また海軍の指導の下に慰安所が設置され、多くの女性を拉致監禁することで運営されていた。
農村に住んでいた陳亜扁さんという女性は、1941年、14歳の時に水田に出ていたところを日本兵に拉致され、村内の日本軍の営舎の近くの狭い部屋に監禁された。昼間は米に混ざった小石を取り除く作業をさせられていたが、二日目に日本兵に強姦された。それ以来継続的に強姦され、3ヶ月後には「藤橋」という街に連行されて慰安所に入れられた。そこで2年間ほど日本兵に強姦され続けたが、金を貰ったことは一度もなく、なにかにつけて殴られた。その後最初に監禁された営舎に戻され、同じように毎日強姦され続けた。終戦後も連れ戻されることを恐れて山中に潜み、母が運んでくれる食事で飢えを凌いでいた。
その後結婚し、9回妊娠したが8回も流産し、9回目に病院に入院して出産することができた。夫が亡くなってからは戦時中の悪夢に脅かされることが多くなり、「PTSD」の症状が出ている。
陳さんら被害者8名は2001年7月、日本政府を相手取って裁判を起した。13回もの口頭弁論を経て今年3月に結審し、判決を待つことになった。
昨日(8月30日)午後3時、東京地裁にて「平成13年(ワ)第14808号謝罪文交付等請求事件」の判決が下され、原告の全面敗訴となった。陳さんら日本軍の性奴隷にされていた被害者による、日本政府への賠償と謝罪文の交付などの請求が一切拒否されてしまったのである。この裁判の詳細についてはハイナンNETを参照のこと。
この日もハイナンNETの皆さんが地裁前でビラ配りなど情宣活動をしていた。開廷の20分ほど前から傍聴券の抽選のために長蛇の列を作り(なぜかまた当選してしまった!)、傍聴席の多い103号法廷に入り、開廷直前には「許可を得たテレビ局が撮影を始めますので、差し障りのある方は申し出てください」と告げ、全員黙りこくったまま数分間撮影した。
しかし結末はあっけないもので、裁判官が「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする」と短く告げ、そそくさと退廷してしまった。わずか数十秒の出来事である。思わず「他に言うことねえのかよ!」と怒鳴りたくなっちまったぜ!
「国家無答責」の観点から、また「除斥期間」が経過したとしてこの判決になったそうだが、このへんの理屈は俺の脳じゃ全然理解できん。原告団は直ちに控訴するという。
もっとも判決要旨によると、原告の陳亜扁さんらが、海南島を占領していた日本軍によって「拉致、監禁された上、継続的に暴行を受けて強姦」された事実については「大筋」認めている。日本軍とは女性を拉致監禁し強姦する組織だったことを、我々日本国民は深く受け止めなければならない。「従軍慰安婦の強制連行など無かった!」というウソはいいかげん控えるべきだな。
ところで(夏淑琴さん裁判の第一公判と翌日の報告集会の時も感じたが)、今回の傍聴と飯田橋で行われた報告集会だが、とにかく中年オヤジの俺は「場違い?」と感じたほど、若い人が集まっていた。というか8割ぐらいが大学生ぐらいの若い人だったような感じだぜ。ハイナンNETの活動も若い人が中心になって運営されている。
俺ぐらいの年代の人間は、さかんに「あれは仕方のない戦争だった」とか「憲法改正しろ、北朝鮮が脅威だ」とかほざいているが、残念ながら時代は変わりつつあるようだね。
報告集会のディスカッションで、「慰安婦支援運動の歴史の一部となりつつある」と自ら語る梁澄子さんも、「私は十何年も元慰安婦の支援に関わってきましたが、集会を開いてもいつも同じような顔の年配の方ばかりで、口を開けばどこが痛い、ここが痛むとかいう話ばかりでしたが、今日は若い人が非常に多く集まっているので驚きました」と語っていた。たしかに俺も時々腰が痛むし腕をかなり伸ばさなければ携帯の文字が読めねえし(笑)、世代交代の時期かもな(といっても今までなにもしてねえけどw)。老兵は死なず、ただ去り行くのみ・・・ってか?
