当日の朝、都内の一角に集合し、某ユニオンのバスに乗せてもらった。首都高から東関東自動車道に入って約1時間。やっぱ成田は遠いよね。途中のSAで某マイミクさんと遭遇。他にも若干名のマイミクさんが参加されたようだが、何しろ凄まじい人数だったんでお会い出来なかった。せいぜい300人くらいだろうなあ、と高を括っていたのだがトンデモなかった。
インターを降りてしばらく走り、集会場(反対派住民の農地)に到着。バスを降りたところで「公安に顔を写される」というので帽子を拝借した。たしかに機動隊・公安がウヨウヨいる。開始の1時間前ぐらいに到着したのだが、すでにノボリ・旗が立ち、ヘルメットと覆面姿の若者たちが気勢を上げ、なかなかの雰囲気になっていた。なんだか30年くらいタイムスリップしたみたいだけど、平成生まれも少なからず、らしいです。

(この横断幕の向こうで公安がこちらを観察している)
■ 先月23日に成田空港で発生した貨物機の炎上事故は、成田のような内陸部で発生しやすい「ウインドシア」と呼ばれる乱気流が原因だったという。空港には適さない場所なのかもね。だいたいなんで都心から遠く離れた農村に、農民を暴力で排除するまでして造りやがったんだ。前にも書いたが当時羽田空港が混雑してきたのはアメリカ軍のベトナム戦争のための兵員・物資輸送の中継点となっていた影響もある。アメリカ軍に利用させなければ羽田で十分だったんだろうね。つーか空港が足りないんならアメリカ軍を追い出して横田や厚木を利用すればいいじゃんか。つーか首都圏への一極集中が根本的な問題だな。
■ そりゃともかく空港が出来ちまったんだが、まだ当初の建設計画は完成していない。成田国際空港株式会社(NAA)は反対派の農民を追い出すためにあの手この手の汚い手段に出ている。この集会でも発言した市東(しとう)孝雄さんはNAAと千葉県の結託によって農地を奪われそうになっている。
2006年9月、NAAは市東さんを立ち退かせるために1億8千万円という金額を提示したそうだが、大金を積めば農家を追い出せると思ったら大間違いだ。成田空港建設が決定して多くの農家が土地を売却したが、それでも農地を手放さない人々によって反対運動が展開されたではないか?そもそも成田に空港を建設することになったのも農民の反対運動が影響している。当初は隣の富里村に建設するはずだったが激しい抵抗運動によって中止に追い込まれ、代わりに御料牧場があり農家の戸数が少ない成田市三里塚が狙われたのである。
俺のような建売住宅に住むサラリーマンの息子として生まれた人間は、正直なところ理解が浅いが、農民にとって自分が毎日耕している農地を易々と手放せるものではない、
■ 市東さんの農地は借地であり現在の地主はNAAだが、だからといって追い出される理由はない。「借地ならばさっさと出て行けよ」という馬鹿もいるかもしれんが、なら家賃がちょっと遅れたぐらいで管理会社にカギを交換されて「出て行け!」って命令されても大人しく従うのかよ?賃貸住宅だろうが借地だろうが、借りている者に権利があり、おいそれと取り上げることは出来ない。それに土地を借りて農業を行う耕作者の権利は厚く守らなければならない。成田闘争はまだ終わっていないのである。
この農地収用のカラクリと成田空港建設計画について、当地で農業を営む傍ら反対同盟事務局次長を務める萩原進さんの著書「農地収奪を阻む」と、「市東さんの農地取り上げに反対する会」のパンフと、以下のサイトを参考にして書いてみた。
◇ 成田国際空港 - Wikipedia
◇ 農地は私たちの命です(市東さんの農地取り上げに反対する会)
◇ 市東さんの農地取り上げは私たちみんなの問題です
◇ 関実・三里塚(三里塚決戦勝利関西実行委員会)
◇ 市東孝雄さん農地裁判 傍聴のために
■ 1978年に開港した成田空港は30年以上経った今でも完成に至っていない。A滑走路(4000m)、B滑走路(2500m)、C滑走路(3200m)の三本の滑走路を運用する計画だったが、C滑走路の建設は凍結中、B滑走路は2180mの「暫定滑走路」として2002年から運用が開始された。B滑走路の南端から100mもないところにある「東峰神社」の存在が、2500mの滑走路計画を阻んだのである。
ところが運用を目前にして、現在の静岡空港と同じ問題が判明した。
東峰神社の立ち木数十本が航空機の進入表面から10m以上突き出ていたのである。この神社の土地は既に空港公団が買収していたので、2001年6月に空港反対派の抗議を押し切って伐採を行い、翌年この滑走路の運用を開始した。
この暴挙に対し東峰部落住民全戸が空港公団(当時)を提訴したが2003年和解が成立。空港公団は立ち木伐採を謝罪し、神社がこの部落の「総有」であったことを認め、伐採前日に登記簿を公団名義に書き換えていたが部落の名簿に直すことを受け入れた。
■ 「暫定」としてオープンしたB滑走路は、2180mという短さのためジャンボジェット機の発着が出来ない。そのため公団は、東峰神社とは反対の北側を800mほど延伸する計画を打ち出した。十分な距離が確保できれば「燃料をほぼ消費した状態のボーイング747が着陸できるようになる」。現在でも周辺の住民はジェット機の爆音や噴射の熱風に悩まされているが、ジャンボが飛ぶようになれば住民に堪えがたい精神的・肉体的苦痛を与えることになる。公団は、「(反対派住民もジャンボを)飛ばせば落ちる」と目論んでいるのである。
■ しかしB滑走路に並行する誘導路の一部が空港反対派民家とその所有地の影響で、滑走路側へ「への字」に湾曲しており、ホイールベースの長いボーイング747や777-300などの機種通過が極めて難しい。配置図を見れば分かるがB滑走路の誘導路は不自然に曲がっているのである。(こっちの方が分かりやすい)
この「へ」の字の内側には「天神峰現地闘争本部」や、地元の農民である市東孝雄さんが耕す農地がある。公団は「現闘本部」の撤去を要求して民事訴訟を起こしている。
■ 「天神峰現地闘争本部」が立つ土地は既にNAAが買収済である。しかしこの土地は元の地主が反対同盟に貸していたものであり、「現闘本部」の建物は反対同盟の所有物として登記されている。つまり反対同盟には「地上権」がある。しかしNAAは、「反対同盟が持っている地代の領収書など意味の無い紙切れだ」などという馬鹿げた主張をしている。
しかもこの「現闘本部」は「成田治安法」を盾に封鎖状態にあり勝手に近づけない。撤去せよといっても立ち入ることさえ不可能なのにどうやって撤去しろというのか?

