2002年3月30日、日比谷公園にて一人の活動家が焼身自殺した。
「シオニズム・シャロンによる侵略と虐殺、そして人種差別に対するパレスティナの人々の抵抗を無条件に支持します。平和的であれ、暴力的であれ、人間の尊厳を回復するための抵抗を無条件に支持します」
という言葉を遺して。
立命館大学でノンセクト学生として活動し東大闘争にも参加した彼は、1971年に山田修さん、安田安之さんとともにレバノンに渡り、パレスチナ解放人民戦線の指導の下、テルアビブ空港襲撃を計画した。しかし山田修さんが事故死し、遺骨を持って帰国。(安田安之さんは、72年に奥平剛士さん・岡本公三さんの3人で空港襲撃を実行する)
帰国後、旅券法違反で執行猶予付きの実刑判決を受けたが、その後も国内で軍事訓練を行い、「共産同火花派」の結成に加わったが、体調を崩し入院、武装闘争路線からは退く。
その後は、元日本赤軍メンバーや関係者の弾圧救援に尽力し、ウナディコム(レバノン=日本民衆連帯)を同志らと立ち上げ、2001年9月には日比谷公園「かもめの広場」で72時間ハンストを行うなど活動を続けていたが、翌年の「パレスチナ土地の日」に、ハンストを行っていた場所で自ら命を絶ったのである。その2ヶ月前から有楽町で働き、日比谷公園にも何かと縁のある俺だが、この事件があったことを全く知らなかった。
この檜森孝雄さんも立ち上げに加わった「パレスティナに献花を!」は、毎年檜森さんの命日に彼が自殺した場所で追悼集会を行っている。昨年からときどきこの活動に参加している俺も今回初めて参加した。
桜もまだ咲きそろわない肌寒さの中で十数名が参加し、遺影に手を合わせ線香をあげ、「献杯」を行い、活動家としての、友人としての檜森孝雄を語り合った。今も檜森さんは同志の心の中で生きつづけているのである。俺のように故人と面識がない者も、その魅力を感じることができた。
檜森さんのご冥福をお祈りします。
そしてパレスチナに平和が訪れることを願います。
◇ <パレスティナに献花を! Flowers for Palestine>
◇ 追悼 桧森孝雄さま
◇ 3・30檜森孝雄追悼行動
◇ 水平線の向こうに―― 72・5・30リッダ覚え書き
◇ Amazon.co.jp: 水平線の向こうに―ルポルタージュ桧森孝雄 『水平線の向こうに』刊行委員会
檜森さんはこの遺稿追憶集「水平線の向こうに」の中で、永遠に我々に語りかけてくる。
2009年03月30日
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>昨年からときどきこの活動に参加している俺
おお!尊敬します!
最近『情況』誌上で和光晴生さんが「日本赤軍とは何だったのか」を連載されてますよね。そこでJRAの創生神話批判・重信批判を展開されてますが、同様の問題意識を持たれていたのが檜森さんでした。
リッダ闘争=日本赤軍という<神話>は左右を問わず広く浸透しています。しかし、歴史の<真実>は明らかにされねばなりません。その意味で、上で紹介されている『地平線の向こうに』は、貴重にして意義のある資料と言えましょう。
毎月第三金曜日行われている「パレスティナに献花を!」は、いつも参加人数が少ないので、機会があれば是非ご参加下さい♪ (というか私も今月は仕事のため参加できませんが)
http://www.mkimpo.com/palestina/index.html
法政にも行ってみたいんですけどね(しかし、最近の中核派のゴタゴタ振りは・・・大丈夫なんかね。とにかく早く斉藤君らには復帰してほしいな)。
多忙とのこと。時給3,000円くらいあればイイんですけどね。