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 記事「【5月7日】雁屋哲さんの講演+井戸川克隆さんと対談」に、「美味しんぼ『鼻血問題』に答える」から福島現地での鼻血の症状についての報告例を引用しました

2010年09月13日

花岡事件と その「和解」(11) 「和解」に群がる人々

 随分遅くなってしまったが(10)の続き。「問答有用」に書いた内容の焼き直しと補足。どうでもいい話だと思われるかもしれないが、困った問題もあるので是非読んでほしい。ってゆうか来年6月、OTD掲示板が閉鎖になるから問答有用も消えちゃうのね。俺もかなり投稿したのに・・・。


 正直に言うが、俺はつい最近まで花岡事件について全く知らなかった。「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」(*1)のメーリングリストを読んでやっと、いろいろな問題があることを知ったわけだ。
 「世界」の2008年1月・2月号に野田正彰氏の論考が掲載されて以来、このMLでも断続的に議論が始まり、翌年に至ってはこの話題でほぼ独占されるほど活発な議論が行われていた。もっとも「この議論うんざり」という声もあり、俺も議論に加われずスルーしていた。しかし、後述するがこの論争に関わる不快な出来事があったため、自分も花岡事件とその「和解」について学びたくなったわけだ。
 かつて熊谷伸一郎氏(*2)の掲示板である「問答有用」にも熱心に投稿していた「ドイツ在住ジャーナリスト」梶村太一郎氏は、「和解」を肯定する論陣を張っていた。「受け継ぐ会」の顧問である彼も、花岡「和解」に「直接、間接に」関わっていた(弁護団に助言したり共に訪中したり、国内の集会で発言したことがあるらしい)。
 しかし、ご立派な肩書きのある彼にもML参加者を納得させるは出来ず、逆にその無理な論理展開に反発が高まった。そもそも、どんな論者でもこの「和解」を肯定出来るわけがなく、破綻を招くだけだろう。

 まず彼は、田中宏氏や内田雅敏氏による、「和解条項の文言は『鹿島に法的責任が無いことを原告も認めた』という意味ではない」という主張を強く支持したが、まともに日本語が読める人間ならこんな解釈は出来ないはずだ。
 もちろん和解成立前に弁護団が原告に和解の内容をまともに説明しなかったことは彼も認めざるを得なかったが、これは「大失敗」だというのである。「失敗」どころか意図的に説明が省かれたとしか思えないが?そもそも「失敗」で許されることか?
 また、「ドイツの戦後補償は、企業の法的責任は問わず、道義的責任を認めさせる」「だから和解条項が鹿島の法的責任を問わないのは正しい」「そして鹿島は道義的責任を果たし、賠償した」と主張していたが、謝罪どころか最後になって強制労働・虐待の事実すら否定した鹿島がどのような責任を果たしたというのか?
 しかも彼の、問答有用でも見られたような高飛車かつ感情的な文言(たとえば野田氏に対する侮辱的な表現)も、大きく印象を損なっていた。「和解を非難する者は地獄に落ちるでしょう」などという発言も物議を醸した。まあ俺にとっちゃそんな表現は慣れっこだが、オフラインの交流もある集団のメーリングリストじゃ、やめといた方がいいと思うけど。(そういえば「和解」を導いた「中国人強制連行を考える会」の代表である田中宏氏の野田氏への反論も、前述のように感情的な表現で溢れていたなあ。ネットウヨクだろうと職業サヨクだろうと無茶な理屈を通そうとする連中は似てるな)

