【追記のお知らせ 2017年4月9日】
 記事「【5月7日】雁屋哲さんの講演+井戸川克隆さんと対談」に、「美味しんぼ『鼻血問題』に答える」から福島現地での鼻血の症状についての報告例を引用しました

2012年01月03日

【何度でも復習】事故直後の混乱/官邸の横槍

 2011年12月26日発表の、福島原発事故中間報告に於ける東電の事故対応には全く呆れた。事故発生当時現場にいた運転員は誰一人、IC(非常冷却装置)を作動させた経験が無かったんだとよ!ICに蒸気を送る配管のバルブは電動式で停電すりゃ閉じることも知らなかったんだとよ!ただでさえ地震や津波の備えが無い老朽化した原発を無理に動かしてたのに、運転員が設備の内容を把握していなかったとは。破滅的な大事故に至ったのは全く当然だな。
 そーゆうわけで?悠長なことだがこれから半年以上前の新聞記事から引用を続ける。しかし2011年3月に何が起こったのか、少なくとも俺が生きている間は繰り返し語られるだろう。

  3月11日に福島第一原発で稼動中だった1〜3号機は、地震発生とともに制御棒が挿入され停止したが直後の津波で建屋ごと浸水、非常用発電機もバッテリーも使えなくなった。しかも外部電力も断たれていたため、全電源喪失という「想定外」の事態に陥ったことは周知の通り。もっとも津波が来る前に地震で重大な損傷が発生していたと思われることも周知の通り(注1)
 1号機は漏れ出した蒸気によって3月12日午前2時半の時点で格納容器内部圧力が840kpa(キロパスカル)まで上昇していた。100kpaは約1.02 kgf/cm2なので、840kpaとは1平方cmあたり約8.57kgの圧力。10cm四方なら857kgだ。これはボイラーなど高圧力に耐えうる機器で発生させる圧力だ。しかもこの格納容器の設計上の最高圧力は528kpa。「パンパンの風船に空気を入れ続けているようなものだった」。このままでは格納容器が破裂し、大量の放射性物質が飛散することになる。原子炉本体だって破壊され、東日本に人が住めないような事態になるだろう。それにしてもボイラーなどと違って圧力が高くなれば勝手に作動する安全弁はついてないんだね。迂闊に放射能を放出しないためか?つーか設計上の最高圧力を超えるような事態じゃ仕方ないと思うけど?
 この危機は官邸にも知らされ、菅直人は海江田、斑目らと協議しベントを決断、12日午前1時半に海江田は東電にベントを指示する。しかし全電源喪失のためベントを行う電動弁を動かすことはできない。
 朝になって菅や斑目らがヘリで福島第一原発に向かった。現場で状況を知らされた菅は「手動でもいいから早く開けて下さい」と要請。吉田昌男所長(当時)は「すぐやります」と応じ、「決死隊」が編成され、照明が落ちて真っ暗な建屋に入った。
 二つの弁を開けなければならないため、一つ目の弁は移動式発電機を使って開けたが、二つ目の弁が開かない。何度も挑戦し、ようやく圧縮空気を用いて開け、午後2時20分ベントが開始された。
 作業に当たった当直長の被曝量は106ミリシーベルト。このあと5km離れた福島県原子力災害対策センターで診察を受けた。「見るからに疲れきっていた」が、また第一原発に戻っていったという。以上、2011年5月11日東京新聞【決死隊 被ばく】より引用。

 この当時、菅がわざわざ現地視察を行ったことへの非難とともに「菅が来たためベントに躊躇したのでは?」という推測も広まったが、そういう事実は無かったようだ。俺も安易に受け売りしたことを反省したい。事故対応全般に数知れぬ不手際があったが、少なくとも現場の労働者たちは、首相が来ようが天皇が来ようが関係なく、命がけで事故拡大を防いでいたのだ。菅は早くベントをやれと叫んでいたのだ。もちろん菅がそこにいるのは迷惑極まりないことだったが。
 報じられているようにこの大事故では東電の正社員も相当な線量を喰らっている。福島原発事故対応の限度250ミリシーベルトを超える被曝をした東電社員は9人(2011年6月21日・東京新聞)、うち2名は678ミリシーベルト及び643ミリシーベルトという恐ろしい線量を浴びている(6月11日・東京新聞)。(*注2)
 被曝の恐怖を知りながらも職場を捨てることは出来ないのは関連・下請け孫請け会社の従業員も、東電の正社員も同じだ。東電の社員にとっては自分の持ち場というだけでなく自社の設備だから決して逃げられない、という使命感があると思う。

