■ 沖縄県うるま市在住、喜友末子さん(59)さんの夫、喜友正さんは2005年3月、悪性リンパ腫で死去(享年53)。家電販売店を退職後、職安で紹介された非破壊検査を行う会社の下請け会社に入社。1997年9月から2004年1月まで、北海道電力泊原発、四国電力伊方原発、関西電力高浜電力、青森県六ヶ所村再処理工場などに出張し、1ヶ月〜数ヶ月、長いときは半年に渡り、放射線漏れの検査に従事。累計被曝量は99.76ミリシーベルト。
末子さんは医療事務の仕事をしていたため放射線の危険性に敏感だった。「放射線漏れの仕事って人間がする仕事なの?そんな仕事、受けたらダメだよ」と警告しても夫は聞き入れなかったという。
もともと正さんは身体が丈夫で風邪を引くことも無かったが、原発で働き始めてから体調不良を訴えるようになった。「市販薬の飲み方もわからなかったくらいなんですけどね」
以前は好き嫌いも無く何でも食べていたが、次第に食欲が衰え、下痢に悩まされ、手足は「氷のように冷たく」なっていった。70kgあった体重も減っていき、「ウエスト82cmのズボンが最後には70cmぐらいのサイズでないと合わない」ほど痩せていった。01年頃には鼻血も出るようになった。
「ツーと流れるような鼻血ではないですよ。鼻をかむと血の塊のようなものが出るようになったんです。お風呂場の壁に血の塊が飛び散っていたこともありました」03年暮れごろには鼻血、発熱、頭痛などの症状が悪化。病院で検査しても原因不明。04年1月には「今にも爆発するんじゃないかっていうくらいに」顔の右半分が腫れあがった。県立病院で手術を受けたが相変わらず原因不明。正さんの高かった鼻は「2度の手術でほとんどなくなってしまいました」。
同年5月に琉球大学病院に転院、ようやく悪性リンパ腫と診断され抗がん剤による治療などを受けたが翌3月死去。「まだ50代のはじめだったのに、70代、80代のおじいちゃんのようだった」
末子さんは05年10月、大阪の淀川労基署に労災を申請したが06年9月に「悪性リンパ腫は労災の対象疾病ではない」として却下された。末子さんはすぐに大阪労働局に審査を性急、その後厚生労働省の検討会が報告書をまとめ、08年10月に労災が認められた。「原発労働による放射線被曝で白血病以外に労災が認められたのは、故・長尾光明さん(多発性骨髄腫)に次いで2例目となった」。
「沖縄の人はよく『命どぅ宝』と言います。命こそが宝という意味です。主人が亡くなった後に補償が入ってきても何の意味もありません」
正子さんは「本当は主人の問題は私の中におさめておきたかった」が、福島原発事故後「主人が背中を押している」と感じ、夫の死について語る決心がついたという。それに、福島原発の作業員に対しては「一日も早くその仕事から抜け出してほしいという気持ちがありましたから」。
「福島原発の事故後、政府は作業員の被曝線量の限度を引き上げましたよね。放射能は危険なものなのに、なぜ、そんなことをするのか、私にはわからない。原発は安全だと言って政府や国会議員、電力会社の人たちは原発をあちこちに造ってきたんだから、そういう人たちが原発に入ればいい!」(以上9/16週刊朝日)
■ 梅田隆亮さんの証言については前回も引用したが、彼に自覚症状が現れたのは1979年敦賀原発で働いた後だった。長崎大学病院でホールボディカウンターの測定を受けると2247カウント(通常の3倍)。そして食欲不振、倦怠感などに悩まされるようになった。
「動きたくなくなって、だらんとしたり、ぶらんとしたり。新聞やテレビを見ても集中できない。でも、他人が見たら顔色はいいし、何かの病気には見えないんですね」また「タバコのフィルターの先を切り取ったような血の塊」のような鼻血が出るようになり、病院では「易出血」と診断されるだけ。2000年3月には接待ゴルフ中に心筋梗塞で倒れた。その後も軽度の狭心症などを発症。
08年7月に再び長崎大学病院で診察を受けたが、ホールボディカウンターの測定などで内部被曝は認められなかった。しかし79年に受けたホールボディカウンターの結果がこの病院に残っていて、解析したところ「一般的には体内に存在しないはずのコバルト57、58、60、マンガン54、セシウム137」の検出が判明。
08年9月に松江労基署に、心筋梗塞は原発での被曝が原因であるとして労災を申請したが、10年9月に「相当因果関係は認められない」として却下された。現在は労働保険審査会に再審査を請求中。元請会社から松江労基署に提出され認定された梅田さんの被曝量は8.6ミリシーベルトだったが、前回投稿で引用したように実際の被曝はもっと高いはずだ。正確な被曝量の記録さえ残せないのが原発労働の実態である。(以上9/16週刊朝日)
