2006年04月30日

【公式確認50年 終わらぬ水俣病 「患者救済」いまだに混迷】

以下コピペ。
公式確認50年 終わらぬ水俣病 「患者救済」いまだに混迷

 日本の「公害の原点」といわれる水俣病は、5月1日で公式確認から50年を迎える。高度経済成長のなか、工場から垂れ流された水銀は、住民から命と健康な生活を無残にも奪った。国と最高裁の基準が異なるなど患者救済は混迷を続け、今も3700人以上が国に認定を求めている。半世紀を経ても水俣病は終わっていない。


 水俣病は、熊本県水俣市の新日本窒素肥料(現チッソ)水俣工場付属病院から、「原因不明の脳症状を呈する患者が多発」と保健所に届けられた昭和31年5月1日が公式確認とされる。
 同工場から八代海(不知火海)に流されたメチル水銀。魚が白い腹を見せて浮かび、魚を食べた猫がけいれんして踊り狂うように死んだ。やがて住民にも猫と同様の症状が表れ、人々を恐怖に陥れた。

 当時、チッソはアセトアルデヒドを生産、その過程でメチル水銀が排出された。アセトアルデヒドはプラスチックの可塑(かそ)剤として使われ、さまざまな製品の製造に不可欠なものだった。

 国が水俣病を公害病に認定したのは、生産が終わった43年になってからだ。

 今も3700人以上が水俣病の認定を求める申請を行い、約1000人が裁判で係争中。水俣市の協立クリニックの高岡滋院長は「子供の結婚に差し障るからなどと今まで声を上げなかった人が多い。潜在的被害者がどの程度いるのか分からない」と指摘する。

 熊本、鹿児島両県や新潟水俣病が発生した新潟県で被害を受けたのは数万人とも言われる。しかし、現在まで行政に水俣病患者と認定されたのは公害健康被害補償法に基づいた認定審査会で認められた2955人にすぎない。

 感覚障害と視野狭窄(きょうさく)など複数の症状があって初めて認定患者となり、1600万−1800万円の一時金や年金、医療費が支払われる。審査会が認めなければ未認定患者で、補償は受けられない。認定基準のハードルは高く、申請を認められなかった人は約1万5000人にのぼる。

 未認定患者が訴訟で救済を求める中、国は平成7年に政治解決策を発表した。症状によって(1)医療手帳を交付し一時金260万円と医療費全額を支給する(2)保健手帳を交付し医療費の一部を支給する−という内容。約1万2000人が受け入れたが、患者認定はされず、訴訟取り下げが条件だった。

 これに対し、関西水俣病訴訟の原告は訴訟を継続。16年10月、最高裁は行政の認定基準より緩やかな基準で被害を認め、損害賠償の支払いを命じた。

 認定をめぐり、行政と司法で二重の基準が存在する事態が発生している。



 【水俣病の経過】(年・月)
 昭和

  7・5 日本窒素肥料(40年チッソに社名変更)水俣工場がメチル水銀化合物を含む排水を始める

 31・5 新日窒付属病院が「原因不明の脳症状患者4人発生」と保健所に報告。水俣病公式確認

 38・2 熊本大研究班が、水俣病原因物質は工場から排出されるメチル水銀化合物と発表

 43・5 チッソ水俣工場がアセトアルデヒド製造を中止。メチル水銀化合物の排出終わる

 43・9 国が「チッソ水俣工場の排水中のメチル水銀化合物が原因」と公式見解発表。公害病に認定

 48・3 熊本水俣病第1次訴訟で原告勝訴

 48・7 チッソが患者と補償協定。慰謝料1600万−1800万円、医療費も補償

 52・7 環境庁(当時)が以前より厳しい水俣病の患者認定基準通知。認定申請棄却が増加し、各地で訴訟相次ぐ

 平成

  7・12 政府が未認定患者に260万円の一時金支払いなど政治解決策を閣議決定

 16・10 関西水俣病訴訟最高裁判決で、国の基準より緩やかに水俣病被害を認める司法判断

 17・10 未認定患者が熊本地裁に集団提訴


◆◇◆
 ■「もやい直し」佐々木清登さん(76)
 故郷の惨状を伝え続け 

 熊本県水俣市に隣接する芦北町に住む佐々木清登さん(76)は、祖父から続く網元の3代目。豊かな八代海が親子代々の生活の糧となってきた。

 「誰もおかずを買って食べる人はいなかった。何でも釣れたし、おかずがなかっても、隣に声をかけたら持ってきてもらった」と振り返る。地域のきずなも深かった。

 しかし、仕事も体も故郷も水俣病に破壊された。魚を多く食べていた漁師が倒れた。魚は売れなくなる。伝染するとのうわさも広がった。「漁師は白い目で見られた。差別よね。耐えられんかった」。昭和35年、妻と2人の幼子を連れ北九州市の製鉄所へ。

 体に異変が起きていた。めまい、耳鳴り…。「病院に運ばれよった。けど原因不明ち言われた。そりゃそうよね、水俣のことはひとっ言も言わんかったから」

 父親が劇症型水俣病で入院した。病院に付き添っていると異臭で目が覚めた。父親が背中をかき続けていた。皮がむけて肉がはげ、骨がむき出しだった。それでも感覚障害で痛みはない。

