4月28日、「普天間基地即時閉鎖、辺野古新基地建設阻止、4・28沖縄デー集会」に参加した。
1952年のサンフランシスコ講和条約によって、日本と連合軍の戦争状態終結が宣言され、日本国民の主権が回復したが、同時にこれはアメリカによる沖縄統治を認めるものだった。こうして沖縄県民は戦中戦後を通じて軍隊に苦しめられることになる。条約が発効した4月28日は、「沖縄が切り捨てられた屈辱の日」として、「沖縄デー」と呼ばれている(参考)。
鳩山が「徳之島にヘリ部隊、辺野古に桟橋」などと馬鹿げたことをほざいたこの日、日比谷野外大音楽堂にて掲題の集会が行われ、800人が参加した。時折右翼の街宣車がやかましかったが、聞くところによるとたった一台だったとのこと。
全学連の織田委員長の開会挨拶に続き、「三里塚芝山連合空港反対同盟」の宮本麻子さん、「憲法と人権の日弁連をめざす会」の武内更一弁護士、動労千葉の田中委員長、百万人署名運動、星野暁子さん、葉山岳夫弁護士、「沖縄民権の会」の座覇光子さん、そして全学連の坂野陽平さん(委員長代行)、法政大学文化連盟委員長の斉藤さんが登壇し熱いメッセージを送った。
全学連の坂野さんの発言、後ろは斉藤さん、恩田さん、洞口さん、倉岡さんら文化連盟の皆さん
星野暁子さんは、1971年渋谷の沖縄返還協定を巡る闘争で無実の罪で逮捕され獄中闘争を続ける星野文昭さんの妻である。この日暁子さんから、文昭さんのメッセージが読み上げられた。
動労千葉の田中委員長は、安保解体なくして基地問題の解決は無いと、また国鉄1047名不当解雇闘争をわずかな支払いで終わらせようとする「和解」は絶対に許せないと訴えた。この「和解」を拒否する被解雇者も集会に参加していた。
「沖縄民権の会」の座覇光子さんは、昭和天皇裕仁や歴代の自民党政権が沖縄をアメリカに売り渡した歴史を指摘しつつ、「(普天間基地の)県外・国外移設の主張は間違い。沖縄で苦しい思いを重ねた結論は基地閉鎖・廃絶・撤去だ。世界の労働者階級が一緒に解放されなければならない」と指摘。たしかに、厄介な基地はよそに移してもらえばいい、という問題ではない。どこに基地があっても周辺の住民は苦しむのである。(*注)。軍隊という暴力装置を否定せずに基地問題に言及するのは「まやかし」であろう。
閉会後、デモ出発。銀座を通り常盤橋公園で解散する定番コース。普天間基地撤去と日米安保破棄を力強く訴えた。
相変わらず警官と私服が腐るほど待ち構えていたが機動隊は出動せず、右翼の妨害もなく無事終了。
・・・ところで普天間基地問題とは直接関係ないが、国鉄1047名不当解雇の「和解」について覚え書きをしておく(『前進』2436号より引用)。戦後ほとんどのあいだ政権党であった自民党は、アメリカ軍を駐留させて国民の生命を脅かすだけでなく、労働者を苦しめ続けていたのである(今の政権党も同じだが)。
1987年、日本国有鉄道は分割民営化され「JR」を名乗ったが、90年、国鉄清算事業団に移されていた鉄道員のうち1047人の国鉄労働組合(国労)の組合員らが、JRに採用されることなく不当解雇された。以後彼らは互いに支えあいつつ不当解雇撤回を闘っていたが、先月政府と与党3党+公明党が和解金支払い案を提示し、国労側もそれを承認した。
以下は4月27日の朝日新聞の記事から引用。国労闘争団全国連絡会議・議長の神宮義秋さんがこの辛い23年間を語っている。( 魚拓1、魚拓2を参照のこと。しかし紙面の文章にはアサヒ・コム不掲載の部分あり )
「国鉄が潰れるときは日本が潰れるとき」「民営化なんてできるわけがない」と神宮さんは思っていたが、「86年の衆参同日選で自民党が圧勝したのを機に、あれよあれよと」国鉄は潰されてしまった。そして分割民営化を控えて国労組合員への嫌がらせは激しくなった。恐ろしいことに彼らは国労を脱退するか解雇されるか、選択を迫られたのだ。労働組合を抜けることを継続雇用の条件とされたのだ。
国労を脱退しないと「意識が低い」として「人事評価が必ず低くなる管理台帳があった」。「助役から何度も、『国労を抜けないと採用されない』と迫られた。最初から国労つぶしが目的だった」。
当時の首相は中曽根康弘。「日本を不沈空母にする」などとほざき、「ロン・ヤス」などとレーガンとの親密さを演出し、東郷健氏に「レーガンにオカマ掘られてるんちゃうか」と評された愚か者である。こいつは後に「国労が崩壊すれば、総評(日本労働組合総評議会)も崩壊することを明確に意識してやった」と語っている。つまり中曽根は労組を崩壊させ労働者の権利を奪おうとしたわけだ。この国の労働者を、政府や資本家に抗わない存在に作り変えようとしたのだ(中曽根の後継者によってこの計画は粛々と進行しているのは言うまでもない)。
神宮さんが清算事業団で過ごした3年間は仕事など与えられず、毎日「パイプいすに長机」の部屋で「自学・自習」。しかも勝手に部屋から出るなと命令された。リストラ対象の社員に対する悪質な嫌がらせと同じだ(それともこういう清算事業団のやり方を手本にしたのだろうか?)。また、「人材活用センター」に配転された国労組合員は、廃棄された線路で文鎮を作らされたという(参考)。なんという屈辱、精神的な拷問と言える。
