2006年12月12日

12月8日「夏淑琴さん名誉毀損訴訟第3回口頭弁論」について雑感

12月8日金曜日東京地裁で行われた「損害賠償等 平成18年(ワ)第9972号」(夏淑琴さん名誉毀損訴訟)の第3回口頭弁論の傍聴と、閉廷後に行った弁護士会館での報告集会には、多くの方々に集まっていただきありがとうございました。
当日の詳しい状況と裁判の進行状況は後ほど「南京への道・史実を守る会」事務局から正式な報告を行います。こちらでは個人的な日記を投稿させていただきます。
(ちなみに私の日記は原則転載OKの方針ですが、この投稿に関しては事務局から正式な報告が出るまで転載はお待ちいただくようにお願いします) チラシ隊長・指環さんによる正式なレポートが公開されましたので、この投稿も転載可とします。

●当日、我々事務局員は余裕を持って集合する予定で、遅刻グセ(笑)のある私もこの日ばかりは10分ほど前に地裁前に到着しましたが、既に事務局のA氏・B氏、クマさん、そして学生の皆さんが到着していました。その時点では西村修平を中心とする右翼グループはまだ訪れていなかったのですが、連中が毎回陣取る植え込み付近の歩道(地裁正門から見て右側)に、テール部分に日の丸のステッカーが貼られているスクーターが駐車してあったのが気にかかりました。

事務局のメンバーが揃い、チラシ配布&マイクアピールの情宣活動を始めたころには、右翼の連中も前回と同様にハンドマイクの大音響で、夏淑琴さんを侮辱する罵声を吐き下品な横断幕を掲げるなど、嫌がらせ活動を始めました。
この連中は実に暇を持て余しているようで、11月17日の増田都子さん(東京都教育委員会から不当な免職処分を受けました)の名誉毀損訴訟結審公判の際にも、増田さんを誹謗中傷する行動を行っていたそうです。
また何が気に入らないのか、最近では防衛大学校長・五百旗頭真氏を目の仇にして、わざわざ防衛庁まで出向いて嫌がらせを行っているそうです。

毎度ながらこの連中の行動は全く下品極まりないものでした。もっともマイクで叫んでいる内容は失笑を禁じえないもので、南京戦と日本近代史について全く理解していないようです。

「住民は全て安全区で保護され、その外部は完全に無人だった(だから新路口事件などウソだ!)」

これは事実と異なります。日本軍が入城を開始しても、全ての住民が安全区に避難していたわけではありません。一例として、「南京事件資料集T:アメリカ編」(青木書店)に収録されているアメリカ大使館通信の、244〜245ページから引用します。
(安全区の中の避難民が)「略奪兵の被害を受けなかったというわけではないが、
市内の他の地域で引き起こされた損害や恐怖ほどの被害はなかった。
ここでも無数の強姦、殺害事件が起き、構内はすべて侵入を受け、多い少ないの程度差はあれ、略奪のうきめに会っている。
しかし、南京に残留した中国大衆の大多数が、市内で一番安全な場所として、ここに逃げ込んだことは、
安全区が他の地域より良い状況にあったことの証明にはなる。」
「中国大衆の大多数」が安全区に逃げ込んだ理由は、「市内の他の地域」で夏淑琴さんの家族が受けたような、日本軍による犯罪行為が多発したためではないかと思われます。つまり安全区の外も無人ではなかったのです。
詳しくはゆうさんの「安全区外は無人地帯?」をご覧下さい。

「日本軍が安全区の難民のための食糧を提供したので、委員長のラーベが感謝状を送った」

ラーべの「感謝状」とは、以下の文章と勘違いしていると思われます。
「貴軍の砲兵部隊が安全区に攻撃を加えなかったことにたいして感謝申し上げるとともに、安全区内に居住する中国人一般 市民の保護につき今後の計画をたてるために貴下と接触をもちたいのであります。」
(K−Kさんの「ラーベの感謝状」より)

当然彼らは、ラーベは難民の食糧問題について再三日本軍に抗議を行っていることも知らないようです。

▼さらに「中国人が日本人を虐殺した」事例として通州事件に言及しておりました。
しかし通州事件は、「冀東防共自治政府」(日本軍が作った傀儡政権)の保安隊(中国人)の反乱でした。つまり傀儡政権の警護を任せていた現地人が寝返ったわけです。イラク人で構成された治安維持部隊が、寝返ってアメリカ人を襲うようなものです。「塘沽停戦協定」を反故にして傀儡政権を作り、保安対を組織した日本軍にも大きな責任があると言えます。こうした事情を少しは勉強して欲しいものです。

