2005年04月12日

「竹島」を日本が編入した経緯(概要)

以下は問答有用:34122より転載。

http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_thread?base=34093&range=1

> …んな理屈が通るわけないだろうが! 不当な占領は是正されるのが国際的なルールに決まってるだろうが。

↑このような、韓国の獨島支配は「不当な占領」だという主張は、1905年以降の日本の「竹島」支配をその主な根拠にしていると思われますが・・・たとえ「竹島」編入時に朝鮮が日本に異議を申し立てても受け入れられることはなかったでしょう。いえ、既に当時の両国の関係に於いてはそのようなことはあり得ない話だったのです。(以下は「半月城通信」の論文「日本の竹島=独島放棄と領土編入」よりパクらせていただきます。及び「韓国併合」(海野福寿/著 岩波新書388)も参考にします)

日本の「竹島」編入の2年前、「日露協商」(朝鮮や「満州」の権益について日露両国が勝手に交渉するという、実になめくさった話)が決裂し、ロシアとの緊張が高まっていったのですが、ロシアと決戦するには朝鮮半島を兵站基地として利用する意外に道はありませんでした。
しかし「大韓帝国」政府は局外中立を貫く意向であり、特使をヨーロッパに派遣して各国に中立声明を承認させていたのですが、これは日本にとって絶対に認められないことでした。1904年2月の日露開戦と同時に、中立を主張していた李容翊を拉致するなどして強引に「日韓議定書」を調印させました。これの第四条は次のような内容です。

「第三国の侵害により若くは内乱の為め、大韓帝国の皇室の安寧或は領土の保全に危険ある場合は、大日本政府は速やかに臨機応変の措置を取るべし。而して大韓国政府は右大日本帝国政府の行動を容易ならしむ為め十分便宜を与うること。
大日本政府は前項の目的を達する為め、軍略上必要の地点を臨機収用することを得ること」

(「韓国併合」P-233巻末付録より)

この取り決めに基づき日本は朝鮮にて軍用地の接収、人馬・食糧の徴発をほしいままに行ないました。もはや朝鮮は独立国とは言えない状態になってしまったのです。こうして日本は朝鮮半島を踏み台にして大陸への侵略を開始したのです。
そして同年8月調印の「第一次日韓協約」は「大韓帝国」の主権を著しく侵害するものでした。

日韓協約 去月二十二日、日韓両国政府代表は左の協約に調印せり。
一、 韓国政府は日本政府の推薦する日本人一名を財務顧問として韓国政府に傭聘し、財務に関する事項は総て其意見を訽い施行すべし。
二、 韓国政府は日本政府の推薦する外国人一名を外交顧問として外部に傭聘し、外交に関する要務は総て其意見を訽い施行すべし。
三、 韓国政府は外国との条約締結其他、重要なる外交案件即ち外国人に対する特権譲与若くは契約等の処理に関しては予め日本政府と協議すべし。

(「韓国併合」P-234巻末付録より)

このように日本は「大韓帝国」の内政に干渉し外交権を奪い、服属国と言える立場に陥れました。朝鮮は日本に何をされても文句を言えない立場になってしまったのです。
そして「リアンクール島」(獨島)は戦争遂行上の軍事拠点として注目され、「時局ナレバコソ領土編入ヲ急要トスル」という外務省の意見もあり、1905年1月、「竹島」という名を冠して「こっそり」と島根県に編入するに至ったのです。(しかも韓国政府への通告は翌年の3月!)このように獨島の領有化は日本の植民地獲得政策の道のりの線上にあったのです。
もし1905年以降の日本の領有化を根拠にして韓国の行動は不当だと主張するならば、このような獨島領有化の経緯を肯定しなければ成り立たないことです。歴史を全く知らない人間か、恥というものを全く知らない人間だけが出来ることでしょう。そしてポツダム宣言で日本の獨島領有権はチャラにされたのは当然のことだと思います。

もっとも、この島は韓国が唯一領有権を持ちうるものだったとは思いません。戦後の韓国のこの島に関わる行動を全面的に支持するつもりもありません。
しかし・・・ケチくさい地主二人がちょっとした境界線の位置を争うが如き、このみみっちい揉め事を終結させるには、どちらかが領有権の放棄を宣言する以外にないでしょう。日本がそれを決意したならば実に賢明な選択であると、思うわけです。

> ではオスロ合意以前なら、東エルサレム、それにソマリアとユダヤ(ヨルダン川西岸とも言うらしい)は現状のところイスラエルが実効支配しているので、イスラエルの領土と認めるのが自然な成り行きです、ってことになるのか?