(デモ中に撮影)
3月12日に行われた口頭弁論では、別室に控える証人(元の地主の縁者)がモニターとマイクで証言する「ビデオリンク方式」が行われ、審議が打ち切られた。この証人はNAAの主張を補強するために「地代などもらっていない」などとほざいているという。NAAと、「ビデオリンク方式」を行った裁判所を徹底弾劾しなくてはならない。そしてNAAは、市東さんの耕作権を奪うための訴訟も起こしている。
■ 農地を空港建設のために収用するには、本来土地収用法を根拠とするべきだが、成田空港建設のために1969年12月に認可・告示された事業認定は、20年を経た1989年に失効している。これは政府も認め、収容手続きを取り下げた。そのためNAAは農地法20条を根拠にして、市東さんの農地を奪おうとしている。
■ 市東さんの農地は借地である。戦後GHQの政策によって小作農に農地が明け渡されたが、市東さんの農地は適正な手続きが行われず借地のままだった。地主は1988年、市東さんに無断で(ようするに市東さんには内緒のまま)NAAに土地を売却した。そしてNAAは地主という立場を理由にして、小作人(市東さん)との契約を解除しようとしている。つまり市東さんから耕作権を奪い、農地から追い出そうとしているのである。
市東さんが、自分の耕作地がNAAの手に渡っていたのを知ったのは2003年12月だった。それとは知らない市東さんは元の地主に毎年地代をせっせと支払っていたのだ。売買が1988年に行われていたのが明らかになるのはもう少しあとの話である。
■ 2006年9月21日、当時の堂本暁子・千葉県知事が、NAAからの市東さんの賃借農地解約の申請を許可した。農地法20条を根拠としたものだが、これは特別な事情がある場合都道府県知事の許可を得れば地主と小作人の契約解除も可能だとしている。該当しそうなのは、どんなにこじ付けしても「五 その他正当の事由がある場合」くらいなのだが?
農地法とは、耕作者の権利を守るためのものであり、そのため賃借農地解約には厳しい制限を設けているのである。土地収用法が失効したからといって耕作者を守るための農地法を盾に立ち退きを迫るなど本末転倒である。
■ そもそも小作人に無断で土地を売買するのは公序良俗違反(民法90条)である。また財産権を定めた憲法29条にも反する。
それにNAAの債権的請求権(市東さんとの農地耕作契約を解約する請求権)は民法上、買収から10年で時効となる。NAAがこの土地を買収したのは1988年である。NAAが市東さんを追い出すのは法に従えば不可能である。
現在市東さんは、千葉知事のこの不当な決定と農地を奪おうとするNAAを相手に法廷で争っている。NAAは、1988年に土地を買収していたことを示す動かぬ証拠を突きつけられ、「買収の時期はともかく所有権を収得したのは2003年だ」などと見苦しい言い訳を続けている。
以上のように、まともに法を適用すれば市東さんの耕作権は守られるはずだが、NAAと国家権力はB滑走路完成のためには手段を選ばない。この攻撃に立ち向かい、市東さんの農地を守らなければならない。

