は割り引いく必要もあると思いますけど、それでも証言というのは重大な証拠なんです。
一部の悪質な偽証を以って従軍慰安婦の存在や慰安婦の不当な扱われ方、強制的に連行された一部の慰安婦の存在などを全否定する気はありません。秋田冒険王さんもイヤハヤ南友さんも数ある証言は精査されなければならないという点では同意していただけると思います。僕も証言は立派な証拠になると考えていますよ。
>秋田冒険王さん
2009年03月26日 22:13のコメントで報酬を内地の人と比較していますが、日本領朝鮮地方の貧農の収入と比較するほうが、報酬の大小を論じるなら妥当だと思うのですがいかがでしょうか?
当時の内地人の所得と比較していますが、意味があるとは思えません。日本領朝鮮地方の貧農の所得と比べるのが妥当だと思います。どう思われますか?
>そりゃ、人間何十年も経てば記憶も曖昧になりますし、それぞれ記憶力も違うでしょうから再三変わることもあるでしょう。
人が良すぎです。
@実在しない慰安所で被害を受けた(釜山・富山など)
A被害を受けた期間が18ヶ月から36ヶ月に
B受け取ることが出来なかった報酬額の変化
C連行日時・場所の変化
D被害者を騙したブローカーが日本人から朝鮮人に
@〜Dのうち時間の経過によって曖昧になってしまったと思われるもの、記憶力の個人差によって生じたものと思われるのはどれでしょう?僕個人としては好意的に扱ってもAとCだけがそれに当たるように思えます。
>イヤハヤ南友 at 2009年03月27日 19:45
僕も証言は証拠になると考えています。一部の悪質な偽証や虚言によって被害全てを否定しようとは思いません。
裏付証拠は不必要(証言だけで必要十分)とも受け取れる文面ですが、文中の信憑性の吟味や多角的な検証というのは裏付調査ももちろん含まれていますよね?
秋田冒険王さんとイヤハヤ南友さんのコメントを読んで、「なぜそんなに必死に彼女ら全員を憐れな被害者に仕立て上げたいのか?」と訊ねてみたくなりました。
>、「なぜそんなに必死に彼女ら全員を憐れな被害者に仕立て上げたいのか?」と訊ねてみたくなりました。
逆に、なんでそんなに被害者の人権を軽視するのか逆に訪ねたいです。犯罪被害者のことを第1に考えているだけです。
矛盾点があるからと言って嘘つきのタカリ屋扱いされれば快活な人でも(むしろそういう人だからこそ)号泣すると思いますが?私はどちらかというと、そういう人に嫌悪感を覚えるという人や、まるで全ての慰安婦の証言が信用できないかのような印象を与える(情報操作)コメントを書き込む人に嫌悪感(吐き気)を抑えることができません。
「強制的に連行された一部の慰安婦の存在」一部だけだという根拠は?あくまで一部だけだというなら大半は同意の上だという根拠を示してください。
>2009年03月26日 22:13のコメントで報酬を内地の人と比較していますが、日本領朝鮮地方の貧農の収入と比較するほうが、報酬の大小を論じるなら妥当だと思うのですがいかがでしょうか?
ハァ?「日本軍の慰安所での報酬」なんだから日本軍兵士や内地の人間との報酬するのが妥当のはずですが?
なんで「日本軍の慰安所での報酬」を「日本領朝鮮地方」、しかもわざわざ「貧農」という「朝鮮地方」のなかでも貧しいのと比較しなければならないんですか?
そういうのは「妥当」ではなく「不当」と言うんですよ。
それに「報酬の大小を論じるなら」も何も、私は
>大体一部そういう人がいたから何だというのでしょうか?一部にそういう人がいたからと言って全部そうだというのはあまりにもデタラメな暴論です。それに高い金を受け取ったから何だというんでしょうか?高い金受け取ったんだから強制じゃないとでも?
と言ってるでしょ?報酬の大小は「強制の有無」とは関係ありません。
>人が良すぎです。
イイエ、貴方が悪すぎるんです。
>@実在しない慰安所で被害を受けた(釜山・富山など)
A被害を受けた期間が18ヶ月から36ヶ月に
B受け取ることが出来なかった報酬額の変化
C連行日時・場所の変化
D被害者を騙したブローカーが日本人から朝鮮人に
>@〜Dのうち時間の経過によって曖昧になってしまったと思われるもの、記憶力の個人差によって生じたものと思われるのはどれでしょう?僕個人としては好意的に扱ってもAとCだけがそれに当たるように思えます。
好意的など一切なく悪意でしか見てないように思われます。
まず「元慰安婦の方たちは(当時)あまり学がない人が大半を占めている」ということをお忘れなく。地名や外国語である日本語は正確に理解はできない人であることを前提にしなければなりません。
さらに貴方は「一個人は一々、出来事や日付を記録をして残すわけではない」ということも分からないんでしょうか?
