2006年09月26日

ダムはムダ

しゃも(鶏)が「勝手に解説するぜ!オイコラ聞けよ!」によると、太平洋戦争開戦の理由は官僚の保身だったらしい・・・。つーかこの国は60年経っても全然進歩していないようである。

岐阜県にでっかいダムが完成し、水張りを始めたそうだが、こんなダムで発電しても貯水しても無駄らしい。電気も水も余っているんだってさ。
ならば造るのやめよう・・・とならないのがこの国の仕組みらしい。役人どもが
決めたことは止まらないんだね。
日本最大のダム、貯水開始 水道・発電使えず矛盾も巨大
2006年09月25日03時11分
 日本最大のダム湖が25日、産声をあげる。岐阜県揖斐川町の徳山ダム。本体工事が完成し、水をためる「試験湛水(たんすい)」が始まる。総貯水容量は6億6000万トンで浜名湖(静岡県)の2倍。08年春に運用開始予定だ。構想から半世紀たち、脱ダムも言われる中、3300億円以上を投じ、国土交通省が主導して建設を進めた。だが、今になって住民対策が再燃し、水の使い道もめどがたたないなど、ひずみが次々と噴き出している。
     ◇
 ダムで水没する国道の代替道路。22日に開通したとたん、道路沿いに「9・25試験湛水反対」と書かれた横断幕が、旧村民の手で掲げられた。
 「所有権の確定など問題が山積みなのに、試験湛水に踏み切るとは侮辱している」。徳山区共有財産管理会の長屋昭二会長(69)は憤る。
 現地の旧徳山村の村民約1500人は、世帯あたり数千万円規模の移転補償を受けて、全員村を出た。だが今も、土地を巡るもめごとが尽きない。
 ダム本体から約10キロ上流の山中。旧村民の男性(55)は8月末、家を建てるため、自分の山林を切り開いた。途中の道路が水没し、孤立するのは承知の上だ。「水資源機構の言うことはコロコロ変わる。やったもん勝ちだ」
 旧村民が舞い戻り、水没しない高台に建てた家は約30戸。ここ2、3年で急に増えた。
 「都会は空気がきたない」「老いて死ぬなら住み慣れた村で」。古里の暮らしを懐かしんで戻ってきた人は多い。一方で、「また立ち退き補償金をもらえるのではないか」とゴネ得を口にする人もいる。
 事業を進める水資源機構の前身、水資源開発公団は、用地取得で多くの例外をつくってきた。
 「等価交換」と称して元の土地の10倍近い価値の土地を渡したり、原野なのに「田」として高値で買い取ったり。
 「後先を考えず金を使ってきた。ずさんな交渉のツケが回ってきた」。機構の職員はぼやく。
 代替道路建設が01年に大部分中止されたり、山林を新たに買収することが昨年10月に決まったり。混乱を招く方針転換も相次いだ。
 ダム湖で孤立する旧村民のため、12億円かけて電線や電話線を新たに引く。作業船で送り迎えもする。すべて想定外の追加負担だ。
     ◇
 昨冬の大雪で工事が遅れ、試験湛水の開始はもともと10月後半で検討されていた。それを9月中に繰り上げたのは、台風シーズンに間に合わせるためだ。現場に無理を強いても、治水効果をアピールする必要があった。
 徳山ダムは東海地方の治水、利水、発電を担う多目的ダムだ。だが、過大な需要予測がたたり、治水以外では当面、使い道はない。
 計画上、ダムの水の多くは水道水に使う。ところが取水施設は一つもできていない。水需要がなく、施設整備は後回しにされた。
 水利権を持つ愛知県と名古屋市がダムの水を使うには、水を引いてくる長大な送水トンネルを掘らなければならない。8月末に延長44キロのルートを軸に検討する方針が決まったばかりで、完成させるには今後900億円と試算される事業費投入が必要になる。
 地元の岐阜県でも、予定されていた県西部の2市9町で水を使う計画を立てた市町はない。
 水力発電も電力需要の伸び悩みから、04年に発電規模を縮小した。発電所の建設計画は中断したままだ。
 ダムがある揖斐川の中流域の住民で、水害被害を問う訴訟の原告団長、安保智晴さん(66)は言う。「誰も水がいらないなら、いっそダムを空にしておいてくれると大雨の時に安心なんだが」

徳山ダムで試験湛水
 貯水量日本最大の徳山ダム(岐阜県揖斐川町)で、ダムの性能を確認する試験湛水(たんすい)が二十五日、始まった。いったん満水にし、二〇〇八年春の稼働を目指す。試験期間も揖斐川の治水機能は果たす。建設に伴い廃村になった旧徳山村はダム湖に沈む。構想の浮上から約半世紀。事業費三千三百五十億円をかけた巨大公共事業は、大きな節目を迎えた。

 試験湛水では、ダム本体建設のため流れを迂回(うかい)させていた一号仮排水トンネル(長さ千四百七十五メートル)を閉鎖、水流を本来の河床に戻す。閉鎖後は水の一部を吸い上げ、トンネルと並行する二号仮排水トンネル(同千百三十六メートル)を通して流し、下流の水量を維持する。
 今後、徐々に貯水量を増やし、ダム本体の強度や放流機能などを確認する。
 ダムの構想は一九五七(昭和三十二)年に浮上。当初は電源開発が目的だったが、多目的ダムに目的変更。近年の水余りが原因で、水利から治水に重点をシフトした。この間、水資源開発公団(現水資源機構)は、水没する旧徳山村の村民への補償交渉を実施。困難の末に全四百六十六世帯が同意、古里への思いを胸に村外で生活再建に取り組んだ。村は八七年に廃村になった。
 建設の是非をめぐる議論は絶えず、市民団体が事業認定取り消しを求める行政訴訟と、岐阜県が負担する費用の差し止めを求める住民訴訟を起こし、一、二審はいずれも敗訴。現在上告中。
posted by 鷹嘴 at 16:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 環境問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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