2011年10月08日

【記事切抜き】原発労働の実態 2

 原発労働についての記事切り抜きの、やっと続編。放置してたせいで古いネタばかりになっちまった。週刊現代4月30日号「原発 このとんでもない現場」より引用。元原発労働者たちが現場の実態を明かしている。


 梅田隆亮さん(75)は鉄工所で溶接工として働いていたが、1979年に日立プラント建設鰍フ孫請け「井上工業」(既に倒産)に誘われ、島根原発や敦賀原発、で定期検査に伴う作業に従事していた。梅田さんが直面したのは労働者の健康など無視する原発労働の実態だった。
 「放射線を無視して仕事をするから、予定通り進行するんです。厳密にしよったら、定期検査が予定の2ヶ月で終わらず、何ヶ月もかかってしまう。仕事第一ですから、安全がおろそかになるのは必然です」
 炉心の周りの鉛で出来た遮蔽板に生じた亀裂を溶接して埋めていく作業などを行っていて、アラームメーターが鳴り始めると一旦その現場から離れなければならないので「全然工事がはかどらない」。
 「だから、わしらの間で“鳴き殺し”が通例になっていました。現場で最も年老いている作業員に皆のアラームメーターを預け、放射線量の低い場所の階段に座らせておくんです。『おじさん、頼むよ』って。そうすれば、静かな環境で長時間仕事ができる。現場監督もノルマを達成させるために見て見ぬふりをするし、頼まれたおじさんも、座っているだけで日当が出るんですから、喜んで引き受ける。普通は現場に食べ物は絶対に持って入れないんですけど、そのおじさんは飴やお菓子なんかを食べながら、大人しくしていましたね」
 何度も言うが労働者は、やってはいけないと分かっていることをやってしまうこともある。上長から厳しく戒められているのに、重大な労働災害を起しかねないことを百も承知なのに、あえて規則を破らざるを得ないこともある。ノルマを達成するため、仕事を失いたくないためだ。これを理解できないのなら何も言ってほしくない。
 そして会社側は見て見ぬふりをし、もし事故が起これば「安全作業を指示していた」「規則を破ったのは労働者個人の責任だ」と開き直り、責任を逃れるのだ。
 「原発内はとても熱く、湿度は80%もあるんです。15分もいれば汗が吹き出してくる。顔全体を覆うマスクをすると息と熱で曇ってよく見えない。でもガス切断機でパイプを切ったり溶接したりするので、マスクが曇ったら仕事になりません。だからみんなマスクをはずして作業していました。
 敦賀原発の炉心近くで作業をしていたとき、あるパイプから冷風が吹き出しているのを見つけたんです。暑いもんだから、みんなマスクを外したままその風に当たって『いい気持ちだなあ』と涼んでいました。ところが、ひょっと横にあった放射線計を見ると、高い放射線レベルが表示されていた。ビックリして、すぐに逃げたことがあります」
「それに、手袋を何重にもしていましたが、ビスを抜くといった細かい作業がそれでできるわけがない。手袋を外して、素手でやってました」
 試しに軍手をはめてパソコンの裏ブタのような細かいビスをドライバーで外してみたらいい。まどろっこしくて軍手をとりたくなるだろう。電気や機械関係の仕事の経験のある人なら分かるはず。でかいレンチでボルトを緩めるような作業ならともかく、細かい作業は手袋をしていたらやりにくくビスを落とすようなミスも起しやすい。真面目に手袋をつけていたら作業進捗が遅れ、元請会社から契約を解除されるだろう。
 「梅田さんの手の甲は黒く焼け爛れたような痕があり、皮膚が所々隆起している。皮膚がんの疑いがあるという」
 このように原発の維持とは労働者を被爆させ命を縮めることが前提なのである、この一点だけでも、全ての原発を即時廃炉にしなくてはならない理由が成り立つ。

