教科書検定、文科省が難色 靖国訴訟の記述巡り「違憲判断があったという事実だけを書くだけでは不都合」という検閲はどんなものかw
2006年03月30日10時45分
「政府の立場に沿わない書きぶりは絶対に認めないという姿勢だった」。今回の高校教科書の検定での文部科学省の「こだわり」に、社会科の教科書編集者らは戸惑いを隠さない。検定意見が集中したのは、小泉首相の靖国神社参拝に対する司法判断、イラク戦争と自衛隊派遣、領土問題の3項目。成人になろうとする高校生向けの教材への徹底したチェックに、「教室での議論が生まれない」という心配もある。
■靖国参拝
「裁判での違憲判断は傍論として述べられた。判決主文は国が勝訴しているのに、それが理解できない取り上げ方はどんなものか」
小泉首相の靖国神社参拝に違憲判断を示した04年の福岡地裁判決を取り上げた大手教科書会社に、文科省の教科書調査官はこう指摘したという。
一連の訴訟で初の違憲判断だったために、多くの社が取り上げたが、「下級審の一判決にすぎない」と文科省から難色を示されたという。
別の教科書会社も、年表に「04年4月 小泉首相の靖国神社参拝に福岡地裁が違憲判断」と事実を端的に書いたが同じ理由で認められず、結局「参拝について福岡地裁判決」と直して「違憲」部分を削除した。
福岡地裁判決の記述をあきらめ、東京高裁が合憲、大阪高裁が違憲と判断したという両方を書いて合格した社もある。
文科省は、こうした検定の方針について、「事前に首相官邸サイドに相談した事実はない」と説明している。
■イラク戦争イラク戦争が侵略でなかったらなんなんだろうか。自衛隊をイラクに派遣した目的は「人道復興支援活動」なのだろうか?それは口実ではなかろうか?こういう記述ばかりでは生徒に考える力を失わせることになると思う。
米国のイラク攻撃を「先制攻撃」とした記述や自衛隊の多国籍軍参加に関する記述にことごとく検定意見がついた。
文科省は「『先制攻撃』は国際法上禁止されている侵略攻撃という意味だ」と説明。そのうえで「(対イラク軍事行動は)先制攻撃や予防攻撃には当たらない」とした小泉首相の国会答弁を検定意見の根拠に挙げた。
「非戦闘地域での後方支援」や「多国籍軍への参加」という書きぶりもすべて「誤解される」とはねられ、「人道復興支援活動」だと明記することを求められた。文科省は、政府見解に基づき、「自衛隊は復興支援という目的に限って多国籍軍に参加したことが明確でないと、誤解を生む」と説明する。
■領土問題つーか現実に、正当性はどちらにあるかとかいう話は別にして、現在のところ獨島は韓国の領土なんだけどな。
外交上の焦点となるなか、竹島と尖閣諸島の問題を取り上げる教科書が増えた。文科省によると、今回申請された教科書のうち、地理と現代社会、政治・経済では9点が新たに盛り込み、大半の教科書に掲載されることになった。
目立つのは、「日本固有の領土」の明示を徹底したこと。いま使われている教科書と同じ記述でも検定意見がついて修正するケースも。例えば、数研出版の現代社会は、竹島と尖閣諸島について、それぞれ韓国、中国などと「交渉中」と書いて認められていたが、「我が国の領土だと理解しがたい」と修正を求められた。
「現在竹島は韓国が領有しているが、日本政府は竹島は本来日本の領土だったと主張している」なんて書き方したらもちろんハネられるんだろうなw
・・・つーか戦後韓国が獨島を占拠したやり方も問題だが、1905年に日本が獨島を領有したのは、朝鮮に対する侵略の一環だったのである。一方に正当な領有権があるなどと、簡単に言えることではない。
しかし「日本固有の領土」などと主張することは、朝鮮を含めたアジア各地への侵略を正当化することに直結する。おかしな内容の教科書はほとんど採択されていないが、文部省自身の手によって日本人の歴史・国際認識が歪められようとしている。



ノンポリさんがこんなことを書くなんて残念で仕方がありません。
違憲判断はあったけど判決主文で国が勝訴しているのは事実です。
判決主文では国が勝訴したことを書かないで違憲判断だけ強調すれば、それは事実の一部分のみを伝え、残りの部分を隠すという手法を用いた「印象操作」であるため教科書に載せる文としては不適当な内容であるというのは正論です。
このエントリーでこういった内容を書くということはノンポリさんは出版社による事実の歪曲まがいな「印象操作」を容認すると言うことになります。
いくら靖国に首相が参拝することは国辱であると考えていたとしても、こういった事実の歪曲まがいの事をしてまで靖国参拝反対を推奨するのは明らかに間違ってます。
>現在のところ獨島は韓国の領土なんだけどな。
武力による強制的な竹島占領で、その上国際裁判所に出廷するように勧告しても韓国側は無視して実効支配を続けるというまさに居直り強盗のような事を行ってきたらしいですね。
>1905年に日本が獨島を領有したのは、朝鮮に対する侵略の一環だったのである。
17世紀初頭、伯耆国(ほうきこく=現・鳥取県)米子の海運業者だった大谷甚吉(おおやじんきち)が、航海中に暴風に遭い、無人島になった鬱陵島に漂着した。彼は、新島の発見と考え、帰国後、同志の村川市兵衛とはかり、1616年に江戸幕府(1603-1868)から鬱陵島への渡航許可を受ける。鬱陵島はその発見から「竹島」と呼ばれるようになった。大谷、村川両家はその後毎年交替で鬱陵島に渡り、アシカ猟やアワビの採取、木材の伐採などを行い、両家の鬱陵島経営は78年間続けられた。当時鬱陵島へ渡るコースは、隠岐島から松島(現在の呼び方で竹島)を中継地にしていた。大谷、村川両家は、この竹島(旧・松島)の経営をも手がけていた。竹島が航路中の寄港地、漁猟地として利用されアシカ猟を行っていた記録も残っている。江戸幕府は松島に対する渡航許可も1656年に出している。 (注意:竹島はむかし松島と呼ばれ、鬱陵島は竹島と呼ばれていた。韓国もこの歴史的経緯・事実に対しては異論は出ていない)
との事ですから江戸幕府時代から竹島は日本に属していたのを改めて国際条約に沿うようにしたのが1905年の竹島領有の宣言だと思います。
あと、「侵略の一環」と決め付けていますけど、当時の竹島は無人島な上に人が住むのに適さない島ですよ?
本気で侵略の意思があるなら、日本政府は人が住める鬱陵島の主権を奪ったはずです。
ところが日本政府は江戸幕府と同様に一貫して鬱陵島は朝鮮領としてます。