古くなったが昨年11月2日の朝日新聞「生きた証 インドネシア独立戦争の日記」より引用。(は見逃してしまった!)
欧州各国が全世界に植民地を獲得し始めた時代、インドネシアもこの禍から逃れられず、19世紀よりオランダに植民地支配されていた。第二次世界大戦中オランダを追い払った日本が新たな支配者となったが、農作物の収奪、強制徴用、独立運動に対する弾圧は、戦後もインドネシアの人々に「300年にわたるオランダの支配よりも、日本の3年間の支配の方が苛酷だった」と言わしめるものがあった。
その日本の降伏の直後、スカルノ大統領がインドネシア独立宣言を行なうが、かつての支配者だったオランダはそれを許さず1949年12月まで続く独立戦争が始まった。
降伏した日本軍は連合軍の指示に忠実に従い、場合によってはオランダ軍と共に独立軍を攻撃するなど最後までインドネシア独立を阻害したが、密かに独立軍に加わった日本兵も存在した。
「東ジャワ州マラン県バドゥー市」在住の「ラフマット・小野」さんもその一人で、旧陸軍の用紙などに独立戦争の兵士として戦った日常を記していたのである。
終戦によって日本のインドネシア侵略・支配を非難する声が高まっていったが、小野さんは「我等(インドネシアを)最愛する(日本)民族を理解して呉れ」と、独立戦争に参加した。「敗戦後も酒色におぼれ居る将校」への反発も動機の一つだったのかもしれない。
当初は軍事参考書の作成を行っていたが、後に演習の指導や新兵教育に当たり、また前線にも立った。1948年9月には左腕を失ったが「一死を決し現社会に入り連戦に従いたる我なり 片腕を失するも残れる右腕にて初期の目的を完遂」と、決意を失わなかった。
翌年2月、小野さんが指揮しオランダ兵約50人を倒した「バンジャルパトマン」の戦闘は、「マラン国立大学史学科のヌルハディ講師」によると「国軍史など公式の歴史書にこの戦いは見当たらないが、独立戦争の中でも最も大きな戦果をあげた戦いの一つ」だという。
「・・・この戦いはオランダ軍には打撃で、戦局への影響も強かったはずだ。混乱した情勢のなか、小野さんの報告は遠く離れた軍中央にまで届かなかったのだろう」
小野さんらの存在はオランダ軍にとって目の仇だった。46年5月にはオランダ軍より、元の部隊に帰還しないと射殺するとの通告が出た。小野さんは「地元の女性と家庭を持ったなどの理由で参加した人には戻るように」勧めたという。元憲兵で、戦犯に問われることを恐れて参加していた人々も多かった。
その後もオランダ軍から独立軍に対し、元日本兵を引き渡すよう何度も要求が出たが、独立軍は「日本兵はいない」と答え、また外交団などの視察で発見されないように注意するなど元日本兵を庇った。小野さんは「何か別扱された様に不平に」思ったという。
地元の人々とも交流を深めていたが、一方農作業に精を出しいろいろな作物を栽培した記録を残すなど、自活しようとしていた姿が窺える。
厳しい生活の中で病に倒れる同胞も多かった。現在もインドネシアに残る元日本兵は小野さんも含めて9人という。上記のインドネシアの歴史研究家も「独立戦争に日本人が参加していたことは、私も研究を始めるまで知らなかった」そうだが、アジアの独立に献身した彼らの活躍は語り継ぐ価値のあるものだと思う。
関連記事:フィリピンに残り戦い続けた旧日本兵(元日本兵の生存情報自体はガセだったようだが・・・)
・・・言うまでもないことだが、独立戦争に参加したのは「元日本兵」であり、「日本軍」ではない。決して「日本軍」がアジアを独立させようとしたのではない。「日本軍」が行なった事は「独立させる」という口実による侵略・植民地支配に過ぎなかった。
だいたい「元日本兵」らは部隊から離脱して勝手に独立戦争に加わっていたわけで、これは軍法上、「脱走」という処刑に値する犯罪行為であるまいか?この点、ネットウヨの皆さんは勘違いしないように。
2006年01月18日