■ 集会は、「もうすぐ92歳」という反対同盟の森田恒一さんの開会宣言で始まり、反対同盟事務局長の北原鉱治さんの挨拶に続いて、萩原進さんの基調報告が行われ、農地収奪のカラクリと日本の農業の危機について説明した。
萩原さんの演説を聞いてから、受付に行って「農地収奪を阻む」を買い求めた。市東さんの畑で収穫された落花生は残念ながら完売していた。
・続いて動労千葉の田中康宏委員長、三里塚決戦勝利関西実行委員会の永井さん・山本さんが発言し、反対同盟から鈴木謙太郎さんが「農民からのアピール」を行った。政府は耕作者の権利を定めた農地法1条を削除し大企業の参入を容易にしようとしているという。耕作者の権利が守らなければ、市東さんら「敷地内農家」の農地収奪が容易になるだけでなく、日本の農業の衰退に拍車がかかるだろう。
・沖縄県読谷村の村議である知花昌一さんは、戦時中日本軍に接収され戦後は米軍が使用していた70万坪の読谷飛行場を長い闘いの末に奪還したことと、辺野古基地建設反対運動通して、日米軍増強との闘いは三里塚闘争とリンクしていると語った。
※ ところでこんなノボリを発見した。

「ミクシィ有志三里塚勝手連」??そんなコミュあったんですか!?
・市東孝雄さんは、「市東さんの農地取り上げに反対する会」の皆さんととも、NAAと国家権力の不当性を訴え、農地を守り抜く決意を示した。

・葉山岳夫弁護士ら反対同盟顧問弁護団の皆さんは、「ビデオリンク方式」を許可した仲戸川裁判長を弾劾し、闘い抜くことを表明した。
・婦人民主クラブ、障害者解放同盟、山谷や釜が崎の支援団体の皆さん、福日労(福岡・築港日雇労働組合)の発言に続いて、革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)を代表して全日本学生自治会総連合(全学連)の織田陽介委員長が壇上に登り、場内から熱い声援を浴びていた。

「中核」と書かれたヘルメットを被った法大生の皆さんも待ってましたとばかりに盛り上がっていた。(なんかみんな随分年季の入ったヘルメットだったが、先輩方が機動隊と対決してたことのお下がりとか?)解放派、統一委員会、蜂起派の皆さんも負けじと熱いアピールを行った。
■ この日の参加者はなんと1580人!毎回少しずつ増えているという。反対同盟事務局の集会宣言とガンバロー三唱によって閉会し、続いてデモが開始された。俺も東部ユニオンの皆さんと、法大文化連盟の倉岡さんの力強いアジテーションに励まされながら出発した。


俺は、機動隊があまりにも多いんでビビってたけど、みんなに合わせて
「農地を守るぞ!」
「北延伸粉砕!」
「空港反対!」
「成田は廃港だ!」と大声を出しましたよ。せめて声だけは元気にね。

なにしろポリ公がピーピーピーピー笛を鳴らしたり、「デモ隊の諸君!届出の通りセンターラインの左側を4列縦隊で歩きなさい!センターラインを超えないでください!只今の時刻は午後3時30分」とマイクで怒鳴ったりうるさいったらありゃしねえ。もしはみ出ればそれを口実に逮捕するつもりだったのかね?

車道からわき道に入れば、左側の壁以外はこのようにのどかな風景。ポリもいない。
と、思っていたら突然頭上をジェット機が通過してビビりまくりw

石投げれば届きそうな低空を飛びやがる。飛行機マニアでもなんでもない人間にこんなローアングルから写真撮らせるんじゃねーよ。これじゃここに住んでいる人はたまんねーよな。
■ 市東さんの農地には、
「DOWN WITH NARITA AIRPORT 成田空港絶対反対!」
という巨大なパネルが設置してあるが、撮影するチャンスを逃した。天神峰現地闘争本部の前を通り過ぎてしばらく歩いたところで解散、それぞれのバスに向かった。俺のいた隊列ではとくに混乱はなかったが、広島からの参加者一名が逮捕されたらしい。詳細は不明。
帰りのバスの中ではミニ討論会が行われ、「逮捕されるんじゃないかとビクビクしてました」という発言があり、内心激しく同意だったが、
「きょう逮捕された人も、二、三日か、まあ長くても一週間もすりゃ出てこれるだろう。とにかく黙秘を貫き通すことだ。俺も1985年の10・20闘争のときの200人以上の逮捕者の一人だが、こうして生きてるじゃんか。なんとかるさ、心配すんな」
という先輩からの心強い??アドバイスがあった。10月にも集会があるそうです。
反対派を支持する人は確かにたくさんいらっしゃると思いますが、NAAおよび国を支持する人はその数百倍の数に上ります。
強制収用も妥当だと考えます。
昔はともかく、今はもういません。
> 強制収用も妥当だと考えます。
では、そういう理由ならあなたの家が強制収用されても構わない、ということですか?