2009年12月06日

無実の星野文昭さんを直ちに釈放せよ!

 1971年11月17日の衆議院で、沖縄のアメリカ軍基地を固定化せんとする返還協定批准が強行採決された。その3日前の14日、この協定に反対するデモ隊が厳戒の都内で渋谷を目指して進撃。騒乱の中で一人の警官(中村恒雄巡査、当時21歳)が鉄パイプで殴打され火炎瓶を投げつけられ死亡した。このときの学生のリーダーだった星野文昭さんが実行犯だとして指名手配され、75年逮捕された。そして87年に無期懲役刑が確定。こうして星野さんは34年の長きに渡り獄中生活を送っているが、これはあまりにもデタラメな冤罪である。

 現場で星野さんが警官を殴打したという証拠も目撃証言も何も存在しない。ただ、当時未成年だったデモ参加者Krによる、「警官を殴打する集団の中に『きつね色の背広上下の男』の後姿を見た、星野さんもそういう色の服だった」・・・という供述によって星野さんが逮捕され有罪となったわけである。
 「警官が殴られたりすれば、現場にいた人間はたとえ無関係でも逮捕されてしまう」・・・という話を聞いたことがあるが、星野さんはそういう犠牲になってしまったのだ。とにかく「過激派」は無実でもいいから逮捕しなければ警察の沽券にかかることだったのだろう。
 警察には、下の2件の投稿で示した事件のような市民の生活を脅かす犯罪の捜査には力を入れてほしいが、くれぐれも冤罪や政治弾圧はやめてほしい。そう思うのが普通だろう(一部の馬鹿を除いて)。しかし実際の警察は政治体制の維持(あるいは警察組織自体の維持)に非常に熱心で、このように暴走する。悲しいことに司法もこれを抑えようとしない。
 96年に星野さんの不当判決に対する再審請求が行われたが2000年に棄却された。04年に行われた特別抗告では、事件当日の警察調書などから、そのとき星野さんは「薄青色の上着」を着ていた事実が指摘された。しかし08年7月14日、最高裁はこの重大な誤りを認めつつも棄却したのである。(以下最高裁特別抗告棄却決定より抜粋)
 「申立人が本件当日青色系統の上着を着ていたとの証拠は旧証拠中にも存在する。これら証拠を総合すると、本件当日の申立人の服装が薄青色の上着であった可能性が高く、この点に関するKr供述には誤りがあると認められる。
 他方で、本件当日、申立人が集団を指揮し、中野駅でKrの肩車に乗って演説し、渋谷に向かう途中で「虎部隊前へ」と指示し、また、本件の最後に「道案内」と言って道案内人を呼んだことについては、申立人自身も認めており、関係証拠上動かし難い事実である。そして、Krは、背広の色の供述に誤りがあるとしても、公判において、これらの行動をした者についてきつね色ないし同系統の色の背広上下を着ていたと供述しているのであって、機動隊員を殴打した者についての前記供述部分も申立人を指しているものと解され、この供述によって申立人以外の者の犯行を示しているとはいえない。」
 何を言いたいのか分かりにくいが要するに、
 「たしかにKrは、星野さんの服装の色を間違って供述したが、『デモ隊のリーダーはきつね色の服だった、殴っていた人物もきつね色の服だった』と言っている。デモ隊のリーダーは星野さんだった。だから星野さんが犯人だ!」
 ということである。馬鹿馬鹿しくて言葉も無い。

 しかも次のような言い訳が付け足された。
 「Krは、中野駅から新宿駅、代々木八幡駅を経て神山派出所前付近まで防衛隊として申立人と行動を共にしており、たとえ、後ろ姿であっても、その姿、恰好を見間違えるとは考え難い。」
 「「星野が鉄パイプで機動隊員を殴りつけながら、『殺せ、殺せ』とかすれたような異様な声で叫び続けていたのが印象的だった。」と供述し、荒川19回公判においても「その際、星野の声と思う『殺せ、殺せ』というかなり甲高い声を聞いている。」旨供述し、声も申立人特定の根拠としているところ、Krは中野駅等において申立人のアジ演説等を聞いており、神山派出所前付近では、「虎部隊、前へ出ろ」「突っ込め」などという申立人の指示の声も聞いているのであって、本件発生当時までに申立人の声を既に何回も聞いていたということができ、中村巡査の殺害を指示した者が申立人であることをその声から識別できた旨のKrの供述は信用することができる。」
 Krは当日星野さんと初めて出会い、「星野」という名前すら知らなかったそうである。その日に出会った人物を後姿だけで識別できるだろうか?その日に出会った人物の声を記憶し識別できるだろうか?しかもデモ隊と機動隊の怒号が飛び交う中で。「きつね色の背広」という根拠が崩されたので新しく作り出した屁理屈に過ぎない。