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オランダからの完全な独立を勝ち取るまで戦った3年間のことです。
出典が明記されていますので何を言う気もしませんが、 ま た 朝 日 か 。
いえ、あの部分は当該記事からの引用ではありません。ネット上のどこにでもあるセリフです。
日本とオランダの支配のどっちが過酷か、ということを議論するのは不毛です。
「白石さんとサイトクラッシャー英夫氏の、どちらがより嘘つきか?」
・・・と論じるようなもんです(笑う)
しかしインドネシアの人々に、日本の支配の方が過酷だったと印象付けてしまったようですね。まあ負け戦でドタバタしてましたからね。
*「ネタが朝日だから釣り記事」という、頭がどうかしている発言は削除させていただきました(^3^)/〜☆
それでは重大な事実誤認についてのみ、何か言っときますか。
> 第二次世界大戦中オランダを追い払った日本
第二次世界大戦を太平洋戦争の終結までと考えると、この一文は誤りです。
日本はオランダを追い払ってなんかいませんよ。オランダの支配を尊重し、オランダの法制度に従って、インドネシアに軍を駐留させていたんです。
> スカルノ大統領がインドネシア独立宣言を行なうが、
> かつての支配者だったオランダはそれを許さず
スカルノの最初の “独立宣言” はオランダの意向に沿った属国化宣言でした。
これを許さなかったのが、除隊後、現地にそのまま住み着いて日系インドネシア人となった元日本兵です。
そこにフィリピンで現地除隊となった旧日本兵も加わり、独立軍の中核を形成しました。
> 降伏した日本軍は連合軍の指示に忠実に従い
インドネシアの話をしているところに、どういうデムパですかね、これは。
> これは軍法上、「脱走」という処刑に値する犯罪行為であるまいか?
きっちり除隊手続きを済ませた後のことに、何言ってるんですか?
詳しくは、デヴィ夫人にお聞きください。この記事のスカルノの義理の姪です。インドネシア独立軍の資金となった旧軍の裏金等についても、彼女は知ってます。私は知りません。
http://www.kaishaseikatsu.jp/kaisha/konohito/konohito991015_main.html
ほう、では
「第三に、職場からオランダ人がすべていなくなり、日本はインドネシア人に高い地位を与えて・・・」云々は丸っきりのウソなんですね????
http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A03_1.html
>> スカルノ大統領がインドネシア独立宣言を行なうが、
>> かつての支配者だったオランダはそれを許さず
> スカルノの最初の “独立宣言” はオランダの意向に沿った属国化宣言でした。
「インドネシア独立宣言
われわれインドネシア民族は、
ここにインドネシアの独立を宣言する。
権力の移行、
その他に関する事項は適当、
かつ迅速に処理される
17・8・05」
http://www.tamanegiya.com/indonesiadokuritu.html
これのどこをどう読んだら、「属国化宣言」なんでしょうか?
本当に、白石さんのような下らない人物の相手をするのは時間の無駄ですねw
>> 降伏した日本軍は連合軍の指示に忠実に従い
> インドネシアの話をしているところに、どういうデムパですかね、これは。
こちらをご覧下さい。
http://www.ei-en.net/frenet/kouen.htm
つーか、よりによって白石さんにデムパ呼ばわりされるとは(笑)
>> これは軍法上、「脱走」という処刑に値する犯罪行為であるまいか?
> きっちり除隊手続きを済ませた後のことに、何言ってるんですか?
これについてはソースを示して下さい。しかし、除隊して現地に留まることが可能だったのですか?「除隊手続きを済ませた」者に対して、元の部隊に帰還せよという命令が出るんですか?