▼極めつけは「日本はアジアを独立させた!」という主張です。ならば、なぜ日本は最初に朝鮮を独立させなかったのでしょうか?一事が万事こういう調子です。ネット上で歴史歪曲サイトだけ見ているとああいう人間になってしまうという見本市のようでした(笑)

また彼らはこちら側の人数が多いのに嫉妬したのか「お前らバイトだろ!」と叫んでおりましたが、それは負け惜しみというものです(笑)「金くれればそっち側に行ってやるよ!」というナイスな野次も飛びました。
余談ですが、今回初参加の方が連中に蹴られたそうです。前回はクマさんが足を蹴られて痣がしばらく消えなかったそうです。残念ながら私はどちらも目撃しておりませんが。


●さて、今回傍聴券の抽選に並んだ人数は52名(そのうち40名が当選)と、前回よりは幾分多い人数でした。肝心の公判の模様ですが、前回と同様、原告と被告が舌鋒鋭く論争するような場面は全く無く、
ただ「原告側(夏淑琴さん支援側)がとうの昔に提出したはずの「求釈明」が被告側(東中野側)に届いていない」とか、
「原告側が提出するべき資料(書籍など)は何番まで提出済だったっけ?」とか、
被告側も裁判所もやる気あんのかよと思わせるようなやり取りがメインで、30分ほどで終了しました。
原告・被告双方とも、今回の法廷では陳述するつもりはなく、準備書面で十分だということです。ちなみに東中野教授は今回も出廷しませんでした。

ところで原告側弁護士の一人が、12月1日に被告側が提出した準備書面の意図について質問していました。

「この準備書面には、
『新路口事件についてのマギーの解説文の中の8歳の少女と、夏淑琴さんは、別人ではないか?』
という反論、つまり同著に於ける第9の疑問と、

『新路口事件は、本当に起きた事件なのか?』
という反論、つまり「南京虐殺の徹底検証」に於ける第1から8までの疑問が、
混在している。

『新路口事件』は事実が否かまで、話を広げるのか?
『新路口事件』についての疑問は、「事情」(の説明)なのではなく、『抗弁』なのか?」


これについて被告側はなにやら言葉を濁していましたが、
三代川三千代裁判長(女性です)は、

「原告本人を呼んで(『新路口事件』の)認証をする必要はないと思う」

「(『新路口事件』が)あったのか?なかったのか? というところまで、争点を広げる必要はないと思う」


と仰いました。

もちろん被告側も「新路口事件」が実際に起こったことなのかどうか、争うほど愚かではありません。それどころか「マギーの解説文の中の8歳の少女と、夏淑琴さんは、別人ではないか?」と、全面対決するつもりもなく、
「東中野の言動は名誉毀損に値しない」と主張していくようです。この裁判の争点はここに絞られていくでしょう。というか被告側は最初からそのつもりだったようです。



●ところで、12月1日提出の被告側準備書面(3)にて、
「another sister of between 7-8」と「the 8-year old girl」を別人だという前提で訳したことについて、
つまり「the 8-year old girl」を素直に「その8歳の少女」とは訳さなかったことについて、要約すれば以下のような馬鹿げた言い訳をしております。

「マギーが『THE』の使い方を間違えたんじゃないか、と思ったんだよ。
『a girl』と書くべきところを、間違って『THE』を使ったんだろうね、と思ったんだよ!」