(田中荘より少々イジって転載)
海南島慰安婦訴訟、中国人8人の請求棄却 東京地裁
2006年08月30日20時03分
中国・海南島で旧日本軍の慰安婦にされ苦痛を受けたとして、同島の中国人8人(うち2人は死亡)が日本政府を相手にそれぞれ2300万円の慰謝料と謝罪広告を求めた訴訟で、東京地裁は30日、原告側の請求をいずれも棄却する判決を言い渡した。矢尾渉裁判長は被害の事実は大筋で認定したが、(1)加害行為から20年以上が過ぎて「時の壁(除斥期間)」により賠償請求権は消滅した(2)旧憲法下では国は損害を賠償する義務を負わない(国家無答責の法理)――として、日本政府の賠償義務を否定した。原告側は控訴する方針。
戦後起こされた「慰安婦訴訟」は10件。一審段階で残っていたのは海南島訴訟だけだった。
原告は陳亜扁さん(78)ら。陳さんは14歳のときに日本兵に拉致され、約2年間慰安婦として性被害を受けたという。ほかの原告らも10代で慰安婦にされ、戦後も不妊・流産などに苦しみ続けたと訴えた。
2006年8月31日(木)「しんぶん赤旗」
海南島戦時性暴力被害訴訟
請求棄却、事実は認定
東京地裁
戦時中、日本の植民地下にあった中国・海南島で旧日本軍に性暴力を受けた女性八人(うち二人はすでに死亡)が、日本政府に対し一人二千三百万円の損害賠償と謝罪を求めた「海南島戦時性暴力被害訴訟」の判決で、東京地裁の矢尾渉裁判長は三十日、原告の請求をいずれも棄却しました。原告側は控訴します。
矢尾裁判長は請求を棄却した一方で、旧日本軍の兵士によって拉致、監禁された上、継続的に性的暴行を受けたとする原告らの主張を詳細に認定。被害時に受けた恐怖が今も消えず悪夢にうなされるなどのPTSD(心的外傷後ストレス障害)についても認めました。
判決は、一九四七年に国家賠償法ができるまでは国に損害賠償を求めるための法律はなく、同法施行前に国家がおこなった行為について国は責任を取らなくてもよいとする法理を適用。また、旧日本軍による加害行為から同訴訟提訴までに二十年以上が経過し、一定期間の時が経過したことから原告の損害賠償請求権は消滅したと判断しました。
弁護団の小野寺利孝団長代行は、判決が原告一人ひとりについて旧日本軍による加害と被害を具体的に事実として認めたことは「重要だ」としつつ、「明らかな違法、不法行為を認めながら国の法的責任を不当にも免責した」と批判しました。「日本政府は判決の事実認定を真摯(しんし)に受けとめ、原告らだけでなく、すべての被害者に謝罪と賠償をおこなうべきだ」とのべました。
原告会見 「憤りを感じる」
いわゆる中国人「慰安婦」への賠償を求めた裁判で地裁段階では最後の判決となった「海南島戦時性暴力被害訴訟」。原告はいずれも中国・海南島で十代のときに拉致され、慰安所などで長期間にわたり性暴力を受け続けた少数民族の女性たちです。学生中心の支援組織「ハイナンNET」が結成されるなど、支援の輪が広がっていました。
三十日も若者を中心に多数の原告支援者が裁判所に詰めかけ、傍聴席を埋めました。しかし、矢尾裁判長は、わずか数秒で請求棄却の主文を読み上げ、立ち去りました。傍聴席からは「ひどい」「理由をいいなさい」との声が起こりました。通訳から判決内容を聞かされた原告の陳亜扁さん(79)は、ぼうぜんとした表情でだれもいなくなった裁判官席を見つめました。
陳さんは今年三月の法廷で、十四歳のときから四年にわたって性暴力を受けつづけたことを生々しく証言しました。戦後解放されましたが差別を受け、流産・死産を八回も繰り返しました。判決後の会見では涙を何度もぬぐいながら「憤りを感じる。これだけの事実を知りながら責任を認めない。日本人に良心はあるのかと問いたい」と訴えました。
ハイナンNETに参加している男子学生(22)は「思い出すだけでもつらい体験をわざわざ日本に来て証言したにもかかわらず、その人を前にこのような判決を言い渡すなんて」と語りました。
同日夜に開かれた報告会には約百人の支援者らが参加。陳さんは「真の日中友好のためには罪を認め、公正な判断をするべきです。悪い裁判の結果にひるまず、たたかい続けます。支えていってほしい」と訴えました。
中国の弁護士、東京地裁による「慰安婦」訴訟棄却を非難
2006-08-31 10:43:43 cri
中国海南島の8人の女性が、かつて日本侵略軍の慰安婦とされたとして謝罪と損害賠償を求めた訴訟で、日本の東京地方裁判所は30日、いずれも請求を棄却したことを受け、中国の弁護士はこれを非難し、「この判決は歴史を逆戻りさせるものだ」と非難しました。
2001年の7月、林亜金さんら8人の女性は、かつて日本侵略軍の慰安婦にされたとして日本政府を相手に公式の謝罪と一人当たり2300万円の賠償を求め、東京地方裁判所に訴訟していましたが、東京地方裁判所は、この日、元の憲法下の公権力行使について国は賠償責任を負わないとする「国家無答責」の法理を適用した上で、今回の提訴は、戦時中の国の加害行為から20年以上がたち、「除斥期間」の経過により賠償請求権は消滅したとして原告側の請求を棄却したものです。
中華全国弁護士協会の責任者はこれについて、国連の規定により、反人類的犯罪は期間の制限を受けない。日本軍の慰安婦強制連行は反人類的な犯罪に属することから、日本の裁判所が、今回の提訴は"除斥期間"の経過により賠償請求権は消滅したとして原告側の請求を棄却したことは、歴史を逆戻りさせる行為だ」と指摘しました。