 このような彼の苦しい主張は多くのML参加者から厳しく非難され、彼に同調するのはMLの管理人である熊谷伸一郎氏ら、わずかな人数だった。熊谷氏にとって、梶村氏をかばいたいだけなのか、「受け継ぐ会」にとって「集会を共催するなど友好団体」である「考える会」の名前を落としたくないのか、動機は判らんが彼もまた執念深く和解を肯定する論陣を張った。
 しかし彼の、「和解条項は、鹿島がああいう主張をしている、という“外形的事実”を認めたに過ぎない」などという説明が共感を得ることはなかった(この“界隈”の人々はときどきこういう不思議な理屈を並べるんですよ)。
 さらに彼は、「和解を受け入れている人々の方が圧倒的に多い。約500人が和解金を受け取り、感謝している」「拒絶しているのは耿諄さんや孫力さんら10人以下だ」と述べた。つまり「和解」受け入れ派が多いことが、「和解」の正しさを示していると言いたいようだ・・・。
 しかし、複数の意見があっても賛成が多いほうが正しい、というわけではないよな?だいたい、和解金を受け取った人々はこの和解に対する意思表示をしたわけではなく、黙って受け入れただけではないか?(実際、日本円にして25万円もの金額を見せられれば、鹿島の態度がどうあろうとも黙って受け取っても自然なことだろう)。
 そもそも、1万人が沈黙しようとも1人でも拒否者がいるなら、拒否する声に耳を傾けるべきではないか?彼がサヨクを自称したいのなら。俺がこんなことを言うとは “釈迦に説法”というもんじゃないの?自身の立場にとって致命的な失言であることに気づかないのか?
 また彼の手元にも「尊厳」があるようで、都合のいい部分だけ抜き取り「耿諄さんも訴訟の全面終結と基金の運用計画に協力的だった」などと主張していたが、それはあのような「和解条項」が出る以前の話であり、全く意味がない。掲示板でネットクヨクと議論しているとこういうことあるよな。こうして熊谷氏は馬脚を現していったわけだ。

 さらに熊谷氏は、ある参加者の発言に対し不思議な反応を見せた。「(弁護団は)金の出たところで和解したかったのではないか」という発言に対し、
 「あなたは花岡の弁護団を侮辱するのですか。重大な名誉毀損です。
 あなたは本会の役職者なのに、なぜ本会にとって恩もあり、運動上も関係のある人々に対する名誉毀損そのものの発言をするのですか!」

 などと「激しく憤って」見せたのである。
 「弁護団は金目当てだった」などという発言ならともかく「金の出た処で和解したかったのではないか」という発言は事実をありのまま述べただけではないか?実際に弁護団は「金の出た処で」訴訟にケリをつけたわけであり、侮辱でもなんでもなく“外形的事実”を述べたに過ぎない。全く不可解だ。(一方で梶村氏の感情的な発言については一切お咎めなし。「顧問に過ぎない立場の発言と、本会の運営に携わる役職者の発言では重みが違う」だとさ)
 それにしても、この「金の出た処で・・・」という、わずか300名弱の参加者のみに公開されるMLでの発言が、「受け継ぐ会」にとってどれほど実害があるのか?もちろん「考える会」の関係者もこのMLを見ているかもしれないが。単に梶村氏のメンツを守りたいだけか?他の参加者への警告のつもりでこういうパフォーマンスを演じたのか?
 というか、彼の「考える会」についての「集会を共催するなど友好団体」「本会にとって恩もあり・・・」などの発言に本音が垣間見える。事の道理はさておき、「友好団体」「恩のある団体」に対する批判は不利益となるので許せない・・・「本会」の不利益になる言動は許可できない・・・という発想が先に立つのである。俺は彼とは短い付き合いだったがそういう人間であることを思い出したよ(「とほほ」さんを粛清したときとか。参考)。歴史を歪曲しようとも、戦争被害者を侮辱しようとも、組織が維持できればいい、それしか頭にないのだ。