これは弁護士会館での報告集会で話題に出たのですが、会議室は爆笑に包まれました。

このように被告側は「あの訳のどこが悪いんだよ!」という開き直りを通すつもりです。

●さらに本多勝一先生の著書まで例示し、

「『貧困なる精神G集』でも新路口事件が取り上げられているが、そこでも『7−8歳の妹』は銃剣で殺されたと訳している。つまり東中野と同じように訳したのだ!」

と主張しています。
たしかにそのように解釈できる翻訳です。引用してみます(P-109〜111)。
「12月13日(1937年)のこと、南京市内南西部の新口路五番地のある一軒に日本兵30人ほどがおしかけ、扉をあけさせた。「マー」という名のイスラム教徒の家主が扉をあけたとたん、日本兵は拳銃で即座に「マー」を射殺した。「シア」という同居人がひざまずいて「どうかほかの者は殺さないでください」と懇願したが、これも射殺。「マー」の妻が「どうして夫を殺したの!」と日本兵に訴えると、これも射殺した。
「シア」の妻は、1歳の赤ん坊と一緒にテーブルの下にかくれていたが、かれらに引きずりだされた。着物をはぎとられて数人に強姦されたあげく、胸を銃剣で突き刺され、さらに局部にビンを突っ込まれた。赤ん坊も銃剣で刺し殺された。
日本兵たちの一部はさらに隣室へ侵入、そこには76歳と74歳になる「シア」の両親のほか、16歳と14歳になる娘たちもいた、この娘たちが強姦されようとしたので、祖母がなんとか孫たちをかばおうとした。ただちに拳銃で射殺された。祖父は倒れた祖母をかき抱いたが、これも殺された。
二人の娘たちははだかにされ、姉の方は二、三人の日本兵に、妹のほうも三人に輪姦された。そのあと姉のほうは刺し殺されたうえ、局部に棒が突っ込まれた。妹のほうも刺し殺された上、母や姉と同じような行為で死体を凌辱された。同じ部屋にもうひとり七、八歳の妹がいたが、これも刺殺された。
家主「マー」の子供も犠牲になった。二歳の子は刀で頭を斬りさかれ、八歳の娘は重傷を負ったが、母親の死体のある隣室まではっていった。この子は、かくれていて助かった四歳の妹とともに、以後14日間というもの11人の遺体と一緒にこの家にいた。めしたき用のなべについた焦げ飯などを食べて生きていたのだった。
カメラマンがこうした物語の一部を知ることができたのは、この8歳の少女から聞きだしたほか、近所や親類の人たちからもきいた結果である。少女によると、日本兵たちはこのあとも毎日やってきて家の中のものを盗んでいったが、二人は古い布きれの中にかくされていて見つからなかった。
近所の住人はこうした惨事がはじまる前に国際安全区へ避難していた。14日後になって、このフィルムに写っている近所の老女が帰ってみたとき、二人を救いだしたのである、撮影された死体のある場所へのちにカメラマンを案内したのはこの老女だった。老女と「シア」の兄弟と八歳の少女をつうじて、以上のような恐るべき惨劇が明らかになった。写真は一四歳と一六歳の娘の死体で、当時殺された一群の人たちの間によこたわっている。最後に写されているのは「シア」夫人と赤ん坊の死体である」
要するに被告側は「本多勝一の著書も東中野と同じ解釈ですけど、何か?」という言い訳を思いついたわけです。
これは本多先生自身が訳したのか、それとも別人が訳したのか不明ですが、失礼ながら被告側の指摘以外にも誤訳が見出せます。K−Kさんの資料集に掲載されている「夏淑琴関連 マギーフィルムの解説書(ドイツ外交官の見た南京事件P176-177)」と読み比べてみてください。

1.「14歳になる娘」は、「母や姉と同じような行為で死体を凌辱された」のではなく、
「姉と母に加えられたようなひどい仕打ちは免れた」のです。
2.「マー」(正確には“Ha”)の子供のうち、4歳の子供の記述がすっぽり抜けています。
3.「八歳の娘」が、恰も「マーの子供」であるかのように解釈することができる文章になっています。
忠実に翻訳すれば原文は以下のようになっています。
「この家で最後の殺人の犠牲者は、四歳と二歳になる馬氏の二人の子どもであった。年上の方は銃剣で刺され、年下の方は刀で頭を切り裂かれた。」
「傷を負った八歳の少女は、母の死体が横たわる隣の部屋まで這って行った。彼女は、逃げて無事だった四歳の妹と一四日間そこに居続けた。」

このように誤訳が目立ちます。被告側がこれを言い訳に持ち出したことは、
東中野教授にはこれほど多くの誤訳をする人物と同程度の英語読解力しか持たず、英文を独力で翻訳し論じるような能力など無い・・・と主張するようなものではないでしょうか?かえって被告側の墓穴を掘ることになるのではないでしょうか?

●それにこの準備書面では、
アメリカ人宣教師アーネスト・H・フォースター(Ernest H. Forster)の記録を読めば、
「七、八歳になる妹」あるいは「八歳の少女」という曖昧な表現は存在しないことに触れていません。
フォースターの記録は笠原十九司先生の「南京難民区の百日」で紹介されていますが、
東中野教授の「南京虐殺の徹底検証」の中でも、「南京難民区の百日」からフォースターの記録の一部分を引用していることに触れていません。

●「八歳の少女」に関する記述ではbayonet(銃剣で突き殺す・又は銃剣で刺す)という単語は存在しないのに、
「南京虐殺の徹底検証」に「第七に、銃剣で「重傷」を負った八歳の少女が何とかショック死を免れた」と記したこと(つまり東中野氏は「八歳の少女」は「七、八歳になる妹」と同一人物であり、「銃剣で突き殺された」のではなく「銃剣で突かれた」ことを理解していたのではないかと思える)も、
触れていません。

●「THE」の用法についてはさらに、
「たとえば『the photographer』という言葉だって突然出てくる。『photographer』だってこの文章のなかでは初登場なのに」
と述べておりますが、これはマギーフィルムの解説書なのですが?フィルムですから、撮影者が存在するに決まっているではないですか?
あるいは被告側は、この裁判を愚弄するためにこのような寝言を並べているのでしょうか?

