2011年11月09日

「あたしって、ホントばか・・・」

 今年の1月から4月にかけてTBSなどの深夜に放送された「魔法少女まどか☆マギカ」というアニメ、可愛らしい絵に似合わずメインキャラがいきなり死ぬなど衝撃な展開が非常に面白い、と巷で噂になっていて、あの小池一夫先生もこのように絶賛している。
 「魔法少女になれば魔女にならざるを得ない。魔女になれば悪を行わざるを得ない。悪を行えば希望が消える。こういう考え方は僕の上をいきます。僕は漫画の世界で、これだけ大きな世界観を持つことができませんでした。ですから、負けたなっていう感じを持ちます」
 何度レンタル店に行っても貸し出し中だったが今月、やっと1巻から6巻まで並んでいたので全部借りが、期待を遥かに上回る面白さだった。アニメでこんな衝撃を受けたのはエヴァンゲリオン以来だ。現在、俺の脳内では寝ても醒めても「ほむら」が時間遡行を繰り返し、「さやか」が杏子や「まどか」に毒づいているw
 つーことで分かりやすい死亡フラグを立てて数分後に首チョンパされた「巴マミ」と、死亡フラグを乱立させつつ意外と長生きした「美樹さやか」について、思うところを少々書いてみる。以下はネタバレ満載なのでご注意。つーかこのアニメ観てない人にはチンプンカンプンだろうけど。

 死亡フラグとは・・・たとえば信長が光秀に「お前に新しい領地をあげよう。まだ毛利氏の領地だけどな。今のお前の領地は召上げるぞよ」などと無体な注文をしたり(そのため光秀は信長暗殺を考え始めたんだよね?)、モヒカンのお兄さんがケンシロウに逆らうようなことです。つまり「こいつ、死ぬだろうな」と予測できる言動のことです。

 アニメ放送第3話にて「巴マミ」が魔女に首を食いちぎられた挙句に丸ごと食われる・・・という展開は視聴者に大ショックを与え、2ちゃんねるはパニックになったらしい。DVD借りて観た俺も鳥肌が立ったもんな。なにしろ自分がこのシーン以前にマミをどう感じていたか忘れたくらいだ。

 つーか魔女と闘う直前、「あの魔女は私が始末する」と申し出た「暁美ほむら」をロープみたいので拘束しちまう、という明確な死亡フラグを立てちまったんだから当然の流れかも。「ほむら」だって同志のはずなのに。結局魔女は「ほむら」が時間停止の技を駆使し殲滅(つーか楽勝)。マミと「ほむら」の実力の差は大きかった。クリリンがピッコロと闘う前に悟空を縛り上げるようなもんだ。そういや「あなたがこの魔女のグリーフシードを欲しいんでしょ?」とか見当違いなこと言ってたな。
 マミは、「鹿目(かなめ)まどか」と「美樹さやか」も仲間にするために(ストレートに要求するキュウべえと違って)巧妙にオルグしていたが、魔法少女になってしまった者がどんな運命が待っているのか知らなかった。「キュウべえと契約してはならない(魔法少女になってはならない)」と諭す「ほむら」についても、「ライバルが増えると困るんでしょ」「自分がグリーフシードを独占したいんでしょ」とか侮辱してたし。つーか魔法少女は魔女と闘う正義の味方だよ、みたいな言い方してたが全然そんなんじゃなかったし。
 しかも、
 「魔女と闘うメリットもある、倒せばグリーフシードが手に入り、自分のソウルジェムを浄化できる。(穢れを吸収させ過ぎたグリーフシードからは魔女が孵化してしまうので、キュウべえが回収する)ソウルジェムが汚れれば魔力が使えなくなるから」
 などと抜かしてやがったが、メリットってゆうのはなんか違うぞ。魔力を使えばソウルジェムが汚れていき、真っ黒になっちまえば闘えなくなるどころか自身が魔女へと変身しちまうんだよ!魔女へと変身するのは、魔法少女になった者にとって「逃れられない運命」なのだ。
 それに、魔法少女になってしまえば魂はソウルジェムに吸収され、肉体は「外付けのハードウェア」と化し、「さやか」が言うところの「ゾンビ」になっちまうことも、マミは知らなかった。殺されるために出てきたようなもんだな。(別の時間軸では「さやか」の死によってこの仕組みに気付き、仲間たちと無理心中しようとする)
 ちなみにマミは交通事故で瀕死の重傷を負ったとき「キュウべえ」が現れ契約したってね。「さやか」と違って選択の余地は無かったようだ。つーか猫か狐のできそこないのような「キュウべえ」を送り込んできたのが何者か知らんが(どうせ「いかなる光学的手段でも観測することは不可能」とか言うんだろw)、人の弱みに付け込む卑劣な、つーか賢い奴らだな。

