2011年09月16日

中華民國の旅(2) 二二八事件を語り継ぐ

 (1)の続き。この旅行の幹事である同居人の計画では、9月14日は有名な観光地である九份(Jiufen)を訪れる予定だが、その前に「白色恐怖政治受難者紀念碑」と「台北二二八紀念館」に行ってみた。MRT台大醫院站を降り二二八和平公園を抜けてすぐ。



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 総統府のすぐ手前、でっかいモニュメントが目印。

 碑文(北京語及び英語)によると、
 「1949年5月20日から1987年7月14日までの戒厳令の期間及びその前後、政治弾圧が行われ多くの人々が人権を奪われ自由を失い、逮捕・処刑された。1990年代以降、私たちの血がにじむような努力によって、自由民主的な社会が形成された。
 人権を保障し、社会の公平・正義を追及することは民主国家の基本である。我々はこの歴史を教訓として、歴史の真相を求め、責任を追及し、民主・自由・人権を尊重する国家を求めるため、この碑を建立した」


・・・という意味のようだ。中国共産党の指導部に読ませたいねえ。つーか俺は北京語どころか英語もサッパリだから、碑文を撮影してあるからご希望なら原寸サイズの画像(2.25MB)を送付しますよ。

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 その真後ろには台湾総統府。「白色政治」を行っていた方々の本拠地だよな。


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 ちなみに公園の木にリスみたいな哺乳類が登ってたぞ。


 続いて、前日はお休みだった台北二二八紀念館に行ってみた(二二八和平公園の中、台大醫院站を降りてすぐ。入場は10時から17時まで、休日の翌日は閉館。入場料はたしか20元くらい)。ボランティアのガイドさんが日本語で丁寧に教えてくれたよ。

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 隣に喫茶店、その先に事件の被害者の写真。

 二二八事件とは何かというと・・・この記念館で購入した「台北二二八記念館の常設展示特集」(100元)と、ガイドさんの説明を総合して書いてみる。


・・・日本の敗戦後、国民党政権が台湾を支配したが政治の主要なポストは「外省人」が占めていた。「行政長官公署の21名の高級幹部のうち台湾籍はわずか1人」で、「17名の県・市長のうち、台湾人はわずか3名」。国民党政権は「台湾人が国語に通じていない」などと称して台湾人に参政権を与えていなかったのである。また同じ理由で上級公務員も多くは外省人であり、台湾人登用の門戸は狭かった。
 当時の台湾社会は日本の敗戦による軍需産業の消滅によって経済が停滞し、インフレが進み民衆は苦しんでいた。しかし政府は日本統治時代のタバコや酒の専売制度を引き継いで利権を奪い、官僚らは賄賂を求める習慣を大陸から持ちこんだ。民衆は国民党政府の台湾「接収」を「奪略」だと非難したという。軍や警察の規律も乱れ、(ガイドさんによると)日本統治時代のほうがまだ社会が安定していたという。失業者も多く、違法と知りつつ闇タバコの販売をして食いつなぐ人々もいた。
 また行政長官の陳儀は、祖国復帰1年後に日本語の新聞・雑誌を廃止すると宣言したが、これは台湾の実情を顧みない措置だった(言うまでもなく台湾人は終戦直前まで日本語を強制されていた。自然と日本語に慣れ親しんでいたのは当然である。日本が台湾で漢文の新聞を廃止したのが植民地支配開始から42年後の1937年だったという)。こうした状況から、日本帝国主義の植民地支配からの解放を喜んだ台湾人の失望感は強まっていた。

 そして1947年2月27日夕方、台北市内で事件が起こった。日本兵として出征した夫を亡くし闇タバコ販売で生計を立てていた女性が、専売局の密売取締官に逮捕され、現金と商品を没収された上に銃で殴打された。これを見ていた群集が抗議したところ、取締官は威嚇発砲し(ガイドさんの話によると)なんと道路に面した建物から見物していた全く無関係な市民を射殺してしまった(専売局の密売取締官が銃を携行するのは禁止されていた)。これに怒った群集は警察当局に押し寄せ加害者の逮捕を要求した。
 翌日(2月28日)は早朝から群集が集まり、加害者の処罰・専売局長の辞任・陳儀の辞任を求めるデモ行進が発生。専売局では倉庫にあった酒・タバコ・マッチがデモ隊のよって焼かれた。長官公署にも「打倒陳儀」を叫ぶデモ隊が押し寄せたが、3階のベランダから憲兵隊が機銃掃射を始め犠牲者が出たという。これによって民衆の怒りはますます燃え上がった。
 そしてデモ隊は台湾放送局(現在、二二八記念館が建つ場所にあった)に乗り込み、事件を報道するように要求。こうして台北中心部で発生した蜂起は瞬く間に台湾全土に拡大した。陳儀は戒厳令を布き軍事力によって制圧しようとしたが、中部地区では台湾共産党が「人民大隊」を組織し市庁舎や政府機関を襲撃するなど、各地で内戦状態の様相を呈していた。