こうした嫌がらせの末に解雇された神宮さんらは長い年月を闘い、今回の「和解」に至ったわけだ。神宮さんは「(和解)はこのタイミングしかなかった」というが・・・和解金について、引用した記事でも「1人平均2200万円」が支払われる、などと報じられているが、全くの誤解というか歪曲である。一世帯が受け取るのはたったの1180万(高裁判決550万円の補償金と遅滞金利の合計)。不当解雇を23年間放置した末にこんな金額で黙れというのだ。しかも和解金が支払われるのは訴訟に加わった910人である。それ以外の137人は何の補償も受けない。
弁護団には訴訟費用374万円、また「4者4団体」(国労などの労組や、神宮さんが議長を務める国労闘争団全国連絡会議などの原告団)が、1029人の生活面の支援を行ってきたとして58億円の「団体加算金」を受け取る。「1人平均2200万円」というのはこれら全て合計しただけであり、全く意味がない(1029人とは、不当解雇された1047人から動労千葉争議団9人と組合未加入9人を引いた数字)。
しかも政府は、解雇者のJRへの採用は「努力する」などと述べつつも「JRに強制することはできない」としている。JR各社とも解雇者の雇用は消極的である。また、解雇によって年金支払いも途絶えたがこれも補償されない。
しかも本州の被解雇者は、直前までJRに採用される予定だったという(『前進』2437号より引用)。分割民営化を前にして職員への嫌がらせが激化し、予想を上回る人数が自ら職場を去っていったため、分社化を前にして各社の採用者数が定員割れしてしまった。人員整理どころか頭数が足りなくなったのだ。しかし革マル派が牛耳る鉄道労連(現・JR総連)がこの事態を恐れ、「国鉄改革の妨害者を採用するな」と激しく迫り採用を撤回させた。本州の解雇者は、決定の数日前まで採用者名簿に名前が載っていたという。動労千葉の9名はこうして解雇されたのである。
こうして不当に不当を重ねた末に、被解雇者に謝罪もせずJRへの雇用も約束せず、高裁判決金とその利息で我慢しろ、というのである。しかも支払いの条件として、原告910人全員がこれを受け入れろ(署名しろ)、全ての訴訟を取り下げろ、雇用される権利があるなどと言うな、これが最終解決だからもう二度と何も文句を言うな、と要求するのだ。これが国鉄1047名不当解雇の23年後の「和解」である。まあ国・資本の持ち出す「和解」とは、たいていこんなものだ。国家権力と資本家は、被害者に謝罪し補償するどころか、不当な条件でも諦めて受け入れる以外解決はありえない、と脅すのだ。被害者を支援してきた団体もこれに屈してしまうのだ。
もちろん、「4者4団体」がこの23年間、被解雇者を親身になって支えてきたことは言うまでもない。この「和解」を受け入れる大多数の原告を部外者の俺が批判するつもりはない。しかし3人の原告は「和解」を拒否し裁判を継続することを宣言した。わずかな人数と言えども屈服しない人々の存在が、この「和解」の意味するものを示していると言える。花岡訴訟も、西松建設・信濃川訴訟も同様である。
*注 たとえば米軍再編に伴い海兵隊の一部の移転などグアムの基地が強化される予定だが、海軍基地の拡張による埋め立てによるサンゴ礁の被害や、基地建設作業による人口増加によって水不足や下水処理の容量オーバーが懸念されている。また海兵隊の射撃訓練場用地などのため土地収用が行われる予定だが、予定地には「チャロモの文化で大切にされる古い村落跡」もあり、今年1月グアム議会で強制収用に反対する決議が全会一致で成立した。予定地内の住人は「米軍は身勝手だ。土地は渡さない」と語る。4月4日朝日新聞「基地膨張 グアム反発」より
2010年04月28日
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市東孝雄さん不当逮捕弾劾!
Excerpt: 今日、三里塚反対同盟の市東孝雄さんが、成田署に不当にも逮捕された。徹底的に弾劾だ
Weblog: たたかうあるみさんのブログ
Tracked: 2010-05-17 21:41
某派の速報版等でご存知とは思いますが、三里塚で市東さんが逮捕されるという、トンでもないことが起こっています。当該中の当該を逮捕するなんぞ、許せません。
弁護団には訴訟費用374万円、また「4者4団体」(国労などの労組や、神宮さんが議長を務める国労闘争団全国連絡会議などの原告団)が、1029人の生活面の支援を行ってきたとして58億円の「団体加算金」を受け取る。「1人平均2200万円」というのはこれら全て合計しただけであり、全く意味がない。
確か、80万円だったはずだが。最初は。1人80万円で終わりという和解案だったはずだが。その点からすれば、よく頑張って闘ったと言えると思うが、どうか?
それと、一体、和解金はいくらなら、いいというのか?どう考えたらいいのか?
一切の和解拒否という立場もあろう。全金本山は、それで裁判で負けて、しかし、闘いで現場復職した。それを目指せと言う人たちが居てもかまわない。そうでない労組があっても又、かまわないと言うことだろう。違うかな?