 「美樹さやか」が「キュウべえ」との契約の蔡に出した条件(魔法少女になり魔女と闘い続ける代償に、一つだけ願いを叶えられる)、あれは終わってるよな。この契約自体が致命的な死亡フラグじゃん。「上条恭介」(バイオリンの天才的な才能があったらしいが事故で左手が動かなくなった)が好きなら、「恭介が私を好きになるように」って条件にすればよかったのに。他人のためになんかしてやるなんて、よっぽど覚悟を決めなきゃ有難迷惑か、後で後悔するだけだ。つーか人間が純粋に他人のためだけになんかしてやるなんて不可能だと思う。金八先生だって、「人の為、というのは、人という字と為という字を並べてみれば分かるが、偽りだ」って言ってたし。ましてや国家の為なんて・・・(藁
 残念ながらこの物語の上条さんは、助平でもないし右手に異能の力を封じる力もないし義理人情に厚いわけでもない。何度も病院にお見舞いに行ってやったのに、退院したのに連絡よこさないとは、完全に眼中になかったんだよ。まさか感謝してくれるとか思ってなかったよな?だいたい「アタシがキュウべえにお願いしたから、恭介の手が治ったのよ!」って告げられるわけねえだろ。それは「禁則事項」だろ(笑)。信じてもらえるわけねえし。
 せっかく生前のマミにそれとなく忠告されてたのにね。恭介の手が治れば彼は喜び、アタシと結ばれるとか単純に考えてたんだろうか。そこまで期待してなかったかもしれんけど、まさか完治後に自分を無視するとも思ってなかったんだろうな。自分の本当の望みは恭介の手を治すことではなく、恭介を自分のものにすることだったのに、なんか勘違いして単純に決断し、破滅したわけだ。まあ恋する乙女ってああいうもんだろうね?
 こういう自分の勘違いを万引き少女の「佐倉杏子」に指摘され、さらに自分は既に「ゾンビ」だから恭介と愛し合ったりできる存在ではない、と気付き絶望する。未練たらたらに友人の「志筑仁美」が恭介とデートしてるとこをストーカーのように観察し(恭介は仁美をどう思っているのか分からんが)、「ほむら」の忠告も無視して「使い魔」と闘い(使い魔は魔女への成長途中なので、倒してもグリーフシードが手に入らない。自分のソウルジェムが汚れるだけ)、親友の「まどか」に対しても「魔法少女の契約をしてないアンタに心配される筋合いはない」とか毒づく。
 「ほむら」に「あなたのソウルジェムはもう限界よ、これで浄化しなさい」と、どこから調達したか知らんがグリーフシードを渡されたが「アンタなんか信用できない」と拒絶する。こりゃもう死亡フラグどころか自殺予告だな。よっぽど「ほむら」が嫌いだったんだな(他の時間軸でも「ほむら」を「この子と組むの嫌なんだけど」とかいじめてたし。前世から仲が悪かったとか?)てゆうかもう何もかも信じられないし、何もかも絶望してたんだろう。

 そういうわけで既に死相が漂い始めたさやか、電車の中では見知らぬチンピラ二人の「キャバ嬢は貢がせた末に捨てるに限る」なんていう自慢話に割り込み、
 「その女の人はアンタのために貢いでたんでしょ?なのに犬と同じなの?」
 「こんな世界守る価値あんの?」
 「アタシ、何のために闘ってたの?」
 「ねえ、教えてよ。アンタが今すぐ教えてよ。でないとアタシ・・・」
 とかキレ始め、異様な姿に変身していく。(チンピラ二人は多分食われただろうな?)
 つーか貢いでるキャバ嬢に自分を投影したとしたら勘違いもいいとこだ。チンピラはキャバ嬢に貢がせてるだけじゃなくたまには抱いたり優しい言葉をかけてやったりしてるだろうが、恭介は別にさやかを抱いたわけでも誘惑したわけでもねえじゃん。ちょっとした態度から勝手に期待してただけじゃん。女って怖い。それにしても「ほむら」と杏子に何度も説得され、何度も命を救われたのに恩知らずな女だな。馬鹿は死ななきゃ治らないってか?つーかこの馬鹿女が可愛くてたまらん。俺が恭介だったらすぐ抱きしめて「俺が悪かった、ほむらの言うとおりソウルジェムを浄化してくれ」と言ってやるのに。つーか普通のアニメならそういう展開になって思わず涙ぐむだろうが、これは涙さえ凍りつく「まどマギ」だ。そんな視聴者が安堵する展開があるわけない。
 最後に会いに来てくれた杏子には、さすがにすまないと思ったのか、遺言みたいなことを口走り始める。(かぎ括弧『』内は、「魔法少女まどか☆マギカ WIKI」より引用させていただきました)
 『希望と絶望のバランスは差し引きゼロだって、いつだったかアンタ言ってたよね』
 『誰かの幸せを祈った分、他の誰かを呪わずにはいられない。私たち魔法少女ってそういう仕組だったんだね。あたしってホントばか・・・』