「被害者を騙したブローカーが日本人から朝鮮人に」?慰安婦全員がそう言ってるんですか?仮にそうでも結局そのブローカーは日本軍の依頼を受けた人間なんだから日本人だろうが朝鮮人だろうが論点とは関係がありませんね(一緒にやる場合もあるだろうし)。
>秋田冒険王さんとイヤハヤ南友さんのコメントを読んで、「なぜそんなに必死に彼女ら全員を憐れな被害者に仕立て上げたいのか?」と訊ねてみたくなりました。
「仕立て上げる」も何も「被害者は被害者」だと言ってるだけですが?
反対に貴方に「なぜそんなに必死に彼女ら全員を嘘つきのタカリ屋に仕立て上げたいのか?」と訊ねてみたいですね。
まぁ、きっと貴方は
『何を言ってるんだ私は「強制的に慰安行為をさせられた方達には謝罪や賠償が必要です。日本政府の不誠実な対応には不満を感じてきました。」「一部の悪質な偽証を以って従軍慰安婦の存在や慰安婦の不当な扱われ方、強制的に連行された一部の慰安婦の存在などを全否定する気はありません。」と言ってるじゃないか』
と言い逃れするでしょうけど、貴方の「反面、商行為として多額の報酬を得ていた慰安婦の存在を示す書類(給与明細など)も多数存在しているのも事実であり、自称被害者と思われる一貫性のない証言も数多く見られたことも忘れてはならない」「調査や取材のたびに変わる証言」等のコメントは「一部の例で百を決める暴論」により慰安婦全員を「慰安婦は高い報酬を受け取っていた売春婦」で「うそつきのタカリ屋」にする為の悪質な「情報操作」「印象操作」にしか見えません。
そうでないなら、なぜ強制の有無を論じるのに 「多額な報酬を受けていた」だの「矛盾点のある証言がみられるなどと」論点と関係ないコメントをするのか?
「全員がそうでない」と装っているがその実「全員ウソつきだ」といってるようにしか思えませんね。どちらにせよ『宝塚の生徒を慰安婦にしようとした日本軍』のスレッドの主旨とは関係ありませんし、どんどん脱線しそうですから この辺で。
何の意味があるのか知りませんがw
韓国はベトナムでとんでも無い数の強姦を犯しました。
お前らもやってるからいいだろ。という事を言いたいのではなく、とりあえず事実として書きます。
この二国は謝罪も賠償もしていません。
で、ベトナムではとんでも無い数の混血児が生まれています。
で、日本の場合そういう事はありませんでした。きちんとした管理がなされていたのです。
別に慰安婦問題を肯定したいのでは無く事実です。
で、日韓基本条約を見てください。
日本は韓国政府に多額の賠償をしています。
世界的に比較したとしての多額です。
その被害に見合うかどうかではありません。
そして韓国に残した財産を全て放棄しています。
戦争の賠償金である以上、その被害者に使われる事が前提なのは明らかですよね。
果たして韓国政府はそのお金をどのように使われたのでしょうか?
日本のやった事を肯定してるわけじゃありません。非難するならあくまで公平にするべきでしょう。
>まず一つに、アメリカ兵もWWU当時慰安婦を使用していました。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/nez/ian/panpan.htm
↓
『8月18日付けで「外国軍駐屯地における慰安施設に関する内務省警保局長通牒」が出ており、各都道府県の警察に対して米兵慰安所の急設を指示しています。朝鮮半島での慰安婦強制連行には慰安婦の証言に警察官がよく出て来ますが、やはり政府から見ても警察が慰安所の担当であったようです。
慰安所の設置の仕方は、警察が指導して業者にやらせる方式で、各地に「特殊慰安施設協会(RAA)」が設立されました。東京銀座街頭に「新日本女性に告ぐ」と募集広告をだしたのも、もちろん警察のバックアップがあってのことです。広島などの例をみると、当時の金で県費36万円を追加計上し、「資金は立て替える、女は警察が募集する」と業者に持ちかけています。県警保安課は設営第一、設営第二、接遇第一、接遇第二と係をわけてまで慰安所開設に専念したほどです。
このようにして、かなり大々的な慰安所設置が行われ、この結果、戦後の混乱の中で食料の確保にも事欠く家庭の女性たちを売春へと走らせることともなりました。日本政府のサービスに応じて、アメリカ兵にも慰安所は大人気ではありましたが、連合軍司令部は12月15日に慰安所への立ち入り禁止令を出しました。ついで、翌1月21日には公娼制度全体の廃止を指令しています(SCAPIN642)。3カ月で慰安所は閉鎖されたわけですが、この間に「政府の努力」で増加し、1万人に達した慰安婦たちは、路頭に迷い、非公認の街娼となって行きました。パンパンガールと呼ばれている人達です。
「慰安婦はどこの軍隊にもあって、戦後のアメリカ軍も上陸するやいなや慰安婦1万名を差し出せと命令した。」と反論のメールがあったのでその実態を調べてみました。どうやら、その根源は日本政府の方にあったようです。
参考文献
吉川春子「従軍慰安婦・新資料による国会論戦」あゆみ出版(1997年) 』
ということですw
>まず一つに、アメリカ兵もWWU当時慰安婦を使用していました。
ハイ、消えたーwww
ハイ、またまた大嘘!
