2006年09月05日

「日露戦争物語」のお粗末な内容

さっきAMLに流した文章をこちらにも転載。

小学館のマンガ雑誌「週刊ビッグコミックスピリッツ」に連載されていた「日露戦争物語」(作・画/江川達也)は、ほとんど読んだことがありませんでしたが、たまたま読んだ「第二百四十一号 講和と三国干渉」(9月18日号掲載、第一部最終話)は、実に歪んだ歴史観に満ちたものでした。

「1842年清国はイギリスにアヘン戦争で敗れた。これは有色人種を奴隷化してきた白人国家の実力行使が、
東アジアまで及んだことを明確にした事実だった。
東アジアの志ある人々は、この西洋列強の実力行使に対抗する手段を考え実行に移した」
「・・・いずれ卑怯で野蛮な西洋社会の支配から解放された平和で公正な東洋社会を取り戻すため、
志あるアジアの人々は大アジアの連合を目指し、100年間戦い続けたが、
1945年大東亜戦争に(太平洋戦争 第二次世界大戦)敗れるのだった」(P-370)
(日清戦争は)「朝鮮そして清国の社会構造を変革し、独立国として結束を深めようとした、
大アジア連合の分岐点であったが・・・」(P-371)
「日本は日露戦争でアジアの独立のためロシアと戦った」(P-373)
(太平洋戦争は)「敗戦ではあったが
アヘン戦争以来の宿願だったアジアの自立のため
西洋列強全てと戦った日本(朝鮮地域及び満州国も含む)だった」(P-377)

このように、朝鮮と中国への侵略戦争だった日清・日露戦争、そしてアジア・太平洋戦争を「アジアの自立のため」の戦争であったと主張しています。
また(小林よしのり氏の)「戦争論」や「嫌韓流」などの、漫画家による歴史歪曲本は粗雑な記述が目立ちますが、この「日露戦争物語」もご多分に漏れず歴史事実の無理解が見受けられます。

「アジア経済安定のためカンちゃんこと石原莞爾は満州事変を起こし、1年後五族協和の満州国を建国、
統制経済を行う。
中国政府も塘沽協定で満州国を認める」(P-374)

1933年5月31日に結ばれた「塘沽(タンクー)停戦協定」とは、非武装中立地帯を設定し中国軍を撤退させ、それを確認後日本軍も撤退するという、文字通りの停戦協定に過ぎません。
日本側の代表である岡村寧次少将も当日の会見にて、
「今次締結せんとする協定は所謂停戦協定にて直接軍事に関係なき政治的問題には一切触るることなし」
と協定案を提示しています。(「現代史資料 7 満州事変」P-522より引用)

ちなみにその4年後の12月、南京占領に驕った日本は、(中国に駐在の)ドイツ大使トラウトマンが仲介していた停戦案に身勝手な条件を追加し、さらに具体的な要求を参考として示す形で、様々な内政干渉とともに「満州国の正式承認」を持ち出しました。
これに蒋介石は、
「倭寇が持ち出した条件は、我が国を征服し滅亡させるものに等しい。日本に屈服して滅びるよりは、戦いに敗れて滅びる方を選ぼう。激しい拒絶をもって回答としなくてはならない」
と激怒しています。(以上は「日中十五年戦争史」大杉一雄/著、中公新書P-308〜310より引用)
そして翌年1月に日本政府は有名な「爾後国民政府を対手とせず」という声明を出します。この後両政府の交渉によって国民党政府が満州国を承認したというのなら、それはいつであったか江川達也氏に教えていただきたいものです。

また、盧溝橋事件から南京大虐殺に至った時期についての記述もお粗末なものです。

「中国軍は日本軍を攻撃、日本の居留民を殺害、
石原も日本政府も戦線の不拡大を望んでいたが
中国軍の執拗な攻撃に現地日本軍は暴走。」

盧溝橋事件は偶発的な衝突でしたが、大規模な侵攻を開始したのは日本軍です。
それに「日本の居留民を殺害」とは通州事件のことを指していると思われますが、これは冀東防共自治政府の保安隊(中国人)の反乱でした。つまり傀儡政権の警護を任せていた現地人が寝返ったわけです。「中国軍」は全く関係がありません。責を問うとすれば「塘沽停戦協定」を反故にして傀儡政権を作った日本軍にあると言えます。

