鳥居の巨大さに圧倒されつつ、なぜかビクビクしながら参道を歩いた。別に見ただけで「ネットサヨだ」と分かるわけがないのにね。つーかどう見てもサヨクには見えないだろう。せいぜいアニヲタかw もっとも、この日はこの前の東京地裁で見たような怖そうなお兄さんは見かけなかった。
賽銭箱に10円を投げ入れ、「この世から戦争と軍隊がなくなりますように」と願いつつ手を合わせる。面白いことに軒下には何本もの消火器と消火栓が設置してあった。「過激派が放火するかもしれん」とか警戒してるのかもね?
遊就館の入り口ロビーに飾ってあるゼロ戦。こんなデカイものが宙返りしながら撃ち合うってのもスゲエもんだ?他には泰緬鉄道を走っていたという機関車や大砲が展示してあった。ここまではタダで見れるのだが・・・800円という入場料に悩み、次回のお楽しみとしたw
で、昨日は北京で靖国神社についてこのような会談が行われたという。
中国側、「分祀論に注目」 訪中の古賀・遺族会会長につーことは中国はもしA級戦犯の「分祀」が行われれば、首相が靖国参拝しても批判しないんだろうか?そりゃ批判するもしないも中国の勝手だが、首相の靖国参拝問題はそれで済む問題じゃねえと思うぞ。俺は中を見てないけどさ(笑)、遊就館に行けば靖国神社とはどういう所かよく分かると思うぞ。
2006年07月19日18時51分
中国を訪問中の古賀誠・元自民党幹事長(日本遺族会会長)は19日、北京市内で中国共産党の王家瑞(ワン・チアロイ)・対外連絡部長と会談した。王氏は古賀氏が靖国神社に合祀(ごうし)されたA級戦犯の分祀検討を提言していることに触れ、「分祀論に注目している。日本国内で受け入れられるのであれば、一つのいい方向だ」と期待を示した。
王氏は、「日中関係では靖国問題が一つのネックになっている。戦没者への慰霊という意味合いはわかるが、戦争を引き起こした人と一般の人々とを混同してはならない」と指摘した。
この後、古賀氏は同市内で武大偉(ウー・ターウェイ)・外務次官とも会談。古賀氏は北朝鮮の核、ミサイル、拉致問題について協力を要請。武氏は「6者協議の枠組みの中で努力していきたい。当面なかなか(進展は)難しいが、水面下の努力を積み重ねていくことが必要だ」と答えた。
で、それを分かっていないまま死んだバカの発言で世間は大騒ぎしている模様。
昭和天皇「私はあれ以来参拝していない」 A級戦犯合祀朝日なんかは「ほれ見ろ、ヒロヒトでさえA級戦犯合祀に批判的だったじゃねえか!」と言いたいんだろうけどさ・・・よくぞヒロヒトがこういうセリフを吐けたもんだと呆れるね。自分は裁かれなかったが東條らは処刑されても当然だったと思ってやがったんだろうか?
2006年07月20日11時12分
昭和天皇が死去前年の1988年、靖国神社にA級戦犯が合祀(ごうし)されたことについて、「私はあれ以来参拝していない それが私の心だ」などと発言したメモが残されていることが分かった。当時の富田朝彦宮内庁長官(故人)が発言をメモに記し、家族が保管していた。昭和天皇は靖国神社に戦後8回参拝。78年のA級戦犯合祀以降は一度も参拝していなかった。A級戦犯合祀後に昭和天皇が靖国参拝をしなかったことをめぐっては、合祀当時の側近が昭和天皇が不快感を抱いていた、と証言しており、今回のメモでその思いが裏付けられた格好だ。
メモは88年4月28日付。それによると、昭和天皇の発言として「私は 或(あ)る時に、A級(戦犯)が合祀され その上 松岡、白取(原文のまま)までもが 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」と記されている。
これらの個人名は、日独伊三国同盟を推進し、A級戦犯として合祀された松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐伊大使、66年に旧厚生省からA級戦犯の祭神名票を受け取ったが合祀していなかった筑波藤麿・靖国神社宮司を指しているとみられる。
メモではさらに、「松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々(やすやす)と 松平は平和に強い考(え)があったと思うのに 親の心子知らずと思っている」と続けられている。終戦直後当時の松平慶民・宮内大臣と、合祀に踏み切った、その長男の松平永芳・靖国神社宮司について触れられたとみられる。
昭和天皇は続けて「だから私(は)あれ以来参拝していない それが私の心だ」と述べた、と記されている。
昭和天皇は戦後8回参拝したが、75年11月の参拝が最後で、78年のA級戦犯合祀以降は一度も参拝しなかった。
靖国神社の広報課は20日、報道された内容について「コメントは差し控えたい」とだけ話した。