http://www31.ocn.ne.jp/~hinode_kogei/index.html
『 日本軍の強姦について
「戦場に於ける特殊現象と其対策
国府台陸軍病院附 陸軍軍医中尉 金沢医科大学教授 早尾乕雄
一九三九年六月」
「 出征者に対して性欲を長く抑制せしめることは、自然に支那婦人に対して暴行することとなろうと、兵站は気をきかせ中支にも早速に慰安所を開設した。その主要なる目的は性の満足により将兵の気分を和らげ、皇軍の威厳を傷つける強姦を防ぐのにあった。
慰安所の急設は確かにその目的の一部は達せられた。然しあの多数の将兵に対して慰安所の女の数は問題にならぬ。上海や南京などには慰安所以外にその道はあけてあるから、慰安所の不足した地方へ、あるいは前線へと送り出されるのであったが、それでも地方的には強姦の数は相当にあり、亦前線にも是を多く見る。是は尚、女の供給の不足してることに因るは勿論のことだが、やはり留学生が西洋女に興味を持つと同様で、支那女と言うところに好奇心が沸くと共に、内地では到底許されぬことが、敵の女だから自由になるという考えが非常に働いているために、支那娘を見たら憑かれたようにひきつけられて行く。従って検挙された者こそ不幸なんで、(強姦事件は)陰にはどれ程あるか解らぬと思う。
憲兵の活躍のなかったころで而も支那兵により荒らされず、殆ど日本兵の通過にまかせた市町村あたりは支那人も逃げずに多く居たから、相当に(強姦の)被害があったという。この部隊長は兵の元気をつくるに却って必要とし、見て見ぬ振りに過ごしたのさえあったほどである。
西洋人の前に(で)日本の軍人は非常に礼節を重んずるから、支那婦人を冒すなんて事は断じてないと、予め吹聴したものだった。然るに事実は是に相違したので、支那良民の日本兵を怖るること甚だしく、若い女は(強姦されるのを怖れて)悉く隠されて影もない様になったと言われる。
然るに一方南京の避難民区からは糊口の道を得たるために、昔の夜鷹の如くに若き支那婦人が枕になるもの下敷きになるものだけを携えて、昼夜兵の宿舎にあらわるる様になったので、風儀の乱されたこともあった。こうなると憲兵の方も強姦か和姦かの区別を考えねばならなくなり、若し、其の場所に敷物代用品があったり、支那婦人が日本貨を持っていた事実が認められたら、和姦として取り扱って見る様になり、(検挙される)強姦の数は実際よりは少なくなったという。敵国人という感(情)の働くために、無償にて(性交を)行い、(代価を)要求されたときに是を追い払ったりする為に、(南京?)自治委員会からの告訴に会って恥を掻く例も少なくないのである。
勝利者なるが故に金銀財宝の略奪はいうに及ばず、敵国婦女子の身体まで汚すとは、誠に文明人のなすべき行為とは考えられない。東洋の礼節の国を誇る国民として慚愧に耐えぬ事である。昔和倭(倭寇?)は上海に上陸し、南京に至る迄、このような暴挙に出た為に非常な野蛮人として卑しめられ嫌われたというが、今に於いても尚同じことが繰り返るるとは、なんとした恥辱であろう。憲兵の活躍は是を一掃せんとし、皇軍の名誉回復に努力しつつあることは感謝にたえぬ。
或る兵は兵站病院を退院、原隊へ復帰の途次、飲酒酩酊の上、所属隊宿舎の付近の支那家屋へ侵入し、同家二階に居合わせた支那婦女(当時二十一歳)を強姦した。
二人(A・B)の兵は他の一人(C)を誘いて外出した。Aは支那婦人(当二十年)を見ると劣情を起し、強姦を志し、Cをして同女を附近の空家へ連れ行かしめ、Cをして所携の小銃を一発発射せしめ、更に(小銃に銃剣を?)着剣の上、剣先を同女に突付けて脅迫せしめ、同女が恐怖するを見ると附近の民家内へ引き入れ強姦した。BはAの目的を達したのを知るとAの立ち出た後へ入り込んで同女を強姦した。
或る兵は或る支那民家へ立ち寄ると、同家の娘(当十六年)が兵を見て怖れ逃げ去ろうとすると、是を捕えて強姦したばかりでなく、翌日も到って再び強姦した。
或る兵は飲酒酩酊の上、無断外出をし、支那婦人某(当四十九年)方へ侵入し、所携の軍刀を引き抜いて、脅迫した上、強姦した。
或る兵は加給の酒に酔い、戦友と共に外出し、支那婦人某(当四十二年)を認め、是を姦淫せんと思い、同家内に侵入して同女に性交を要求した。同女は日本兵を怖れて抵抗の出来ないのに乗じて姦淫した。
