国家権力がどうやって国民の世論を作り上げ利用しているのか考えてみる。まず2010年9月3日朝日新聞夕刊【イラク 深き淵より 23 小さな石を積み上げる】より引用。
03年11月、大阪府吹田市の職員だった西谷文和さんが休暇を利用し初めてイラクを訪れた。バクダッド市内の病院には満足な治療も受けられない白血病の子供が多いことにショックを受け、「イラクの子どもを救う会」を立ち上げた。
04年4月に再び休暇を取りイラクを訪れたが、ちょうどそのころ3人の日本人が武装勢力に拘束されるあの事件が発生した。西谷さんは現地での取材に対し「小泉首相は自衛隊を撤退させるべきだ」と語ったが、これが帰国後物議を醸すことになる。人質となった3人に対するバッシングの嵐に西谷さんも巻き込まれてしまったのだ。
地元の議員からは「地方公務員のくせに、国の悪口なんていうな」などと誹謗され、西谷さんの上司さえも「なんで休暇を許可したんや」と責められた。
結局西谷さんは勤務と活動の両立を諦め、フリージャーナリストとして歩むことを決意した。「これでいつでもイラクに行ける」と踏ん切りがついた、という。
・・・それにしても、「地方公務員のくせに、国の悪口なんていうな」とはどういうことだろうか。地方公務員だろうが国家公務員だろうが一人の国民である、国策に意見する権利があるはずだ。公務員は国に逆らってはいけないということは、労働条件の改善を求める権利もないというのか?サービス残業を拒否するのも待遇改善を要求するのも、こういうバッシングする連中に言わせりゃお上に逆らうことになる。それに公務員には有給休暇の目的には制限があるというのか?
西谷さんも巻き込まれてしまったこの6年前の騒ぎは、我々日本人の醜い心をまざまざと見せつけてくれた。脅迫文を送るような馬鹿者だけでなく、ああいう騒ぎを目にしながら無関心に過ごしていた大多数の日本人の存在が恐ろしい。同年に香田証生さんが殺害されたときの世間の冷めた反応というか無関心を思い出す。
■ 先日明治大学で開催された水俣展を観てきた。ツイッターにもごちゃごちゃと書いたが、水俣病の恐ろしさと、この国家的犯罪の構図がよく理解できる有意義なイベントだったと思う。
1959年12月、加害企業のチッソと被害者の間で「死者一時金30万円、成人患者年金10万円、未成年患者年金1万円(後に3万円)」という額の支給契約が結ばれた。(俺はこのイベントの展示で恐ろしい勘違いをしていたことに気づいたのだが)これは補償や賠償ではなく「見舞金」だった。チッソは患者に「お見舞い」をしたのである。車で人をはねておいて、被害者の入院先を訪れ、治療費を支払うのではなく花やお菓子を届けて去るようなものだ。加害企業であるチッソは己の責任を全く認めていなかったのだ。しかも、今後チッソの廃液が水俣病の原因だと判明しても一切要求しない、という条件付で(参考)。鹿島建設が中国人強制労働・虐殺の責任を認めずに「和解」によって交渉を終わらせたように、チッソもこうして終止符を打とうとしたのだ。
もちろんこの契約の後もチッソの水銀垂れ流しが止まることはなかった。この同時期にチッソは水銀の除去と称して「サイクレーター」を稼動させたが、実際には廃液から水銀を除く能力など無かった。最終的に有機水銀の垂れ流しが止まったのは1968年。チッソ工場のような石炭を利用した化学製品の製造工程が時代遅れになり、石油方式に切り替わってからのことだった。国家にとって国民の生命よりも経済発展が重要なのである。そういう国家権力にとって、水俣病患者など邪魔な存在なわけだ。
■ 俺が行った12日には、患者の一人である緒方正実さん(正人さんの甥)と、写真家の長倉洋海さんの講演も行われた。緒方正実さんは建具屋を経営しているが幼いころから水俣病の症状に苦しんできた。1997年から患者認定を4度棄却されたという。
あきれたことに認定審査会は緒方さんの小中学校の成績証明書を勝手に取り寄せていた。また審査会は、緒方さんの血縁者の職業欄に「ブラブラ」と記載していた。熊本で無職の人間を侮辱する言葉だという。さらに、視野狭窄の検診結果には、(緒方さんの)「人格に問題がある」という表現もあった。要するに見えるのに見えないとウソをついてるんだろう、ということだ(参考:2007年の講演録)。
緒方さんはこのような差別的扱いを弾劾し、2度目の行政不服審査請求で「棄却取消」を勝ち取り、2007年にやっと患者認定された。しかし水俣病患者を差別するのは公的機関だけではなかった。
■ 地元で水俣病患者が激しい差別を受けていたことは前に書いた。言ってみればお上がお手本を見せ、下々の者がそれに従ったようなものだろう。しかも、このイベントで知ったのだが患者の自宅に「ニセ患者だろ」「金貰って羨ましいねえ」などという匿名の手紙が送りつけられることもあった(実物が展示されていた)。地元で差別されていただけでなく全国的な誹謗中傷を受けていたのだ。これは国民のある部分の、水俣病患者に対する正直な感情ではないだろうか。
国家権力など所詮は政権の維持しか興味がなく、そのために資本家の利益を優先する一方、社会的弱者は単なるお荷物である。そしてそのように国民を仕向けていくのだ。国家権力にとって国民を手なずけることなど容易だ(この国の政権が「鬼畜米英!」って叫んでいたのが、一夜にして「アメリカは正義の国で日本を守ってくれる」と180度転換し、国民はそれに大人しく従ったようにな)。
そして国家に教育された国民は素直に、マイノリティや弱者への差別・排斥に走るわけだ。特にこの国に於いては弱者であること自体が悪である。何かしらの被害を受けること自体が悪である。被害の救済を求めるのは国家への反逆だ。おとなしく死ななければならないのだ(こうした社会が水俣病という国家的犯罪を生んだわけだ)。イラクで人質になった人々や水俣病患者がバッシングを受けるのは当然だろう。嘆かわしいことに中国残留孤児についてもネット上にはやっかむような言動が見受けられる。
しかし国家権力は、自分たちで育て上げたはずの国民世論に手を焼き振り回されることもある。コーランを焼く、などという絶対に許してはならない行為に、さんざんイスラムはテロリストだと煽ってやがったアメリカ政府が弱腰なように、尖閣諸島に関して中国政府が国民の反応を恐れているようにな。そして時には政権の維持のために、そういう世論に迎合することもある。
※ そういや俺の職場に「残留孤児は金を貰っていい暮らしをしてる」って出鱈目をほざいたバカがいたな。もう辞めたけど。一方で拉致被害者・家族がバッシングを受けないのは、アジア人民に対する差別意識、排外主義に凝り固まった連中が、これらの感情を増幅するための小道具として無意識に利用しているからだ。拉致被害者の家族は自らその役を買って出ている。
2010年09月21日
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