そういうじぇんじぇん関係ない話を持ち出して比較しようとしても全く説得力など生まれないことにお気づきにならないようです。
だいたい、イスラエルはヨルダン川西岸を侵攻・支配し、そこに住んでいるパレスチナ人を虐殺したり逮捕・拷問したり追放したり交通を阻んだり家屋や畑を破壊したり土地を奪ったりしていますが、
一方獨島とか「竹島」とかいう無人島(つーか大きい岩)に関わるいざこざは、度量の狭い二つの国が相手に気付かれないうちに「こっそり」と編入したり、相手がもたもたしているうちに占拠したりしているだけです。全然違う話なのです。まともに相手をしてくれることを望まないのでしょうか?
もしマジな主張ならば、韓国の獨島支配を、イスラエルのヨルダン川西岸侵攻・支配や、元寇の日本襲来や、日本による朝鮮・中国侵略と同種のものであると捉えているということになります。これが同じ日本人だと思うと吐き気を催します。


・・・さてこのスレの本題ですが、
6日の朝日朝刊によると検定に合格した扶桑社の歴史教科書には、太平洋戦争について
「もともとは資源の獲得を目的としたものだったが、アジア諸国で始まっていた独立の動きを早める一つのきっかけともなった」
という表現があるそうです。(検定前は「もともとは日本の『自存自衛』のためだったが・・・」という記述)
しかしそれは日本のアジア侵略の単なる副産物に過ぎません。「俺が暴走運転して歩道に突っ込んで何人もひき殺したので、あの歩道にはガードレールができた。俺は交通安全に一役買っている」と、交通刑務所の服役囚がほざくようなものです。たしかに日本は東南アジアに於ける欧米の植民地を奪って形だけの新国家をいくつかこさえましたが、いうまでもなくそれは傀儡政権を作っただけのことで「独立させた」などと言えるものではありません。中国に対しては「満州国」や汪兆銘政権などの傀儡政権を作ることで分断を図りました。また朝鮮の独立は絶対に認められないことでした。日本という国はアジア諸国の独立の上では大きな障害だったのです。疫病神だったのです。
教科書検定の基準が徐々に変質していくことも大問題ですが、やはり目下のところ扶桑社教科書の異常さが際立っていると言えます。

posted by 鷹嘴 at 12:16| Comment(9) | TrackBack(1) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 竹島の領有権問題に対する浅はかな付け焼き刃の意見を論破する見事な解説です。 
Posted by スパイラルドラゴン at 2005年04月18日 08:54
コメントありがとうございます。
そして、Favoriteに追加して頂きましてありがとうございます!!

・・・恥ずかしながら私も、半月城さんの論文を読むまでこの問題の経緯について全く知りませんでした・・・

ttp://www.han.org/a/half-moon/hm095.html#No.698
Posted by ノンポリ at 2005年04月18日 17:49
とほうもなく手前勝手な屁理屈とマスタベーションで悦に入っているようだが、何もこっそり編入したわけではない。島根県がそれまで竹島周辺の漁場を開拓していたわけで、領土編入は現状を追認したに過ぎない。そもそもお前の文章よく見てみろ。

>そして同年8月調印の「第一次日韓協約」は「大韓帝国」の主権を著しく侵害するものでした。
>1905年1月、「竹島」という名を冠して「こっそり」と 以下略

調印が8月で編入が1月なんだから李氏朝鮮はその時点では外交権を持っていたわけで、もし編入に反対ならその時点で抗議すればいい話だ。通告が翌年の3月といっても、実効支配をもし本当に李氏朝鮮がしていたなら通告を待たずとも日本が実効支配した時点ですぐ抗議すべきだし、それをしていないということは李氏朝鮮はこの島に対してなんの関心も無かったということの証左なんだよこのウスラ馬鹿!テメーの文章の中で矛盾を指摘されてりゃ世話無いぜ!

それに領土問題は国家的マターなのであって安易に譲歩すると他の交渉や領土問題などにも影響が出る。韓国と日本の二国間だけの問題でなく、周りの国も見ているわけで、安易に

>しかし・・・ケチくさい地主二人がちょっとした境界線の位置を争うが如き、このみみっちい揉め事を終結させるには、どちらかが領有権の放棄を宣言する以外にないでしょう。日本がそれを決意したならば実に賢明な選択であると、思うわけです

このような主張をするのは日本人として反吐が出る。その腐った脳みそでもっと歴史の真実を左の偏った目でなくきちんと見てみるんだな。
Posted by ねこ at 2005年06月11日 02:53
> 島根県がそれまで竹島周辺の漁場を開拓していたわけで、領土編入は現状を追認したに過ぎない。

朝鮮人も周辺で漁をしていましたが?

