【追記のお知らせ 2017年4月9日】
 記事「【5月7日】雁屋哲さんの講演+井戸川克隆さんと対談」に、「美味しんぼ『鼻血問題』に答える」から福島現地での鼻血の症状についての報告例を引用しました

2009年05月24日

日本共産党の裏切り(三里塚編)

 相変わらず政治家のセンセイたちはドタバタ喜劇に熱中してて興ざめだねえ。どっちに転んでも年内に衆院選が行われるけど、ウンコ味のウンコもカレー味のウンコもイヤだなあ。「漁夫の利」を狙う日本共産党にとって、そんな悩める浮動票は格好の獲物だが、まんまと引っかからないようにあの党の実態を晒しておかないとね。つーか俺がオムツしてたころから共産党の卑怯さは鳴り響いていた、という話。

 まずは復刊が決まった「ぼくの村の話」第2巻より引用。

 新東都国際空港建設が決定した茂田市三野塚に、その日初めて機動隊がやってきた。測量のための杭打ちを阻止せんとして座り込む反対派農民を実力で排除するためである。フル装備の機動隊を前にしてヘルメットも被っていない農民たちは果敢に闘ったが、力及ばず杭打ちは強行されてしまった。
 しかし農民たちが機動隊に殴られ蹴られ、泥まみれ血まみれになって闘っているのに、離れたところで「反対同盟のみなさーーん、警察の挑発に乗るのはやめましょう!座り込みをやめましょう!」などと叫びつつ「明るい歌声」を響かせる一団がいた。公和党青年部の連中である。反対運動を支援していたクセに、機動隊が来ると逃げ出したわけである。
 農民たちを唖然とさせた公和党の卑劣な行動はこれに留まらなかった。ある日公和党青年部が反対派農民宅を訪れ、「暴力学生集団を反対運動に招き入れるな!」などと身勝手な注文をつけたのである。
 公和党が「暴力学生」と蔑むのは、当時の学生運動を率いていた全自連である。全自連三野塚で初めて行った集会には学生だけでなく多くの農民も参加し共感を得ていた。空港反対運動の主導権を握られるのを恐れたのである。
 しかし公和党が、全自連について「彼らはこの闘争を理解していないし、共に闘うどころか闘争を破壊しようとしている連中だ!」などと中傷し、集会に参加しようとした女学生を男数人で取り囲んで脅すなど嫌がらせを続ければ続けるほど、農民の信頼を失っていった。
 ある日、主人公の「押坂哲平」の一家に妙な噂が流れる。公団に土地を売り渡す約束をしたというのだ。これは哲平の父だけでなく、空港反対同盟の戸田委員長さえも公団から金を貰っている、などというデマを流されていた。
 これは公和党の謀略であったことはすぐ明らかになった。公和党の機関紙に「反対同盟代表 暴力学生集団を招き入れる 敵に同盟を売り渡そうとする幹部を排除しよう」などと書かれていたのだ。ついに公和党は反対同盟に刃を向けたのだ。「この闘争を理解」せず、「共に闘うどころか闘争を破壊しようとしている」のは公和党だったのである。
 この事態に際し、戸田委員長は「我々を内側から壊そうとする公和党を排除し、絶対崩されることのない団結を築いていこうではありませんか!」と宣言。こうして公和党三野塚闘争から追い出されたのである・・・

 これを初めて読んだときはチンプンカンプンだったが、実際あった話だと知ってビックリした。このマンガは実在の地名・人名を少し変えているのを忘れちゃいけないよ。
 新東都国際空港建設とは新東京国際空港(成田空港)であり、茂田市とは成田市であり、三野塚とは三里塚であり、反対同盟の戸田委員長とは戸村委員長である。そして全自連とは全学連であり、公和党とは日本共産党だったのである。

 1967年10月10日、空港建設予定地の外郭測量のための杭打ちが強行された。座り込む農民たちが機動隊にごぼう抜きにされているのに、共産党の連中は「道路交通法違反になるから座り込みを解きましょう」などと呼びかけ、離れたところで「がんばろう、突き上げる空に・・・」などと歌いだしたのである。しかもその後に「土地にクイは打たれても心にクイは打たれない」などと寝言をほざいたという。
 ちょうどその頃、「三派全学連」が三里塚闘争に参入しようとしていた。11月3日に「三里塚空港粉砕・ベトナム反戦青年集会」が行われ、反対同盟、反戦青年委員会、全学連など1200人が集まると、共産党は党派性を剥き出しにして「トロツキスト排撃キャンペーン」を展開し、全学連の運動などウソだヤラセだ、金を貰ってやってるんだと中傷した。
 萩原さんは全学連の闘いは本当に「ヤラセ」なのか確かめるために11月12日の第二次羽田闘争(佐藤栄作首相訪米抗議行動)に参加した。機動隊と激突し、血を流して道路に倒れていた学生を見て、共産党こそ嘘つきであり裏切り者であることを確信したのである。

