≪島民の拷問を身近で見聞き≫
人の声とは思えない男女の悲鳴が数ヶ月続いた。終戦の年、インド洋東端のニコバル諸島(現インド洋)でのことだ。兵長の私は、独立大隊の一員として英軍との最前線に立っていた。
奪還のための敵の上陸が近づき、艦砲射撃と空襲が激しくなった、それに合わせ、夜中には島から信号弾が打ち上がる。黄赤緑ときれいだが、敵への情報提供なのだから、見逃せない。
信号弾が上がると、兵隊は発弾点に走る。疑わしい島民を容赦なく捕まえて部隊本部に連行する。本部で通信を担当していた私に。拷問の悲鳴が聞こえた。
取調べの傍らで銃剣を構え、いつでも刺し殺せる態勢で立ち会った日もある。
取調べはいいかげんだった。島民との間に通じる言葉はイエス・ノーぐらい。信号弾発射の真偽は分かりようものないのに、片っ端から処刑した。砲弾で開いた穴に死体を落とした。
終戦は数日後に知った。上官たちは戦犯への恐怖におののき、死体を慌てて穴から引き上げ、焼かせた。
こういう貴重な証言は漏れなくブックマークしたいものである。ニコバル諸島での残虐行為についてはこちらが参考になると思う。