■ 梅田さんが敦賀原発で働いていたころ、ある労働者が「早く食堂に行こうと近道をしてツルッと足を滑らせ」、使用済み核燃料貯蔵プールに落ちてしまったことがあった。
「水の中にはものすごい量の放射性物質が含まれていますから、しばらくして体中の皮膚が焼けたようになって病院へ運ばれたと聞きましたが、その後どうなったのでしょうか・・・」また、1979年に福島第一原発で働いていたある労働者は、配管から漏れた放射能汚染水に脚を入れてしまい、数日後に醜い発疹が現れた。
「水に浸かった皮膚にブツブツとした発疹ができて、かゆくてかゆくて我慢できんようになったんです。仕事どころではなくなって、病院に行くと『食中毒かもしれん』なんて言われた。他の者が言っても、みな同じ診断をされて、取り合ってもらえんかった」汚染水を飲んだのではなく身体に浴びたのになぜ食中毒になるのか。ハナから診察するつもりが無いようだな。原発労働者の取材を続けてきたフォトジャーナリスト・樋口健二氏によると、「電力会社と関係のある病院があり」、ある病院の医者は労働者に「病院を潰されてしまうから症状の原因について本当のことを診断書に書くことはできないが、あんたらこんな仕事をやめて国に帰れ」と告げたという。
梅田さんによると、原発労働者たちが従事期間を終えて地元に戻るとき、担当者から「何かあったら○○病院に行ってください」と、労働者たちそれぞれの地元の病院を指定したという。「いま考えると、体調が悪くなっても『被曝によるものではない』と指定病院に言わせて、労災に持ち込まれないようにするためなんでしょう」 (以上4/30週刊現代)
■ 07年12月に亡くなった長尾光明さん(享年82)は、1977年10月から82年1月まで、福島第一原発などで配管工事に従事していた。記録に残る総被曝量は70ミリシーベルト。
退職の約10年後の92年頃から首に痛みを感じるようになり、98年には前歯、第三頚椎、左鎖骨を骨折。ぶつけたわけでも圧迫したわけでもないのに勝手に骨折してしまったという。病院で「多発性骨髄腫」と診断された。骨髄癌の一種であり、骨の密度が低下して骨折しやすくなる病気である。同時に身体の痺れ、耳鳴り、頭痛にも悩まされ、抗がん剤による治療を受け続けた。
11月に労災を申請し、厚労省の検討会を経て、04年1月に労災を認定された。ちなみに原発労働の被曝で労災認定された人は1976年以降10人いるが、白血病や癌以外の症状で認定されたのは当時は長尾さんが始めてだった。(悪性リンパ腫は前述の喜友正さん、多発性骨髄腫は長尾さんを含めて2人)。
同年10月には東京電力に対し約4400万円の損害賠償請求訴訟を起した。しかし東電は、「長尾さんは多発性骨髄腫ではない」「仮に多発性骨髄腫であったとしても、原発での被曝との因果関係は無い」と反論。その後も長尾さんの症状は悪化し、05年3月には左側頭骨を骨折、07年10月には右鎖骨を骨折。07年12月に82歳で亡くなった。
08年5月、東京地裁は「長尾さんは多発性骨髄腫ではない」という東電の主張を受け入れ、長尾さんの請求を棄却した。09年4月、東京高裁は多発性骨髄腫であることは認めたもの、被曝との因果関係は認められないとして棄却。10年2月、最高裁も棄却した。(以上9/16週刊朝日)
この裁判で東電は、一審も二審も「長尾さんは多発性骨髄腫ではない」と、徹底的に争う姿勢を見せた。また当時名古屋大学教授だった骨髄腫の権威の清水一之氏に意見書を提出させた(こういう御用学者の名前は憶えておいたほうがいいね)。また「世界的権威である米国の医師に意見書を承認させようとした」。加害責任を否定するどころか被害者の病状すら否定するとは全く犯罪的、というか血の通った人間の所業とは思えん。法廷はこうした論戦に時間を割かれ、因果関係について争う時間が少なくなったことも敗訴の一因だという(参考)。
またこの裁判では「東電側の利害関係者として国が補助参加人に名を連ねた。国が長尾氏の主張を全面的に否定する東電をバックアップしていたのだ」。テロ企業東電と日帝がグルになって被曝した原発労働者を見殺しにしたのである。(以上4/30週刊現代)
■ 誰が言ったか忘れたが受け売り。刑事事件の裁判は「疑わしきは罰せず」を貫くべきだが、公害病や薬害の被害者への補償は「疑わしきは救済する」の立場で臨むべきではなかろうか。たとえば水俣病と思われる症状の患者なら、チッソの垂れ流した有機水銀で健康を害した可能性が少しでもあるなら、補償するべきではないだろうか。無関係な患者へも補償してしまう可能性もあるが、それでも本当の患者への救済を怠ってはならない。考えてみればこの国では完全に反対のことが横行してるよな。つまり刑事事件の被告は疑わしい証拠や証言だけで有罪にするクセに、公害病患者の認定はやたらと厳しいじゃねえか!
