2011年06月30日

過去ログ移転:南ベトナムという傀儡政権

 過去ログ移転作業の続き。
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ベトナム戦争
 投稿番号:18709 (2003/08/03 00:30)
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内容
――――アメリカ兵は一般民衆をも無差別に殺傷するという声があるが、あなた自身の隊ではどうか。
「戦車隊の場合、たとえば地雷が爆発したとき、周囲にベトコンでない市民もいるかもしれんが、彼らはベトコンが地雷を仕掛けたのを見て知っているはずだ。知っていて報告しないのでは、撃たれても仕方がない」
――――地雷が爆発したら、見える限りの農民を皆殺しにして報復するということもあるという噂を聞いたが、本当か。
「本当だ。しかし私の隊には条件がある。戦車は普通3台以上が一組になって動くが、先頭の戦車の通った同じ軌跡をあとの戦車が進んでいるとき、地雷にやられた場合だ。このときは50m以内にベトコンがいて、誘導線で発火装置を押したものとみなす。先頭の戦車がひっかかった場合は、戦車自体が起爆装置を踏んだための“普通の地雷”とみて、皆殺し戦術はとらない。でも、こういうことは隊のコマンダー(指揮官)によって命令が違う。普通の地雷の場合でも、皆やっつけろという人もいる」(本多勝一/著「戦場の村」より、アメリカ軍基地内の病院にて治療中のギャリー=T=クリスチーニ志願兵(18歳)からの筆者自身による聞き取り)

共産主義の脅威からアジアを守るという大義名分を掲げたアメリカの侵略戦争に対し、ベトナムの民衆は祖国を守るために解放戦線と一体となって戦い、侵略者を追いつめました。これに対してアメリカ軍は住民を無差別に殺戮し、村落を焼き払い物資を強奪・破壊し、住民を強制移住させ、そして枯葉剤を大量に散布しました。アメリカによるベトナム侵略戦争は、ベトナム人を殺しつくし、ベトナムの大地を破壊しつくすまで、終わることはなかったのです。

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第二次世界大戦の終結によって日本軍はベトナムから去り、ホーチミン率いる「ベトミン」(ベトナム独立同盟)は1945年9月2日、「ベトナム民主共和国」の成立を宣言しました。しかし大戦終結の直前まで日本軍と協同でベトナムを支配していたフランスは再植民地化を狙い、翌年南部に「コーチシナ自治共和国臨時政府」という傀儡政権を誕生させましたが、これによってベトミンとフランスは交戦状態に入り、ベトナムの民衆は30年近い独立戦争を戦うことになります。
また共産圏の拡大を警戒していたアメリカがフランスを援助します。1949年フランスは、アメリカからの(フランスの植民地支配継続を狙うフランスを支援しているとの批判をさけるための)働きかけによって、かつて日本も皇帝に据えていた「バオダイ帝」を大統領とするベトナム中央政府を誕生させました。
ベトナムが北緯17℃で南北に分断されることになった1954年のジュネーブ停戦協定に、アメリカと南ベトナムの傀儡政権は調印しませんでしたが、この協定はアメリカと傀儡政権を利するものだったと言えます。ベトナム国民の大半はホーチミン政権を支持していたためベトナム全土すら失いかねない情勢だったのです。そして当然この協定で宣言されている二年後の選挙実施をも拒否する態度を示しました。
「南ベトナム解放民族戦線」は傀儡政権の打倒のため立ち上がり、アメリカ軍は1964年8月の「トンキン湾事件」を口実にし「北爆」を開始し地上部隊も投入し、本格的にベトナム戦争に介入します。

ところでアメリカは1954年、カトリック教徒の反共政治家「ゴ・ジン・ジエム」を南ベトナムの大統領に担ぎ上げましたが、その後無能なこの大統領に愛想をつかし、1963年の軍事クーデターを後押しします。アメリカに見捨てられたこの哀れな男は中華街に潜伏していたところを発見され惨殺されます。アメリカにとって南ベトナムという国家の存在など防共のための方便に過ぎず、その首魁など扱いやすい人物ならば誰でもよかったのでしょう。
南ベトナム政府と言う存在は、かつて関東軍が中国東北部に作った「満州国」と同様の、フランスが作ってアメリカが引き継いだ傀儡政権です。この二つの帝国主義国家からの干渉がなければ、ベトナムは日本の敗戦と同時に南北に分断されることなく独立していたでしょう。またアメリカがインドシナ半島に於いての防共に執着していなければ南の政権は直ちに消え失せたことでしょう。
しかしアメリカは、関東軍が柳条湖事件というデッチ上げを口実にして中国東北部を侵略したように、「トンキン湾事件」を皮切りに本格的にベトナム侵略を始めました。1964年8月2日にアメリカの駆逐艦が攻撃を受けた位置は北ベトナムが主張する領海内でした(そもそも地図を見れば分かりますがトンキン湾とは北ベトナム沿岸と海南島に挟まれた海域です)。二日後にも北側から攻撃を受けたと報じられましたが、これは乗務員の勘違いだったのです。この点、日本軍が中国の領土内で挑発を続けたため偶発的に発生した盧溝橋事件をきっかけとして本格的な中国侵略を開始したことと酷似しています。
ベトナム戦争とはベトナムの内戦ではなく、アメリカのベトナムに対する侵略だったのです。

しかし「満州国」とは、それこそ現在の北海道に「蝦夷共和国」を作るくらいの馬鹿馬鹿しい行為でしたが、当時のベトナムには確かに反共、カトリック教徒(ベトナム国民の大半は仏教徒で、「ゴ・ジン・ジエム」政権は彼らを抑圧していました)、親欧米勢力が存在しました。この点日本の中国東北部侵略とは全く様相が異なりますが、それでも他国に対する余計な干渉であり、侵略であった点は変わりありません。
しかし関東軍で五族協和とか王道楽土とかのスローガンを本気で信じていたバカは石原莞爾くらいのもの??でしょう。一方当時のアメリカ人の中には、「ベトナムを共産主義の脅威から守ってあげてるのに・・・・」と思い込んでいる超バカも少なくなかったようです。(現在でも「イラク国民をフセインの圧制から解放してあげたから正義の戦争だった」と思っている糞バカなアメリカ人は多いようですね)
しかしアメリカ兵たちはベトナムの地を踏んでから、それが幻想だったことに気付くのです。

「子供たちは我々の目を見ようとしない。彼らはアメリカ人に対して嫌悪のジェスチュアを示す。これは若い新兵たちを動転させる。彼らは、自分たちが守ってやっている人々から大歓迎を受けるだろうと言われていたからだ」(1970年出版 草思社 セイムア・ハーシュ/著 小田実/訳 「ソンミ  ミライ第四地区における虐殺とその波紋」より引用)

そしてじきに彼ら新兵も、自分たちはベトナム人を共産主義の脅威から守るために来ているのではなく、ベトナム人を無差別に殺戮するために来ていることを悟ったことでしょう。
posted by 鷹嘴 at 21:12 | TrackBack(0) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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