ってゆうか俺の職場でも人員削減が始まって、いよいよひとごとじゃなくなってきたんですけど・・・
5月18日・19日、自宅でノンビリしてたかったが同居人が「2月のスキー以来どこも行ってないから温泉でもいくべ!」と、早朝から車で連れ出された。関越道方面はいつも行ってるからたまには東北道方面に行こう、ということになった。東北道を走りながら会津を目指すことに決定。毎度の行き当たりばったりの行動だ。
インターを降り猪苗代湖を眺めつつ、会津若松に向かった。そういえば会津は何度か行ってるなあ。10年以上前だけど。
会津村の巨大観音さま。男ばっかりで会津を訪れたとき胎内めぐりしたよなあ。今回も登ったよ。
夜は東山温泉の観光案内所で紹介された大きなホテルに一泊。一般客だけでなく大熊町から避難した方々も受け入れていた。
翌日は新撰組局長・近藤勇の墓にお参りに行った。
ちなみにここには首のみ埋葬されている、とのこと。早乙女貢先生のお墓にもお参りしたよ。
それから飯盛山、鶴ヶ城と定番コースを回った。なんかテレビじゃ会津の観光客激減とか言ってるけど、平日にしちゃ飯盛山も鶴ヶ城もそこそこの人出だったような気がする。飯盛山のお土産店のおばちゃんたちは暇そうだったけどさ。例年はもっとずっと多いのかしら?
鶴ヶ城の近くの、故伊藤正義氏の銅像。碑銘には前福島県知事の佐藤栄佐久氏の名前もあった(この写真は縮めたんで見えないけど)。
「荒城の月」の碑の上の土手を登ってみると、赤い橋と周囲の緑、遠くの山々が何とも言えず美しい。こんな写真じゃ全然伝わってこないけど。
なんかテレビじゃ会津の観光客激減とか言ってるけど、平日にしちゃ飯盛山も鶴ヶ城もそこそこの人出だったと思うけど。いつもはもっとずっと多いのかしら?
帰りの道の駅で買ったお土産。いわき産のトマトも買ったよ。
5月29日は既に書いたが三里塚に行ったよ。
5月31日は夜勤明け。5.20東京高裁大弾圧事件(参考)の勾留理由開示公判が3回に分けて行われるとのことだが、10時30分からの部はモタモタしてたら間に合わなくなった。次は14時45分からなので、ちょっと品川に行ってみた。SYI行動をのぞいてみようと思って。
品川駅での情宣後、バスで東京入国管理局に移動、トラメガで不当な収容を弾劾、それから収容者に呼びかけ。凄かった。一度見に行ったほうがいいよ。
まず入管正面で情宣し、それから裏側に回り、それから右側に回った。
収容者から見やすいように道路の向こう側から
SYIレンジャー!
つーか「SYI」ってなんの頭文字かと思ったら、「収容者 友人有志 一同」なんだって。ムキンポさんのブログに俺の後姿が写ってるよ。「SOS団」みたいな安易なネーミングだな?ちなみに6月26日、原宿で集会&デモが行われるとのこと。
SYI・世界難民の日&難民条約60周年企画
「想像してごらん 入管のない世界を」
そんで、勾留理由開示公判のほうは14時からの公判も間に合わなくなってしまい、16時からの部のみ傍聴できた。
5月20日東京地裁にて、天神峰現地闘争本部裁判控訴審に仮執行処分つきの不当判決が下された。弁護団が仮執行停止申し立てのために16階に出向いたが、不可解なことに裁判長はいくら待っても会おうとせず、そのうちに支援者もこの16階に集まったが、警察権力が介入し「不退去罪」という言いがかりによって50名が弾圧された(参考)。
三里塚芝山連合空港反対同盟の北原鉱治さん(事務局長)、三里塚決戦勝利関西実行委員会の山本善偉さんは、待合室で待機していただけなのに同時に弾圧された。権力はこの2人の高齢者に午前3時まで取調べを行ったという。そして、依然釈放されない38名の勾留理由開示公判が5月30日から6月1日にかけて行われた。
時間ギリギリだったので傍聴券の抽選が行われたのかどうかも分からず、どうせもう締め切りかもしんないけどとりあえず4階に行こうとしたが、何台もあるエレベータが4分の1ぐらいしか動いてないからひどく待たされた。ただでさえこの合同庁舎のエレベータはなかなか来ないのにさ。節電効果はバッチグーだろうね。
425法廷の前に行くと、まだ傍聴券が残っているというので受け取り、かなり待たされてから傍聴席へ。裁判長はのび太を干物にしたようなチビ。弾圧被害者3名は裁判長から住所や氏名を問われても黙秘。すると「では写真で確認します」とふざけたことを抜かしていた。
あきれたことにのび太は勾留延長する理由をまともに説明できない。
「不退去罪」で逮捕した根拠は、裁判所が発した「構外退去命令」に従わなかったからだという。この「構外退去命令」の法的根拠は、「裁判所事務局長の名で退去命令を出していた」というが、その事務局長とやらの名前すら答えられない。
「北側ホールから退去せよ」という命令だったそうだが、裁判所の長い廊下のどこからどこまでが「北側ホール」に当たるのかも、待合室も北側ホールに当たるのかも、答えられない。退去命令がどこように行われたのかも(拡声器などを使ったのか、肉声で叫んだのか)、答えられない。待合室で退去命令が聞こえたかどうかも、答えられない。
また勾留延長の理由は、「不退去罪」が成立するかの判断のため「事前共謀」か「遅くとも現場共謀」が行われていたか調査しするためだろいうが、「明示または黙示の共謀」があったと思われる、というが黙示ってなんだ?レベル2の能力者じゃねえよ。
弁護団は、その「共謀」が命令の前か後かでは意味合いが異なると指摘する。つまり、「共謀」が退去命令の前だったとしたら、「そのうち退去命令が出るから、まだここに留まろう」と判断したことになる。予知能力なんかねえよ。
このような弁護団による的確な指摘に裁判長はまともに答えぬまま、勾留延長が決定(結局38人全員が勾留延長となった)。弾圧被害者3名は住所氏名は黙秘していたが、権力に屈せず闘いぬくことを宣言した。(6月10日、全員が釈放された)
そんで、急いで新橋まで行って反原発デモに参加。
桜田公園から出発し東電前を通過し、桜田公園に戻って解散。充実した一日でしたよ!
6月3日も夜勤明け、一旦帰宅して風呂入ってから、文京シビックセンターで行われた【六・四 天安門事件二十二周年記念集会】に行ってみた。CMLでお馴染みの河内謙策弁護士も登壇し、俺のような戦争責任問題に関わっているサヨもどきには実に耳の痛い指摘を行った。また別記。ムキンポさんのブログに俺の後頭部が写ってる。
6月5日は日比谷公会堂にて国鉄闘争全国運動結成一周年集会が行われ、動労千葉、関西生コン支部など各地の労組、被災地の労働者、4.9和解以降も闘い続ける国労争議団・動労千葉争議団、全国各地で不当解雇と闘う労働者からの発言が行われた。
リーマンショックの際、全国の企業で非正規雇用労働者が不当解雇されたが、3.11以降同じ事態が進行している。正社員の雇用を守る代わりに非正規雇用労働者は解雇するというやり方である。我々労働者は正規・非正規という資本家による分断を乗り越え、団結して闘わなければならない。
ちなみに前段の東電前デモは、寝坊したんで参加できませんでした。行ってみたらデモ隊はもう日比谷公園に集結してるし、いい歳こいて涙目。11日は日勤だから仕事終わり次第新宿に行ってみるか?
2011年06月09日
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