 一方梶村氏は、「鹿島は道義的責任を果たした」という発言について、「ではどのような道義的責任を果たしたというのか」と追及されていた。賠償しなければならない法的義務は否定しつつも、自社の加害事実を認め謝罪したのなら「道義的責任を果たした」と言えるかも?しれない。しかし鹿島は5億円を拠出したが、最後になって加害事実を否定し謝罪を拒否したのだが?
 この追及に窮した梶村氏は、挙句の果てに前言を翻し「鹿島は5億円の拠出によって法的責任を果たした」と述べ、議論の放棄を宣言した。ネット上では議論の果てに自身の主張を180度転換させて逃亡する例もたまに見かけるが、ここまでひどいのも珍しい。
 さて、熊谷氏がどういう人かご存知の方なら、次にどんな展開になったかご想像がつくだろう。彼は突然、管理人の権限によって花岡和解に関する議論の禁止を言い渡した。このMLは議論のためのものだけではない、という理由で。この処置に異を唱えた数名の方々はML登録を解除されてしまった。しかも本人への通告さえ行われなかった。解除された方々は、自分の投稿が配信されないので、解除されたことに気づいたという!なにやら、問答有用の姉妹掲示板だった「田中荘」で2006年に起こった事件を連想させる(*3)
 議論専用の「討論用ML」が新設されたが、肝心の梶村氏は参加せず、議論が起こるような気配もない。受け継ぐMLから解除された上に討論用MLへの参加も許可されない方もおられる。
また梶村氏は「もう花岡の議論はしません」と宣言したのも忘れ、花岡和解に関する論考が発表されると「ほら、和解が正しいのが分かったでしょう」「ほら、和解を否定する人は論理が破綻してます」などと騒ぎ、反論されるとまた感情的な調子で反論する。こういう梶村氏のやりたい放題を熊谷氏は黙認している。そういえば熊谷氏は昨年、ML管理者からの降板を示唆していたが、実際には彼がまだ管理人を務めているようだ(後述)。
 それにしても熊谷氏・梶村氏については、花岡「和解」を支持するような人々であるからこうした言動に出ても不思議は無いかもしれないが、この二名や、花岡訴訟をあのような形で終わらせた人々が、平和や人権のために活動しているように見せかけているのは悩ましいものだ。この虚飾を見破らなければならない。

 ところで、この二名を含めた花岡「和解」を肯定する人々は、様々な活動に首を突っ込み、人脈を広げ、「和解」は正しいという支持を広げようとしている。
 西松建設・信濃川訴訟の今年4月の「和解」も、請求権の放棄を前提にしたものであり花岡「和解」の欺瞞を重ねるものだが(これを拒否する原告は裁判を継続する)、この訴訟を支援していた中国人戦争被害者の要求を支える会も、熊谷氏らの活動と密接な関係がある(というか主要なメンバーがダブっている)。
 「子供と教科書全国ネット21」の会報No.72(2010年6月15日)には、「考える会」代表・田中宏氏の「高校無償化の朝鮮高校除外は許されない」という文章が掲載されている(内容的には日帝の植民地主義・民族差別を批判する、まともなものだが)。この団体も熊谷氏の活動と結びつきがある。
 まあ以上は内輪のようなものだが、彼らは大手メディアへの戦略も怠らない。今まで取り上げてきたように「世界」などに掲載された野田氏の論考に対する反論が、同じ「世界」や、大手新聞に掲載されている。さらに2010年7月26日毎日新聞に「ノーモア南京の会」(代表は田中宏氏)のメンバーとしても名を連ね、「中国人強制連行を考える会」の事務局長でもある福田昭典氏の「謝罪と保証へ舵を切れ 日本企業の世界戦略のためにも 元連合国捕虜虐待問題」という文章が掲載された。花岡「和解」を「歴史的」、西松安野・信濃川両訴訟の「和解」を「画期的」とほめたたえる内容である。6月22日東京新聞には、内田氏の「花岡和解から西松和解へ」という文章が掲載された。(ごく少ないが)花岡「和解」に当然の疑問を投げかける論考が各紙に掲載されたことに対抗心を燃やしているようだ。
 しかも7月6日には、あの鎌田慧氏が東京新聞に「前事不忘」というコラムを寄せた。花岡「和解」を支持する内容である。「和解」関係者の今までの文章をつなぎ合わせたようなシロモノだ。実を言えば6月30日の花岡慰霊式に、「考える会」の人々と連れ添って参加していた鎌田氏を目撃していたのだが、ネットに書くのは控えようと思っていた。しかしこのように本人が堂々と花岡を訪れたと記しているのだ。「和解」を支持する立場を表明しているのだ。あの鎌田慧が!実に悲しく、情けないことだ。まあ何度か花岡を訪れているそうだから、俺が認識不足なだけかもしれないが。
 このように「和解」関係者は各方面の人脈を活用し、メディアを利用し、著名人を抱きこみ、「和解」の評価を高めようとしているわけだ。「和解」を批判する側は全く不利な、というか歯が立たない状況である。