 ところでこのときのベントは十分ではなかったようだ。
◇ ぼちぼちいこか。。。 6月24日後藤氏「1号機のベント『失敗』について」解説@CNIC
 格納容器の圧力抑制プールから伸びる配管の先に、並列に並ぶAO小弁とAO大弁があり、その先でこの2系統は合流し、その先にMO弁がある。つまりベントを行うには、まずMO弁を開き、続いてAO小弁かAO大弁のどちらかを開かなければならない。
 しかしMO弁は25%程度しか開かず、AO小弁付近は高線量のため近寄れず、AO大弁はなんとか空気圧縮機を使って開けた。圧力は500kpa近くまで下がったが、午後3時を過ぎると逆に微増に転じていた・・・ということ。要するにバルブがまともに開いていなかったのだろう。それにしても電動バルブには手動操作が可能なバルブ(バイパス弁)を並列に設けてなくていいのか?そもそも緊急事故対応の設備であるから停電時の対策を講じなければならないのでは?

 そして12日午後3時36分、1号機が水素爆発して建屋は骨組みだけになった。14日午前11時、今度は3号機が爆発。お次は2号機の水位が下がり続け、燃料棒が露出しそうになった。15日午前6時には2号機で爆発音を確認。
 これに至って吉田所長は覚悟を決め、「事務系の東電社員や協力企業の社員の人命を守らなければならない」と決意。「協力会社」作業員らに「今までありがとう」と声をかけ、退避用のバスを手配させた。そして15日朝に約650人を福島第二原発に退避させ、東電幹部など約50人が残った。
 一方東電清水社長は政府に「福島第一原発から撤退したい」と要請したが、菅は「ふざけんな」と一喝、撤退を許さなかった・・・という。
 (以上は、6月5日NHKスペシャルの内容をテキスト化したブログと、2011年12月27日・東京新聞より引用)
 菅直人は辞職後、当時の様子を以下のように語っている(9月6日・東京新聞)。菅は15日午前3時ごろ、海江田(当時経産相)から「東電が撤退したいという意向を示している」と伝えられ、(福島第一・第二を合わせて)「10基の原子炉と11個の核燃料プールを放置したら、何時間か何十時間の間に原子炉やプールの水は空になり、炉心はどんどんメルトダウンし、放射線物質が放出される」と戦慄したという。
 「撤退なんてあり得ない。撤退したら今ごろ、このあたり人っ子一人いなくなっていたかもしれない。まさに日本が国家として、成り立つかどうかの瀬戸際だった。チェルノブイリ事故の何倍、何十倍の放射性物質が出ていたかもしれないんだから」
 そういうわけで東電は撤退せず、メルトスルーしている原子炉に注水を続けることで事故のこれ以上の拡大は防がれている。つまり多くの労働者の被曝と引き換えに、俺たちは今でも東日本に住んでいられるわけだ。場合によっちゃ1、2、3号機が再臨界を始めて作業員もろとも地獄の釜に引きずり込んでいたかもしれない。菅のこの強制を、正しかったとも正しくなかったとも、言いたくない。

 話は変わるが3月12日午後2時頃、経済産業省原子力安全・保安院の中村幸一審議官が記者会見で「(1号機は)炉心溶融の可能性がある。炉心溶融がほぼ進んでいるのではないか」と発表した。「原発周辺の放射線量上昇や、1号機が冷却機能を失って時間がたつ」ことから判断したことである。当時の寺坂信昭院長も公表を了承。
 しかしその後寺坂氏は、官邸が「保安院の広報に懸念」を持ち「発表前に官邸に情報提供するよう」求めていることを知り、広報担当者らに「発表の際は事前に官邸の了解を得るように」と指示。中村氏は「発言に気を付けるように」と注意された。
 これ以降、「1、2時間おき」に行われていた保安院の会見は、官邸の了解を得るため「数時間に1回」に減った。中村氏は広報官を自ら辞退。以後の広報官は「炉心の状況は不明」などと曖昧な発言に終始。カツラ不倫おじさんのことだな。結局保安院は4月まで炉心溶融を認めなかった。
 また、3月12日夜に東電の福島事務所が、報道関係者も傍聴できる会議で爆発後の1号機の写真を公表したところ、官邸は「事前連絡なしに公表した」と東電清水社長に注意した。このため清水社長は、「発表や資料の公表は事前に官邸の了解を得るよう指示」。
 14日早朝には3号機格納容器の圧力が異常上昇したので東電は官邸の了解を得て発表しようとしたが、「官邸内で調整がつかず、東電は公表を見送った」。結局午前9時15分に保安院が発表したが、3号機は午前11時に水素爆発。以上2011年12月27日・東京新聞より。原発事故の状況は官邸なんかより一番に市民に知らせるべきではないか?
 このように官邸は関係者の足を引っ張りまわし、重大な情報を隠蔽させ、福島県民に適切な情報を与えず被曝させた。しかも当時は菅という愚か者が総理大臣官邸の主の座にあったのだ。