 この日、デモ隊のリーダーだった星野さんは渋谷まで学生たちを導かなくてはならず、騒ぎに加わっているような余裕はなかった。それに星野さんは暴行の現場(渋谷区神山町近藤方前路上)より先の交差点で、機動隊の動きに注意しつつ学生たちが集まってくるのを待っていた。リーダーとして当然の務めである。この事実も法廷では無視されているのだ。
 その日星野さんら学生グループは「中核」と書かれた白ヘルを被っていたが、「反戦」と書かれた白ヘルを被り薄い茶色系統の上着を着た人物が写っている写真も残っている(弁護団が証拠として提出した写真)。それがKrの言う「きつね色の背広上下の男」を着た人物なのか知る由もないが、どちらにせよ星野さんは事件と無関係であることは明らかだ。
 さらに「ベージュの薄いコートの人が(警官を)殴っていた」という第三者の目撃証言もあったというが、「きつね色の背広上下の男」は「ベージュの薄いコート」と違う、と一蹴された。「きつね色」という日本語と「ベージュ」という外来語の使い方に誤りがあったとは思わないのか?乱闘中の人物の着衣がコートだったか背広上下だったか正確な記憶がなくともおかしくないと思うが?
 ありようは、星野さんがデモ参加学生のリーダーだったという理由で、あらぬ罪が着せられたのである。1979年の一審判決は懲役20年だったが検察は死刑を求刑していた。複数による行為で、しかも計画性のない殺人罪で死刑求刑など極めて異例ではないか?星野さんは見せしめにされたのである、お上に逆らうとこういう目に遭うぞ、と。
 国家権力は体制維持のために、無数の冤罪・弾圧事件を生み出している。被害者のことを忘れていれば、いつか自らが星野さんのように生贄とされるだろう。星野さんの奪還のために声を上げなくてはならない。

 以上は11月28日に行われた「星野文昭さんを取り戻そう全国再審連絡会議」主催の「11.28全国集会 獄中35年 星野文昭さんを自由に/第2次再審勝利」(東京・牛込箪笥区民ホール)の配布資料や、昨年11月の全国集会報告集を参考にした。
 この日の集会では全国各地の星野さん救援会、労働者、国労5.27弾圧被告団、無実のゴビンダさんを支える会 、闘う法大生、星野さんとともに一審有罪判決を受け公判停止中である奥深山幸男さんの弁護団(参考)、そして星野さんのご家族の方々が参加した。
 この前日、国労5.27弾圧裁判判決は罰金刑が下されたが(直ちに控訴)暴力行為等処罰法は適用されないという勝利を勝ち取り、また星野さん弁護団は第二次再審請求書が提出された。1986年星野文昭さんと獄中結婚した暁子さんは、月に3回(許可される最大の回数)の面会をしているという。

 ところで国家権力は中村恒雄巡査殺害事件を徹底的に捜査し星野さんにあらぬ罪をきせたが、この日殺されたのは中村巡査だけではない。池袋のデモ隊に参加していた教育労働者の永田典子さんが機動隊に虐殺されている。この殺害事件はどう処置されたのだろうか?60年安保闘争における樺美智子さん殺害事件は?
 国家権力は「過激派」の事件は厳しく捜査する一方、自らの暴力については決して罪を認めない。というか自らの行う犯罪行為について反省することはない。殺人企業チッソの工場を打ち壊した漁民らはすぐさま逮捕されたが、チッソの責任が問われたのはそのずっと後だ。(チッソが有機水銀を垂れ流しつつアセトアルデヒドを製造していたのは当時の国策だった)
 また日米軍事同盟によってアメリカがベトナムや中東で行うジェノサイドに協力していることも、それに労働者人民を加担させていることも、国家の名の下に正当化しているわけだ。

posted by 鷹嘴 at 01:40| Comment(5) | TrackBack(0) | 冤罪事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私も、あんなに優しい人柄の星野さんだから 冤罪である事を信じています。実は私自身も 酷い冤罪をうけました。悔しいです。でも、星野さんは、私なんかよりも もっともっと残念な思いをしていらっしゃるに違いありません。助けてあげたいと思います。
Posted by 石澤 洋 at 2014年06月12日 06:20
日本の司法制度は 腐りきっている。検察官と裁判官も、始めからほぼ癒着構造が出来上がっているのです。元々「官と官はあらそわず」などと言われている。検察官も裁判官も、「何が正しいのか」が問題ではないのです。一般世間の批評と、国家公務員としての自分達の出世しか考えていない。呉々も残念な 日本の司法制度です。
Posted by 石澤 洋 at 2014年06月12日 06:37
石澤洋 様

コメントありがとうございます。

星野さんが解放され無罪を勝ち取るまで闘います。

6月29日は上野で集会があります。私も行こうと思います。

■星野文昭さんを取り戻そう全国再審連絡会議
http://fhoshino.u.cnet-ta.ne.jp/

Posted by 鷹嘴 at 2014年06月14日 01:04
今転居先に 偶然元同志が居住しておりまして、ポストにチラシがありまして、元気が
出てきまして。うんです。
Posted by 流転屋 0さむ at 2014年12月14日 12:54
そのような状況の中ではだれが実行犯かわからない、しかし、中核派指導者はそのような状況を阻止しなかった、という意味で一種の未必の故意が成立しうる、と思われる。逆に警察も永田嬢について同じことが言える。そのような乱闘状況を回避する状況を警察が採ったようには思えない。したがって、警察の現場指揮官にも未必の故意を認め訴追すべきである。
Posted by 森田俊隆 at 2015年08月21日 01:20
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