オランダ人より現地人の方が使えるのは当り前です。
オランダ人は宗主国の国民として食うには困らなかったので気軽に解雇できたっつ事情もあります。
> http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A03_1.html
インドネシア政府による、捏造史なのかどうなのか微妙なところだけれど、とにかく史実とは違う歴史っぽいストーリー、に沿った内容ですね。観光施設に飾る解説文としては別にいいんですけど。
現在のインドネシアは当時、イギリス領インドシナとオランダ領ポリネシアと他国から支配されていない地域だったところから成っていますが、それぞれ別個に起きたことをゴチャ混ぜにして、ひとつの話にまとめるためところどころに造り話が挿入されています。
大戦中に日本が侵攻したのはイギリス領インドシナであって、オランダ領ポリネシアではオランダの支配を積極的に認めていました。日本とオランダの友好関係は江戸時代からのものですし、オランダはインドネシアの発展に大きく寄与していたからです。
インドネシア独立戦争はオランダ領ポリネシアでのことであり、日本軍がイギリス軍を駆逐したイギリス領インドシナだった地域の一部は独立時に併合されました。
> これのどこをどう読んだら、
具体的な方法や時期を決めずに「適当かつ迅速」なんて言ってたら、むしろオランダの支配を強固にするばかりです。
ただ、ブルネイの意向もあったようですし、日本政府にとってもそのままでいてくれたほうが良かったので、当時の国際状勢を考えると属国宣言は理性的な判断です。
> こちらをご覧下さい。
> http://www.ei-en.net/frenet/kouen.htm
バックにテロ組織が付いてるような団体のサイトは何の参考にもなりません。
> これについてはソースを
無根拠に脱走兵呼ばわりして小野さんの信用を毀損する記事を掲載しているのはノンポリさんです。
> 除隊して現地に留まることが
「現地除隊」の手続きが行われたのは、フィリピンの数箇所とクアラルンプール(現在のシンガポール)です。
インドネシア独立に関る、オランダ領ポリネシア駐留部隊を担当したのはフィリピンの軍経理で、その関係から一千人以上もの元日本兵がフィリピンからインドネシアに移住しました。元からオランダ領ポリネシアにいたのは百人未満です。
> 元の部隊に帰還せよという命令が
オランダ軍には状況が把握できていなかったってことでしかありません。
そんなことが解らないのは知能程度の問題、でしょうね。
>オランダ人は宗主国の国民として食うには困らなかったので気軽に解雇できたっつ事情もあります。
ほう?
しかし、
「日本はオランダを追い払ってなんかいませんよ。オランダの支配を尊重し、オランダの法制度に従って、インドネシアに軍を駐留させていたんです。」
という発言の、ソースを示してませんので話になりませんなw
>オランダ領ポリネシアではオランダの支配を積極的に認めていました。
メラネシアの間違いだと思いますが、どっちにしろソースを示してませんので話になりませんなw
> 具体的な方法や時期を決めずに「適当かつ迅速」なんて言ってたら、むしろオランダの支配を強固にするばかりです。
ほう?しかし何故、
「オランダの意向に沿った属国化宣言でした。」
とまで言い切るのですか?
脳内デムパを披露するのはご自分のブログでなさって下さいw
>バックにテロ組織が付いてるような団体のサイトは何の参考にもなりません。
虚言症の白石さんの戯言よりは参考になりますw
>> これについてはソースを
>無根拠に脱走兵呼ばわりして小野さんの信用を毀損する記事を掲載しているのはノンポリさんです。
私は「これについてはソースを示して下さい。」と書きましたが、
その返答が「〜〜しているのはノンポリさんです」とは?
日本語、理解できます?「知能程度の問題」ですかw
>「現地除隊」の手続きが行われたのは、フィリピンの数箇所とクアラルンプール(現在のシンガポール)です。
>インドネシア独立に関る、オランダ領ポリネシア駐留部隊を担当したのはフィリピンの軍経理で、その関係から一千人以上もの元日本兵がフィリピンからインドネシアに移住しました。元からオランダ領ポリネシアにいたのは百人未満です。
ほう、フィリピンで除隊の手続きを受けて、その後インドネシアに渡って独立戦争に加わったのですか。それは何かのRPGの中の出来事ですかw
>> 元の部隊に帰還せよという命令が
>オランダ軍には状況が把握できていなかったってことでしかありません。
これについてはナイスな切り返しですねw
つーか早く、彼らが除隊手続きを済ませていたというソースを出してみなさいな。(掲示板の方でお願いします)
>そんなことが解らないのは知能程度の問題、でしょうね。
これ以上付き合っていると果てしない罵倒合戦に陥りますので、今後白石さんはコメント書き込み禁止にさせて頂きます。文句は掲示板へどうぞ。
了解しました。
では、また後日。