 切羽詰った共産党はついに反対同盟を分裂させようとした。反対派農民の会合が行われている団結小屋を包囲して威圧し、あるいは招かれてもいないのに会合に乗り込んで会議を混乱させるなど妨害に飽き足らず、反対同盟の幹部は(反対派農民にあてがうために)富里町の土地を購入した、反対同盟の何某は「条件派」(土地売却のため公団と交渉していた人々)に転落した、などという噂を流した。もちろんそれらは「条件派」住民の土地売買の話だったり、根も葉もないデタラメだったのである。
 さらに「運輸大臣と戸村委員長が話し合いをした。闘争原則に反する」と騒いだが、その会談は朝日新聞主催の公開の討論だったのである。全くネトウヨか日共でなければ思いつかないような卑しい言いがかりではないか?
 12月15日、反対同盟は正式に共産党との絶縁を宣言した。こうして共産党は成田闘争から叩き出されたのである。同盟幹部が共産党千葉県委員会を訪れ絶縁状を手渡すと、「委員長ってのが」、「よくここにこられたな」「共産党を除名するなんてだいそれた奴だ」などと憎まれ口を叩いたという。
 その後、共産党の影響が強かった岩山部落は丸ごと「脱落」した。「最初の部落丸ごとの集団移転」だった。岩山に共産党の支援の下に建てられた「平和の塔」も1971年に公団に売却された。4000m滑走路を造らせないための塔、だったはずなのだが。(*追記1)
 またこの卑怯者らは、三里塚闘争弾圧に用いられている「成田治安法」に諸手を挙げて賛成したという(*追記2)
 (以上は反対同盟・事務局次長の萩原進さんの著書「農地収奪を阻む」、事務局長の北原鉱治さん「大地の乱 成田闘争」、委員長の故・戸村一作さん「闘いに生きる」から引用)

 このように日共は党派性のために空港反対運動を破壊することも躊躇わなかったのである。関わっていた運動から途中で抜け出すだけならまだしも、運動そのものを破壊しようとするとは呆れたものだ。これが日共の本質だ。
 最初から党勢拡大しか興味がなかったようだが、党勢のために運動に加わるのは不純だ、なんて言い出したら全ての政治活動は不可能となる。しかし日共は党派性があまりにも露骨である。運動を分裂させるどころが自分たちの評判も悪くなることに気付かないんだろうか?
 一介のネトサヨの俺にとって、日本最大の左翼組織である日共が、左翼からも嫌われていることが不思議だった。筆坂氏が粛清され、日共支持者も日共を厳しく批判し、都知事選では日共推薦の吉田氏に対抗して浅野氏が擁立されるのを見ても(浅野氏支持派の動きもキモかったが)、いまいちピンと来なかった。
 しかしそんな俺も、野中広務氏が目玉の集会を赤旗が取材した記事の中に、野中の「の」の字も出てこなかった件でやっと目が覚めた。その後筆坂氏の著書を読んだりして日共の本質を思い知ったのである。
 今まで国政・地方選挙で日共ばかり投票していたこと、日共への投票を促すような書き込みをしていたこと、というか今まで日共を批判しなかったことを反省しなくてはならない。問題はこの党が現在でも一定の勢力を保ち、得票を集めていることだ。
 日共の心ある党員・議員の方々には、今すぐ脱党することをお勧めしたい。こき使われて骨までしゃぶられて捨てられる前にね。

 再び「ぼくの村の話」より。
 公和党青年部の男たちに取り囲まれて「暴力学生」と罵られていた女学生は偶然通りがかった農民に助けられ、軽トラに便乗して全自連など学生活動家が主催する集会に向かった。会場が近づくとこの可憐な女学生はおもむろにバッグからヘルメットを取り出し、全自連の闘士に変身したのである。
 この集会は学生だけでなく農民、反対同盟も多く参加し、
 「我々は政府・空港公団の暴挙に対し毅然と抵抗する反対同盟の方々に敬意を表すと共に、今日より全自連の名に恥じぬ戦いで反対同盟と共に戦い抜くことを誓う!」
 「実力をもって三野塚空港を断固粉砕する!」
 というアジに盛大な拍手が起こった。
 以後、「暴力学生」たちが農民の信頼を得て共に闘い続けたのは漫画も現実も同じである。現在も第2滑走路延伸に伴う農地収奪と闘っているのは、かつての、そして現役の「暴力学生」たちである。


