この21世紀の世の中、どこの国でも信教の自由は保障されていると思ったが違うようだ。
中国・山東省のある女性は大学時代、政府公認のキリスト教の教会に通っていたが、牧師がたびたび口にする「国家指導者に従いましょう」というセリフに疑問を感じた。「神の前では誰もが平等なはずなのに」。
その後、技術者である夫の転勤先の北京で、知人の紹介で政府非公認の「家族教会」に通ったが、警察が踏み込んで牧師が拘束されたこともあった。「場所を変えてビクビクしながら通った」。
今は夫と共に日本で暮らし「基督教国際福音教団」の教会に通っている。「日本ではこんなに自由に教会に行けるのか」と驚いたが「自分だけ自由でいいのか、と思うこともある」。
この教団は埼玉の川口市、千葉の市川市、横浜に「華人教会」を設立、約200人の中国人の信者を集めている。信者の一人は「日本では自由に協会に行けるので、信仰に熱が入る」と語る。「息子の幼稚園の母親たちと友達になれない」と悩む主婦は「神の愛を受けている」と思うと心が穏やかになった、という。
中国の憲法では信仰は自由だが、政府公認の宗教団体だけが活動を認められる。キリスト教では政府が公認する約2300万人の信者のほかに、5000万人以上の非公認の「家族教会」の信徒が存在するという。まあ法輪功への弾圧を見ればあの国には信教の自由などないのは言うまでもないが。
ところが日本で暮らしている中国人も教会に通うのを制限される場合がある。
東北地方の港町の水産加工場で「研修生」として働く山東省出身の女性は、07年8月ごろから日曜日に職場に近いキリスト教の教会に通っていたが、08年5月の礼拝を最後に姿を見せなくなった。
「重労働の中で、信仰が心の支えになってほしい」と願っていた牧師が、彼女が働いている水産協同組合の通訳に尋ねると、「中国の送り出し期間との間に『宗教活動を禁止する』との取り決めがあり、教会に通い続けるならば『帰国させる。送り出し機関に預けた保証金も没収される』と女性に告げた」。彼女は現在、「休日に港町の外に出ることを禁じられ、手紙の差出人もチェックされている」という。
牧師は「現代の日本で信教の自由に対するこんな抑圧が存在するなんて信じられない」と嘆くが、これが現実だ。関係者は「劣悪な労働条件を、教会を通じて労働組合や人権団体に訴えられると困るからだろう」と語る。送り出し機関にとっては、「研修生」がキリスト教徒になって帰国するのも都合が悪いという。政府に睨まれるからだろう。
甲信越地方の教会で、野菜収穫の仕事をする中国人「研修生」に教えを説く牧師は、「日本の格差社会の最底辺にいる研修生は最も信仰を必要としているのではないか」と語る。たしかに彼らにとって信仰が最後のよりどころかもしれない。以上、2月21日朝日新聞「在日華人 第10部 鼓動潮流 救い求め 神に集う」より引用。
それにしても「研修」「実習」という名目によって低賃金で酷使され、ひどい例だと休日の外出も制限され、パスポートも通帳も取り上げられ、携帯やパソコンを使うのも禁じられている彼らは、まるで戦時中の強制連行の被害者の如き仕打ちを受けているではないか?未だに日本帝国主義はアジア諸国の人々を苦しめているではないか!もちろん飢餓に陥るほど食事が貧弱ではなく、死に至るような虐待も行われていないと思うが。
しかも彼らは来日の際「送り出し機関」によって多額の借金を背負わされ、場合によっては待遇改善を求めただけで帰国させられ、借金を返すあてもなくなる。しかも上述のように思想・信教の自由さえ奪われる。日中の資本家・国家権力の共謀による労働力の搾取であり、許しがたい人権侵害だ。我々労働者は国籍を超えて連帯し、不当な支配を倒さなければならない。
2010年03月12日
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