> 調印が8月で編入が1月なんだから

1904年の8月に「第一次日韓協約」が締結された。これは朝鮮の外交権を著しく侵害するものだった。
「竹島」編入は1905年1月。
Posted by ノンポリ at 2005年06月12日 21:22
>朝鮮人も周辺で漁をしていましたが?

開拓したのは島根県の漁民ですよ。江戸時代初期以前にあの周辺を韓国人が開発していたという資料でもあるんですか?

>1904年の8月に「第一次日韓協約」が締結された。これは朝鮮の外交権を著しく侵害するものだった。

顧問政治を推し進めることによって外交権を制限していたのは事実でも、実際に外交権を取り上げたのは第二次日韓協約(1905年11月)からで、そもそも外交権を制限したり取り上げたりしなければならなかったのはロシアに近づいたりするのを防ごうとしたわけで、外交権が制限されていたといっても消滅していたのではないから領土に対して無関心でいるのはおかしい。

また、外交権があろうがなかろうが竹島が自国領土だとするなら抗議位はするだろう。抗議したという記録は日本でなくとも残るんだから。当時講義しないこと自体がおかしい。
Posted by 竜禅 at 2005年06月13日 23:19
>開拓したのは島根県の漁民ですよ。江戸時代初期以前にあの周辺を韓国人が開発していたという資料でもあるんですか?

そもそも、周辺の海で漁業をしていても、その島自体を実効支配しているとは言えないでしょう。

>外交権が制限されていたといっても消滅していたのではないから領土に対して無関心でいるのはおかしい

1906年3月の島根県からの通告まで、この処置を知らなかったのです。

>また、外交権があろうがなかろうが竹島が自国領土だとするなら抗議位はするだろう。

在野の反発は起きましたが、最早半ば植民地と化した朝鮮という国の政府には、この暴挙を糾弾する力は無かったのです。
Posted by ノンポリ at 2005年06月15日 00:56
>そもそも、周辺の海で漁業をしていても、その島自体を実効支配しているとは言えないでしょう。

ハア?何を言っているんですか?江戸初期から実効支配してましたが?

>1906年3月の島根県からの通告まで、この処置を知らなかったのです。

知らなかったのは理由にならない。通告せずとも宣言した時点で抗議しないのはおかしい。そもそも知らないということ自体、この島に何の興味もない証左です。

>在野の反発は起きましたが、最早半ば植民地と化した朝鮮という国の政府には、この暴挙を糾弾する力は無かったのです

外交権があろうがなかろうが、力があろうがなかろうが関係ない。抗議ぐらいはすべきだと書いてます。人の文章読んでる?だいたい伊藤博文を暗殺するくらいの激烈な行動を取る国民性です。もっと強烈な反応があってもおかしくない。
Posted by 竜禅 at 2005年06月15日 11:58
> ハア?何を言っているんですか?江戸初期から実効支配してましたが?

どういうことでしょうか?江戸初期から島根藩士が常駐していたとか(まさか笑)
ところで元禄時代、幕府は鬱陵島の領有を放棄し、その隣の獨島については言及していませんでしたが、その後幕府がこの両島を日本領と見なした形跡はありません。
また明治政府も両島を放棄する決定を下しています。
http://www.han.org/a/half-moon/hm095.html#No.698
ですから歴史的経緯が領有権を決定すると考えるなら、日本は獨島をあきらめざるを得ないでしょう。

> 外交権があろうがなかろうが、力があろうがなかろうが関係ない。抗議ぐらいはすべきだと書いてます。

外交権がないのに、力がないのに抗議すれば、殺されます(笑)
たとえば「韓国併合に関する条約」の締結時、朝鮮の閣僚は一名を除いて条約締結に賛成しました。
Posted by ノンポリ at 2005年06月16日 00:57
>外交権がないのに、力がないのに抗議すれば、殺されます(笑)

根拠がないですね。単なるあなたの主観です。

>ところで元禄時代、幕府は鬱陵島の領有を放棄し、その隣の獨島については言及していませんでしたが、その後幕府がこの両島を日本領と見なした形跡はありません。
また明治政府も両島を放棄する決定を下しています。

本来竹島と呼んでいたのは現在の鬱陵島のことだった。幕府が正式にそうしたかどうかでなく慣習によって支配してたのです。

Posted by 龍禅 at 2005年06月16日 07:58

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