或る兵は支那酒に酔いつつ、支那店に立ち寄り、焼き鳥を食する時、傍らに居た支那少女(当六年)を見ると、同女が十三歳未満の少女であることを認識しながら姦淫せんと思い、同女を抱きながら室内へ入り、同女の父に銃剣を突き付けて退去を命じ置き、同女を姦淫せんとせしも、少女の為目的を達しかね、指頭を以て(性器を)押し開かんとして負傷せしめた。
或る兵は武装(の上)、街頭に出て支那民家の表戸を蹴外し、家内へ侵入し、隠れていた支那女(当十六年)を発見し、同女に銃口を差向け脅迫の上、強姦した。次に同女を宿舎へ連れ行き、「帰宅すれば殺すぞ」と脅迫して不法監禁した。其の間、無抵抗なのに乗じて姦淫した。其の翌々日、同女の宅へ侵入し怖れ、隠れ居るを発見し強姦した。
或る兵は戦友二人と支那酒や「ビール」を飲んだ上、支那婦人を捜し求めた上、輪姦した。
或る兵は(が証言するには)、歯科治療に行った帰途に「ビール」を飲み、酔いに乗じ支那家屋へ「ノック」して入った。男が茶を出してくれた。外に話し声がするので着剣で警戒に出ようとする時にすべった。其の折りに支那女に触れたかもしれぬと話したが、是は偽りで強姦未遂であった(女の匂いがするのを咎められて言い訳をしたのかもしれない)。
或る兵は街上の支那家屋へ入ると母親と娘とが居た。娘へ(性交を)要求をすると、承知した母親は是を見て出ていったので其の娘を姦淫せんとしたが発育しておらなく出来なかった。(娘は十歳位)。其のまま帰った。娘へ隊へ来れば残飯をやるからと隊名を書き置いたことから憲兵に捕らえられた。
以上の述べた様な例は尚沢山に挙げることができる。強姦をやっても容易に発覚しないだろうと考えることは大変な誤りで、こんなに知れやすい事柄はないのであると、法務部当局は兵達を戒めて居ったが、全く其の通りである。
日本の軍人は何故に此の様に、性欲の上に理性が保てないかと、私は大陸上陸と共に、直ちに痛嘆し、戦場生活一ヶ年を通じて終始痛感した。然し、軍当局は敢えて是を不思議とせず、更に此の方面に対する訓戒は耳にしたことがない。而も軍経営の慰安所を盛んに設けて軍人の為に賤業婦を提供した。そして娼婦から性病を軍人間に蔓延せしめた。そして遂に其れのみを収容する兵站病院を作る必要を生じた。尚性病のある間は(内地への)帰還を停止した。兵にのみかく厳にしながら、将校間に却って性病が多かった。若い将校どころか上長官の間にも患者はあり、軍医に秘密治療を受けて居る。性病を支那人から得ぬ様に慰安所を設け内地、内戦人を娼妓として使用しながら、皮肉にも彼女らが性病を広げた。然し強姦は甚だ旺んに行われて、支那良民は日本軍人を見れば必ず是を怖れた。
将校は率先して慰安所へ行き、兵にも是をすすめ、慰安所は公用と定められた。心ある兵は慰安所の内容を知って、軍当局を冷笑して居った位である。然るに慰安所へ行けぬ位の兵は気違いだと罵った将校もあった。
要之戦場生活は殺風景だから気が荒くなる、是を抑える為には兵に女を抱かせるより善い策はないとしたのは尤もである。
然し、日本軍人が戦争に来て大きな顔をして慰安所へ暇さえあれば通う姿を見て、支那人は笑って居った。(応召によって大陸に派遣され)上海へ上陸した其の日に、何処へ行ったら女が買えるかと在留日本人に聞くと言うので、日本の兵隊さんは戦争に来たのじゃあないのかと反問しているのを聞いた。
上海でも南京でも日本服姿の婦人を見ると、ゲラゲラ笑って恥しさも知らずに揶揄する。それが家庭婦人たると売笑婦たるとの区別がない。慰問に来た女学生や婦人に向かっても平気で不作法な動作をしたり言葉で話しかける。どうして軍人は此の様に性欲にかつえており、亦其の抑制がないかと思われる。海軍軍人は決して此の様な風を見せないのは、海軍軍人の平常の教育が宜しいためと考えられる。
此の様に陸軍軍人は性欲の奴隷の如くに戦場を荒らしているのであるから、強姦の頻発も亦止むを得ぬ事と思われた。」
>で、日本の場合そういう事はありませんでした。きちんとした管理がなされていたのです。
ハイ、消えたーパートUw 他にも現地の女性を現地妻にしたりとかその女性に子供産ませた話も見られます。
いい加減にしましょうね大嘘つきw
http://www.han.org/a/half-moon/hm051.html#No.334
『具体的に日韓協定の場合をみると、そのつかみ金は実際にはお金ではなく、