今後も被告側は下らない屁理屈で対抗すると思われますが・・・弁護士の方の見解ですが、来年3月ごろ結審、GW明けぐらいに判決ではないか・・・ということです。
余談ですがその弁護士の方によると、「右翼の連中の毎度の下品な行動は、全て裁判長の耳に入っている」ということです。西村らの行動は東中野教授を敗訴させるための工作になりつつあるようです(笑)。もっとも、あまり派手に連中と怒鳴りあうのも自粛すべきだと感じました。


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posted by 鷹嘴 at 00:34| Comment(50) | TrackBack(0) | 夏淑琴さん裁判 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
東京裁判では証拠の提出が認められず、中国の歴史からも割愛されつつあり、
日中国交正常化の際に、この類の事件について追及しないことが条件とされているので、
南京大虐殺について記載する教科書があってもこの事件については記載する教科書はまずありません。

以下引用
「「通州大虐殺」(単に「通州事件」 とも呼ばれる)は、
廬溝橋事件の3週間後に起こった。通州は北京の東12.3キロに位置する。
当時、通州には、廬溝橋事件の余波で避難していた婦女子や朝鮮人
(当時は日本人、多くはアヘン密売者と売春婦)を含む
日本人居留民約400人が住んでいた。
通州は親日的な冀東防共自治政府(長官は殷汝耕で夫人は日本人だった)が統治していた。
冀東政府は、冀東保安隊(兵約9000)を持ち、通州には、
そのうち兵約3000が駐屯していた。野砲を持つ強力な部隊であった。
盧溝橋事件の3週間後、昭和12年7月29日午前4時、
冀東保安隊は中国政府の煽動放送に湧き立ち、突如叛乱を起こす。
中国政府は、「日本軍は敗走中、蒋介石はすでに北上しつつあり、
近く通州を攻撃、殷汝耕を血祭りにあげるだろう」「中国軍の飛行機200機が前線に出動」
とのラジオ放送をしつこく流していた。冀東保安隊はこのデマに乗せられた。
そして、冀東政府要人および日本人軍事顧問を殺害したのみならず、
約260人の日本人居留民を惨殺した。冀東保安隊の指導者・張慶餘は、
もともと(隠れ)抗日派で、中国第29軍の指導者・宋哲元と内通していた。
通州には日本軍の守備隊(萱島部隊)も駐屯していた。たまたま主力が南苑攻撃の
ため町を離れ、萱島部隊が出発した後の通州には、守備隊約40人、自動車中隊約50人、
憲兵など約20人、計約110人の兵力しかいなかった。そこへ通州駐屯の冀東保安隊・兵約3000が
襲撃をかけたのである。奇襲をかけた冀東保安隊に、日本軍守備隊は少数ながら果敢に応戦した。しかし、
多勢に無勢で陣地を守るのが精一杯であった。攻勢に出た冀東保安隊は、日本人居留民をも標的にした。
冀東保安隊は、事前にリストアップしていた日本人居留民の住宅一軒一軒に襲い
かかった。女性は強姦した上で性器を銃剣で刺す、刃物で抉る、箒や箸を突っ込むなどして殺害。
子供は両手・両足を切断するなどして殺害。男は眼を抉る、首に縄を巻き付けて引き回すなどして殺害。
それでも生き残った者は、手足を縛られ、鼻や喉に針金を突き通され、二ヶ所に引きずり集められたうえで射殺された。
約140名が、日本軍守備隊の陣地に逃げ込んで命拾いをした。
【中略】
戦後、東京裁判において、弁護団は通州事件について、外務省の公式声明を証拠と
して提出しようとしたが、ウェッブ裁判長によって却下された。
この事件に触れると、日中戦争は日本ばかりが悪いと言えなくなってしまう、という判断である。
蘆溝橋事件は、まったくの軍同士の衝突である。ところが組織的、計画的に民間人を
虐殺したこの通州事件は、まったく狂気としか言いようがない。
その背後には蒋介石の特務機関「軍統局」と中国共産党の策謀があったとされる。
当然、こうした虐殺の報は、現地の日本軍兵士を激昂させたし、
日本では「膺懲(ようちょう)支那」の機運が盛り上がり、全面戦争への誘因になった。
Posted by manforstorm at 2009年11月19日 18:21
>、「冀東防共自治政府」(日本軍が作った傀儡政権)の保安隊(中国人)の反乱でした。