 台北市参議会はこの混乱を収拾するために、3月1日に「タバコ密売取締役人事件調査委員会」を設置し、長官公署に対し戒厳令の解除、逮捕者の釈放、軍・警察の発砲禁止などを要求した。陳儀はこの要求を受け入れると表明し、「タバコ調査委員会」に政府代表を加えた「二二八事件処理委員会」が設立された。処理委員会は長官公署に、事件に関与した者を追及しないこと、逮捕者の釈放、地方首長の直接選挙の実施、汚職官僚の一掃、専売制度の撤廃などを要求した。3月7日に処理委員会が提示した「四十二項目の要求」は、「孫文の建国大綱」の理想を実現しようとするものだった。

 しかし陳儀らは処理委員会との交渉に応じつつも密かに大陸の蒋介石に援軍を要請していた。国民党軍が基隆に上陸すると陳儀は態度を一変し、処理委員会を解散させた。処理委員会などの改革派は「奸党」「暴徒」と見なされ、軍法の「謀反の罪」だとして逮捕、銃殺された。
 国民党軍は圧倒的な軍事力で民衆を虐殺した。基隆港では、大勢の捕虜が目隠しされ、足首と手首に針金を通され、機銃掃射を受け海に叩き込まれた(偶然針金が外れたため銃撃の前に海に飛び込み助かった林木杞さんの証言でこの虐殺事件が明らかになったという)。政府は全土を鎮圧すると、さら政治改革を要求した者たちにあらぬ罪を着せて弾圧し、蜂起に関与した者を投獄し、あるいは監視下に置いた。俗に言う「エリート層」も大勢が事件に関与したとして虐殺された。犠牲者は1万8千人から2万8千人に上るという。
 これ以後も国民党政権による圧制が続いた。「白色恐怖政治」時代の到来である。1987年に戒厳令が解かれ、「二二八和平日促進会」が「平反」(再評価)運動を開始し、ようやくこの大虐殺・大弾圧事件の解明が始まった。

・・・以上が二二八事件のあらまし。蛇足だが館内には、「二二八事件元凶蒋介石」という横断幕を抱えたデモ隊の写真もあった。しかし、勘違いしちゃならんが国民党政権の支配が始まる前、つまり日本統治時代がパラダイスだったわけじゃない。たとえば1896年の法律第63条(参考)は、「台湾総督に行政特権が与えられ、管轄区内に命令を公布できるというもの、つまり行政命令が法律に取ってかわることができるもの」だった。それこそ知事や市長が「反原発デモ禁止!」ってゆう条例を勝手に作れるような、トンデモないものだ。この悪法の廃止を請願する「六三法撤廃運動」や議会設置請願などの民主化運動は、「内地」同様にことごとく弾圧され潰されていた。台湾人は「二等国民」のままだったのだ。
 1935年は初の地方自治選挙(地方自治体首長の半数が民選になる、という程度のもの)が行われたが、既に15年戦争が始まっていた。1936年に台湾総督になった小林躋造は台湾の「皇民化、工業化、南進基地化」を宣言した。つまり台湾民衆を侵略戦争に動員するために、日本語を作れ、日本風の名前に改名しろ、固有の信仰を捨て神社に参拝せよ、天皇を崇め!と強制する時代が始まったわけだ。そして経済統制、増税、物資徴用、勤労奉仕によって民衆の生活はさらに苦しくなった。

 1945年の日本敗戦・台湾解放・祖国復帰を民衆は喜んだが、その期待感があった分、国民党政権の腐敗ぶりに絶望したというわけだ。かつ、上記の「六三法撤廃運動」などの日本統治時代の民主化運動の流れの中に、二二八事件の民主化要求があったという。要するに台湾人民は民主化のために1945年の前も後も闘ってきたわけだ。
 それにしてもこの記念館が建つ公園は台北の中心地にして総統府の目の前、日本で言えば日比谷公園みたいなもんだよな。ちょっと歩けば蒋介石を英雄と称える國立中正紀念堂がある。
これを日本で例えてみれば、日比谷公園の中に平和記念館があって、関東大震災のときの朝鮮人大虐殺とか横浜事件とか樺美智子さん虐殺とかの展示があって、昭和天皇裕仁の戦争責任にも言及してるようなもんだよな?つーかそれが正常だと思う。やっぱ日本人って過去の反省とか過去から学んだりしねえよな。原発再稼動とか言ってるし。ともかくこの二二八記念館はとても勉強になるから、台北を訪れた際には是非見学して欲しい。

 帰り際に、懇切丁寧に教えてくれたガイドさんが「総統府行ってないの??台北まで来てもったいないよ。平日の午前中、パスポート持っていけば1階だけ見学できるよ」というので、どうにか時間を作って見学しようと思った。
 それから公園内の国立博物館を見学し(ここもたしか入場料20元くらい)、台北站まで歩いたが大した距離じゃないのにかなり迷い、台北站の中でもかなり迷い、「鐵路」で瑞芳(Ruifang)站へ、そして路線バスで九份(Jiufen)へ。腹減ってきたなあ。 (つづく)
posted by 鷹嘴 at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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