無償3億ドル相当の役務提供などでしたが、それに対する日本政府の説明では
賠償や補償という表現はまったくなく、かわりに「独立のお祝い金」とか「経
済協力金」という解釈のみがなされました。
これはもっともな話で、そもそも役務提供、すなわち鉄鋼材や人力の提供
が人権被害者への補償になるはずがありません。実際の協定文でも「経済協
力」が前面にうたわれ、補償・賠償とは無縁でした。その一方で何の脈絡もな
く、協定文のなかに「請求権」は日韓間で完全に解決されたという条文が挿入
されました。
この請求権・経済協力協定により、日韓両国政府は「国家間」の請求権は
完全に解決されたとしています。そのため、韓国政府が日本政府に「慰安婦」
に対する補償を「直接」請求することはありえないと思います。韓国政府が言
えるのは、日本政府が誠意をもって道義的責任を果たすよう要求することくら
いです。
他方、この協定で補償や賠償を放棄した韓国政府は、韓国民に対してその
肩代わりをするのは当然の義務になりました。そこで韓国政府は、戦死者など
重大な被害に対してのみ申し訳程度にそれなりの補償を実施しました。これは
協定締結前に猛然と非難された屈辱外交の罪ほろぼしといえます。
しかしながらこの措置の中に、当時見えていなかった「従軍慰安婦」への
補償はもちろん考慮されませんでした。
こうした現状を要約すると、日本側はつかみ金を「お祝い金」や「経済協
力金」としてとらえ、個人補償をしたという認識はまったくありません。他方
の韓国政府はその役務供与を、韓国が要求していた8項目にわたる補償・賠償
請求の一部として認識しました。そうした手前味噌の解釈が両国政府でなされ、
基本的に現在まで継続しています。
なお、韓国政府が当初要求した8項目の中には、「慰安婦」への補償が含
まれていないことはいうまでもありません』
ろくにこの『不条理日記』を読んでいないことが見え見えですねw
http://himadesu.seesaa.net/category/139909-4.html
↓
『日本が朝鮮に残した53億ドルという「資産」についてだが、そのうち「不動産」が占める割合も決して少なくないと思われる。
日本が全世界に有していた「在外財産」はUSドル換算で約645億ドルだが、その約3分の1の約229億ドルが「不動産」だった。(P-550〜551「在外財産米貨換算額」より)
連合軍司令部は日本の「在外財産」を「16種の在外為替資産」として定義したが、その中の「不動産」については「本邦外ニ所在スル土地・建物・工場・機械設備等」と定めている。(P-549注記「在外財産等ノ報告ニ関スル大蔵省令」より)
朝鮮では連合軍の取り決めに基づき「旧日本人所有の農地、市街地住宅、中小企業等の資産の売却または賃貸をなす権限」がアメリカ軍司令官に認められた。
そして「大企業資産についても売却は行なわないが占領目的と背馳しない限り最大限に利用すること」、
「中小企業の範囲についても朝鮮人により運営可能とみなされるものについては解釈を柔軟に行い」、
「総じて旧日本人所有財産に関してはそれが朝鮮人民の利益に資するよう措置」する方針を示した。(同上P-547〜548)こうして日本は朝鮮半島での財産を失ったのである。
言うまでもなく朝鮮半島に於ける日本人の不動産所有者は、暴力的な手段によって土地や建物を得たわけではない。しかし日本の失政によって次第に貧しい朝鮮人は土地を失い小作農に転落し、そして(日本人も含めた)地主階級が巨大化していった。また朝鮮人労働者の賃金は同業の日本人労働者の半分程度だった。このような植民地体制によって日本人の資本家や日本企業が蓄財したのである。
植民地に於いて支配者たる立場に拠って得た不動産が敗戦によって失われたことを、国家間の賠償の一環だと捉えるべきではないだろう。朝鮮半島での日本人の蓄財+不動産所有は被支配民族に対する搾取の上に成り立ったものであり、日本国がこの植民地を放棄することを承知した以上(つまり不当な支配だったことを認めた以上)、日本人が有していた不動産の所有権はその国土の本来の持ち主に帰すのは当然ではなかろうか?もし補償を求めるのなら日本国政府に対して要求するべきものだろう。(パレスチナのガザ地区を占領していたイスラエルは撤退の準備を開始しているが、入植者への補償はまさかパレスチナ自治政府が行なうわけではあるまい?)