冀東側と冀察側がグルだった事をご存知ないのですか?
1986年に冀東保安隊長であった張慶餘の回想録が公表され、
また中国で出版された『盧溝橋事変風雲篇』によると、
張慶餘、張硯田の両隊長は、中国軍とかねてから接触しており、
「日本打倒」の事前密約をし、これが「通州決起」と関係していると記されていることから、
通州事件が中国と張慶餘・張硯田両隊長の密約によるものだという事は明らかです。
Posted by manforstorm at 2009年11月19日 18:22
>冀東側と冀察側がグルだった事をご存知ないのですか?

何を根拠に言ってるんだか・・・
明確な資料が欲しいね。
Posted by 秋桜  at 2009年11月20日 21:45
いや、書いてありますから。
ちゃんと読んで下さいね。
Posted by manforstorm at 2009年11月20日 22:18
とあるサイトにあった『ウヨ辞典』より抜粋。

「通州事件論法

 悪いことをして先生に怒られたワルガキが、でも「山田君だってやってるよ!」と、逆ギレするレベルの責任逃れ論法で、ウヨが多用する。
他人の非を指摘しても自分の非が消滅するわけでも何でもなく、単に見苦しいだけということがわからないウヨの頭の悪さを露呈している。
 
類義語に、「チベット論法」「済南事件論法」などがある。
Posted by ロミオ at 2009年11月22日 01:33
この通州事件なのだが、通州というのは当時日本の傀儡政権である冀東防共自治政府の支配下にあり、日本軍によるアヘン・麻薬密売の拠点であり、中国民衆の恨みを買っていたところでもあった。そもそもの事件の発端は、盧溝橋事件に関連して、自治政府保安隊の兵舎を日本軍が誤爆したことに始まる。以前より抗日決起の呼びかけが保安隊に対してなされていたこともあり、前記の鬱憤が、日本軍による誤爆をきっかけとして一気に爆発した事件であり、288人の日本人居留民が惨殺されたという。日本側に全く非がなかったわけではないのだ。
 だが、この事件は当時の政府により、日本国民の敵愾心を煽るために利用され、そのためか未だに南京大虐殺と対比しようとする人がいるのだから始末に負えない。頭の中が戦時中で止まったままなんだろうな。
Posted by 殿 at 2009年11月22日 09:27
成り済ましやめてくれますか?誰ですか?ノン・フライですか?
あいつ相当俺に腹立ててたからな。違うかも知れないけど。
Posted by 殿 at 2009年11月22日 10:02
ロミオも多分成り済ましだろう。あの人は半角でしか名前を書いてない。
Posted by 殿 at 2009年11月22日 10:24
>日本軍による誤爆をきっかけとして

しかし誤爆の事後処理は通州事件以前には終わっている事実も存在している
寺平忠輔『盧溝橋事件』などで分かっている
Posted by 殿 at 2009年11月22日 10:26
つーか、正体聞いてみたところで意味ないか。正直に言う奴なんて居るわけないし。
Posted by 殿 at 2009年11月22日 13:45
何だ?この「いかにも」な文体は?
本物のロミオとしては、このなりすましを見過ごす事は出来へんな。
俺が「ウヨ辞典」なんてものを応援するなんて事は絶対に無いからな!
 
>Posted by 殿 at 2009年11月22日 10:24
なりすましを見破って頂いて有難う。感謝です。

困ったものです。人のコテ使わずに、自分のコテ使えば良い。
本当に汚い人ですな!呆れ果ててもう怒る気すら生じない・・・。
Posted by ロミオ at 2009年11月22日 18:24
まあお前には「恥」なんて観念はないだろうよ
こんなことしてるから、ブサヨなどと言われるのさ。あなたは私達を含む通州大虐殺派を「ウヨ」呼ばわりしたが、その人のコテを使うと言うことは、お前はウヨとなるがそれで良いな?
Posted by ロミオ at 2009年11月22日 18:37
私のコテは子どもの頃見た『ロミオの青い空』からとったもので、すでにあちこちでコテハンとして5年も使っているんですが・・・。それを「なりすまし」呼ばわりされてもねぇ・・・。

本物だとか人のとか言われても、広いネット上において「 ロミオ 」の名称が貴方のコテハンだと認識されているほど貴方は有名でもないし、貴方には「ロミオ」を貴方だけのコテハンとする権利もない。