「両国とも日米戦争まで宣戦布告を行わず戦闘を続けた。」(P-375)

たしかに「両国とも」宣戦布告を行わなかったのですが、中国に乗り込んで攻め込んでいる日本の方から宣戦布告を行うべきではないでしょうか?
余談ですが、日本はアメリカからの物資の輸入を続けるために中国への宣戦布告を避けていました。アメリカには交戦国の双方に軍需物資の供給を禁じた中立法があり、 宣戦布告することによってその中立法を適用されることを恐れたのです。日本はアメリカから物資を輸入しなければ、中国への侵略を続けることが出来なかったのです。

「日清戦争の旅順口事件の様に欧米の世論を見方に引き入れるため、
南京を混乱させ民間人を残し
兵を民間人に紛れ込ませ退却するという、
アジアを狙うアメリカを誘い込む作戦に出た。」(P-376)

避難する術を持たなかった何十万もの市民が置き去りにされ、
日本軍に虐殺することを恐れた中国兵が軍服を脱ぎ捨てて安全区に逃げ込んだことが、
国民党政府の「作戦」だったとしたなら、その命令書などを提示して欲しいものです。


これらの問題点を小学館のスピリッツ編集部03-3230-5505に電話して問い合わせたところ、
「作者に伝達し、もし指摘が正しければ単行本化する際に反映されることになるかもしれない」
とのことでした。
いっそ江川氏に直接抗議したいと願いましたが当然断られました(笑)
「あきらかに間違った記述があるので、出版社としては即対応するべきではないか?」と忠告しても拒否されてしまいました。
ただし、文書で質問を送付すれば、返答はもらえるそうです。


早めにパソコンで文章打って会社でこっそり印刷し(笑)、郵便で送ってみることにすっか。
ところで停戦協定と国家の承認の区別がつかないあのオッサンにとっちゃ、たとえばパレスチナの武装組織がイスラエルと停戦協定を結んだら、イスラエルによるヨルダン河西岸の領有を正式に認めたことになるんだろうな。そういう馬鹿には何言っても無駄だと思うから、小学館からの誠意ある回答を期待しよう。

蛇足その1:
この号は「第一部」の最終話のはずだが、最後のページの右側には、
「ご愛読ありがとうございました。最終巻第22集は10月発売予定です。江川氏の次回作にご期待下さい。」
と書いてある。編集部に電話して最初に「これって最終回ですか?」と聞いてみたら、「そうです!」とはっきりした返事。「日露戦争物語」なのに日露戦争を描かずに終わるってのはどういうこっちゃw
ウィキペディアの項目を読んでみたら、完全に漫画家としてのやる気を失くしてるのが分かった。

蛇足その2:
1937年12月22日、日本政府は駐日ドイツ大使に日中停戦のための4つの条件を提示した。

1. 容共抗日満政策の放棄と防共政策に協力
2. 所要地域に非武装地帯化と当該地域における特殊機構の設定
3. 日満支三国間の密接な経済協定の締結
4. 所要の賠償

これは26日に中国側に伝達され、中国の行政院副院長・孔祥照はトラウトマンに、
「日本が提出した条件には思いつく限りの全ての事が含まれている。日本は十個の特殊政権と十個の非軍事区が欲しいとでもいうのだろうか。こんな条件を受け入れるものはいない。日本は将来に思いを致さなければ自ら滅亡するだろう」
と語ったという。(「日中戦争十五年戦争史」P-310)
この4条件の具体的な内容は以下の通り。「ドイツ大使の質問に応じるための参考として示されたもので、とくに中国側に伝えることが要請されたわけではない」ものだったそうだが、1938年1月1日にトラウトマンから中国政府に非公式に伝えられた。