 ところで俺は今年の花岡慰霊式に参加したことを「受け継ぐ会」MLで言及したわけだが(*4)、それがきっかけとなり梶村氏が暴走!俺に対しては(名指しこそしないものの)「大館に行きながら、分裂工作に加担する悪質な連中」(*5)、他の「和解」に批判的な投稿者に対しては名指しで「あわれな馬鹿者」などと罵倒し、しかも「受け継ぐ会顧問としてこのような人たちを受け継ぐ会の仲間として許すことはできません」などと述べた。つまり「俺は顧問の梶村だ、こいつらをMLから追放せい」と言いたかったのだろう。さすがの熊谷氏もこの滅茶苦茶な要求に応じていない。
 こうした梶村氏の言動は当然厳しく非難されたが、その直後熊谷氏が信じられないような行動に出た。「感情的な発言が増えていますから、私が確認した後、配信します」と通告したのだ。「感情的な発言」をした当人である梶村氏に対する注意が与えられることも無かった。梶村氏の立場を守るために、全てのML参加者に不便を強いるのだ(言うまでもなく梶村氏は、「馬鹿者」という発言を謝罪することもなかった)。
 以降、梶村氏や熊谷氏に対する批判も、「和解」への言及も、一切配信されなくなってしまった。当たり障りの無い投稿だけが並んだ、気の抜けたMLになってしまった。これも仕方あるまい、所詮このMLは熊谷氏の私設掲示板のようなものだ。「受け継ぐ会」は熊谷・梶村派に牛耳られているんだからな。
 そして彼らは歴史の真実を語り継ぐ・戦争被害者の名誉を回復するなどと称しつつ、「和解」は歓迎されたなどと歴史を歪め、「受難者」の尊厳を傷つけていくのである。こうした歴史歪曲主義者たちの本質を見極め、惑わされないようにしたい。それにしても梶村氏にせよ熊谷氏にせよ、こういった独善的な振る舞いによって己の活動の場を狭めていることに気づかないのだろうか。たとえば熊谷氏は、かつては多くの論客で賑わっていた「問答有用」が、今では閑古鳥が鳴いているのに危機感を感じないのだろうか。



*1 戦後、中国の「撫順戦犯管理所」に勾留された元日本兵・将校らは、管理所の生活の中で、侵略戦争の愚かさを悟り自らの加害責任を反省し、帰国を許された。1957年に彼らが結成した「中帰連」(中国帰還者連絡会)はメンバーの高齢化のため2002年に解散。中帰連の足跡を受け継ごう、という趣旨で市民団体「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」が結成された。その活動目的には賛同するが、熊谷氏や梶村氏など花岡「和解」を賞賛するような人士が牛耳っているのである。

*2 東京都八王子市在住の職業サヨク。岩波書店「世界」編集部、「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」事務局長。2006年には「南京への道 史実を守る会」という市民団体を立ち上げ、俺も2年ほど付き合っていた。
裁判傍聴にも会議にもろくに顔を出さず、自分が提案した仕事も人に押し付けるお調子者。有力な団体や著名人との人脈作りには熱心で、雑誌「自然と人間」の編集長を引き受けたことがあるほど節操が無い。彼の行動を見ていると本気で平和や人権に関心があるのかと疑ってしまう。組織の維持・拡大しか関心が無いように見える。

