2006年06月04日

【政治決着「再開」打診へ、与党チームが被害者団体に】

国策の被害者に対して政府が責任を負うのは当然。いくら補償金を積んでも被害者が今まで過ごした時間が戻ってくるわけではないが。
政治決着「再開」打診へ、与党チームが被害者団体に
2006年06月01日14時15分
 自民、公明両党の水俣病問題プロジェクトチーム(PT)は1日、水俣病の未認定者に対して、一時金260万円を支払うことなどを柱とする95年の政治決着とほぼ同様の条件での受け入れを、再び被害者団体に打診する方針を明らかにした。04年の最高裁判決で国と県の責任を認めたため、「二重基準」となっている混乱を打開する策として浮上した。早ければ、来年度から実施したい考え。しかし、あくまで裁判で争う被害者たちは多く、どこまで受け入れられるか不透明だ。
 この日のPTは、熊本県が環境省に提出した、95年並みの政治救済を求めた要請書について検討。座長の松岡利勝衆院議員は会合の後、裁判で国などの責任を求めている原告団だけでなく、認定を受けた患者団体、政治決着に応じた被害者らと話し合う方針を明らかにした。
 来年度予算編成に間に合わせるため、「夏までにできるだけ議論を整理したい」として、07年度から実施したい考えを示した。
 水俣病は、熊本、鹿児島両県でこれまでに約2300人が認定され、原因企業のチッソから1600万〜1800万円の補償金を受けている。
 だが、軽度の未認定者への補償制度がなく、裁判が相次いで提訴されるなど混乱が続いたため、95年、村山富市首相(当時)は「最終的、全面的解決を図る」として政治決着を決断。一時金260万円と医療費全額、療養手当を盛り込んだ救済策を提示。訴訟取り下げを条件に、約1万2千人が応じた。
 だが、あくまで国の責任を追及するとして、関西訴訟団の約50人が裁判を続行。04年、最高裁で未認定患者にも450万〜850万円の賠償金を認める判決が確定。国の認定基準と司法判断の「二重基準」の状態と指摘されてきた。以後、司法基準による補償への期待が高まり、新たな認定申請者や国家賠償訴訟が相次いでいる。
 与党PTは、今回の救済策の提示によって、「二重基準」が原因で起きた訴訟の原告らに事実上の和解を求めたい考えだ。だが、地元では、歓迎する声とともにあくまで司法上の決着を主張する声もあり、被害者らが条件を受け入れるかどうか、流動的な状況だ。


こちらもコピペ。
傷跡なお深く
水俣病の50年<上>

 有機水銀を含んだ廃水の垂れ流しで引き起こされた未曾有の公害事件・水俣病が、発生を公式に報告されて五十年を迎えた。水銀濃度の高い水俣湾口は埋め立てられ、事件を生々しく感じさせるものは目につかなくなったが、いまだに三千人を超える未認定患者が存在する。月日を重ねても癒えることのない患者たちの思いを二回にわたってルポする。 (坂口千夏)
 五月一日午前。患者団体「水俣病互助会」の会員ら約四十人がチッソ水俣本部を訪れた。今年一月、チッソ創立百周年謝恩会のあいさつ状には「(水俣病)問題は終息に向かいつつある」と記してあった。認定申請者が続出する状況などについても同社の考えを文書でただしたが、一つの質問にわずか二、三行という回答は、患者たちにとって「誠意がない」としか受け取れなかった。
 正門脇の守衛室の前で、胎児性患者の坂本しのぶさん(49)が不自由な腕を激しく振り、その面前で回答書を破り捨て、泣きながら声を絞り出した。「あんたたちは、私たちを全然、相手にしとらん。人の気持ちが分かっていない」
 水俣病は当初「感染症の可能性もある奇病」とされたことで被害者が差別される事態を生んだ。
 中学三年で発病した生駒秀夫さん(62)は、視野が極度に狭い。ぎこちない歩き方をからかわれたこともある。地元の商店に買い物に行くと、店員は直接金を受け取らず、生駒さんが出て行った後、はしでお金をつまんでいた。就職は県外に求めざるを得なかった。
 四月三十日に水俣市内で開かれた患者団体主催の集会。水俣病被害を行政が公式確認した第一号患者、田中実子さん(52)を介護する姉(62)は、地元で初めてこの半世紀を語った。
 「伝染するからと近所も親せきも近寄ってはくれんかった。五十年って、何か一言言っとかんと終わりにされてしまう。私たちにすれば、終わりなんてない」。実子さんは今、体重は二十キロ余。夜もほとんど寝ないため、姉も布団には週一回ぐらいしか入らない。集会で心の一端を証言はしたが、今後も表に出るつもりはない。
 一日午後、患者や遺族、行政、チッソ関係者ら千人が参列した慰霊式は、水俣病被害の原点・水俣湾埋め立て地で行われた。九〇年に完成した五十八ヘクタールの広場や親水護岸は、約百五十万立方メートルの高濃度の水銀汚泥を封じ込めながらさまざまなイベントに使用されている。
 水俣湾内の汚染魚の拡散を防ぐために設けられていた仕切り網も九七年秋、撤去された。有機水銀を発生させたチッソのアセトアルデヒド生産施設は既になくなり、事件を連想させるものは目につきにくくなった。そんな水俣の水源をかかえた山腹に、今、民間の産業廃棄物最終処分場が計画されている。
 慰霊式で宮本勝彬市長は「私たちは水銀ヘドロを封じ込めた埋め立て地を既に受けとめている。海に産廃があるのに、今度は山、命の水を生み出す場所に処分場を造るという。歴史を顧みない行為がなされようとしている」と強く非難した。
 未曾有の環境破壊と、集落の離散をもたらした水俣病の教訓は、五十年の月日を得ても過去の歴史にはできない。

■被害者は2万人以上
 熊本県水俣市のチッソ水俣工場が化学原料のアセトアルデヒドの製造工程で有機水銀を含む廃液を長年にわたり排出。その水銀で汚染された魚介類を大量に食べた広範囲の住民が中枢神経を侵される病気になった。
 水俣病は、チッソ水俣工場病院長の報告が出た一九五六年五月に「公式発見」された。現在、熊本・鹿児島両県の認定患者二千二百六十五人。政治決着などによる救済を含め、被害者は二万人以上にのぼるが、実態は分かっていない。
 最高裁は一昨年十月、旧環境庁の水俣病認定基準を緩和する大阪高裁の判断を支持。この判決後、三千人を超える患者が名乗り出たが、熊本、鹿児島県とも国と司法の二重基準に戸惑い、認定審査会さえ開いていない。

傷跡なお深く
水俣病の50年<下>

 生まれた時から水俣病を背負ってきた胎児性患者たちは四十代、五十代になった。自らの体の衰えと、介護してくれる親の高齢化という切実な問題に直面している。これからの生活設計をどう描けばいいのか−。大きな悩みを抱えつつ、安心して暮らせる地域づくりを訴えている。 (坂口千夏)