 事故発生直後の政府現地対策本部長だった池田元久・経済産業副大臣(当時)によると、菅は3月12日に現地入りした際、周囲に怒鳴り散らしていたという。
 東電の武藤栄副社長(当時)に対しては「なぜベント(排気)をやらないのか」などと「初めから詰問調」で、「怒鳴り声ばかり聞こえ、話の内容はそばにいてもよく分からなかった」。キレて叫びまくってたんだろうな。
 しかも菅は免震重要棟の中の「夜勤明けの作業員が大勢いる前で」、「何のために俺がここに来たと思っているのか!」と怒鳴り声を上げた。よく殴られなかったね。
 池田氏は「これはまずい。一般作業員の前で言うとは…」と危惧したというが、たしかにまずいよ、これは。菅が殴られるだけならいいけど、一晩中放射能に晒されながら必死に働いてたのに、突然訪れた部外者が現場の状況も知らんクセに怒鳴りまくってんじゃ、みんなやる気なくして帰っちゃうかもしれないじゃん。
 池田氏は、「同行した寺田学首相補佐官(当時)に『首相を落ち着かせてくれ』と頼み、同席した関 係者に『不快な思いをさせてしまった』と陳謝したという」とフォローに務めたという。以上、MSN産経ニュースより引用。
◇ 「怒鳴り声ばかり」震災直後の菅前首相の言動とは(1/2) (魚拓)
◇ 「怒鳴り声ばかり」震災直後の菅前首相の言動とは(2/2ページ) (魚拓)
 繰り返すけど菅がベントを急かせたこと・撤退要請を拒否したことは、正しいとも正しくないとも言いたくない。だけどこいつの態度、空気読まないってゆうかまるで他人の立場と心情を理解してないね。理解しようとしないんだね。どんな組織でも一人や二人、こういう馬鹿がいるけどさ。こんな奴が首相やってたんだ。
 そういえば菅が避難所を訪問したとき、足早に立ち去ろうとしたら被災者の方に「首相、もう行っちゃうんですか?」と呼び止められ、面倒くさそうに戻った光景が印象深いね。あいつは人の上に立つような器じゃないんだよ。政治家になったこと自体間違いだね。一方野田は、このへんは菅より人間味があるみたいだね?

 蛇足になるが、吉田昌郎所長(当時)の海水注入に伴う対応についても記憶にとどめておきたい。
 5月頃だったが政府や東電が、事故直後の海水注入は止めた、いや止めてない、と責任の擦り合いをする姿は情けないものだった。結局吉田所長の判断で継続されていたことが明らかに。1号機では3月12日午後7時すぎから海水注入が行われたが、首相官邸に派遣されていた東電関係者が「首相の判断がないと海水注入は出来ない雰囲気だ」と東電本店に報告。そして東電本店は吉田所長に海水注入中断を指示した。
 しかし吉田所長は「これから首相の命令で注水停止を命令するが、言うことを聞くな」と前置きしたあとに「注水停止!」と発声したという。そのため海水注入が中断されることはなかった(以上2011年11月30日・東京新聞)。