*3 梶村氏は「問答有用」や姉妹掲示板「田中荘」に頻繁に投稿していたが、あるときから「田中荘」では「おこちゃ」というハンドルネームを用い始めた。問答有用と田中荘でハンドルを使い分けていたのである。もちろん「おこちゃ」=梶村太一郎であることは、自他共に認める事実だった。
 しかし2006年1月、論敵から「おこちゃこと梶村太一郎様」と呼びかけられると、何を考えているのか「だったらあなたの実名もばらしますよ。それがイヤなら謝罪しなさい」と脅したのである。
要するに、「おこちゃ」=「梶村太一郎」という指摘は、個人情報の暴露だから許せないというのだ。暴露もなにも、梶村氏は「問答有用」で実名を公表しているではないか。「おこちゃ」とは梶村氏であることは周知の事実ではないか。
 別の見方をすれば、「おこちゃこと梶村太一郎様」という呼びかけは、梶村氏がハンドルを使い分けていることに言及したにすぎない。「梶村太一郎」というハンドルが、それが投稿者本人の名前なのか、単に有名人?の名前を拝借しているのか、たまたま有名人と同姓同名なのか、掲示板参加者が判断しなければならない義務があるのか?そもそも梶村氏が、匿名で投稿する論敵の実名を知っているわけがない。全く幼稚な脅しに過ぎない。
 この梶村氏の奇行に対し、「だったら早く彼の実名をばらしてみろよ」というリクエストや、「(たとえば不正を告発するような)公益性があると思うのなら、公表すればいいではないか」という指摘が相次ぎ、梶村氏は崖っぷちに追い込まれていた。
 ここで突然、主宰者の熊谷氏が「絡むだけの議論は止めてください」と、今後の言及を禁じる通告をした。個人名の暴露を示唆するという、掲示板から出入り禁止になるどころかもっと厄介な問題になりかねない言動を行った梶村氏への直接の警告は無かった。
 しかも、「実名の公表は投稿規程違反である、それをそそのかすのは論外」などと、まるで梶村氏を批判する側が悪いような口ぶりである。熊谷氏の述べることももっともだが、騒ぎを起こしているのは梶村氏の方ではないか。灯油缶を持って「この家を燃やすぞ!」と脅す相手に「ならばやってみろ」と言うのは、たしかに望ましくないだろうが、悪いのは放火するぞと脅す側ではないか。しかし熊谷氏やその取り巻きは一様に梶村氏をかばうのである。見ている俺の方が気が狂ったのかと思った。
 結局、熊谷氏の理不尽な処置に異を唱えた参加者は投稿禁止処分を受けてしまった。受け継ぐ会MLでの処置もこれとそっくりだ。梶村氏の論理破綻や理不尽な言動に非難が集中すると、熊谷氏が管理者権限によって議論を中止させ、異を唱えた者は追放されてしまうのだ。今でも過去ログは6100から6392あたりに残っているが、来年6月にOTD掲示板が閉鎖されるというので、各自早めに保存&コピペされたし。

*4 別に宣伝したくなかったが、梶村氏のMLの発言を批判したくなり、ついつい口を出してしまった。「和解」に批判的なある研究者に対し、「和解」関係者が説得工作を行ったらしいが、梶村氏がそれを知って「あの人も(和解を批判したことを)反省していると思います」などと勝手な憶測をMLに書いていた。しかし俺は6月に花岡を訪れた際、同行の皆さんとともにその研究者の方とお会いしたが、梶村氏のMLでの発言については「反省なんて、とんでもない!」と明確に否定なさった。この件をMLで報告したわけだが・・・

*5 受け継ぐ会MLに参加している秋田県県議会議員の石田ひろし氏(社民党、NPO花岡平和記念会理事)から、「6月30日夜の大館の集会で、花岡和解を批判するチラシが配布されたようです、そういう行為は悲しくなります」と愚痴る投稿があった。それを見て梶村氏が「分断工作だ」などと騒ぎ始めたのである。石田氏としては理事を務めている立場上、今更混ぜっ返されたくないのだろうが・・・6月30日夜の集会とは、俺も参加した「日中不再戦友好碑をまもる会」主催の集会だと思われる。たしかに俺はその会場で「私の戦後処理を問う会」のチラシを一人づつに配ったよな。しかも「和解」関係者の一人がさりげなく参加していたらしい。俺はその人の顔を知らないんで分からなかったが。恐らくその人経由で、石田氏にチラシが渡ったと思われる。
posted by 鷹嘴 at 00:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 花岡事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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