1. 満州国の正式承認
2. 排日排満政策の放棄
3. 北支・内蒙の非武装地帯化
4. 北支に支那主権の下で広範な権限を有する適当な機構を設定、経済協力に努める
5.内蒙に防共自治政府確立
6.防共政策の確立
7.華中占拠区域の非武装化
8.資源開発等に関する日満支三国間協定
9.賠償
さらに、
@内蒙・華北・華中の一定地域に保障のための日本軍の一定期間駐留
A協定成立後の休戦

中国全土を属国化するようなもんじゃねえか?蒋介石がキレるのも当然だな。特に日本の占領地に過ぎない「満州国」を正式に認めるっつーのは絶対に受け入れ難いことだったのである。
もっとも1933年の塘沽停戦協定と、その後日本の言いなりになってしまった交通網・通信網の整備、税関の設置、保安隊の整理などは、「満州国」を事実上認めるようなものだという反発を国民にもたらし、抗日意識が高まったという(同上P-17)。
しかし正式に承認するのとは全く違う。たとえば日本政府は獨島(竹島)を自国の領土だと言い張っているが、日本の右翼が船で獨島に上陸しようとしても、海上保安庁が止めるだろ?日本政府も事実上は韓国の支配下にあることを認めざるを得ないが、韓国の領土であることを「正式」に認めたわけではないのである。(もっとも俺は正式に韓国の領土であると認めちゃった方が賢明だと思うけどね)

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posted by 鷹嘴 at 23:52| Comment(8) | TrackBack(0) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
小林よしのりと同じように”嘘がある””疑え”と言っておりますから、信じた奴が馬鹿を見るってことを実証なさっているかと。
雑誌サイゾー掲載時に身内にとんでもない人がいたことを吐露しておりましたがご自身もですかねぇ?
Posted by 名無しさん at 2006年09月06日 09:12
申し訳ないのですが、読んでいる途中で疲れてしまいました。

歴史について語ると、こういう難しい言い回しが多くなるのは、しかたがないことなんでしょうね。歴史の教科書を読んでいるようです。

そう考えると、たとえ「間違っている内容」であっても、マンガという分かりやすいメディアで表現した人たちはすごいんだなぁ、と。

どんなに正しい内容で主張しても、誰にも伝わらなければ何の意味もありませんし…。
マニア向けではしょうがないな、と。


いずれにしても、色々学べました。本当にありがとうございました。
Posted by けい at 2006年09月07日 07:24
この「日露戦争物語」は、ここ何年かは「漫画」ですらなくなっていましたからねー。ヘタすりゃ文章の方がスペースが多くて、ハッキリ言って「汚い挿絵つきのコラム」と化しておりましたから、正直言って「やっと終わってくれた」とほっとしております。

『サイゾー』とかで「自分は小林よしのりとは違う」とか言って小林や小林信者を批判していたけど、言ってる事もやってる事も小林よしのりと変わんなくなってきたし、漫画家そのものをやめて欲しいです。
Posted by ケルベロス商会 at 2006年09月10日 17:57
竹島は、侵略戦争とは何の関係もない、日本固有の領土です。あれはまぎれもなく韓国の侵略行為です。あれを韓国領と認めることは、日本が軍事侵略に屈したことになり、決してしてはならないと思います。それは侵略戦争をも肯定することになります。

私は大学で日本史を勉強し、竹島は間違いなく日本領であると確信しました。竹島については、勉強してくだされば全然戦争と関係ないことがわかってもらえると思います。逆に、正直韓国の領土主張は中学生でもわかるような捏造だらけです。例えば鬱陵島にある独島記念館には、でかでかと捏造地図が張ってあります(「八道総図」という15〜16世紀の地図ですが、実際の八道総図では韓国が現在の「独島」と主張する「于山島」は打つ陵島の西に書いてあるのですが、独島記念館の壁の壁画の八道総図では、于山島が独島であると主張するために鬱陵島と于山島の位置が180°逆に描かれています。韓国が証拠としている挙げているのは全て「于山島」であり、于山島が竹島であるという主張を裏付けるられるものは全くありません。1900年の大韓帝国による独島編入も、実際は「石島」編入であり、石島が独島であるという主張の根拠は韓国語の方言で発音が同じということしかないのです)。