 胎児性患者の娘(44)と暮らす諌山茂さん(75)=熊本県津奈木町。娘は日常のあらゆる面に介護が必要で、それを妻と分担する。夫婦二人も水俣病認定患者。手足のしびれを抱えながら、娘中心の生活を続けている。
 夫婦二人が仕事を持っていた時、娘を重症障害者施設に入れたことがある。当初はまだ関節を曲げられた娘は、施設ではただ寝かせられるだけ。自宅へ連れ帰った時は「骨と皮だけになって、体は曲がりもせん」。
 「親がおる間はどうにか見ていくけど、この先どうなるかが一番心配」。その不安が娘にも伝わるのだろう。「家内には『お母さん、あんたが逝く時一緒に連れてけ』って…」。おえつしながら、諫山さんは話を続ける。「私らはこれでいい。でも娘が人間らしく生活できる場所がほしい」
 一日、水俣市であった慰霊式。社会福祉法人・さかえの杜(もり)が運営する市内の小規模授産施設「ほっとはうす」に通う、胎児性水俣病患者五人が一語一語を絞り出すように、祈りの言葉を読み上げた。
 「この、五十年は、私たち、の、人生、でも、あります。この、悲劇が、希望と、未来、に、つながる、日まで、私たちは、生き抜きます」
 五人の中に、松永幸一郎さん(42)の姿もあった。ほっとはうすで喫茶の接客を担当し、名刺も作る。小中学校で水俣病や差別体験を語るのも大事な仕事だ。
 脳性まひと診断されていたが、二十歳の時に水俣病認定患者となった。「自分が水俣病だなんて親からも知らされていなかった。申請も父が黙ってやった。だから当時は、認定されてもピンとこなかった」
 他の患者に比べて症状は軽く、自動車免許証も取得し、就職を志した。しかし面接では障害ゆえに何もできないとみなされた。「補償金あるけん、働かんでも」と言われるのがくやしかった。
 何とか二十代半ばの六年間、大分県の車の部品工場で働いたが、腰や足の骨の痛みは、年々ひどくなる。二十九歳で帰郷し、今は一人で暮らしながらリハビリ治療も受けている。
 身の回りには、携帯電話やテレビといった、水俣病の原因企業・チッソがつくる液晶材料などの恩恵を受けた品々があるのも現実。「チッソを憎む気はない。ただ原因が分かっていた時点で何で廃水をとめなかったのか。それが不思議」
 今望むのは、働く喜びを感じながら、地域で自立して暮らせるささやかな日常だ。
 これまで医療事業に力を注いできた環境省は、国や県の責任を認めた一昨年の関西訴訟最高裁判決や水俣病被害者などのヒアリングを踏まえ、本年度から胎児性患者らの生活改善支援に九千九百万円の予算を組んだ。グループホームの整備や日常生活の手助けをする民間団体への財政支援に充てるという。
 一九九八年秋に発足したほっとはうすは、水俣病患者や障害者、高齢者の区別なく地域社会の中で交流しながら働き、可能な限り自立した生活を目指す拠点。施設長の加藤タケ子さん(55)は言う。「障害の状態や程度に応じて、労働や療養ができ、居住などさまざまなサービスが受けられる多機能な施設が必要です」
 経済優先の風潮の中で引き起こされた水俣病は、被害者である患者への差別を生んだ。患者にはその痛手も丁寧にカバーできる体制が必要で、既存の福祉サービスだけでは対応できない側面がある。「そんな水俣だからこそ、経験に基づいた新しい福祉モデルが発信できるはずなんです」

■行き場ない胎児性患者
 胎児性水俣病 妊娠中の母親がメチル水銀を含んだ魚介類を食べ、胎盤を通じて胎児の体内に取り込まれた先天性の中毒症。全介護が必要な重症者、自力歩行ができる軽症者など症状はさまざま。完治は難しく、痛みは対症療法でしのぐしかない。患者数は死亡者も含めて五十人以上とされるが、正確な数は分からない。
 さかえの杜によると、中学卒業後はどこにも行き場がなく、家族と暮らす胎児性患者が「最も多い層」。水俣市内の施設に三十年以上入所している患者も十四人いる。実態すら把握できず、地域で孤立している重症患者とその家族もいるとみられる。
 さかえの杜は、胎児性患者十九人の生活実態を調査。両親・家族が水俣病の被害を受け、本人は肢体不自由、言語障害など複数の障害を負っている。一般就労しているのは現在一人。経験者も六人いるが、いずれも小規模零細企業での不安定な雇用だった。
posted by 鷹嘴 at 02:10| Comment(0) | TrackBack(1) | 公害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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