 川上武志さん(64)は70年代後半から8年間ほど伊方、美浜、女川、玄海、福島第一などで定期検査作業に携わっていた。「定期検査の作業員は放射線を浴びるのが仕事ですから」
 福島第一原発の核燃料プールの除洗作業は、一辺20mほどの正方形、深さ7〜8m、垂直に降ろされたハシゴで底まで降り、「プールの内側の側面をデッキブラシで磨いたり、ぞうきんがけをするんです」。7〜8人のグループで作業し、数十分作業したら交代するが、
「またその7〜8mのハシゴを上っていくのが大変なんです。安全ベルトをしているものの、防護服を着ているから動きにくいし、冬場でも40℃を超える暑さで意識が朦朧としてきます。手や足を滑らせて落下することは日常茶飯事でした」
 川上さんは玄海原発で、蒸気発生器内の傷の有無を調べる「ロボット」を取り付ける作業を任された。「ロボット」を用いるということは、恐らく核燃料の熱を吸収する一次冷却水が通る部分であろう。
 普通の作業着2枚重ね、防護服も2枚重ね着し、「エアラインマスク」を被り、襟や袖をビニールテープで巻かれた。
 (蒸気発生器の下部入口に近づくと)「激しい耳鳴りがしました。でも、私が拒否できる立場にあるはずもありません。ここで断れば、その後の仕事がもらえなくなってしまうので必死でした」。
 (中によじ登ると)「グワーンと頭が激しく締め付けられ、かなりテンポの速い読経のような音がガンガン耳奥で鳴り響いていました」。
 頭上に障害物があるので首を横にしながら先に入れてあったロボットを慎重にセットし、「オッケー!と大声で叫び、慌てて外へ飛び出ました」。作業時間は僅か15秒だったが川上さんの被曝量は180ミリレム(1.8ミリシーベルト)、1時間なら432ミリシーベルトになる。

 前出の梅田さんによると、定期検査にはこのような放射線量の極めて高い区域で作業する「特攻隊」が雇われるという。通常の7倍ほどの日当(7万円ほど)が出るというが、作業の前に「もし何かあっても、自分の国民健康保険で治療を受けます」というような念書を書かされるという。
 しかし梅田さんは、もしも「きちんとした安全教育」が行われていれば、「いくら高収入でも人は集まらなかっただろう」と語る。
 「放射能の危険性なんてこれっぽちも」教えられず、アラームメーターについても「ピーっと鳴ったらしばらく休憩して、鳴り収まったらまだ作業を始めて下さい。原発の中の規定なので」と教えられただけで、なぜ鳴るのか、何のための器械なのかも「全く教えられなかった」。
 川上さんは全国各地の原発を転々としたのち浜岡原発で5年間働いたが、「この安全教育の実態は、30年前からあまり変化していない」と語る。「安全教育の最大の目的は、労働者の不安や恐れを取り除くこと。洗脳ですね」
 たとえば、
 「国の被曝許容範囲内でやっているから絶対に大丈夫だ、安心して働きなさい」
 「アメリカの学説によると定量の放射線にあたると体にいいんだ」
 「原発に反対している連中が、放射線の影響でがんや白血病になると騒いでいるが、あれは嘘だ」

 などと出鱈目大嘘を教え込むという。
 もちろん「労働者が口を挟むことは絶対に許され」ず、下手なことを言えば「即刻退場」、どこの原発でも働けなくなるという。

 こうして電力会社は労働者を洗脳し、欺き、被曝を強制しているわけだが、川上さんによると原発に労働者が集まる理由はもう一つあるという。
 「現場にもよりますが、働くのは午前午後合わせて4時間にもならない。作業着の脱着にけっこう時間がかかりますが、それ以外の時間は待機所でタバコを吸ったり、ジュースを飲んだり気楽なものです」
 これで日当1万円、ある意味おいしい仕事かもしれない。しかも定期検査のときの宿泊代も自己負担することはない(当たり前だが)。
 「けっこういい生活を送れるので、一度慣れてしまったらなかなかやめられないんです」
・・・たとえば俺がやってるビル管理という仕事、給料は安い割に夜勤はあるし土日祝日も盆暮れ正月も関係なし、高所作業もあれば電気や蒸気など危険な物も扱い、汗まみれ油まみれ汚水まみれになる3Kな仕事だ。人に話せばよくそんな仕事やってんな、という顔をされる。
 しかし定期業務を済ませて修理作業やトラブルが無ければ監視操作卓の前でボケッと座っているだけ、テレビを見たり携帯をいじって時間を潰す。会社によりけりだがカレンダーと同程度の日数の休みがある。夜勤明けの日は朝に退社して家で寝るのも遊びに行くのも勝手だが勤務日数に数えられる。嫌な面もあるが楽な面もあり、他の業界に転職するのも億劫なので、なんとなく続いているわけだ。しかしこの業種で放射能を浴びるような現場は滅多にないだろう。
 それこそ全ての労働者が被曝の危険性を理解し危険な作業を拒否すれば原発は無くなるだろうが、そんな簡単に事は運ばない。労働者は賃金待遇や仕事の内容に多少不満があったとしても、基本的に転職を好まず、同じ仕事を続けようとする。転職する場合も普通は同一の業種内だ。新しい仕事を一から覚えるよりも、慣れた仕事を続けたほうが楽に決まっている。全ての業種の労働者に共通して言えることだが、これを原発屋どもが悪用しているのだ。 (つづく)