*追記1 1967年のある日、共産党の石井幸次氏が戸村さん(反対同盟委員長)のもとに「日本山妙法寺の偉いお坊さん」を連れてきた。この佐藤行道という人物は、「滑走路予定地にパゴダ(仏塔)を建てたい、そこには仏がやどり、神聖な場所となる」・・・と説くのである。
 戸村さんも北原さん(事務局長)も気が進まなかったが、一部の農民は「農作業もほっぽって」建立を支援した。しかし上述のようにこの「平和の塔」(こちらに大きめの写真あり)は1971年の第二次強制代執行の後、公団に売却され撤去された。その「ミニチュア」が「第5ゲート近くの公団用地」に設置されたが、そこには日本山妙法寺の道場もあるらしい。北原さんは「腹が立つから見に行ってない」という。(同じ場所なのか知らないが現在では芝山町の航空科学博物館の前に設置されているらしい)
 (以上、北原鉱治さん著「大地の乱 成田闘争」から引用)
 また、「平和の塔」を建立した「平和塔奉賛会」の活動は、「成田空港から郷土とくらしを守る会」という団体が引き継いでいる。例の如く紹介のページでは新左翼への憎悪をむき出しにしているが、(日共が排除されてから)「集会の動員数もだんだん少なくなってしまいました」という記述にはワロタ。それから40年も経っても三里塚には1500人も集まりますけどなにか?さすが日共系だな。嫌なものは存在すら否定するんだね。
【参考】
◇ 戸村一作 『小説・三里塚』(旗旗)
   → 第41話 平和塔奉賛会
   → 第63話 身売りする平和塔
◇ 成田空港から郷土とくらしを守る会
   → 守る会とは?
   → 平和塔遷座の際の「取極書」
   → 成田空港を使った陸上自衛隊先遣隊の派遣についての申し入れ

*追記2 「成田治安法」、つまり「成田国際空港の安全確保に関する緊急措置法」 は、反対同盟の団結砦、三里塚闘争会館の撤去、天神峰現地闘争本部の閉鎖・使用禁止処分(証拠写真)など不当な攻撃を合法化するものである。
「農地収奪を阻む」より引用)


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posted by 鷹嘴 at 23:30| Comment(6) | TrackBack(1) | 日共 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
これは良い漫画でしたね。
直接「三里塚」を描いたものではありませんが、山本おさむの『麦青』は三里塚闘争にインスパイアされた作品であろうと思います。
他にも山本おさむは良い漫画たくさん描いてます。
Posted by 一日千秋のプロレタリアート at 2009年05月25日 09:14
肝心なことを書き忘れました。
全学連を全自連に換えていましたっけ?(随分前に読んだので忘れてしまいました)
でも全自連も実在したのにねw
60年安保当時の所謂「全学連反主流派」の流れで共産党が全学連に対抗して作った組織ですね。

世間一般では共産党(代々木)系と称されることの多い全自連ですが、実際、全自連のヘゲモニーを握っていたのは、後に構造改革派として除名される党中央批判派でした。彼らがハガチー来日阻止闘争を果敢に闘い、それに負けじとBUNDはブランキズムを発動し国会突入となったという・・・
Posted by 一日千秋のプロレタリアート at 2009年05月25日 09:33
 しかし生活に困った人のかけこみ寺となりうる政党がその卑劣きわまる凶惨淘しかない今の体たらくでは支持できる政党なんてどこもありはしませんね。
 ナチス復活なら今って感じですね。
 ああ早く死にてえや。
Posted by アッツィー at 2009年05月25日 18:18
一日千秋のプロレタリアートさん、数々のコメントありがとうございます。学ばせていただいております。
Posted by 鷹嘴 at 2009年05月26日 00:10
故戸村一作委員長の「小説・三里塚」を掲載しています。多くの方に読んでいただきたいので、よろしければどうぞ。
http://bund.jp/modules/text/index.php?content_id=1
Posted by 草加耕助 at 2009年05月28日 10:50
草加耕助さん、こんばんは。
「小説・三里塚」をリンクさせていただきました。
Posted by 鷹嘴 at 2009年05月29日 00:43
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