すでに「ロミオ」の名称をコテハンにしている人がいると知っていれば他の名称にしていましたが、こうまで品の無い文章で「なりすまし」呼ばわりされては・・・。

当然の権利として私はこのブログにおいても「ロミオ」の名称を使用させていただきます。
Posted by ロミオ at 2009年11月23日 00:50
じゃあ、「殿」は何だ?お前同一人物だろ?
名前二つもカブってて成り済ましじゃないなんて偶然があるかよ。
このブログの「ご注意」で俺と殿さんが書き込んでいる。
それを見て成り済ましたんだろ?
Posted by ロミオ at 2009年11月23日 13:42
サヨクってこんな大嘘が平気で言えるんだな。
やっぱり「恥」なんて観念はない卑怯者だ。
表彰状を与えたい。



表彰状   偽ロミオ殿、

貴方は二つのコテに成り済まし、
恥知らずな妄言を吐き散らしましたので、
その卑怯ぶりを讃え、これを賞します。

平成21年11月23日 ロミオ
おめでとう御座います。
Posted by ロミオ at 2009年11月23日 13:49
イヤハヤ南友?
Posted by 不条理な男女 at 2009年11月23日 16:39
俺もこっちで成りすましされたけどね・・・
  ↓

http://himadesu.seesaa.net/article/63443811.html#comment

でも同情できんw 

散々、その「ご注意」で、よその掲示板のことで人に噛み付いて管理人さんにも注意されるルール違反しておいて、いざ他人にルール違反されたら、やめろだ卑怯だなんてそりゃ通じませんw

>イヤハヤ南友?

ちなみにイヤハヤ南友さんは成りすましが複数いるため収集がつかなくなっているw
Posted by シルコ・ワンカップ   at 2009年11月23日 17:50
ほーぅ、その管理人はノン・フライによるルール違反には目をつぶっているんだけどなw
そんな奴に注意されたなんつっても説得力無いし、ノン・フライの指摘が無ければ注意もしなかっただろうよw
Posted by 殿 at 2009年11月23日 19:41
>シルコ・ワンカップ
殿さんは批判しても成り済ましの方は批判しないのか・・・
イタイイタイ痛いよォオオ!おかあさぁーん!
ここに頭怪我した人が居るよォオオオおおおお!!!

>ちなみにイヤハヤ南友さんは成りすましが複数いるため収集がつかなくなっているw
一人は無実だけどな
Posted by 不条理な男女 at 2009年11月23日 20:04
「山田君だってやってるよ!」じゃねーんだ。山田君しかやってない
Posted by 不条理な男女 at 2009年11月23日 20:08
私も無実なんですけどねぇ・・・。

それに殿さんも実際にルール違反をしているじゃないですか。

私はあなたのその行動や意見に全く知性を感じないし、理解もできないし、そのやり方に反省なく、悪あがきをしても無駄だ。

もう、いい加減にしてくれ。うんざりだ。
Posted by ロミオ at 2009年11月23日 20:30
>私も無実なんですけどねぇ・・・。
大嘘もいい加減にしてくれ。うんざりだ。

>それに殿さんも実際にルール違反をしているじゃないですか。
だから?
殿さんがルール違反をしているから自分の成り済ましも正当化されると?
それこそウヨが多用する「山田君だってやってるよ!」と、逆ギレするレベルの責任逃れ論法じゃないか!
それと、お前は「殿さん も 」と言ったな?という事はお前もやっているって事じゃんw自爆w

大体なんで俺の成りすましが殿さんに怒るんだ?
俺はルール違反をしていないのに何で殿さんによるルール違反で「偽ロミオ」が正当化される?
同一人物だからつい書いちまったんだろ?自爆w
Posted by ロミオ at 2009年11月23日 21:52
結局サヨクもウヨクと同じで平気で嘘を吐く恥知らずの卑怯者だなw


>ロミオ
>シルコ・ワンカップ

頭怪我してる人達

痛い痛い痛い!痛いよォオオおかあさあああん!!
絆創膏持ってきて!出来るだけ大きな人ひとり包みこめるくらいのォォォ!!
Posted by 不条理な男女 at 2009年11月24日 18:09
>ほーぅ、その管理人はノン・フライによるルール違反には目をつぶっているんだけどなw

つぶっているんじゃなくて違反するようなこと何一つしていないから注意していないんですが?w貴方と違ってねw 結局、まったく反省していないんだねぇw サイテイw

>殿さんは批判しても成り済ましの方は批判しないのか・・・
イタイイタイ痛いよォオオ!おかあさぁーん!
ここに頭怪我した人が居るよォオオオおおおお!!!

