2011年11月16日

オフー

 今年7月に亡くなった小松左京先生は、「日本沈没」「復活の日」などの長編が有名だが、俺は長編はほとんど読んでないなあ。「継ぐのは誰か」くらいか?「復活の日」の映画は劇場で観たよ。
 もっぱら短編を好んで読んでたが、その中でも「オフー」という短編が今でも印象に残っている(以下は記憶に辿って書くので細部はテキトー)。
・・・世間で「オフー」と呼ばれるキノコみたいな謎の植物の栽培が流行りだした。原産地はペルーの高地だとかチベットだとか諸説があるが不明。ガマの油の如く万病に効くそうだが主人公(中年のおっさん)は手を出さない。特に理由もないが、なんとなく気が進まないだけ。
 「オフー」の流行は衰えず、徐々に主人公のような頑固者のほうが少数派になっていったが、同時にUFOの目撃談も増えてきた。どうやら「オフー」を嗜んでいる人々だけが目撃しているらしい。主人公はこれを「オフー」の副作用、いや文明の転換点だと感じ、公園のベンチで知人に愚痴というか独り言のようなことを語りはじめる。

 「人類が農業を発明して以来、飢餓から開放され人口が爆発的に増えましたね。さらに農業は、人類の文明を大きく発展させました。農業によって『文明』という可能性が生まれたのです。良いことなのか悪いことなのかは別にして、農業の副作用が現在の文明であり、現在の私たちの人類の社会です」
 「しかしかつて、農業に手を出さずに滅んでいった民族も多いと思います。・・・見知らぬ連中が移住してきて地面を平らにして植物を植えて、あいつら何をやってるんだ食べ物なら野山で採集すればいいのに、とても真似する気にはなれない・・・と傍観するだけで滅んでいった民族もいたでしょう。私自身もそれでいいと思います」

 突然公園の中ほどで、竜巻のような現象が起きた。知人は席を立ち竜巻に向かって歩き始めた。
 「君もオフーを試したらどうかね?かなり末期でも効くらしいよ」と言い残し彼は虚空に消え、竜巻と共に去っていった。
 どうやら「オフー」服用者はUFOのようなものを目撃できるどころか乗船できるらしい。しかし主人公は、身体の深部に痛みを抱えつつ、自分には目視すら出来ないUFOで去った知人を見送るだけだった・・・。

 このように実に味わいのある作品。頑固に「オフー」を拒否する主人公は文明の次のステップに乗れず癌で死んでいくだけだ。もちろん「オフー」が人類に今後何をもたらすのかまだ分からないが。
 作品中で語られているように農業は人類に、食糧の安定供給だけでなく多くの副作用をもたらした。富の集積によって貨幣が発明され、支配する側とされる側に分けられ、支配者間の戦争が始まり、多くの科学技術が発明され、こういう世の中が造られていった。
 しかしこれを良いことだとも悪いことだとも言えない。SF作品の中にはとかく科学技術というか文明を発展させたこと自体が人類最大の不幸だ、と説くものもあるが(小松先生の短編の中にもそういう論旨のものがあった気がする)そんな単純な結論を出さないでほしいな。
 なるほど文明の発展によって人類は長時間の労働・学習といった社会的義務に苦しめられ、貨幣というそれ自体は何の価値も無いものに振り回され、うっかり歩いていれば金属製の獣に跳ね飛ばされ、嗜好品のたぐいに依存し身体を蝕まれる。戦争という集団殺戮行為で無数の人類が犠牲になり、近代からは公害病に苦しめられ、環境は破壊されつつある。
 しかし農業の発明が無ければ今でも人類は「裸で洞穴に住んでたんじゃないかな」。いやとっくに絶滅していたかも。虚弱児だった俺がこんなメタボ中年になって生きているのも文明のお陰だ。良いことだとも悪いことだとも、言えない。既に我々人類は文明を頼りに生きていくしかないのだ。「オフー」という短編は、こういう人類の重い運命を教えてくれた。

 それにしても、だ。アメリカ帝国主義は経済的利益のために農薬に強い遺伝子組み換え作物を開発し他国にも押し付けようとしている。日本政府と財界は自国の農業壊滅を承知で受け入れようとしている。かつ連中は原発が大地を修復不能なまでに汚し農業を壊滅させるものだと万人が理解しているのに尚も改めようとしない。こういう連中は、人類の有史以前からの営みを破壊し死に追いやろうとしているのではないか?我々人類を飢餓から救ってくれた農業を守るため、こいつらを打倒しなければならない。
posted by 鷹嘴 at 01:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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