煩悩丸出し・修行全くやる気なしの「のざらし」ら小坊主と、生真面目な校長先生的キャラだが実は小坊主どもと同じく煩悩の塊である和尚様が繰り広げる、痛快なギャグマンガだった。
ところで「のざらし」らが修行する「昇天寺」はどうやら観光地にあるようで、休日にSLが走ることもあるらしい。次のような一編があった。
和尚様 「(SLを撮影している集団を見て)彼らはなんじゃ?」
愛念(優秀な小坊主) 「鉄道マニアです」
和尚様 「(大量に積み上げられた弁当のゴミを指差し)これはなんじゃ?」
愛念 「鉄道マニアの食べ残しです」
ところがその他人の食べ残しを食い漁っている一群がいた。
和尚様 「彼らはなんじゃ?」
愛念 「鉄道マニアの食べ残しを食べるマニアです」
しかし大量に廃棄された弁当は、鉄道マニアの食べ残しを食べるマニアをもってしても処理しきれなかった。
「もう食えない、こんなに残っちゃった、どうしよう?」
「しょうがない、和尚様にあげよう。和尚様は鉄道マニアの食べ残しを食べるマニアの食べ残しを食べるマニアだからな」
彼らは「のざらし」ら悪童だった。その直後、背後で見ていた和尚様に「仏に仕える身でありながら他人の食べ残しに手を付けるとは何事か!」と、どつかれるのだが。
ちなみにこのマンガが連載されていたのは1970年代である。何を言いたいかというと、近頃「鉄っちゃん」「乗り鉄」「撮り鉄」「鉄ヲタ」「鉄女」などという造語が溢れているが、鉄道マニアという人種はもうずっと前から存在していた、ということ。ただそれだけ言いたいために長々と無駄話してごめんね。
俺自身もごく最近、鈍行で旅行するだけでなく乗った電車を撮影するなど、鉄道ファン的な行動をとるようになってきたが、鉄道マニアを自称するにはあと半世紀くらいかかるのでは?
なにしろこの前鉄道博物館に初めて行ったが、「タブレット」という恐らく鉄道マニアには初歩の初歩と思われる用語すら初耳だったからな。恐らく鉄道マニアたちは四六時中鉄道のことが頭から離れず、余暇の時間や小遣いは全てその道につぎ込むんだろう。追いつけるわけが無い。「マニア」を目指すのは並大抵の根性じゃ無理だろ。かつて近・現代史マニアを志しながら最近はすっかり投げ出している、飽きっぽい俺にはとても無理だ。せめてミーハーな初級鉄道ファンを目指すとするか。
というわけで5月9日から3日間、一部区間を除いて鈍行列車で新潟の各地を旅行してきた。ガイドブックは「鉄子の旅」第5旅だ。
浦和駅発5時32分の高崎線に乗り、高崎で上越線に乗り換え、水上で長岡行きに乗り換えた。「クモハ115」っていう、スキーのときに何度も乗った電車だ。そして素直に県境を越えずに、わざわざ「モグラ駅」として有名な土合駅(無人駅)で降り(8時34分)、標高差70mの階段を登ってみた。予想以上に疲れた。マジで地上に出るまで10分かかった。

地下鉄のホームより全然暗い


この階段をずっと登ったんよ
階段を登りきり、渡り廊下みたいな橋を渡ったところに「あと143メートル、階段24段」とか書いてあってゲンナリしたが、大したことなかった。

山小屋みたいな駅舎だな

これがさっきの渡り廊下か
駅前には何も無し、近くのドライブイン(ってゆうか売ってるものが山小屋っぽい)で缶コーヒーを買ったり残雪の感触を楽しんだりして時間を潰し、9時56分の下り電車を待った。なにしろ上越線の水上から越後湯沢あたりまでは一日5本くらいしかないからな。これ逃すと次は13時50分だ。だからこの日もスキーや登山に行くわけじゃないのに始発に乗ったんだよ。
そして上越線の車窓の景色を楽しみつつ駅弁を食い(越後湯沢駅で買った駒子弁当は900円もしたのにコンビニ弁当より貧弱だった。米は旨かったが)、長岡で降り、何もせずにUターンし、小出駅から只見線(ディーゼル車両、キハ47って言うらしい)に乗り換えて大白川駅(無人駅)まで行った(小出駅で2時間くらい待つことになるから、同行者が「只見線はやめて別のところに行こう」と言い出したため、道草することになってしまった。結局二人ともアイデアが出せず、予定通り只見線に乗ることにした)。
この辺りは魚沼市だけど昔は入広瀬村だったんだって。ホントは会津まで行ってみたかったんだが、只見線は昨年の豪雨の影響で大白川⇔会津川口が通行止めのまま。代行バスは只見⇔会津川口だってよ。道路も流されたままなのか?

駅舎のそば屋は土日祝祭日のみの営業、駅の周りに何も無し。残雪がかなり多く肌寒い。つーか、秘境ってかんじだな。これ残雪が消えれば桃源郷っぽくなるのかもね。こういうとこ大好きだよ。
少し歩いたところに民宿街があるらしいので行ってみた。温泉ではないので同行者は気が乗らないようだ。旅館の玄関先で声をかけたが応答無し。フロントで声を張り上げたが、やはり応答無し。大将が山菜取りに行ってるのかな?他の民宿も似たような雰囲気だった。

近くにスキー場もあるらしい
駅に戻り、旅館の電話番号が書いた看板があったのでかけてみたが、誰も出ない。同行者が「往生際悪いよ」と責めるので、仕方なくまた只見線に乗って小出に戻った。同行者は小さい旅館や民宿に泊まるのはイヤだって。ちゃんとしたホテルか温泉旅館に泊まりたいってさ。バブル期に味わった贅沢が忘れられないんだろうね。ちやほやされたんだよね。もう忘れなさいって!つーか予定が狂っちまったな、どうすっぺ?
小出からまた上越線下りに乗り、いろいろ悩み、唐突に柏崎まで行ってみたくなってしまった。2007年7月の「新潟県中越沖地震」で数々のトラブルを起した柏崎刈羽原発のある柏崎市だ。宮内から信越本線に乗り換え、18時ごろ到着し北口駅前のビジホにチェックイン、居酒屋で飲んだ。さぞかし原発マネーで潤っていると思ったが、駅前はシャッター通りっぽかったぞ(南口は見てない)。去年行った敦賀のほうが全然賑やかだぞ。人口9万人を割ったってね。ところで柏崎刈羽原発の目の前にあるPR施設「サービスホール」って、越後線刈羽駅から近いのかな?
5月10日は柏崎発7時29分の越後線下り(新潟方面)に乗った。

これも「クモハ115」だな?
PR施設は9時開場だが、次の電車が10時過ぎだからよ。刈羽駅もやはり無人駅、乗降客は少なくないが駅前に何もなし(ちなみに新潟の女子学生は美人が多い)。
ビジホで貰った観光案内の小さい地図を睨みながら、坂道を登っていった。つーか山ばっかりで何も無いのに交通量が不自然に多いな。トラックやバンだけでなく自家用車も多い。原発で働いてる人たちだろうか?
国道352号に出ても長い長い上り坂が続く。道路の両側はただの山林。坂を登りきったあたりでゴールかなと思ったが、道がカーブしていただけで、まだまだ上り坂が続く。最初から柏崎に行くと決めていれば車で来たのに。
それにしてもこんな高台だったら津波大丈夫だべ?(と思ったが、原子炉建屋の海抜は大したことないようだ)結局30分くらい歩いて到着。まだ9時前なので外のベンチに座り込んで時間を潰し、やっと入場した。


柏崎刈羽原発のマスコットは、エコロジーから生まれた「エコロン」君だよ!

