2010年10月07日

公訴時効廃止と「ペナル・ポピュリズム」

 もう半年前のことをいまさら書いてごめんね。4月27日衆議院本会議で、重大犯罪の公訴時効を廃止または延長する改正法が成立、即日施行された。国会審議約4週間というスピード成立である。この改正法によって、4月27日の時点で15年の時効が成立していなかった殺人事件、つまり1995年に起きた事件も時効廃止となった(時効が25年に延長されたのは2005年)。
 1995年7月の「八王子スーパー強盗殺人事件」も、同年4月28日の「倉敷市児島老夫婦殺人事件」も、即日施行というウルトラCによって捜査継続となったのである。

◇ 時効廃止:改正刑事訴訟法が即日施行…殺人など12罪対象 (魚拓)
◇ 時効廃止:28日午前0時…倉敷の放火殺人、間際の適用 (魚拓)
◇ 時効廃止:無念晴らせる…被害者遺族ら涙 (魚拓)

 さて、これからどんなことが起きるかというと・・・突然ポリ公がやってきて「20年前の何月何日何時何分、お前なにしてた?」って連行され、出勤してたはずなんで当時の勤務表を取り寄せようと思ってもその当時の会社自体無くなってたりしてアリバイを出せず、逆に全く身に憶えの無い証拠物件を持ち出され、刑事に「お前がやったんだろ!」と連日連夜責められ、裁判員制度によって一審二審死刑判決!ってゆう恐ろしい時代になるだろう。誰でも全く身に憶えのない凶悪事件の容疑者となりかねないということだ、ご覚悟のほどを!
 その一方、迷宮入りの事件に捜査の手間を割くことによって、起きたばかりの凶悪事件の検挙率が下がることになりゃしないだろうか?

 この恐るべき悪法がいかにして成立したか、社会になにをもたらすかを、「世界」2010年6月の座談会「公訴時効廃止法批判 こんな拙速な立法でよいのか」から引用する。参加者は白取祐司氏(北海道大学大学院法学研究科・教授)、岩村智文氏(弁護士、元・法制審議会刑事法部会幹事/委員)片山徒有氏(被害者と司法を考える会・代表)の3名。岩村氏の論考については以前にもこのブログで引用している。

 まず岩村氏は、このスピード改正の「一番の問題点は、どれだけきちんと議論されたのかということ」と指摘する。岩村氏も公訴時効の是非について法制審議会で議論した一人だが、そこでは「被害者が廃止を望んでいる、それを国民が望んでいる」、被害者が「真犯人がのうのうと生きていることが許されない」と訴えている、という発言があったという。そして、愚かしいことにそういう遺族の感情を「もろに法制化」してしまったのだ。そりゃ被害者の家族・遺族にとっては、犯人なんか八つ裂き火あぶりにして欲しいのも、永遠に地獄の底まで追いつめてほしいのも当然だが、その感情を法治国家が取り入れるべきだろうか?
 さらに岩村氏は「今後検挙率が上がることはあり得ないと警察もはっきり言っている」と指摘する。そりゃそうだ、10年20年前の事件の犯人が見つかるわけがない。ただ冤罪を作り出すだけだ。「そうなると、被害者の本当の利益になるのかという疑問が生じるのに、とにかくきちんと議論されていない」。しかしこの指摘に対する反論は「とにかく真犯人がのうのうと生きているからだめだ」というだけだったそうな。とんでもない馬鹿が重大な法改正に関わっていたもんだな。しかもこの審議会には「被害者の会」の代表も加わっていて、その発言も議事録に残っている。法案に批判的な意見が出ると「議論を聞いていますと、国民の感情から離れたところで議論されているような気がしてしょうがないですね。一般の国民は凶悪犯罪は厳罰に処するべきである、みんなそう思っています」とかき回すという(白取氏)。そんな人は審議会に加えるべき立場じゃないし、人格的にも最悪ですな。拉致被害者家族会みたい。それにしてもこの法改悪の目的はなんなのか?