 補足になるが、10月6日東京新聞【こちら特報部 元原発作業員が語る実態】に川上武志さんの話が出ている。川上さんの累積被曝量は27.17ミリシーベルト、ということになっているが、この数値は正確ではない。多くの原発労働者と同様、川上さんも放射線管理区域で線量計を外して作業したことが何度かあるためだ。
 1983年の美浜原発では、元請会社の監督者から、首にかけていた線量計を外すように言われ、全員が従った。「定められた被曝線量を超えてしまうと、以後、仕事ができなくなってしまう。私以外は、監督者も含めその時点で既に上限ぎりぎりだった」
 川上さんはその時点の被曝線量に余裕があったが、「一人だけ拒否して、密告するのではないかと疑われるのが嫌だった」ため、素直に従った。その後もこの原発では4回も、線量計を着けずに管理区域内で作業することがあった。
 「外して作業するのは特別なことではなく、とても拒めるような雰囲気ではなかった」

 その後川上さんは2009年に大腸癌を発症し、手術後の経過は良いという。現在は労働基準監督署に労災を申請し、結果を待っている。
 前述のように川上さんが原発労働から離れられなかった理由の一つに、一日の実質作業時間の短さがあり、被曝についての無知があった。現場を移るたびに2日間の安全教育を受けたが、「決められた範囲内であれば被曝しても安全だとひたすら繰り返し、作業員を洗脳するための時間だった」。川上さんを含めて作業員たちは放射線の恐ろしさをまるで理解していなかった。川上さんは安全教育で、電力会社の社員が「低線量の放射線は害ではなく、むしろ健康のためによいと言われています」 と語っていたことを、鮮明に憶えているという。

 川上さんは1986年に一度この仕事を離れ、2003年からは浜岡原発で働き始めた。このブランクの期間にチェルノブイリ原発事故や東海村JOC臨界事故があったが、現場の雰囲気は以前と変わっていなかった。元請け会社の社員にチェルノブイリについて尋ねると「日本は管理体制がしっかりしていて技術者の質が高く、炉の形式も異なる、日本では絶対に起きない」の一点張り。
 「大地震にも耐えられると言われた通りに、みんな信じ込んでいた。能天気で、原発の安全性を疑う人は現場にいなかった」。
 そういえば俺も昔東芝府中工場で原発に納入する盤の試験検査を短期間手伝ったが、導入教育のときに東芝の社員が「チェルノブイリみたいなメルトダウンなんて起きるわけがない」って力説してたな。
 川上さんは08年に退職したのちも御前崎市に住んでいる。現在も浜岡原発で働く元同僚は川上さんに「福島は特殊な例。浜岡は該当しない」と言い切ったという。そういう甘い認識が人類史上最悪の原発事故を起したんだけど。
 「原発の運転は、定期検査などに作業員の被爆なしでは成り立たない。その危険性を認識していたら、あんな現場では誰も働きたがらないはず。十分な知識を与えられていない人たちが支えている構図は、今も変わっていないのではないか」

posted by 鷹嘴 at 16:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 原発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
宣伝です…
「未来」(革命的共産主義者同盟再建協議会機関紙)第90号にも、原発労働者のインタビュー記事が掲載されております。シリーズものとして続くようです。
Posted by あるみさん at 2011年10月08日 19:06
こちらですね。
http://kakukyodo.jp/mirai1190.htm
貴重なインタビューですね。参考にさせていただきます。それにしても原発労働は恐ろしいものです。
Posted by 鷹嘴 at 2011年10月09日 23:41
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