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《「昭和天皇独白録」の出版にたずさわった作家半藤一利さんの話》メモや日記の一部を見ましたが、メモは手帳にびっしり張ってあった。天皇の目の前で書いたものかは分からないが、だいぶ時間がたってから書いたものではないことが分かる。昭和天皇の肉声に近いものだと思う。終戦直後の肉声として「独白録」があるが、最晩年の肉声として、本当に貴重な史料だ。後から勝手に作ったものではないと思う。
個人的な悪口などを言わない昭和天皇が、かなり強く、A級戦犯合祀(ごうし)に反対の意思を表明しているのに驚いた。昭和天皇が靖国神社に行かなくなったこととA級戦犯合祀が関係していることはこれまでも推測されてはいたが、それが裏付けられたということになる。私にとってはやっぱりという思いだが、「合祀とは関係ない」という主張をしてきた人にとってはショックだろう。
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靖国神社への戦犯の合祀(ごうし)は1959年、まずBC級戦犯から始まった。A級戦犯は78年に合祀された。
大きな国際問題になったのは、戦後40年目の85年。中曽根康弘首相(当時)が8月15日の終戦記念日に初めて公式参拝したことを受け、中国、韓国を始めとするアジア諸国から「侵略戦争を正当化している」という激しい批判が起こった。とりわけ、中国はA級戦犯の合祀を問題視した。結局、中曽根氏は関係悪化を防ぐために1回で参拝を打ち切った。だが、A級戦犯の合祀問題はその後も日中間を中心に続いている。
昭和天皇は、戦前は年2回程度、主に新たな戦死者を祭る臨時大祭の際に靖国に参拝していた。戦後も8回にわたって参拝の記録があるが、連合国軍総司令部が45年12月、神道への国の保護の中止などを命じた「神道指令」を出した後、占領が終わるまでの約6年半は一度も参拝しなかった。52年10月に参拝を再開するが、その後、75年11月を最後に参拝は途絶えた。今の天皇は89年の即位後、一度も参拝したことがない。
首相の靖国参拝を定着させることで、天皇「ご親拝」の復活に道を開きたいという考えの人たちもいる。
自民党内では、首相の靖国参拝が問題視されないよう、A級戦犯の分祀(ぶんし)が検討されてきた。いったん合祀された霊を分け、一部を別の場所に移すという考え方で、遺族側に自発的な合祀取り下げが打診されたこともあるが、動きは止まっている。靖国神社側も、「いったん神として祭った霊を分けることはできない」と拒んでいる。
ただ、分祀論は折に触れて浮上している。99年には小渕内閣の野中広務官房長官(当時)が靖国神社を宗教法人から特殊法人とする案とともに、分祀の検討を表明した。日本遺族会会長の古賀誠・元自民党幹事長も今年5月、A級戦犯の分祀を検討するよう提案。けじめをつけるため、兼務していた靖国神社の崇敬者総代を先月中旬に辞任している。
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《靖国神社に合祀された東京裁判のA級戦犯14人》
【絞首刑】(肩書は戦時、以下同じ)
東条英機(陸軍大将、首相)
板垣征四郎(陸軍大将)
土肥原賢二(陸軍大将)
松井石根(陸軍大将)
木村兵太郎(陸軍大将)
武藤章(陸軍中将)
広田弘毅(首相、外相)
【終身刑、獄死】
平沼騏一郎(首相)
小磯国昭(陸軍大将、首相)
白鳥敏夫(駐イタリア大使)
梅津美治郎(陸軍大将)
【禁固20年、獄死】
東郷茂徳(外相)
【判決前に病死】
松岡洋右(外相)
永野修身(海軍大将)
もし「平和に対する罪」で戦争指導者が裁かれるのが正しいことだったとすれば、真っ先に裁かれなければならないのはヒロヒト自身だろう。あいつはただの飾り物だったわけじゃなく、戦争遂行に係わり、終戦を遅らせたのである。そもそもヒロヒトは旧日本軍を統べる「大元帥」であり、奴の「詔」によって戦争が行われたのである。ヒロヒトに戦争責任が無いとすれば、パロマの社長にもシンドラーエレベーターの社長にもヒューザーの社長のオジャマモンにも、それぞれの社の起した重大な不正について責任が無い、ということになる。
東京裁判の被告の一人だった大川周明という右翼の指導者は、この裁判で陸軍関係者に責任が負わせられようとしていることについて、
「いずれにせよ、戦争は東条一人で始めたような具合になってしまった。誰も彼も反対したが戦争が始まったというのだから、こんな馬鹿げた話はない。日本を代表するA級戦犯の連中、実に永久の恥さらしどもだ」と、日記に書いたという(吉田裕/著「昭和天皇の終戦史」P-195)。この裁判は、ヒロヒトは戦争に関係が無い、というような具合になってしまったのである。そしてヒロヒトは生き残り、後に「A級戦犯合祀」に腹を立てていたのである。こんな馬鹿げた話はない。
A級戦犯を祀ってあるかどうかなどとは関係無く、靖国神社は現在でも侵略戦争を賛美する団体であり、天皇制は侵略戦争を推進した機関であり、ヒロヒトはその戦争の責任者の一人である・・・ことを本人が自覚していなかったのは残念だが、外野はしっかり指摘してあげるべきではありまへんか?