 これ、なんか分かるよね。人のために良かれと思ってやったことが、その対象者にも第三者にも自分自身にもマイナスになることもあるよな。自分が好きな男に寄ってくる女は憎いし、その男が自分になびかなければ憎くなるよな。「可愛さ余って憎さ百倍」って言葉があるし。恋でも進学でも立身出世でも、その望みが強ければ強いほど挫折したときの失望・絶望は大きい。希望は容易に絶望へと変わり、それは「差し引きゼロ」どころか絶望が遥かに上回るだろう。これがこの作品の重要なテーマであり、この希望と絶望の落差をキュウべえが利用しているわけだ。

 そういうわけで松代にて爆発事故発生!もとい、さやかは爆発とともに「人魚の魔女」へと変身する。杏子はさやかの抜け殻というか死体を回収しホテル?の一室(どうせ魔力を利用した違法占拠だろうけど)に保管し、自分のソウルジェムから出る光線を照射して「鮮度」を保とうとする(全く無意味だったようだが)。彼女は魔法少女となった際の条件によって家族を死に追いやった過去があり、自分同様苦しんでいるさやかに共感したのだろう。
 不気味な「人魚の魔女」を元の人間に戻そうとして(さやかを目覚めさせようとして)、
 『頼むよ神様。こんな人生だったんだ。せめて一度くらい幸せな夢を見させてよ』
 と呟きながら対峙する杏子の姿に、凍りついたはずの涙が再びにじみ出す。
 結局さやか救出は不可能と悟り、『ひとりぼっちは寂しいもんな。いいよ、一緒にいてやるよ』と、「人魚の魔女」とともに自爆する。綾波レイみたいに無愛想でいつも怒ってる感じの「ほむら」も、杏子の死はショックだったようだ?(つーかその前回では「まどか」を前にして大泣きしてたな)


 つーかキュウべえは、杏子にさやか救出は可能か問われたとき「前例が無い」とか言葉を濁してやがったクセに、杏子自爆後に「ほむら」に問い詰められると『まさかぁ。そんなの不可能に決まってるじゃないか』と、シャアシャアと抜かしやがる。「これで魔法少女は私一人になっちゃったよ」と「ほむら」が言えば、この何度殺しても蘇る糞ネズミは「杏子なんて戦力にならない。これで本命のまどかを口説きやすくなったよ」とかほざきやがる(つーか「ほむら」も、杏子の顔を立ててただけとか言ってたな。つーかキュウべえにとっては「ほむら」さえも、「まどか」の釣るための囮だった)
 4人の魔法少女のうち3人が死んだこの時点でも、まだ「まどか」はキュウべえと契約していない。つまり主人公のクセに魔法少女になっていない(この時間軸では)。
 ちなみにこのアニメの最終回の放送はワルプルギスの夜3月11日の大地震によって1ヶ月延期されたという。エンディングテーマはメタルっぽくてカッコイイ。





※おまけ:名言?集
 「この国では、成長途中の女性のことを、少女って呼ぶんだろう?だったら、やがて魔女になる君たちのことは、魔法少女と呼ぶべきだよね」
 (キュゥべえ)

 「この国では30過ぎても童貞な男性のことを「魔法使い」というのだろう?だったら、やがて魔法使いになる君たちのことは「魔法少年」と呼ぶべきだよね」
 (どっかのいぢわるな人。「吹き抜ける風」よりコピペさせていただきました)

 「魔法少女になれば魔女にならざるを得ない。魔女になれば悪を行わざるを得ない。悪を行えば希望が消える。こういう考え方は僕の上をいきます。僕は漫画の世界で、これだけ大きな世界観を持つことができませんでした。ですから、負けたなっていう感じを持ちます」
 (冒頭でもコピペしたけど小池一夫先生のまどマギ評

 「サヨク仲間に入れば人権を言わざるを得ない。人権を言うなら中共の悪行は無視できない。中共を批判すればサヨク仲間からいぢめられる。こういう事態は僕の想定外です。僕はサヨク連中が、こんなダブスタだとは思いませんでした。ですからサヨク芯だほうがいいって思いますwww」
 (サヨクに幻想抱いてたドキュソの愚痴)
posted by 鷹嘴 at 00:15| Comment(0) | TrackBack(0) | アニメ、マンガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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