 時効が無くなれば捜査記録、捜査資料も蓄積し膨大なものとなる。警察側からは「100年も200年も保管することはできない」という声があったというが、当然のことだ。しかし審議会では「そんなものは警察の内規で決めて処理すればいい」という意見があったという。ということは「警察の内規で適当にやっていい」ということになる。容疑者の無実を証明できるような資料も「適当に」廃棄されていいのか?すでに時効廃止を目前にして警察では「捜査記録は出来るだけマイクロフィルム化したい」「捜査当局が必要でないと考える資料は破棄したい」という考え方が出ているという(岩村氏)。ということは警察や検察にとって都合のいい資料だけが残り、他は廃棄される可能性があるのだ。マイクロフィルム化もとんでもないことだ。原本を残さなければならない。10年20年前の事件どころか数年前数ヶ月前の事件でも冤罪が多発する危険性がある。
 また岩村氏は「何十年も経って出てくる証拠品が、本当に30年前、40年前に接収されたものなのか検証するシステムが日本にない」ので、「警察と別組織を作って弁護士も利用できるようなシステム」が必要だと指摘する。たしかに、厚生労働省局長冤罪事件のようなお粗末な改竄ならすぐ見破られるが、何十年も前の事件の証拠品の真偽を検証するのは不可能だ。かつ、あのような冤罪事件を引き起こした国家権力に何十年も前の事件を捜査させるのは危険極まりないと言える。
 真偽が定かではない物証を根拠に法廷に立たされたらたまらない。既に2005年には時効が25年に延長されたが、そんな年月が経てば人の記憶も失われ、あるいは関係者は世を去り、事件の現場も建物が取り壊されすっかり景色が変わっている場合も多いのに、「本当に裁判という名に値するものが25年後にできるのか」(白取氏)。可能なのは魔女裁判、というものだろう。

 だいたい、時効を廃止しなければならない理由が見当たらない。国会提出の法案の理由の中には「近年における人を死亡させた犯罪をめぐる諸事情に鑑み」とあるが、2009年の殺人事件の認知件数が戦後最低を記録したという。だから「凶悪事件が増えてきた」とは書けないのだ。この時代に厳罰化の必要など感じないが、立法を急ぐ側は「被害者遺族の声」「民の声」「世論調査の結果がこうだから、国民が望むから法改正をして何が悪い」とゴリ押しするのである(白取氏)。犯罪被害者の支援を行う片山氏も「被害者感情を煽り立てることがいちばんよくない」と指摘する。

 こういう流れについて岩村氏は「ここ十数年の刑事立法のあり方と深く関わっている」と、この社会に「犯罪者は市民ではない」「社会の異物、異質なもの」という視線が広がっている、と指摘する。1998年ごろの話だそうだが、「盗聴法」が制定される際の議論の時に、法務省の幹部が岩村氏に「時代は変わったんだ、これからは岩村さんたちと国家が共通の敵に当たるべき時代になった」と述べたという。つまり、市民が人権を守るために国家権力と対峙しなければならない時代から、国家と市民が手を組み組織犯罪者と対決しなくてはならない時代が来た、というのである。
 そして21世紀に入り「テロ」が警戒される時代となった。岩村氏は、組織犯罪者やテロリストは市民ではない異物だから簡単な「手続き」で厳罰に処せという「風潮」が、さらに全ての犯罪者に対しても「同じ論理が働いている」のではないかと、指摘する。犯罪者は人間じゃない、人権なんか認めるな、社会から排除すればいい、という風潮が。極端に言えば犯罪者は違う生物だから抹殺すればいい、みたいな。時効なんか無くてもいいんだ、というのは自然な流れなのかもしれない。

 もっともマイノリティーを排除しようとするのは人間という生物の習性みたいなもんだが、国民感情で量刑を定めれば、それこそスリは手を切り落とす、ノゾキは目を潰す、ということになるだろう。たとえ国民感情に反するものがあっても、容疑者・被告人の人権は法で守られなければならないはずだ。「多数決原理」で彼らの人権を奪っていけば、「それこそ黙秘権も要らなければ、保釈も仮釈も何もいらないという話になってしまう」。「つまり、これもあれも認めていくと、次にもっと変な立法が出た時に、『それ、おかしいぞ』と言えなくなるという危惧を私は憶えています」(白取氏)
 最近法律家の間で、「ペナル・ポピュリズム」という言葉が用いられているという。犯罪者に厳罰を下せ!という世論に、立法者が擦り寄る現象である。刑罰の大衆迎合である。