批判じゃなくて単にこういう理由で同情できんと言っただけなんだが・・・?
君は頭じゃなく脳を怪我しているようだね・・・w
その後に続くコメも完全に常軌を逸したものだし、病院にいくことをお勧めするよw

>一人は無実だけどな

はて?どうして君にそれがわかるの?無実かどうかなんて第3者にはわかりようがないはずだけどね?ひょっとして君が成りすましかい?w

ま、いいか狂人の言うことだしw


Posted by シルコ・ワンカップ at 2009年11月24日 20:50
>日本軍による誤爆をきっかけとして

 日本軍による「誤爆」が、「叛乱」の契機となった、とする最も有力な説で通州事件の現地解決にあたった外交官、森島氏の記述 などに見られます。
 

森島守人氏「陰謀・暗殺・軍刀」より 

 「通州事件

  北京に関するかぎり、何等の不祥事件もなく、無事に過ごし得たが、一大痛恨事は北京を去る里余の地点、通州における居留民の惨殺事件であった。

 通州は日本の勢力下にあった冀東防共自治政府の所在地で、親日派の殷汝耕の御膝元であり、何人もこの地に事端の起ることを予想したものはなかった。むしろ北京からわざわざ避難した者さえあったくらいだった。

 冀東二十三県は塘沽協定によって、非武装地帯となっており、中国軍隊の駐屯を認めていなかったにかかわらず、わが現地軍が宋哲元麾下の一小部隊の駐屯を黙認していたのが、そもそもの原因であった。中国部隊を掃蕩するため出動したわが飛行部隊が、誤って一弾を冀東防共自治政府麾下の、すなわちわが方に属していた保安隊の上に落すと、保安隊では自分たちを攻撃したものと早合点して、さきんじて邦人を惨殺したのが真相で、巷間の噂と異り殷汝耕には全然責任がなく、一にわが陸軍の責任に帰すべきものであった。」

(P127〜P128) 

田中隆吉氏「裁かれる歴史」より 
 
「 長氏が報復を叫んだ通州事件とは如何なる内容のものであらうか。それは昭和十二年七月三十日冀東政府の首都通州に於て冀東保安隊の手に依つて行はれた二百数十名の日本居留民の虐殺事件である。

 この事件の発端は、当時承徳に在つた日本軍の軽爆撃隊の誤爆からである。通州には元来冀東保安隊二ケ大隊と宋哲元氏の二十九軍麾下の一ケ大隊と、日本軍の歩兵一ケ大隊が駐屯して居た。この日本軍の歩兵一ケ大隊は二十九日夜南苑の攻撃に参加するため北平方面に出発した。三十日朝からこの冀東の保安隊の二ケ大隊は南苑を攻撃する日本に軍策応して、通州の西南端兵営に蟠居して居た二十九軍の一ケ大隊に対して攻撃を開始した。この攻撃を援助するため承徳から中富少将の指揮する軽爆隊が出動した。

 この軽爆隊は軽率にも、二十九軍の一大隊を友軍と誤まり、友軍である冀東保安隊を敵と見て痛烈なる爆撃を浴びせた。冀東保安隊は激怒した。そして攻撃を中止して二十九軍と合流し叛乱を起した。殊にこの叛乱に拍車を掛けたものは日本軍が南苑に於て大敗を喫したとの宣伝であつた。

 叛乱軍は直ちに冀東政府の主席殷汝耕氏以下の主なる官吏を逮捕すると共に細木特務機関長以下の日本居留民の殆んど全部を虐殺した。これが通州事件の全貌である。

 南京周辺の残虐行為は通州事件に比すればその規模に於て正に雲壌万里の差がある。然し何れも日華事件の過程に於て日華両民族の間に生じた拭ふべからざる歴史上の汚点であることは間違いはない。」

(P47〜P48)

>しかし誤爆の事後処理は通州事件以前には終わっている事実も存在している
寺平忠輔『盧溝橋事件』などで分かっている


確かに、これらの「誤爆説」に対して、当時「北京特務機関補佐官」の地位にあった寺平氏は、このようなコメントを残していますが・・・

寺平忠輔氏「盧溝橋事件」より 
  
 保安隊誤爆事件

 ところがこの戦闘に関連して、厄介な問題が起った。宝通寺の兵営と境を接している冀東保安隊幹部訓練所では、爆撃隊が対地戦闘を開始したと知るや、好奇心から隊員一同、広い校庭にとび出して、この戦闘を見物し始めたのである。