それから、野党がこのヒロヒトの発言を持ち上げるのも政争の道具として当然だろうが・・・情けないもんだね。
民主・小沢代表「昭和天皇は偉い方」 靖国発言メモで
2006年07月20日19時58分
「昭和天皇は本当に偉い方だったんだなあ。大御心だなあ」。民主党の小沢代表は20日、記者団にこう語った。小沢氏は最近でも「戦死ではない人たちが靖国神社にまつられること自体が間違いだ。天皇も堂々と参拝できるような本来の靖国神社にすべきだ」との持論を繰り返していた。
超党派の国会議員でつくる「国立追悼施設を考える会」の呼びかけ人でもある民主党の鳩山由紀夫幹事長も「A級戦犯合祀(ごうし)が理由で天皇陛下が参拝されていないことが、証拠として示された意義は大きい」と語った。小泉首相に対しては「自分だけの意思で軽々に(参拝する)というのは許されない。この事実を重く受け止めて頂きたい」とくぎを刺した。
共産党の志位委員長は「『靖国史観』派のシナリオが破綻(はたん)し、参拝を繰り返してきた小泉首相の主張に道理がないことを浮き彫りにするものだ。首相の参拝中止を改めて強く求める」との談話を発表した。社民党の又市征治幹事長も「昭和天皇の意思が資料で裏付けられた。戦争の反省と平和の希求という気持ちが表れた言葉だと思う。政府・与党がどう受け止めるのか注視したい」との談話を出した。
関係ない話だが・・・靖国神社のすぐそばに朝鮮総連と法政大学があるというので寄ってみた。本当にすぐそばだった(笑)
この写真の右手は法政大学、左手は(写ってないが)朝鮮総連。お巡りさんたちが集合しているが右翼は現れず。
続いて法政大学の出入口付近も見学。やはり警備のオッサンと不気味なプレートが貼り付いていた。
ここの反対側の校門は学生の出入りが多く、学生証のチェックも行われていなかった。そのうち警備のオッサンが交代時間になったのか、どこかに引っ込んでしまったw
責任は自分がとるので、国民を助けてほしい。」
と語り、マッカーサー元帥を大いに感動させた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87#.E6.88.A6.E4.BA.89.E8.B2.AC.E4.BB.BB
http://d.hatena.ne.jp/Schwaetzer/?of=0
>煽り手としては、たとえ「天皇抜き」でもそれで自己の主張は広まって、政治勢力として確保しうるんだから、それでいいんです。「天皇」の代わりに「国家」でカモフラージュしてるだけなんだけど、煽られ組はそこまで考えてないし、自覚がない。「自存自衛」という言葉の使い方と天皇とのつながりなんてピンきやしないし、天皇の発言と靖国は無関係だとか本気で考えちゃいかねないわけだ。結果的に、煽り手の主張如何によって、「天皇」を好きなように利用することができる。
>何度書いてみたっていいんだが、「皇室典範改正のときに三笠宮発言を擁護して朝日を茶化した連中が、なんで今度のメモを無視できるのさ」って。これが本質じゃーなかろうかと思うんだな。
「天皇」と「日本」をわざと曖昧模糊にしておいて
いざという時には「天皇」のために「日本」を使い
またある時には「日本」のために「天皇」を使うわけですな。
銀河英雄伝説でラインハルトの策略にのってしまった救国軍事会議の連中そっくり。