2010年07月16日

花岡事件と その「和解」(10) 「和解そのものが新しい加害」

 (9)の続き。花岡「和解」に関する議論を見ていると、「弁護団は無報酬を承知で精一杯頑張ったんだ、何もしていない奴が何を言うか・・・」という趣旨の発言がたまに見受けられる。たしかに俺たちは何もしていない。花岡訴訟を傍聴したことも、鹿島建設に抗議するデモに参加したことも無いし、受難者を裏切り尊厳を傷つけるようなことも、していないぞ。お前らと違ってな。
 それにしても「和解が成立したんだからそれに従え」というのは、「戦時中のことはもう時効だ」「中国は賠償請求権を放棄したんだから請求出来ない」、という加害者側の論理と同じではないか?

 当たり前の話だが、戦後補償裁判は戦争被害者が裁判費用を負担することはない(俺の知る限りでは)。日本の侵略戦争の被害者に、物価の高い日本で弁護士を雇って訴訟を起こせるわけがなく、弁護士らは無報酬を承知で法廷闘争に臨むのである。
 これが多くの民事訴訟と決定的に異なるところであり、1995年から東京地裁で(判決言い渡しも含めると)8回、高裁で6回の法廷が開かれた花岡訴訟も同様だ。ある訴訟の支援に少しだけ関わっていた俺にも、裁判というものがどれほど大変か見ていて分かった。弁護団は裁判のたびに山のような準備書面や書証を準備し、相手方に反論し、支援者はチラシを印刷し報告集会の会場を予約し、傍聴人を動員し・・・花岡訴訟の弁護団と支援者である「中国人強制連行を考える会」は、5年もこんな作業を続けてきたのである。(というか耿諄さんが戦後再び来日したのは1987年だから、彼らは少なくともその前後から支援活動を行っていたと思う。そして鹿島との交渉が行き詰ったから提訴に臨んだのである)
 いいかげん疲れた、そろそろ終わらせたい・・・と思っても当然だろう。完全勝訴は無理でも、鹿島からいくらかでも金銭を引き出して気持ちよく終わりたい・・・と思うだろう。それを批判されたら「俺たちは何年も頑張ってきたんだ、何を横から・・・」と腹を立てる気持ちも分からないわけではないが・・・彼らの行動は常軌を逸しているようだ。

 2000年12月17日、「考える会」が開催した「花岡裁判報告会・追悼会」に、カナダから来日した列国遠さんという女性が出席し、「鹿島にコメントの撤回を要求します」と発言した。当日の夕食会でも彼女は「あなた方支援団体と弁護士は当然鹿島の偽り発言を譴責すべき」「最も悪いことは罪を認めず金だけ支払えば良いと考えることです。それではアジア女性基金と何の区別があるでしょうか?」と指摘した。
 途端に出席者らが「まるで煮えた油に水をぶちまけたように」詰め寄り、「ある者は拳を振り上げ」たという。別に彼らは右翼でもヤクザでもなく、この裁判の支援に関わっていた人々である。
 彼女はそれでもひるまず、「あなた方は誰のために今まで運動をしたのですか?それはあなた方自身のためですか?」と問いかけた。
 同席していた中国人留学生は後に、「和解そのものが被害者にとってさらに新しい加害となった。私が失望したのは、日本の平和勢力が行っている戦後補償運動が袋小路に入り、出口を無くしていることだ。さらに残念でならないのは、この花岡和解が日本の進歩的な人々によって実現したことだ。私は日本の戦後補償運動に絶望した」と語ったという(*1)
 この模様はビデオ撮影されていて(俺は見たことはないが)、「考える会の男たちが拳を振り上げ威嚇」し、まわりでは「我々は沢山の金をつぎ込んだ」と叫び声が上がり、「考える会」代表の田中宏氏は黙ってみていたという。「まるで手下たちと親分に見える」。
 また07年6月の秋田県大館市では、「尊厳」の訳者の山邉悠喜子さん(1929年生まれ)たち4人を、「考える会」の男たちが取り囲んで威嚇したという。この時も田中氏は黙って見ていたという(*2)。こうして彼らの本性が明らかになったのである。

 それにしても、上掲の中国人たちの指摘は花岡訴訟の弁護団・支援者の本質を言い当てていると感じる。
 この訴訟は花岡事件の受難者の尊厳を回復する目的だったはずだ。原告である受難者を激怒させるようでは何のための訴訟だったのか意味がない。弁護団と支援者はこれを見失っていた。受難者のための裁判ではなく、自分たちのための裁判にしてしまったのだ。
 中国軍捕虜や農民を強制連行したのは日本軍であり、そして戦後は静かな老後を送っていた受難者たちを引っ張り出し、訴訟に引き込んだのも日本人だ。日本人から受けた被害の賠償を求めて、日本人によって始められたこの裁判は、受難者に二度目の屈辱を与えることになってしまった。
 ちなみに、花岡事件と同様に中国人が強制連行され西松建設によって広島の安野発電所建設工事に動員された事件、信濃川ダム建設工事に動員された事件の訴訟は、ともに最高裁で敗訴が確定しているが、昨年10月安野訴訟の原告と西松建設との間で「和解」が成立した。しかしこの「和解」も、「花岡和解を継承した」という評価が示すように、企業の責任をうやむやにしてわずかな「和解金」で解決しようとするものだった。
 また信濃川訴訟も4月に「和解」が成立したが、受難者らの賠償請求権を否定する代わりに基金を設立するというものだ。これを受け入れない原告らは訴訟を継続するという。
 加害者側が己の責任を認めぬまま、わずかな金額で被害者を黙らせようとして、被害者の支援側もそれを受け入れてしまう・・・という構図が見られる。弁護士や支援者はいつの間にか目的を取り違え、被害者を押さえ込む立場になってしまうのだ。まるで国鉄1047名不当解雇問題を「和解」させた「4者4団体」のようではないか?
 「4者4団体」も花岡の弁護団・支援者も元々は、企業・国家の責任を追及し、被害者を救済し彼らの尊厳を回復するのが目的だったはずだ。しかしいつの間にか目的を取り違え、「和解」を成立させるための活動となってしまった。自分たちが成果を得るための活動にしてしまったのだ。忘れてはならないのは、これらは自称「サヨク」の連中によって行われたことであり、連中は往々にして本来の目的を捨て、自分らの組織・活動を守るために行動するということ、だ。 (蛇足ですがこちらもどうぞ)


*1 「尊厳 半世紀を歩いた『花岡事件』」P-378〜388
*2 「世界」2008年2月号 P-294〜295

posted by 鷹嘴 at 00:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 花岡事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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