【追記のお知らせ 2017年4月9日】
 記事「【5月7日】雁屋哲さんの講演+井戸川克隆さんと対談」に、「美味しんぼ『鼻血問題』に答える」から福島現地での鼻血の症状についての報告例を引用しました

2010年07月13日

花岡事件と その「和解」(8) 守るべきものは?

 (7)の続き、というか問答有用に書いた分の焼き直しの続き。8、9、10、11と続ける。

 前回も触れたが2000年11月29日の「和解」成立と同時に発表された鹿島建設のコメントは、「中国人労働者を移入し働かせたのは当時の国策であり、また戦時中であるから中国人労働者を取り巻く環境も厳しく」・・・などと、鹿島が悪いのではなく戦時中だから仕方ない、というような調子である。
 もちろん鹿島組(当時)という、日本帝国主義の一部分だけに責任があるわけではない。しかし中国人に対する虐待や、重労働に耐えうる食事を与えなかったことも、国から命じられたことなのか?以前も述べたが、鹿島は政府から中国人労働者の分の配給を受けておきながら、その一部を横領していたのである。単に戦時中だから、という言葉で済まされない鹿島の犯罪性を忘れてはならない。
 しかし「和解」成立によって鹿島への追及は事実上不可能となった。「花岡事件?裁判が和解しましたよ」と一蹴されてしまうだろう。なにしろ今まで鹿島を糾弾していた弁護団・支援者が「和解」で全て解決した、と強弁するのである。彼らに言わせれば、鹿島は加害事実を認め謝罪・賠償したのだ。原告もこれで納得したのだ。そういうことにしなければならない。実際にこの訴訟を支援していた「中国人強制連行を考える会」のトップページには臆面も無く、
 こうして企業が責任を認め、謝罪して賠償金を払ったいま、日本政府が、国家責任を明確にする謝罪と補償をおこなうことが厳しく求められています
 と、ある(*1)
 こうして加害企業の責任を問う機会は失われた。花岡訴訟は全く最悪な形で幕を閉じたのである。そして弁護団・支援者は自らの立場を守るため、さらに受難者たちの尊厳を傷つけている。

 2007年3月、この「和解」に疑問を感じた精神科医・関西大学教授の野田正彰氏が訪中し耿諄さんと面会した。そして野田氏は(既にこの連続投稿で多く引用しているが)2008年、月刊「世界」1月号・2月号にて、花岡事件の経緯と「和解」の欺瞞を論じ、かつ支援者らの信義を欠く行動を指摘している。
 既に2005年 8月初版の「尊厳 半世紀を歩いた『花岡事件』」で、この欺瞞が指摘されているが、岩波書店の「世界」に掲載されたことで初めて「和解」の実態を知った人々も多かったと思われる(もっとも俺自身は「世界」は滅多に読まないし花岡事件についても全く知らなかったが)。「世界」への掲載はこの「和解」の関係者を慌てさせたようである。

 12月5日、「和解成立」を報じる各紙の記事に、「為花岡事件和解成功 献言」という11月19日の耿諄さんの書(*2)が田中宏氏の翻訳によって紹介された。しかしそこでは、「維護人類尊厳」という行が、「人間の尊厳は守られた」と訳されている(*3)。中国語が全く分からない俺でも、他の行と比較すればこれは誤訳というか歪曲、捏造であると感じる。これは「人間の尊厳を守ろう」と訳すべきなのだ。

 和解と同日(2000年11月29日)、この「和解」を成立させた新村正人裁判長の「所感」が発表された。
 12月1日、「中国人強制連行を考える会」主催の「花岡勝利緊急報告集会」で、この「所感」のコピーが配布されたが、そのコピーでは「所感」の以下の部分が白く消されていた。仕事で誤字や都合の悪い部分を消すときの、修正ペンか白テープでも使ったのだろうか?
 控訴人らの主張の基調は、受難者は、第二次世界大戦中の日本政府の方針、すなわち戦時中の労働力の不足に対応するため中国人俘虜等を利用するという国際法に違反する扱いによって強制連行され強制労働に従事させられるとともに虐待を受けたというものである。これに対し、被控訴人の主張の基調は、花岡出張所における生活については、戦争中の日本国内の社会的・経済的状況に起因するもので、被控訴人は国が定めた詳細な処遇基準の下で食糧面等各般において最大限の配慮を尽くしており、なお、戦争に伴う事象については昭和47年の日中共同声明によりすでに解決された等というものである
 繰り返すが以上は「所感」の一部分であり、「考える会」の配布資料では消されていた部分である。このように鹿島建設は最後まで自社の加害事実を事実として認めず、開き直ったのである。こんな相手に対していかなる「和解」があり得るだろうか?こんな相手と「和解」するとは即ち原告である受難者たちを愚弄することである。だから隠蔽せざるを得なかったのだろう。

 07年3月に耿諄さんと面会した野田氏は、同年6月に毎日新聞に「耿諄さんの思い」を寄稿した。その後田中氏から野田氏に対し、「面識があるのになぜか」第三者を介し、「林伯耀氏と二人で会って」ほしいという要請を受けた。在日中国人二世で実業家の林氏は田中氏とともに「物心両面で被害者たちを支え」てきた人物である。
林氏は「(和解発表の)直前に北京に出向いて骨子を示し、耿諄さんらの了承を得た」と述べたが、「和解文を見せたとも読んだとも言わなかった」という。
さらに、耿諄さんの揮毫を見せていかにも尊敬しているように語りつつ、2時間ほどの会談のうちに、「耿諄はすっかり英雄になったつもりでいる」「耿諄は中山寮で人を殺しており、苦しんでいるはずだ」などと語り始めたという。また別の支援者は「耿諄は痴呆化しているそうだ」などと話していたという(*4)。支援者にとって、和解を受け入れない耿諄さんは、すでに蜂起の英雄ではなく邪魔者になっていたのだろう。彼らにとって守るべきものは受難者の尊厳ではなく、自分たちの立場、面子になってしまったのだ。

 これらの弁護士・支援者の行動を見ると、一体彼らは何のために訴訟をはじめたのか、何が目的だったのか疑問に感じる。
 いずれにせよ、「和解」成立前の会談で耿諄さんが述べた「(鹿島からの賠償も謝罪も望めないなら)裁判は負けよう!」「歴史的に私たちが踏みとどまるなら、我々は道義の上では勝利したことになります」という主張は、到底受け入れられないものだったようだ。 (つづく)




*1 関連することだが、田中宏氏が委員長を務める「花岡和解基金運営委員会」が、鹿島の出した5億円を「さかんに賠償金として宣伝するため」、和解を拒否する原告・遺族9人が北京市東城区法院に提訴し「今後、賠償金という名称を一切使わない」という覚書を調印したという。「世界」2008年2月号 P-284(虜囚の記憶を贈る(6):受難者を絶望させた和解/野田正彰)より引用。

*2 「為花岡事件和解成功 献言」(花岡事件の和解成功に)
  討回歴史公道(歴史の公道を取り戻し)
  維護人類尊厳(人間の尊厳を守り)
  促進中日友好(中日友好を促進し)
  維護世界平和(世界平和を推進しよう)


 同上 P-280より引用。
 前述のように「和解」成立直前の2000年11月18日・19日の会議で、受難者に対し「和解条項」のまともな説明は行われなかった。19日の会議の内容については「尊厳 半世紀を歩いた『花岡事件』」P-358〜363を参照のこと。基金の運用や基金委員会が主な議題だったようである。

*3 同上P-282

*4 同上P-283
posted by 鷹嘴 at 00:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 花岡事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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