2011年06月30日

過去ログ移転:枯葉剤作戦

 過去ログ移転作業の続き。

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Re(3):ベトナム戦争
投稿番号:18712 (2003/08/03 00:39)
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ローカルネタで恐縮ですが・・・・・
昔、浦和市(現さいたま市)の東部に「野田のサギ山」というシラサギの群生地がありました。
しかし1960年代半ばからこの場所のシラサギの数は減少し続け、70年代にはほとんど見られなくなってしましました(もっとも、市内全域の水田、用水路、角栄サンの減反政策によって発生した草ボウボウの荒地!などで現在でもシラザギをたまに見かけますが)。当地には現在「さぎ山記念公園」を残すのみです。ちなみに国道122号(東北自動車道)を挟んで東側に建てられた埼玉スタジアムの屋根の部分は、シラサギが羽ばたく姿をイメージにしたそうです。
シラサギが姿を消した原因としては、主に住宅の増加による水田・雑木林の減少、近くを走る国道122号の交通量増加による騒音・排ガス、それに農薬による環境破壊・・・・などが考えられますが、「戦場の枯葉剤   ――ベトナム・アメリカ・韓国」(中村梧郎・著、岩波書店)という写真集によりますと、シラサギは日本とベトナムなどの間を往復する渡り鳥で、アメリカがベトナムで行なった枯葉剤作戦がシラザギの減少に一役買ったそうです・・・・(つーかシラサギが渡り鳥であることも知らなかった!)


・・・・以下は「戦場の枯葉剤」よりの引用です。
第二次世界大戦末期、アメリカ軍には日本へ枯葉剤を散布する計画もあったそうです。「チオシアン酸アンモニウム」という何だかわからん薬品を撒くことで、日本の稲作地帯に打撃を与えるプランが考案されたそうです。しかし日本はソ連参戦にビビって降伏したためこれが実行されることはありませんでした。
その十数年後、ベトナムのジャングルに苦しむアメリカ軍は枯葉剤の散布を計画し、当時の大統領だったジョン・F・ケネディが承認し、実行されました。1962年1月、南ベトナム政権は「ベトナム共和国は、生い茂った熱帯植物を主要交通路から除去する実験を行なうとの計画を発表した」との声明を発表しました。アメリカは化学兵器を使用することに対する非難を恐れ、南ベトナム政権単独の実行であるようにカモフラージュしたのです。そして「民間人の服を着て米空軍の標識のついていない飛行機に乗り、捕虜になってもアメリカ政府は関知しないがよいか?」という条件の下、南ベトナム兵を募集したのです。

こうして枯葉剤作戦が開始されましたが、上記の声明によると「・・・・2種の化学剤はともに有毒ではなく、野生の動物や家畜、人体、土壌に何の害も与えない」という全く虚偽の説明が行なわれました。
しかし南ベトナム政権も環境に甚大な影響を与えるであろうことを理解していなかったわけがありません。またそうでなければこの作戦に意味はありませんでした。
当時の南ベトナム政府の文書によると、この作戦は「カイクァン(Khai quang)作戦」と命名されていまいました。「カイクァン」とは漢字を当てれば「開光」、つまり昼なお暗いジャングルを切り開くという意味でした。
「ベトコンの秘密区(解放区)や根拠地を破壊して空白地帯にし、潜伏場所にされぬようにする・・・・作物耕作地を消失させて、彼らの自足経済を破綻させ、補給を困難にし、彼らの戦意を阻喪させ、指導部を信頼しなくようにする・・・・」
このようにベトナムでの枯葉剤作戦は、ゲリラ戦には絶好のジャングルを消失させるだけでなく、第二次世界大戦末期に日本の農業生産に打撃を加える計画があったことと同様、「解放区」の農業を破壊する目的もあったのです。これが「開光作戦」という名の、ベトナム全てを破壊する三光作戦だったのです。
その後アメリカ軍は南ベトナム軍が主体的に行なっているというカモフラージュをやめてしまいましたが、相変わらず無害であると主張していました。

散布された枯葉剤の67%が「エージェントオレンジ」と呼ばれる(容器がオレンジ色)、なんだかサッパリ分かりませんが24−D(ジクロロフェノキシ酢酸)と、現在では使用が禁じられている有機塩素系除草剤245−T(トリクロロフェノキシ酢酸)とかいう科学部質を一対一で混合させたもので、245−Tはダイオキシンを含有していたのです。アメリカ軍がダイオキシンを混入させたわけではなく、この化学部質の製造過程に於いて必ず生成してしまうのです。ご存知の通り人類が作り出した最強の毒物であるこの物質は極めて微量でも人体に影響を及ぼし、ベトちゃんドクちゃんのような奇形児が多く出生しました。また一部のアメリカ兵の健康にも影響を及ぼしました。湾岸戦争で使用した劣化ウラン弾がアメリカ兵の身体を蝕んでいるように。(今回のイラク侵略戦争に於いてもアメリカ軍は劣化ウラン弾を大量に使用しました。イラク人・アメリカ兵双方の健康被害は今後明らかになっていくでしょう)

こうして10年間で9万1000キロリットルの枯葉剤がベトナムの大地に散布されました。こういう数値を見てもピンときませんね。300キロリットルのドラム缶なら30万本以上です。50mプールの横の長さを20m、深さ平均1.2m→容積1200キロリットルと仮定すれば、約75杯分です。やっぱ全然ピンときません……( ┰_┰)
除草剤自体は徐々に分解していきますがダイオキシンは自然界では分解せず、今後のベトナムだけでなく全地球レベルで悪影響を与え続けていくことでしょう。アメリカによるこの行為はベトナムの大地とベトナム人全てに対する犯罪というだけでなく、全人類、地球の全生命体に対する重大な犯罪というべきでしょう。この行為によってベトナムのマングローブの森の40%が消失し、内陸の密林の12%と耕地の5%が壊滅したそうです。しかしアメリカがベトナムに執着し続けていれば、ベトナム全土を丸裸にするまでこの犯罪行為は続けられたでしょう。

ところで枯葉剤によって裸になったジャングルにその後に生えてきた草はアメリカ軍の移動を困難にしました。見通しがよくなったせいでアメリカ兵は容易に解放戦線の狙撃の犠牲となりました。旧日本軍の行なった三光作戦と同様、枯葉剤作戦も自分の首を絞める結果に終わったのでした・・・・。
posted by 鷹嘴 at 21:15 | TrackBack(0) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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