・・・原発も火力発電も言わば巨大なタービン付きボイラー、スケール(内部の垢)付着や泡立ち防止のために、加熱→沸騰→冷却→凝縮のサイクルに用いられる循環水には厳密な水質管理が求められるのは言うまでもない。海水の使用などもってのほか、塩分など不純物が内部にこびりつき、冷却機能を低下させ、かつ配管や原子炉を著しく腐食させる。
 しかしこのような非常事態に際しては、海水を注入せざるを得なかった。それを判断するのは東京都千代田区内幸町の東電本店でもなく、永田町の官邸でもない。現場の責任者である吉田所長だ。「首相の判断がないと海水注水は出来ない雰囲気」などと抜かす人間には、お偉方の顔色を窺うだけで、原発事故拡大を防ぐつもりなど無かったと言わざるを得ない。現場がどういう事態か理解しようとしない、当事者意識など全く無い。他人事だったんだな。
 吉田所長は、自分の立場としてはとしては本店の指示に逆らえない。しかし海水注入は止められない。本店の愚かしい干渉を一喝し拒否すれば、また厄介な事態になっただろう。場合によっては事故拡大阻止のために最も必要な男(吉田所長自身)が更迭されたかも。この窮地を機転で解決したわけだ。全く素晴らしい!
 そういうわけで俺は吉田前所長を尊敬しているが、かつて15m超の津波が福島第一原発を襲うという報告が出たとき、残念なことに吉田前所長(当時は原子力設備管理部長)も「そんな津波は来ないだろう」と対策を見送らせた一人だったという(2011年12月27日・東京新聞)。これもそのうち詳しく書くつもりだが、パソコンデータの整理など雑用があるのでまた更新が滞ることをお断りしておきます。


*注1 大地震が福島第一原発を襲ったのは2011年3月11日午後2時46分、同52分に1号機の非常用復水器(IC)が自動起動、11分後に運転員が手動停止した。この11分間で原子炉内の圧力と水位が「急降下」している。言うまでもなく津波到達の前である。
 保安院の解析結果によるとこの現象は、地震の揺れによって生じた亀裂からの漏水が生じていたと推測されるという。亀裂の面積は0.3平方cm、丸い形にしてみれば直径約6mm。水道管でもこんな穴を開けてしまえば凄まじい勢いで水が噴き出す。ましてや6.9Mpa(約70気圧)ほどで運転している沸騰水型原子炉なら致命的な損傷だ。1時間で約7トンの水が漏れ出すという。
 福島第一原発の設計に携わった元原発エンジニアでサイエンスライターの田中三彦氏は、運転員がICを止めた理由を次のように推測する。
 「おそらく運転員は、ICが作動している時の圧力低下があまりにも早いので、長く激しい地震動でどこかが破断した、そのため圧が抜けていると直感したのではないか」
 以上は12月15日・東京新聞より。この件については小出裕章氏も次のように指摘しているのでコピペさせていただきます。
◇ ぼちぼちいこか。。。 11月24日 小出氏:厚労省の乳児用食品基準、国会の事故調査委の委員長、非常用復水器が機能しなっかった原因とは・・・?@たねまき
 今回のような大変な非常事態ですから、とにかく原子炉を冷やすということを最優先にしなければならないはずでしたし、多分運転員もそのことは十分知っているはずだと思います。
それでも非常用復水器を止めてしまったということには、何か別な原因があったのではないかと私は思います。
 その一番考えられるというか、重要な原因というのは、どこか配管が破れてしまっていて、その非常用復水器を動かそうとすると、むしろ冷却材が流れていってしまうので、仕方がなくてその回路を閉じたということではないかな?と私は推測しています。
 これまで、政府と東電は、「地震では壊れなかったけれども、津波によって電源が奪われたから壊れてしまった」と、「地震のほうは問題ない」という、その一点張りできたわけなんですけれども、実はそうではなくて、地震によって非常用復水器の方も実はやられていたということなのではないか?と私は疑っています。
 言うまでもなく東電も保安院も、2011年12月26日発表の福島原発事故中間報告さえ、地震による損傷を否定している。12月27日・東京新聞【こちら特報部】は、原発再稼動と東電の責任逃れのために(というか日本政府の原発維持方針のために)決して認めたくないのだろうと指摘する。つまり、地震で重大な損傷が発生したことを認めてしまえば「ストレステストはもちろん、現行の耐震設計審査指針の全面見直し」が必要となり、全国の原発の「すべての機器の取り換えが必要」になるかもしれないのだ。1号機での地震の大きさは「耐震設計の基準値内」だったからよ。

*注2 6月21日・東京新聞によるとこの時点での被曝者総数は3514人、50ミリシーベルト(本来の年間被曝量限度)を超えた被曝者は412人。
posted by 鷹嘴 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 原発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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