長尾さん裁判の高裁判決は「放射線被曝と多発性骨髄腫発症の因果関係が高度の蓋然性をもって立証されたとは言えない」というものだった。「高度の蓋然性」とは「原因確率」が80%以上ということ。
たとえば被曝していないグループと、被曝したグループがいて(どちらも同じ人数で)、被曝していないグループで20人が、被曝したグループでは100人が癌を発症した場合、原因確率は80%となる、とのこと。5倍の確率が求められる(以上9/16週刊朝日)。
被曝していないグループで21人が癌になれば「原因確率」は79%となり、「因果関係」に「高度の蓋然性」が無い、ということになる。
いまこうしている瞬間も全国の原発で労働者が被曝し、福島第一原発事故の収束作業に従事する労働者たちは上限250ミリシーベルトという狂った基準の下で働かされている。彼らが今後健康を害することになっても、電力会社と国は被曝との因果関係を求めず補償を拒むことだろう。要するに彼らは近い将来、喜友さん、梅田さん、長尾さんたちと同じ運命を辿るかもしれないのだ。福島原発事故の被害拡大が現在のレベルに留められているのも彼ら労働者が被曝しながら従事しているお陰だが、東電と国は彼らを使い捨て・見殺しにするつもりだろう。しかもこれを他人事と思ってはならない。
9/16週刊朝日の記事は最後に「甲状腺癌の発生確率は1000人に一人なので、福島第一原発周辺や『ホットスポット』の人口が100万人を超えていたとすれば、5000人が甲状腺癌を発症しなければ、原発事故との因果関係は認められない」と警告している。原発労働者への仕打ちは東日本の住人にとって他人事ではない。
■ なお4/29東京新聞「こちら特報部」も梅田隆亮さんを取材している。79年にホールボディカウンターの測定を受け通常の3倍の数値が出た当時は取材に応じていたが、その後口を閉ざした。
「無言電話や嫌がらせがひどくて、妻もおびえて、生活も立て直さなければならなかった」
どうにも電力会社というか原発屋どもは裏社会と繋がっているようだな。
転機は06年、「財団法人放射線影響協会放射線疫学調査センター」からアンケート資料が送られてきて、電話で問い合わせたところ「本当にご当人ですか」と驚かれたという。「勝手に死んどるとみなされていた」。原発屋どもは労働者に確実に死ぬような放射能を浴びせておいてほったらかしにして、遺族から経過を聞き出そうとしていたわけだ。まるで原爆投下のあとのアメリカのようだな。
梅田さんが労災認定を却下された理由は、被曝労働による心筋梗塞を認定した前例が無いということだが、広島・長崎の原爆症認定では心筋梗塞も対象となっている。
「原発労働者は人間扱いされていなかった。何も知らされないで被曝したのに、自分で被害を証明しなくてはならない。こんな悔しいことはない」そして梅田さんは福島原発事故後、また語り始めているが、原発を取り巻く状態は自分が働いていた30年前と似たり寄ったりだと感じている。
「こんなに怖いもんだと知っていたら、いくら実入りがよくてもやらなかった。安全教育をすると、その場で帰る作業員も多いだろうが、被曝のリスクを避けられる。原発に反対も賛成もしない。でも、これ以上、自分のような人間をつくってほしくない」(つづく)