たとえ日本がいかなる侵略戦争をしてきたとしても、日本=悪とみなして、検証なしに「被害者」韓国の言うことだからと鵜呑みにすることは、小林よしのりが日本=善という前提の下に歴史をみることと同じです。全く日本に非がない竹島を韓国領と認めることは、法治国家であれば、決してやってはいけないことです。それは平和主義でもなんでもありません。卑屈なだけです。
Posted by サザえもん at 2006年09月13日 00:10
 江川氏の歴史観がすべて正しいとは思わないが、日清・日露、アジア・太平洋戦争を、朝鮮と中国への侵略戦争であったと決めつけ、江川氏の見解を歴史事実の歪曲またはその無理解であると断定するあなたの方が、遥かに視野が狭く、独りよがりではないか。
 もとより、様々な断片的事実の複雑・有機的な積み重なりである歴史には、より多角的な解釈をもってアプローチすべき態度が必要なのであって、自己の信ずる歴史観と大きく異なるそれに直面したからといって、歪曲・無理解などと断ずる権利がいったい誰にあるというのか。
 むしろ、表面的な道徳の高みに自己の身を置いて耳ざわりよくなされる主張の方が遥かに危険を含んでいると思われる。
 およそ表面的ではあっても、なまじ正義という名目でなされている主張であるだけに、聴衆はもとより、主張者自身もその欺瞞に気付かない状況に陥りがちだからである。
 そして、欺瞞に気付かず、いや、気付こうとしない、このような狭い視野に立脚した正義感は、しばしば独善的な確信犯に結びつきやすいのである。「正義を実現するため」という、脳裡に鳴っている声に鼓舞されつつなされる「敵討ち」などがよい例である。
 日本の政治家の折々の発言が、在中、在韓の、何の関係もない民間日本人への攻撃というかたちでしばしば具現化される事実を、一体どのような方便をもってすれば正当化できるというのか。
 それどころか、日本人を攻撃する彼ら・彼女らが、一般の日本人が享有していると同等の思想・表現の自由の保障された環境下で、その歴史観を形成しているとは到底いえまい。
 日本が日清・日露戦争へと進まなければ、朝鮮半島およびその周辺地域、そしておそらくは対馬海域一帯、北海道方面までもが、拡張政策を採っていた当時のロシアの支配下に置かれていたであろうという容易な想像も、おそらく彼らとは共有できないのであろう。
 あなたがどのような出自の人物かは知る由もないが、自己が持つのと異なる歴史認識だからといって、一方的に歪曲・無理解などと断定する傲慢かつ独善的な態度に対し、それがなまじ表層的な正義の名の下になされている様相を呈しているが故に歯がゆく思い、一筆コメントしました。
Posted by at 2006年09月21日 16:07
これはドキュメンタリーではなく、三国志のような歴史マンガでしょう。
なにを目くじらたてているのか。
また、侵略戦争だろうが防衛戦争だろうがお互いの意見が合わずに殺しあってることには変わらないし、自国や家族の為にと思って殺してることは変わらない。
Posted by あかまさる at 2006年09月29日 16:33
> これはドキュメンタリーではなく、三国志のような歴史マンガでしょう。

はあ。
Posted by 鷹嘴 at 2006年09月29日 16:51
> これはドキュメンタリーではなく、三国志のような歴史マンガでしょう。
> なにを目くじらたてているのか。


『国が燃える』とかいう漫画で南京事件が描かれた時も、
目くじらたててる人達がいましたねw
Posted by トンカン at 2006年10月14日 13:30

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