また、「地域別日本在外資産額」(P-555)は、「非陸海軍法人・個人・政府」が世界各国に有していた資産額の一覧だが、
これによると「北鮮」には29億7095万9614ドル、「南鮮」には22億7553万5422ドル、合計で52億4649万5036ドルの資産が存在していたという。(これが「アジアの真実」に於ける、「南北で53億ドル、韓国には23億ドルの資産」というデータの根拠であると思われる)
ところでこのデータは「非陸海軍法人・個人・政府」というお題目がある。つまり朝鮮総督府の財産も含んだ統計なのである。その中には「不動産」・・・総督府が所有していた土地や庁舎なども含まれているのであろう。
(ちなみに「所在地域別在外財産」(P-552)によると、朝鮮に於ける日本の財産のうち個人所有財産と鉱業権・抵当権を除外した額は15億4319万3千ドルであり、そのうち皇室財産は108万1千ドル、政府の財産は2億7816万4千ドルである)
この「資産」を賠償の一環だと捉えることは・・・言うなればイスラエルが「ガザ地区の土地評価額は###億ドルです。この度我々は撤退しますから、パレスチナ側に###億ドルの賠償を行なったことになります」などとほざいたり、
あるいはいつの日かヨルダン川西岸から撤退するとき、「アパルトヘイト・ウォール」をパレスチナ側へ無償で提供する資産として計上するようなアホらしさである(逆に撤去費用を請求されるに決まってるw)』
>そして韓国に残した財産を全て放棄しています。
例えて言うと人の家から金を盗んだ泥棒が元の持ち主に返還されたのを「それは俺の金だが所有権を放棄してやった」と言ってるようなものだなw
前述しましたが、当の日本が賠償金とは一言も言ってませんねw韓国はわずかな円借款は受け取ったものの、円借款は結局返ってくることになる。
>世界的に比較したとしての多額です。
ドイツの補償額は日本円にして最終的に9兆円を超えるとされるのに対し、日本の支払った賠償額は1兆円。しかも対象国の被害者そのものに行き渡ったわけではなく、一部支配階層にのみ行き渡ったり、はななだしきに至っては、日本企業に還流したりしている。
なにせ、大蔵省財政史室編「昭和財政史−終戦から講和まで」第1巻では「日本が賠償交渉でねばり強く相当の年数をかけて自分の立場を主張しつづけたことも結果的には賠償の実質的負担を大きく軽減させた。賠償の締結時期が遅くなった結果、高度経済成長期に入った日本は、大局的に見てさほど苦労せず賠償を支払うことができたのである。加えて時期の遅れは復興した日本が東南アジアに経済的に再進出する際の絶好の足がかりとして賠償支払や無償経済協力を利用するという効果をもたらした」と記しているのである。(「戦後補償を考える」内田雅俊 講談社現代新書より)
要するに賠償を値切った上、その賠償を投資として使い、最終的に日本経済に還流させたのである。そこには相手国と民衆に対する謝罪の気持ちは毛頭なく、反省がまったく見られない。
>お前らもやってるからいいだろ。という事を言いたいのではなく、とりあえず事実として書きます。
じゃ、どういう事を言いたいんでしょうかねぇ?それが事実としても何でそんなことを出さなければならないんでしょうね?
悪さをしておいて「こんなの他の奴だってやってるじゃないか」「他の奴のほうが酷いことしている」なんてクソガキの言い逃れでしかない。言い訳にもならないし論理として成り立っていない。精神的にも知的にも低レベルの主張である。幼児並の知性もないんじゃないのか?
>日本のやった事を肯定してるわけじゃありません。非難するならあくまで公平にするべきでしょう。
何が公平だ、なにがするべきでしょうだ、屑め。なんで罪を非難するのに他者の罪まで非難しなければならない?お前は自分の家族が殺されたらその犯人だけでなく警察の不祥事や全世界の犯罪者の罪を非難するのか?