 公訴時効廃止・延長についての法制審議会は2009年11月から10年2月までのたったの8回、一回がだいたい3時間くらいだった。しかも以前引用したように人選が偏り、有意義な意見が出ても結局時効廃止の方向で進んでいったという。しかも2009年9月に自民党が政権から滑り落ちたと思ったら、あれよあれよというまに時効廃止である。岩村氏が指摘するように、民主党にとってこの改正法は「政治的に手軽な人気取り」なのかもしれない。
 もともと民主党は公訴時効廃止に慎重な意見だった。かつて「特に悪質な事件について、検察官の請求で裁判所が時効の中断を求める制度」を提案していたという(10年4月15日朝日新聞)。しかし改正法は「森英介・元法相が法務省内で開いた勉強会の最終報告に近い」。4月14日の参院本会議で、ある自民党の議員は法案に賛成しつつも「民主党は選挙前にあまりにも簡単に政策を変えた。権力を持つ側の自覚が感じられない」と批判した。たしかにその通りだな。支持率回復させたかったらアメリカに普天間基地は国外に移せと要求し、小沢なんかさっさと除名し、当て逃げ船長の処罰に政治介入しなきゃよかったと思うけどな。まあ民主党なんざハナから期待してねえけど。

 それにしても排外主義に向かう国民に権力が迎合し、結局国民の権利が奪われていくとは恐ろしいことだ。時効廃止で容疑者の権利が奪われ、裁判員制度によって国民の信任の元(という名目)で被告人の権利が奪われ、「次にもっと変な立法が出た時に『それ、おかしいぞ』と言えなくなる」時代が迫っている。
 ともかく公訴時効廃止は稀代の悪法である。絶対に元に戻さなくてはならない。そりゃ俺だって凶悪犯はできるだけ捕まえて欲しいと思うが、冤罪は絶対に許せない。100人の真犯人を逮捕できようとも、一人の無実な者にあらぬ罪を着せてはならない。冤罪は国家権力による犯罪だ。減ってきているらしいが今後も凶悪事件は起こるだろうし(人間ってそういう生き物だからな)、真犯人を逃すこともあるだろう。それも仕方ないことだ。絶対に、一人の犯罪者も逃したくないというなら、国民全員を北朝鮮の収容所か中国の「労働教養所」みたいなところに押し込んで監視するべきだな。


※ ところで、酒気帯び運転の罰則が違反点数13・罰金50万円!となったのも「大衆迎合」であろう。飲酒運転する奴なんて人間じゃない、刑務所ぶち込め!という“ノリ”が社会を歪めているのだ。以前は酒気帯びで捕まっても点数6(免停だけど一日だけ講習を受ければチャラ)、罰金3万円程度だったと記憶している。「こんな馬鹿げた重罪はナンセンス」と、政権党も野党も口に出さない。票を失うのが怖いのだ。
 さすがの俺も最近は自制しているが、一方で警察官が飲酒運転で検挙されるという滑稽な事態も起こっている。そりゃ酒飲んで運転しちゃダメなのは百も承知だし泥酔して運転するなんて論外だが、正直な話、車を運転する人間にとってこんなに不便で腹立たしい話はない(たとえば、家族から「大雨降ってるから迎えに来て」という電話が来たけど1時間くらい前にビール飲んでいたから絶対拒否する!と断言できる人は、免許を持っていないか一切の人間関係を有しない人ですね)。それにしても、誰かこの厳罰化を批判している人はいるのかな?俺が知らないだけかな?
 同様に今年10月からのタバコ大増税も、至るところ禁煙化も、批判・反対の声はごく少なく、嫌煙ファシズムが幅を利かせている。喫煙者への差別は今後も加速するだろう。
 それにしてもこういう、ネット上の「炎上」騒ぎの如き圧力(ごく一部の連中がヒステリックに叫び、大半の国民もなんとなく同調、あるいは叩かれるのを恐れて沈黙)に企業も国家権力もたやすく屈服・迎合する現象が最近多いなあ。なんか世の中おかしくねえか?
posted by 鷹嘴 at 13:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 悪法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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