 「そりゃもうすごかよ、自分の父が狂い死にするのは。このことは家の中で話はせん」。父親は100日以上のたうち回り、54年に死んだ。

 父の死を機に芦北町に戻る決意をした。久しぶりの故郷は「きずなが、めちゃくちゃになっとった」。水俣病と認定され補償金を受け取った人は治療が受けられる。認められなかった人はますます苦しみ、両者の間に溝ができていた。

 未認定患者救済と、地域のきずなを取り戻す「もやい直し」運動にかかわりながら生きてきた。手の感覚がなくなり、耳鳴りで寝付けず、精神安定剤を飲む日々。そんな体で水俣病被害を語り継ぐ活動も続けた。

 昨年11月の誕生日。孫娘から手紙をもらった。「じいちゃん誕生日おめでとう。これからも水俣病でこんなに多くの人々が今も障害で苦しめられているのを伝えていってね」。手紙は神棚に置かれている。


◆◇◆
 ■熊本学園大教授 原田正純
 当事者意識ない行政

 僕が水俣へ初めて行ったのは昭和36年。患者たちはあまりにも貧しく、ぼろぼろになっていた。漁師が魚を取っても売れず、飢えるしかない。「どうなっているんだ」と思った。

 問題が50年たってもなお続いているのは、行政に当事者意識がなかったからだ。ごく限られた症状しか水俣病と認めず、どういう範囲で被害が起きていたのか、実態調査を行ってこなかった。

 平成16年の最高裁判決は国の認定基準より幅広い救済を認めたが、微量のメチル水銀が食物を介し長期にわたり蓄積する長期微量汚染の問題は解明できていない。

 微量汚染の影響を受けた40−50代の人は、一見健康に見えても水俣病の症状を持つ場合がある。今、認定申請している人たちの3−4割がこうした人。実態を明らかにしなくてはいけない。

 カナダやブラジルで微量汚染の問題が起きている。日本は水俣病の教訓を世界に発信すべきだが、日本では微量汚染の患者は一切水俣病と認めずにふたをしてきており、調査ができていない。海外の研究者から「日本のデータは全く役に立たない」と言われている。

 今回50年事業が行われるが、僕も含め参加しない人はたくさんいる。「問題は何も解決していないのに、なぜ50年と騒ぐのか」という気持ちがあるから。式典を、行政の免罪符にしてしまってはいけない。

 患者に補償ができても、体は元に戻らない。壊された自然も戻らない。そういう意味で、水俣病に終わりはない。



【プロフィル】原田正純
 はらだ・まさずみ 昭和9年鹿児島県生まれ。熊本大医学部卒。平成11年に熊本大を退官し、現在は熊本学園大で「水俣学」講座を開く。著書に「水俣病と世界の水銀汚染」「水俣病」など。



【用語解説】水俣病
 チッソ水俣工場の排水に含まれていたメチル水銀が魚介類に蓄積、それを食べた漁民らが発病した。昭和7年から微量の水銀が排出されていたとみられ、31年の公式確認以前から症状を訴えた患者も多い。視野狭窄、感覚障害、運動失調などさまざまな症状が表れる。母親の胎内で水銀に侵された胎児性患者も確認された。


【2006/04/30 東京朝刊から】

(04/30 08:41)


もう一件。
水俣病、公式確認あすで50年 患者認定でなお隔たり  2006/04/30 07:13
 空前の水銀禍が人々を襲った水俣病の公式確認から五月一日で五十年。今も体調不良を訴える人は後を絶たず、「患者と認め救済してほしい」という切なる願いと、厳しい患者認定基準を堅持する国の姿勢が対立したまま半世紀の節目を迎える。一日には熊本県水俣市で慰霊式が開かれる。

 八代海一帯に住み、汚染された魚介類を多く食べた潜在的被害者は数万人ともされる。行政から公害健康被害補償法に基づく水俣病患者認定を受ければ、一時金や医療費が支給されるが、これまでに認定されたのは二千二百六十五人(新潟水俣病を除く)にすぎない。

 このほか、一九九五年に打ち出された“政治解決”によって約一万人が、患者と認定をされないまま、医療費などの補償を受けた。しかし、長期の魚介類の摂取により感覚障害や手足のしびれなどの体調不良を訴える人はさらに多い。

 行政の基準よりも幅広く水俣病被害を認めた二○○四年の関西水俣病訴訟最高裁判決をきっかけに、三千七百人以上が認定を申請。千人以上が集団提訴を起こす事態となっているが、国は基準を見直す考えがないことを繰り返し表明している。

 問題が未解決の中で一日午後に開かれる慰霊式。患者や遺族のほか、小池百合子環境相、原因企業のチッソ会長らも参列し、犠牲者の冥福を祈る。
posted by 鷹嘴 at 14:08| Comment(1) | TrackBack(0) | 公害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
(ご迷惑でしたら削除してください)水俣病公式確認から50年という今、青森県の六ヶ所核再処理工場では放射性廃液を太平洋に放出しています。どうかこのことを知って下さい。どうか関心を持ってください。詳しくは以下のリンクを参照してください。

美浜の会
http://www.jca.apc.org/mihama/
再処理・プルサーマルをめぐる動き
http://fukurou.txt-nifty.com/pu2/
Posted by Senza Fine at 2006年05月01日 22:35
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