結局お前の言っているのは「他の奴だってやっているじゃないか」という言い訳にもならないクソガキの言い逃れだ。
それにしても『宝塚の生徒を慰安婦にしようとした日本軍』の記事がよくここまで脱線したものだ。中国のチベット弾圧問題がイラク戦争問題にまで話が飛ぶようなものだなwある意味感心するわw
まぁ、そうゆう人間のことを普通「キチガイ」ってゆうんですがw
・・・って前にもやりましたね、このネタw
結局この人は慰安婦問題を肯定というか正当化したいんでしょうな。で、その為に元慰安婦のお婆さんをを「嘘つきのタカリ屋」にしたてあげたいと。そして「賠償は済んでいる」ことにして「他の奴のほうがひどい事をしている」ことにして正当化にならない正当化論を振りかざしているとw
まー「モッタイナイ」ならぬ「ミットモナイ」こと!w
>日本の場合そういう事はありませんでした。きちんとした管理がなされていたのです
という大嘘つくのもネットウヨの「兵の強姦を防ぐ為に慰安所が作られた」論を主張して正当化したいんでしょうな。でも秋田冒険王さんが挙げたように結局強姦は後を絶たなかったわけでw
「兵士の強姦を防ぐ為」が慰安所設立の理由の一つであることは事実だろうが、それって裏を返せばそんな物作らなきゃならないほど管理も統率もとれない理性も道徳もゼロの最低軍隊であるってことなんだよねw そんな事もわからないんだからホントおもしろい脳みそしてますよねw
>それにしても『宝塚の生徒を慰安婦にしようとした日本軍』の記事がよくここまで脱線したものだ。
まぁ、最初っからおかしかったけどねw
考えてみれば初めのコメント「反面、商行為として多額の報酬を得ていた慰安婦の存在を示す書類(給与明細など)も多数存在しているのも事実であり、自称被害者と思われる一貫性のない証言も数多く見られたことも忘れてはならない」も明らかに元慰安婦を嘘つき扱いして日本軍を正当化しようとする印象操作以外のなにものでもないしねぇ。
つまるところ、「日本軍が悪いことをした」という事実から目をそむけ、それを非難する被害者(元慰安婦だけでなく南京をはじめとした蛮行の犠牲者や沖縄の住民まで)の方が嘘をついていることにしたい気持ちのワルイ日本軍信者もしくは下等生物嫌韓厨。それがコイツの正体ですw
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%8C%A6%E5%91%A8
「威鏡の女学校在学中の17歳の時1939年に国民徴用令で動員され軍需工場に行くと思っていたが着いた所は吉林の慰安所だった」(朝日新聞 1995年)
「村の班長(日本人)に『一家に一人は行かなくては』と脅かされ、1941年、朝鮮を離れたが、到着した場所は、慰安所だった」(元日本軍「慰安婦」の証言を聞く集会)
「17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に、日本軍の工場に働きに行くように命じ、私は労働者として徴用されたのだと思った」 (国連・経済社会理事会クマラスワミ報告)
「14歳のとき、いわゆる「処女供出」で満州に連行され、皇軍兵士の道具にされた」 (黄錦周さんの証言を聞く会 東京大学にて)
どうやって信じろと?記憶の経年劣化??教育水準が低いから?WIKIからのコピペですが、リンク先からは数名の証言へリンクが張ってあります。不完全ながらも証言の矛盾点、信頼性にも触れています。是非、多くの人に熟読して欲しい。
それで? その黄錦周さん一人の証言が信用できないから他の元慰安婦の証言もみんな信用できないとでも?エリザさんや新藤兼人さんの証言も信用できないんですか?
だとすればそれは悪質な「一部の例で百を決める暴論」にしかすぎないと申し上げたのにどうして性懲りもなくまたやるんですかね?
