午前11時20分、いつも通勤しているJR有楽町駅を降りる。全然余裕なのでコンビニで買い食いしたりゴジラの像の横でタバコ吸ったりしてる間に時は過ぎ、集合時間ギリギリに地裁前に到着。我々史実を守る会のメンバーも既に集結していたが、右翼の連中も集まっていやがった。本当に暇な連中だな。西村修平と、(名前分からんが)腹の突き出たオッサンは前回もいたが、20代〜30代くらいの若い奴は新顔だな。こいつがウザイったらありゃしねえ。挑発がしつこくてかなり腹が立ったが、一番むかついたのは俺の顔見て「お前鼻毛出てるぞ。身だしなみから直せよ」って言いやがったこと(笑)。この前は(名前分らんが)背の高いオッサンに「お前、髪の毛臭いぞ」「息も臭いぞ。女にもてねえぞ」って言われてるからな。ひどい、侮辱だ!訴えてやる(藁
西村なんか俺に向って「私は西村修平という者だ。名刺の交換をしよう」だってよ。こんな奴らに会社の名刺渡したら職場に嫌がらせ電話がかかってくるに違いねえぞw
しばらくして(名前分らんが)背の高いオッサンが登場。なぜかグラサンをつけている。「よおオッサン、また来たな!」って声をかけてやったのにオッサンは無視して、横断幕を掲げている俺らの後ろに回りこんで北朝鮮の旗を振りながら「右翼は帰れ!金正日マンセー!」とか叫び始めた。我々を金正日総書記の家来(笑)のように見せかけようとする嫌がらせだったのでる。グラサンは別人格の演出のつもりだったんだろう。本当にユニークなオッサンだなw(こいつ、仲間に「ムラタさん」と呼ばれていたような気がする。違ってたらスマソ)
前回同様右翼側の拡声器はすごいボリューム。しかも電波が混信して西村のアジが我々の拡声器からも流れるという、クマさん曰く「実に屈辱的な」事態が発生。そうこうするうちにお巡りさんたちも集合。西村が「これこれこういう理由で南京大虐殺はウソですけど、左翼の皆さん反論ありますか」とか言いながらマイクを向けるんで、クマさんがマイクに口を近づけて「南京大虐殺は・・・」と言い始めた途端逆ギレしやがって混乱発生。俺も西村を止めようとして(止めない方がよかったかも?)間に入った。西村や腹の突き出たオッサンは俺に腹相撲(笑)を挑んできたが、お巡りさんが介入して終了。この混乱の中でクマさんは腿にローキックを喰らった。
その後お巡りさんの忠告で双方とも拡声器の使用は取りやめた。クマさんのそばにお巡りさんが寄ってきてなにやら話しているシーンがあったが、後でクマさんに何を言われていたのかたずねてみたところ、「右翼側を納得させたいんで、あなたたちも拡声器を使わないで下さい」と要求されたとのこと。
さて、この日の口頭弁論は傍聴席が40席の709号法廷で行われたのだが、整理券は俺が48番、最後尾に並んだ腹の突き出たオッサンが49番。つまり約8割という高い当選確率だった。寂しいねえ。
ちなみにクマさんは並んでいる時に、自分を蹴った奴を謝らせようとしたところ、「よし、分かった。俺を蹴れ!」と言われてしまったという(笑)。結局そいつは謝罪したんでクマさんも許してやったとのこと。
肝心の内容だが、相変わらず被告側(東中野修道氏の弁護側)のやる気のなさに原告側(夏淑琴さん支援側)も裁判長も呆れ顔、という様相だった。もちろん東中野氏本人は出廷せず。
原告側は「準備書面」として、大量の資料と共に東中野氏の著作「南京虐殺の徹底検証」の中国語翻訳本(台湾で販売されている)と英訳本を提出しているが(どれだけ流通しているかで請求内容を拡大できるかもしれないとのこと)、被告側は(夏淑琴さんは疑わしいという主張の根拠は)「本件書籍に記したまでである」という書面を提出しただけ。しかも「徹底検証」で引用している記録の原資料は英文なのかどうかも答えられない始末。裁判長も「なぜそのように判断したのか述べなければ話にならない。主張はないの?」と困ったご様子。
反論書面の提出については「福岡に戻ってどうのこうの・・・」と駄々を捏ね、10月13日に提出ということになった。(裁判長が「FAXもあるし、メールもあるのに・・・」とつぶやいていたのを俺は聞き逃さなかったぜw)これに対して原告側は11月13日に反論を提出するとのこと。
そして次回口頭弁論は12月8日、その次は来年1月9日、同じ法廷で行うことになった。
・・・ところで閉廷後に弁護士会館で行われた報告集会にて弁護士の渡辺先生が、
「裁判長が、『東中野氏の本は客観的に間違っていると判断できるのではないか・・・』というニュアンスのことを洩らしていた。『だから謝罪や賠償を行わせるほどのことでもないのでは?』ということになったら大変だ」
と述べていたが、たしかにそうなったら大変だな。
2006年09月23日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック