11月16日衆議院本会議にて、自民・公明の賛成によって教育基本法改悪案が可決、参議院に送られた。戦前の暗黒を復活させようとするこの陰謀を阻止しなければならない。
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12月14日<参議院特別委員会にて強行採決!>
12月13日【「一般発言偽装」29回、「動員」4割 TM最終報告書】
12月9日【アピール】公述人・参考人として教育基本法案の徹底審議を求めます」への市民緊急賛同署名
12月2日【タウンミーティング、事務局幹部に日給10万円】
12月1日【TMで高額な「出演者謝礼」 1回90万円超も】
11月30日【徒歩5分の送迎に東京から静岡へハイヤー 内閣府】
11月29日【教育基本法改正案、成立へ 与党、来週採決の構え】
11月27日【タウンミーティング、8回中6回は参加者を「動員」】
11月24日【教育への「不当な支配」“国の場合もある”】
11月22日【教育行政、「不当支配にあたらず」 国会審議で文科相】
11月22日【タウンミーティング:「エレベーター手動」で1万5千円】
≪国を愛すとは生活尊ぶこと≫
教育界のヤラセ体質(東京都の例)
11月17日【「日教組に要注意」 参院自民が顔写真で周知徹底】
11月16日【教育基本法改正案、衆院で可決 野党は採決を欠席】
11月15日【教育基本法改正案を単独採決 衆院特別委】
11月15日【国民新党議員に「教育基本法協力で自民へ」 自民は否定】
11月14日【やらせ質問、サクラに謝礼5千円? 社民・保坂氏が追及】
11月10日【聴衆の半数は関係者 質問は県職員 タウンミーティング】
ピーター・フランクル氏が指摘する、「愛国心」の名を借りた国粋主義
11月16日午後1時ごろ衆議院第二議員会館前にて、右手でシュプレヒコールの拳を振り上げつつ、左手の携帯で撮影した。この時、野党不在のまま衆議院本会議が始まっていたのである。
スーツ姿の男たちがこちらを撮影したりメモを取っていた。公安か?
(毎度ながら夜勤明けでヘトヘト。ビラを数枚受け取り、教育基本法改悪反対&憲法改悪反対の署名をして帰った)
ところで、教育基本法改悪案のどこが悪いかについては、今更言うまでもないが・・・現行の教育基本法と対比し、問題点を並べてみる。
現行:「第三条(教育の機会均等)」
「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって・・・」
与党案:「第四条 教育の機会均等」
「すべての国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず・・・」
松山大助教授の大内裕和氏(教育社会学)はこの変更について以下のように指摘する。(朝日新聞11月16日特集より引用)
「『能力に応ずる教育』という文言は、『発達の必要に応ずる教育』と解釈され、その時点での能力の格差を是正する方向で教育機会を保障することが目指されてきた。
これに対し、『能力に応じた教育』とは、能力の高い子供に、より多くの機会を与えることを容認する表現である」
つまり、先日の足立区のアイデア(撤回したが)のようにテストの点数によって差別する発想を生むことになるだろう。
また、与党案:「第5条 義務教育」には、
「2 義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ・・・」
という部分があるが、これについても大内助教授は、
「義務教育の段階から各個人の有する能力を『所与』のものとして設定し、それを伸ばすことを明記している」
と批判している。(06-11-3週刊金曜日より孫引き)
現行:「第十条(教育行政)」
「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。
2 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行わなければならない」
与党案:「第十六条 教育行政」
「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適切に行われなければならない」
現行法では、教育とは「教育行政」が「直接に責任を負って」行うべきものだと定めているのに対し、
与党案では、「国と地方公共団体」が主体であるという解釈もできる。
東京の石原、埼玉の上田や、文科省の役人や自民党の政治家が、今まで以上に教育方針に介入することを可能にするかもしれない。
また、「この法律及び他の法律の定めるところにより・・・」という部分だが、それこそフランスみたいに「植民地支配の良い面も学校で教えるように」なんて冗談みたいな法律が出来たら、それが強制されるのでは?
それと、与党案「第二条 5」の、
「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」
これについては言うまでもないだろう。愛国心を押し付ける国なんぞロクなもんじゃねえよ。つーか「伝統と文化」があるから、愛するに値するわけではない。これを分かってねえようだ。
それに「伝統と文化を尊重」ってのは、11月17日「大田光の私が総理大臣になったら」の関根勤のマニフェスト「小学校で武道を義務化しよう」みたいな馬鹿なことなりそうだなw
教育基本法改悪は絶対許さねえ!と思う皆様は、こちらをクリックよろしく!
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2006年12月15日
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冤罪の温床、長期不当拘束を糾弾する!植草先生の問題はすべての人に無関係ではありえない。共謀罪ファッショ体制先取りだ!
Excerpt: 本文に取り掛かる前にお知らせ。バナーに「冤罪の温床 長期拘束反対!」の最終コマ
Weblog: 雑談日記(徒然なるままに、。)
Tracked: 2006-12-09 15:55
とりあえず、宣伝!
教育基本法改悪阻止にむけて教育労働者の共同闘争を!
12・8年休闘争で国会前へ!
ストライキをやったつもりで、年休とって、国会前に行こう!
連絡先「山猫クラブ」
yamaneko06@infoseek.jp
п@04−7164−2246
携帯 090−8947ー5578
呼びかけ人 井黒 豊(都立高校定・数学教諭)内山建三(東京・批処分者の会)河原井純子(東京「君が代」
批処分者)土屋 聡(宮城県公立小学校教員)高木 正(千葉高教東葛支部書記長)武田 康彦(千葉高教組)永井 英俊(東京・被処分者の会)根津 君子(東京・「君が代」批処分者)伏見 忠(東京・批処分者の会)吉田 晃(千葉学校労働者組合) 吉田 純一(北教祖組合員)渡辺 厚子(大泉ブラウス裁判原告)<06・11・23現在>
あっちこっちのブログに、投稿するぞ
記事の内容が変わったりしてますね。
まあ、これからも頑張ってください。
あっそうだ、非核六原則考えなくっちゃ。
違うブログでした。
ごめんなさい。
普通の近代教育をしていれば、愛国心など自然に芽生えるはずのものです。
このような反動をもたらしたのは誰のせいでしょうか。
オマエらのような思考停止サヨクのせいだよ。
日本のこと悪く言う人がいたら腹立つよね。
日本て平和でいいなって思うよね。
そう思う人は愛国心持ってるんじゃない。
愛国心が足りないって言うけどそれは・・・
国の言いなりになる人間が足りないってこと。
他人(しかも姿の見えない国家)に「誰々を愛しなさい」と言われて、「ハイ」とその通りにできる奴がいるとしたら、そいつは人間じゃない。己の意志も感情もないただのロボットだ。結局自民党は子供を国に逆らわない従順なロボットにしたいのだろう。
>普通の近代教育をしていれば、愛国心など自然に芽生えるはずのものです。
近代教育云々ではない。愛することができる国ならば自然に芽生えるんだよ。いくら近代教育したって汚職まみれの政治家や税金泥棒共を見て愛する心など芽生えると思うか?国民の顔に唾を吐いて踏みつけるやつらを愛せると思うか?
尊敬できる親なら子供は自然に味方するものだが、軽蔑されることばかりする親など、いくら教育しても愛することなどできやしないだろう。
>このような反動をもたらしたのは誰のせいでしょうかオマエらのような思考停止サヨクのせいだよ。
誰のせいでもない。反動をつけてるオマエのような思考停止ウヨク自身だよ。ウヨク特有の「愛国心がなくなったのはサヨクの教育のせい」「左に寄り過ぎたからその反動がきた」というクソウヨ特有の『悪いことはみんなサヨクのせい』思考で完全に止まっているな。
愛国心がなくなったのは戦後自民党政治が国民から軽蔑されるようなことばかりして、国民を侮辱するようなことばかりするから嫌われただけのことだと思うが?それはサヨクがやったことかい?
尊敬できる親なら子供は自然に味方するものだが、軽蔑されることばかりしてそのうえ虐待する親など自然に嫌われるものだ。愛国心がなくなったのは誰のせいでもない。今現在愛国心、愛国心と騒いでる自民党自身のせいなんだよ。それをサヨクのせいにするのはお門違いもいいとこだ。
とりあえず君が代を批判し学校の式典で歌わない…というのは教師の教育の賜物ですね。そして歌っている人が少ない中で自分だけが大声で歌うなんてのは恥ずかしい&仲間外れ気分で歌えないと悪循環。
生徒のそんな態度を作った教師は自民党関係ないと思います。
そして式典での国歌斉唱で起立しない教師がいるという話も聞きますね。学校とは勉学だけでなく集団生活の中での協調性なども学ぶ場。
ここで子供の手本となるべく大人がボイコットする姿を見せるのは間違いかと。そうした教師が存在することなども教育法改正へ動かなければならなくなった理由ではと思っています。
また、今回の教育基本法改正は、そのような考えを持つ教師を排除し、国の考えに従う教員・生徒を増やすことが目的で変えられようとしていると言っても過言ではない。いじめや未履修問題など関係ないのです。
>生徒のそんな態度を作った教師は自民党関係ないと思います。
上記の「また名無し」さんが言うように、どうして教師が国家斉唱をしないのか、生徒に強制しなのか考えてみろ。大体現場の教師だって強制はしないというだけであって「斉唱するな」と生徒に言ってるわけではない。結局教師がそうなるのも愛国心を無くさせる自民党政治せいだっつてんだよ俺は。
>学校とは勉学だけでなく集団生活の中での協調性なども学ぶ場。
どっちやねん(笑)。ずいぶんとまぁ矛盾してますなぁ。一つの文で矛盾した主張をして何を言いたいんでしょうか?それに国歌を歌わないのも雷神丸さんが言ってるように別に教師に「歌うな」と言われたからではありませんけど?現場の教師は「歌え」とも「歌うな」とも言ってませんけど?
協調性を学ぶ場なので周りが歌ってないと歌えない、ということでは? 別に矛盾はしていないと思いますが。
もっとも「歌え」とも「歌うな」とも指導されていないのなら、右へ倣えなよく云われる日本人気質に過ぎないと思いますが…。
「能力に応ずる」「能力に応じた」云々の記事は読んだ憶えがあるが、オレの頭が悪いのかさっぱりワカラン。
どちらの条文も、どちらの解釈も可能としか思えんのだが…。
『「発達の必要に応じた教育」と解釈し、その時点での能力の格差を是正する方向で教育機会を保障する』
という解釈は全く成り立たないのか?
解釈次第なら現行の条文でも『テストの点数によって差別する』教育が可能かと思うが?
ところでエントリーの日付が12月15日なのは何か意味が?
私的には理想と現実のギャップな話だったんですがさておき。
国歌斉唱に反対する理由が私には判らないんですけど。君が代の歌詞が日本国に適していないという話を聞いたことありますが、でも君が代の歌詞って「日本国がいつまでも豊かでありますように」という意味しかないように思うのですが。自分の住まう国の繁栄を願うのは当然でしょう?
他国の国歌には軍歌などをそのまま転用しているところも多いというのに。
国歌を歌わされること自体に反対というのなら、だったら式典当日に歌わないだなんて運動音痴だから運動会サボりました的な行動に出るでなく、日頃から同僚職員や校長・学校経営者に呼び掛け式典から国歌斉唱を無くすよう動くのが正しく反対する者の姿かと。
間違っていると思うならそのことをしっかりと呼び掛ける。そういうのが子供の手本となるべき大人の姿なわけで。
呼び掛けて駄目だったのならつまり反対派が少数派。大勢により決められた行為をただ行わない…式典で歌わない、起立もしないなんてのは組織の方針に従わない、協調性を乱す存在なわけです。
教育基本法改正の話はやたらと愛国心が論点になりやすいですが、現行の法ではこうした教師の質が問われていること(協調性云々だけでなく変態教師や授業を行いもしない教師の存在はニュースでご存知ですよね?)や、子供達の学力低下などを受けての改正だと思うんですがねえ。実際、格差を見えないようにと実施されたゆとり教育なぞ改悪でしかなかったですし。
あ、色々言われていますが格差は自身の実力を知るためにも重要かなと。
極端ですが足し算も満足に出来ない事務経理なんてどこの企業もいりませんし、格差がある=自分の得意分野が判る。なので仕事の方向性や自身の売り込み方にも繋がります。
それに競争心こそが発展には必要だと私は思っています。
長文にてごめんなさい。
現在の教育基本法で十分対応できる。法の運用の問題だと思う。
例)能力に応ずる教育
小学一年生の算数=足し算・引き算
小学二年生の算数=掛け算
小学三年生の算数=割り算
例)能力に応じた教育
小学一年生の算数 =足し算・引き算
算数のできる 二年生=掛け算
算数のできない二年生=足し算・引き算
算数のできる 三年生=割り算
算数のできない三年生=足し算・引き算
ちょっと分かりづらいかもしれませんが、要はできる子にはよりレベルの高い教育を、できない子はそれ以下の教育をおこなうということです。これはできる子とできない子を義務教育の段階で振り分けることとなり、平等に教育を受けることができなくなります。極端な言い方をすれば、できる子は中・高・大学と進学できる教育を受け大企業に就職することができる、できない子は中学校レベルの教育しか受けれないので進学できず肉体労働や零細企業にしか勤められないことになります。本来できない子に対してできるように教育を受けさせることが必要なのに、今度の改正ではできないなら教えなくてもよいと解釈されます。こんな不平等な法に変えられようとしているのです。現在の勉強ができる=エリートではなく、高レベルの教育を受けることができる=エリートとなってしまいます。正に教育格差を進める法改正だと思います。
と言って「君が代」の歌詞がどうだの他国の国歌どうのと言っておりますがね、歌の内容が問題じゃないんですよ。
「国歌斉唱に反対する理由が」とか言っておりますが、「国歌斉唱」に反対してるんじゃありません。「国歌斉唱を強制」するのに反対してるんですけど?
まあ、なぜ強制に反対するのかも、どうせ判らないでしょうから教えてあげますけね、そもそも「国歌斉唱を強制」するのは『日本国憲法』が保障するところの「思想・信条の自由」を汚す重大な憲法違反であり、人権侵害ですからね。憲法違反であり人権侵害をしているから反対するのがどうしていけないんでしょうか?
全然例えになっていませんね。式典当日に歌わないのは「強制に従わない」事であり、「運動音痴だから運動会をサボる」のとは全然違います。
>日頃から同僚職員や校長・学校経営者に呼び掛け式典から国歌斉唱を無くすよう動くのが正しく反対する者の姿かと。
だから国歌斉唱に反対してるのではなく、斉唱を強制するのに反対してるんですよ。そして強制に反対するのだって、何も当日に歌わないだけでなく、ちゃんと日頃から色々周りに呼び掛けてますよ?
浅はかというか、もの凄い短絡思考ですね。日米安保条約をはじめとして、大部分の国民が反対しても僅かな人数の政治家によって無理矢理決定された政策が一体どれだけあると思ってんですか?
呼び掛けて駄目だったのは少数だったからだの、大勢なら成功してるはずなんてのは、全然社会や組織形態を知らない証拠ですよ?それとも世の中の事は全て数の論理が優先されるのでしょうか?
>大勢により決められた行為をただ行わない・・式典で歌わない、起立もしないなんてのは組織の方針に従わない、協調性を乱す存在なわけです。
ハァ?国歌斉唱は大勢によって決められたものじゃありませんけど?さらに組織の方針に従わないとか言ってますけど、そもそも組織の方針というのは別に大多数によって決められるもじゃありませんけどねぇ?
そりゃ大多数の意見で決められる場合もありますけど、結局組織や国家というものはピラミッド型のヒエラルキー(階層組織)によって成り立っておりますし、大抵はごく少数の上の人間によって決められるんですが?
仮に貴方の言う通り組織の方針が大勢によって決められるのであれば、この世にリストラなんてものは存在しない筈ですけどねぇ?なんたって首を切る人間より切られる人のほうが大多数なんですから。
ええ、それは解るんです。そういう解釈が可能であるという事は。
ただこれまで義務教育において、そういう学力毎の振り分けが(少なくとも大っぴらには)行われてこなかった理由が高々単語の活用形にある、とは到底思えないのです。
足立区の案も結局撤回されたように、公立校、まして義務教育においてあからさまに学力で振分ける事がナンセンスである、ということが国民的な公教育に対する意識ではないでしょうか。
わたしは国民の意識を信じています。
「別に矛盾はしてないと思いますが」とのことですが、イヤ矛盾しまくりですって!
だって大勢が起立してるのに少数が起立しないのは協調性を乱すと言ってるんでしょ?(本当に起立するのが大勢で起立しないのが少数かはさておき)
なら、大勢が歌わないのに少数が歌うのは協調性を乱す行為のハズですが?なのに大勢が歌わないから少数が歌えないので悪循環だと言うのは大いなる矛盾でしょ?
>難駄さんへ
つっても別に公務員は奴隷ではありませんしね(笑)。あきらかな人権侵害や当人が納得できないことであれば拒否する権利はありますよ。それで拒否したからといって処罰する方が違法です。それに本来ならば国旗・国歌法は強制するものでは無いはずですしね。もっとも現場では従わない教師を処罰したりとか完全な強制を行っているわけですが・・・。
事実として”日の丸・君が代”は既に法的にも制定されており、国民的コンセンサスもある。
その前提において、公の式典において、公務員が
儀式の一部としての起立・斉唱を行う事が何故”憲法違反”といえるのか。
もしこれが憲法違反ならば、
どんな式典でも「あ〜、あのゲストは嫌いだから立たなくていい」
「歌うのがダルイからいいや」という認識、何か言われたら
「思想信条の自由ですと文句を言えばいい!!」ということになる・・・
憲法の思想信条の自由はあくまで個人の内心問題だから。
何も国旗国歌に崇拝して、土下座しろという話ではないし、
日本を崇拝しろとかそういう話でもない。
公の式典における社会人としての常識ある行為が出来るか否かの問題ではないか?
生徒の卒業式であるという道徳教育の面から見て、果たして教師達の行為は正しいのですかね?
まぁ、国家との闘争という考えが根底にある人間の行動として考えた場合には、気持ちは分かりますが・・・・
>式典での国歌斉唱で起立しない教師がいるという話も聞きますね。
とか
>そうした教師が存在することもなども教育法改正へ動かなければならなくなった理由ではと思ってます。
などと言ってるけど、いるからどうだど言うんですか?存在するから何だと言うんですか?
はなから起立しない歌わない教師が悪いという前提でまるで犯罪者がいるように言いますけど、起立しないのも歌わないのも犯罪ではありませんよ?
国旗・国歌法は日の丸・君が代を国旗・国歌に定めるというだけで、別に強制するものではないはずです。
逆にFC闘協さんが言うように「起立しろ」とか「歌え」とか強制するのは重大な人権侵害であり憲法違反です。いずれにしろ起立や斉唱を強制するのは国民の権利を保障しなければならない民主国家のやることではありません。ハッキリ言って起立や斉唱を強制して従わない人間を犯罪者扱いするのは軍事国家のやることです。
「歌うのがダルイからイイヤ」という認識、何か言われたら「思想・信条の自由ですと文句言えばいい!!」ということになる・・・
物凄い「論理のすり替え」ですな(笑)。じゃどんな暴力振るっても酷いセクハラしても「儀式の一部だと言い張ればいい!!」ことになる・・・。(笑)。
それに日の丸・君が代が法的に制定されてるってだからそれはケルベロス商会氏が言うように国旗・国歌に制定されてるだけで、起立・斉唱の強制を制定したものではありません。ですから前提にはなりませんな。
>儀式の一部としての起立・斉唱を行うことが何故憲法違反といえるのか
いや、だから!行うことが悪いんじゃなくて、それを他者に強制するのが悪いと言ってるんですって!文章は正しく読みましょうよ(笑)。
どうして、歌っちゃいけないんですか?何か、黒魔術的な怖さでもあるわけw。たかが「君が代」でしょ。海外の学校では、必ず、「国歌斉唱」起立してますよ。留学してみればいい。それだけ海外の常識と日本はかけはなれてますよ。
教育改革の何処がいけないのか。やってみなきゃ
解らないでしょ。いじめがなくなるかもしれない。麻薬が蔓延しなくなるかも知れない。
失敗したら、責任とって、安部さんに辞任してもらえばいいじゃないですか。やる前から、「改悪」と決め付けるなんて、おかしいです。
今の教育現場ってこれ以上ないくらい、荒れてるし、今の教育法のほうがおかしい証拠です。
なんでも、試行錯誤していくべき。それに九月まで学校ないかもしれないから、ラッキーと思ってる生徒が多いと思いますよ。「愛国教育」も同じです。いじめがなくなる。欧米諸国どこでもやって
います。特亜は偏りすぎてるけど、この国はそうなりません。民族性がちがうので。安部いじめもいいかげんにしてほしい。
イヤ、だから歌うなと言ってるんではなくて、他人に歌うのを強制するのが良くないと言ってるんですって。何べんも同じこと言わせんでくださいよ・・・(空しくなってきた)。
あと、今の教育現場が荒れてるのが現行の教育法のせいだと思えませんけど?戦後文部大臣はずーっと自民党議員がやってきて、教育予算を削減してきたのは自民党ですしねぇ。今の教育現場が荒れてるから教育法を変えるというのは完全に口実。
あと「愛国教育」をすればいじめがなくなるというのもスゴイ短絡思考ですね。じゃ愛国教育している国はいじめが無いとでも?聞いたことないですね。反対に「愛国、愛国」と口にする奴ほど他者や他民族に差別や暴力を振るうと聞きますけど?(例ドイツのネオナチ等)
と言っておいて、
>「愛国教育」も同じです。いじめがなくなる。
と、「やってみないうち」に「なくなる」と断言する大矛盾。「マリオネット師」並の大矛盾マンだね。「やってみなきゃ解らない」なら「なくなる」とは断言できんはずだが・・・?。
>失敗したら、責任とって、安部さんに辞任してもらえばいいいじゃないですか。
安部が辞任すればイイという問題ではない!安部が辞任したって、一度した教育はゲームデータみたいに簡単にリセットはできやしないんだよ?時間は戻せないんだよ?医療問題と一緒で何をしたって取り返しはつかないんだよ?
だからこそ教育法というものは簡単に変えていいものではない。イヤ、そもそも法律そのものが「駄目だったからまた元に戻しましょ」と簡単に変えられる程軽いものではない!
そして繰り返すが阿部が辞めれば済む問題ではない。さらに民族性が違うだの、やってみなきゃ解らないだのと言ってますがね、この国の子供に「愛国心」を強制してどうなったのか、もう60年前に結論が出てるだろうが!この国はそうなりません、民族性が違うだの(何の根拠があって言ってるのかは知らないが)言ってるが、その民族性が違うはずの国でそうなったから反対してるんだよ!それを「安部いじめ」だのとぬかす、お前の方が完全におかしい。
今年の9月21日、東京地裁が、東京都教育委員会の通達による国旗・国家の強制は違憲違法であるとの判決を下したの知らないのか?
東京地裁の判決文は「教職員に一律に国旗に向かって起立し国家斉唱、ピアノ伴奏の義務を課すことは、思想・良心を有する者の自由権を侵害」と憲法19条違反であるとしている。また、「通達や指導は、教育の自主性を侵害するうえ、教職員に対し、一方的な論理や概念を生徒に教え込むことを強制するに等しい」と教育基本法10条の不当な支配に該当すると明確に判断した。
要するに起立・斉唱を強制するのは違憲・違法と高裁が認めてるんだよ!起立・斉唱をしない人間を犯罪者扱いするお前らの方が完全に間違ってるんだよ!
それについては東京都が控訴中であり、最終判断はまだ出ていない。結論がひっくり返る可能性がある物事を現段階で取り上げるのは拙速であると思う。
「正義は我にあり」という気持ちは分からんでもないが、相手に理解して欲しいならもっと言葉を選んだらどうです?「完全におかしい」や「完全に間違ってる」など、あなたの言葉はどう聞いても感に障る。
とは言うものの、「相手に理解して欲しいならもっと言葉を選んだらどうです?」はその通り。
ノン・フライさんも相手が感に障る言い方したからといって自分も同じ言い方したり感情的になったら、それこそ相手方と「同じ穴のムジナ」になっちゃいますよ?
まあ、あんまり攻撃的な言い方は控えないと。でないと荒らしかと思われかねませんし、そうなったら何よりノン・フライさん自身が損しますよ?
で、南部新さんへ 確かにその件は東京都は提訴中で現段階では(まだ)結論という訳でありませんが、現行法では日の丸・君が代の強制が憲法違反であるのは事実。ノン・フライさんもそれが言いたいのでは?
国家が教育をコントロールすることは価値観の統制につながります。これを禁じるのは、近代国家では当たり前、民主主義の大原則です。その国家がコントロールしようとしているのに、まるで正しい事をしているかのように言い、反対する人間を犯罪者かのように言うのはまず普通の感覚とは言えないと思います。少なくとも民主国家に生きる人間ならば。
この主張は完全に「いじめをやる奴等」もしくは「いじめを正当化する奴等」の論理。「集団のルールにそぐわないのは悪いことだから、いじめられても当たり前」とグループに属することができない子をいじめたりシカトしたりする奴等の論理と一緒。いわゆる『同調圧力』というやつですな。
それに大勢の意見が正しい、組織の方針なんだから正しいというのも浅はか。というか完全におかしい。
例えばどこかに暴走族か不良グループがいたとしましょう。そしてそのグループは暴行・恐喝等をやるのをグループの大勢で決めたとしましょう。そこで問題、「大勢できめたことだから」と暴行・恐喝に加わるのは正しい事でしょうか?そして暴行・恐喝に加わらない、もしくは反対する人がいたらその人の行為は「協調性を乱す」から悪いという事になるのでしょうか?マリオネット師さん貴方の言ってることはそういう事です。いいとか悪いとかは数の多さで決まるものではありません。
まぁ、気にはなっていたんですけど、何かこのコメント欄の趣旨にはずれるような気がしたんで指摘はしなかったんですけど上で南部新さんがノン・フライさんに「感に障る」との指摘をしてるんで、私も少し「感に障る」ことに指摘しました。
一番初めに書くべきだったんでしょうが、私は基本法を変えることには消極的に賛成なんです。愛国心をわざわざ書くのはやり過ぎな気がしますが、それもひっくるめて「ま、悪くないんじゃないの」という立場です。
愛国心がある人は日本の為に何らかの行動をするでしょうし、無い人は無い人でその原因の自分が気に入らない点を正そうとするでしょう。時には後者の方が大きな力を持つようですが。
私は自分と違う意見を読みたいと思ってこのブログを見つけました。中には未だに反論できない意見もあって、いい勉強になります。また何か言いたくなったら書き込んでみたいと思います。
って、今は採決がいつかいつか、という時期でしたね。どうなるか注目ですね。
で、結局昨日、賛成多数で可決。まぁ、どのみち民主党には期待していなかったけど(所詮、自民と同じ穴のムジナ)つくづくどうしようもない国だと思う。もう一辺焼け野原にならないと目が覚めないのだろうか・・・?
>海外の学校では、必ず、「国歌斉唱」起立してますよ。留学してみればいい。
と、「必ず」と断言していますが、
私はベルギーに留学していたことがありましたけど、学校で国歌斉唱したことはありませんし、国旗に向かっての起立もありませんでしたけど?
学校側も国歌斉唱させませんでしたし、起立もさせませんでした。イヤ、そもそも国旗そのものを学校行事に掲揚することはありませんでした。
で、貴方は「海外では必ず」とおっしゃておりますが、私はベルギー以外の国で学校行事に「国歌斉唱」「国旗掲揚・起立」するかどうか調べてみたんですが・・・
イギリス・デンマーク・オランダ・ノルウェー・フランスは「しない」
イタリア・オーストラリア・スイスは「学校の判断による」
ドイツは「掲揚するのは比較的まれで、ほとんどしない」
と、こういう結果になりましたが・・・?
凪★さんは「海外では、必ず「国歌斉唱」起立してますよ。留学してみればいい」と申していますが、どこの星の「海外」のことを言ってるんでしょうか?
>それだけ海外の常識と日本はかけはなれてますよ。
フランス人の知人にたずねてみたら、「フランス人に政府の言うことに従えなんて言えないよ。そんなこと法律になんかしたら革命が起こるよ」と笑って答えられました。
また、東京都が起立・斉唱しない教職員を処罰した問題についてアムネスティ日本事務局長である寺中誠氏が「国旗・国歌の実施について職務命令に従わなかったからといって、これだけ大量に処分された例は海外にはありません」というコメントをしました。
>それだけ海外の常識と日本はかけはなれてますよ。
確かにそうですね。もっとも貴方の言う「海外の常識」とは正反対ですが(笑)。
で、ジャム上石神井さんのお知り合いのフランス人の方の言う事は確かにそのとおりなんでしょうね。なんと言っても民衆の革命によって国の体制を変えた歴史がありますから説得力があります。それに引き換えこの国ときたら国民の手で変わったことなどほとんど無いんですから・・・。