去年行った美浜のPR施設と同様、原子炉の模型があった。柏崎は制御棒を下から突っ込むタイプで、沸騰水型。福島第一と同じだな。
展示内容は・・・言うまでもなく去年行った敦賀半島のPR施設と同様だった。つまり、
「5重の壁で守られてる日本の原発を、チェルノブイリと一緒にしないで」(あっさり突破されましたが?)
「福島第一は津波で損傷したけど、地震は耐えたよ」(ウソつけ配管にヒビ入ったじゃねえか!)
「100ミリシーベルト以下の被曝ではガンになるかどうか分からない」(作業員が線量計外してても黙認だべ?ってゆうか内部被曝って知ってる?)
「ちょっとずつ放射能を浴びた場合(それが一番危険だろうが!)、回復能力が働いて影響が少なくなるよ」(ってゆうかペトカウ効果って知ってる?)
このように、原発は安全だし放射能は大したことない・・・と繰り返すだけ。書くほどのことはないね。まあ俺みたいな撮り原?にとっては暇つぶしになるが。
また、非常用の発電機車の手配、水源の増設工事、海抜15mの堤防工事に着手しているそうだが、福島第一に15mの津波が来たから15mでいい、とはなんともお役所仕事な発想ですなあ。活断層のことはチラっとしか書いてないし。やっぱ東電なんかに原発は任せられないね。
平日の午前中のため来館者は俺ら二人だけ。しかし受付や説明係の女性、警備や清掃の人、その他係員の人たちなど、けっこうな人数だった。こんな施設を維持する金があるなら賠償金に回せばいいのに。喫茶店と売店は5月いっぱいで閉鎖だってさ。やっぱ来館者が減ってるのかな?
そんで喫茶店でお茶してから出たが、刈羽駅上り(柏崎方面)の次の電車は13時28分だ。まだ2時間ある。仕方なく、雨の中を女物の折り畳み傘一本をさしながら、国道352号を柏崎方面に歩いてみることにした。同行者が「どっかにバス停あるよ」って言うけどさ、歩けど歩けど景色変わんないなあ。車で来ればよかった。

近くの海岸より。ちなみにサービスホールの5階に望遠鏡や原子炉建屋を映すライブカメラがあった
長い下り坂を降りて住宅街に入るとバス停を見つけたが、時刻表を見るとまだまだ来ない。しばらく歩いて「柏崎原子力広報センター・アトミュージアム」という、これまた無料の施設を見つけた。近くにバス停もあるので、バスが来るまでここで暇を潰すことにした。

ペダルを漕いで発電するアトラクションがあったけど、2分くらい必死に漕いだのに発電量1kw、電子レンジ2秒分だとさ。中性子をプルトニウムやウランに当てて核分裂させるゲームは面白かったぞ。
そんでバスで柏崎駅前に戻ればもう13時になっていた。同行者が「ほくほく線」の沿線の温泉に行ってみたい、というので時刻表を確認すると、次の信越本線上り(直江津方面)は14時22分に特急、15時27分に快速、15時30分に鈍行。こりゃのんびりしてらんねえぞ。同行者の命令で14時22分の特急に乗ることになってしまった。「日本一海に近い駅」の青海川は通過か、残念。つーか柏崎はいろいろ見どころがあるようだが原発しか行かなかったんで、また今度・・・。

特急を直江津で降りて「ほくほく線」に乗り換えた。建設計画は戦前から以上前からあったが開通したのは1997年だという。

高架橋やトンネル部分が多い(踏切はほとんど無い)。高架橋から眺める、まだ残雪の多い野山が絶景というかまさに桃源郷の趣き。
「まつだい駅」で降り(やっぱり無人駅)、観光案内所で松之山温泉のなるべく安い部屋を紹介してもらい、マイクロバスで迎えに来てもらった。地下に閉じ込められた太古の海水が湧出しているとのこと、たしかにかなりしょっぱい温泉だったぞ。料理は岩魚や山菜中心で美味かった。
5月11日、「まつだい駅」まで送ってもらい、小雨の中、駅周辺を散策。と思ったが同行者が道がぬかるんでて危ないとか文句を言うんで途中で引き返した。

「日本の原風景」たる棚田を一望できるところまで登りたかったのに。そして再び「ほくほく線」に乗り、六日町で上越線上りに乗り換えた。

湯檜曽駅の手前のループに入る手前で、進行方向右手の眼下に湯檜曽駅のホームが見えるというのでカメラを構えていた。たぶんこれだと思う。
それから水上や高崎で途中下車したが、飯を食ったり駅周辺を散歩した程度。水上では大雨だったのに高崎行に乗ったらすぐ晴れてきたのがくやしい。
ところでこの旅行の電車賃総計は、Uターンした分を差し引いても一人分12490円だった!まあ電車に乗るのが目的のようなもんだったが、鉄道ファンの道は並大抵じゃないね?