>是非、多くの人に熟読して欲しい。
そんなに悪質な「一部の例で百を決める暴論」により慰安婦全員をうそつきに仕立て上げる「情報操作」「印象操作」がしたいか卑怯者。
いずれにせよ、これまた『宝塚の生徒を慰安婦にしようとした日本軍』とまったく関係ありません。
>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%8C%A6%E5%91%A8
>「威鏡の女学校在学中の17歳の時1939年に国民徴用令で動員され軍需工場に行くと思っていたが着いた所は吉林の慰安所だった」(朝日新聞 1995年)
「村の班長(日本人)に『一家に一人は行かなくては』と脅かされ、1941年、朝鮮を離れたが、到着した場所は、慰安所だった」(元日本軍「慰安婦」の証言を聞く集会)
「17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に、日本軍の工場に働きに行くように命じ、私は労働者として徴用されたのだと思った」 (国連・経済社会理事会クマラスワミ報告)
「14歳のとき、いわゆる「処女供出」で満州に連行され、皇軍兵士の道具にされた」 (黄錦周さんの証言を聞く会 東京大学にて)
>どうやって信じろと?記憶の経年劣化??教育水準が低いから?WIKIからのコピペですが、リンク先からは数名の証言へリンクが張ってあります。不完全ながらも証言の矛盾点、信頼性にも触れています。是非、多くの人に熟読して欲しい。
正確な年号を覚えていないのは別に不自然ではない。聞き取り証言では起こり得る範囲内の誤りで全体の信憑性を揺るがすようなものではない。
国民徴用令が朝鮮に適用されたのは確かに1944年だが、1939年4月の内地での国民徴用令に合わせて、朝鮮でも1939年9月から”自由募集”が行われている。日本人である村の班長が「1家で1人は日本の工場で働かねばいけない」と言ったとされるが、班長にすれば”自由募集”下でも多く集められれば、指導力があるということで上の覚えがめでたくなる、ということが予想できるわけで、名目は「自由」でも半強制的に募集されていても不思議ではない(会社勤めしたことある人間なら、社内のレクリエーション活動に”自由意志”で参加したことは少なからずあると思うのだが・・・)。
かなり長い意見交換でしたね。読みました。
元慰安婦証言が証拠となるのかという点は、秋田さんがおっしゃつているように、50〜60年前のこと、一部が記憶変容となったり、年齢や歳月の数え方が満、数えでまちまちだったり、またそれ以上に可笑しなところもあるのでしょうが、日本国内の従軍慰安婦否定派と認知派の争点となっていた事は存じ上げています。それに、戦勝国軍事裁判の証言資料は日本を故意に貶めるもので、それを認めるのは「反日」議論だとエスカレートしているのも見かけます。
ご異論はあるでしょうが、自分は、冷静に判断された証言聞き取り記録が数割でもあれば、慰安婦の認知をすべきと考えています。
政府機関・人権機関の要員でも無い私の考えなんかはどうでもいいですが、問題は、白馬事件の当事者国オランダ、そして1996年の国連人権委員会マクラワミン調査(日本・韓国対象)報告書から昨今の同国連自由規約人権委員会により採択された勧告の性奴隷についての判断の仕方では無いでしょうか。日本国も国として自由意思によりこの委員会に締約国として正式に入っているからです。
正確な文章ではありませんが、マクラワミン調査報告ではも元慰安婦の聞き取りをやっていまして(アサヒ新聞ではありません)、元慰安婦が騙されて連れて行かれた(誰が連れて行ったという事で無く)と、「共通して」(ポイントかなと思います)言っている事、そして、帝国派遣軍の軍慰安所に連れて行かれて、過酷な性奉仕の道具にされていた事の2点だけで、日本帝国軍による性奴隷の史実だと決めつけていた事が分かります。
えっ!こんなにアバウトで良いのかという位アバウトです。入り口と出口のポイントを押さえれば、細かい多様な事情・状況は調べなくとも「性奴隷」だと言う把握の仕方ではありませんか。
国連委員会の審査席上における現日本政権は、細部を問題にしてばかりで、それも「騙されて連れてきた事は事実」としながら、「性奴隷では無い」と説明し否定しています。それ故に、日本に味方をした委員が少なかったのでしょう。議長が勧告採択後に特別の括りの発言をしています。「私の頭が可笑しいのだろうか。日本の説明は矛盾している。何故、少しでも性奴隷の疑いがあれば、この国連の場で明らかにしようとしないのか」・・・と。
この議長発言が、世界の人権擁護のスタンダードでは無いでしょうか。証拠やその書類の精度なんか求めていないのです。
なお、色々と状況証拠はあるようです。
従軍慰安婦は、軍慰安所を自由意思で辞めることができたのでしょうか。遠く海外に移送され自力で帰国するすべもなく諦めた模様。そして、軍慰安所の性サービス職員でしたから「軍属の身分」でした。軍属は「派遣軍の責任者」から辞めるという許可を貰わなければなりません。そう云う身分の仕組みが知らされていたかどうかさえ分かりませんが、知らされていたとしても自由意思ではなくて許可の必要な拘束力を前線の派遣軍が持っていたということではないでしょうか。軍属であるから軍の船で前線まで移送できた訳です。一般国民は軍の船に自由意思で乗れません。この軍属なるものは、いわゆる徴用であろうと思いますが。
結局戦争なんて遊びなんだよ一部の狂った連中による。
その中で女を強姦するというのは付随するものというより目的そのものですらあったのではないかとさえ思う。
気の毒なのは慰み者にされた女性だけでなくバカどもの遊びに付き合わされて兵隊に取られた男性達も同様でしょうね。