 華北の戦場に到着したのは数日前であり、通州の戦闘参加の命令をうけたのが今日の明け方だという飛行隊は、冀東と冀察の境界線がどのようになっているのか、保安隊訓練所がどこにあるのか、そのような細かい点はわからない。だから今、脚下にとぴ出して騒いでいる冀東保安隊の姿を見た時、二十九軍の一味に違いない、と即断したのも無理はなかった。爆撃の雨は、この保安隊の頭上にも、浴せかけられたのである。たちまち保安隊員の数名が重傷を負い、数名はその場に爆死した。
 
 細木機関長はこの報を聞くと直ちに自動車をとばして、冀東政府に殷長官を訪ね、陳謝するとともに爆死者の遺族に対しては、日本軍として、最善の方法を尽し、負傷者に対しても同様、十二分に療養と慰謝の方法を講ずる旨を申し出た。そして二十七日、機関長自ら現場の視察、遺族の弔慰に奔走した。さらに翌二十八日、教導総隊幹部一同を冀東政府に招集し、機関長は誤爆に関して説明を加え、彼等の慰撫に努めた。                               
 そのかいあってか、保安隊員は心中の鬱憤を軽々に、表面立って爆発させる事はしなかったのである。
 (P369)

 「誤爆」は現地の速やかな措置により解決し、「叛乱」の原因とはならなかった、というのが寺平忠輔氏の主張ですが、 しかし、森島氏・田中氏の記述も、このような「現地解決」の事情を知った上でのものでありますし(ましてや森島氏など当事者)、また、この「解決」(?)の事実が下級兵士にまで浸透していたかどうかも不明ですし、仮に浸透していたとしても果たしてそれで納得させられるかどうか疑問を持たざるを得ません。それについてはどちらも資料も無く、現段階では、「誤爆が原因ではない」という断言はできません。

むしろ、寺平氏が「保安隊員」の「心中の鬱憤」に言及していることからもわかるように、ひとつの「遠因」として作用した、という見方も可能でしょう。
Posted by 偏将軍K-5(美周郎) at 2009年11月25日 21:07
>冀東側と冀察側がグルだった事をご存知ないのですか?
1986年に冀東保安隊長であった張慶餘の回想録が公表され、
また中国で出版された『盧溝橋事変風雲篇』によると、
張慶餘、張硯田の両隊長は、中国軍とかねてから接触しており、
「日本打倒」の事前密約をし、これが「通州決起」と関係していると記されていることから、
通州事件が中国と張慶餘・張硯田両隊長の密約によるものだという事は明らかです。
Posted by manforstorm at 2009年11月19日 18:22

さて、この「グルだった」という「事前密約説」ですが・・・

確かに1986年、反乱の首謀者だった張慶餘の回想記が公表されました。その中に、盧溝橋事件以前から、「日本打倒の密約」があったことが述べられています。岡野篤夫氏が、この回想録を出典として書かれたと見られる「盧溝橋事変風雲篇」の内容を詳しく紹介していますので、以下、見ていきましょう。

岡野篤夫氏「通州事件の真相」より
商震が京津地区から退き、代わって宋哲元の第二十九軍が進駐し、新たに冀察政務委員長となったとき、張慶餘らと宋哲元の間には何のつながりもなかった。宋哲元は表向き日本との協調を表明しており、互いにその本心を明かすことは至難のわざであった。これを結びつけたのは哥老会であった。「盧溝橋事変風雲篇」は、両者が哥老会の会員だったことだけで、そのつながりを当然としている。

哥老会という言葉は日本人には馴染みが薄いが、これは哥弟会とも言い、清朝に亡ぽされた明朝の遺臣、失業軍人などによって組織された地下の秘密結社である。様々な名称を持つ分派に分かれ、紅幇(ホンパン)、青幇(チンパン)などもその一派である。中国全土にわたってその組織細胞を持ち、平素は盗賊や闇商売などをしているが、互いの間では信義と任侠を建前とし、然諾を重んじていた。その隠然たる勢力は計り知れないものがあり、幾多の有名な大親分が現れて、時の権力者に利用されている。上海の張嘯林、吐月笙などというボス達は闇の帝王であって、蒋介石の上海クーデターを成功させた。とにかくその規模と歴史については、われわれ日本人の考え及ばぬものがあったようである。 

張樹声は哥老会の河北省支部の指揮者の一人で、張慶餘等はその子分であった。張樹声は大物の宋哲元を信頼させるだけの顔があったようである。その張樹声の内密の要請により、宋哲元は人眼をさけて、天津英租界十七号路の私邸で張慶餘、張硯田と遇った。宋哲元は言った。

「お二人の祖国愛は日頃からよく存じており、最近また俊杰(張慶餘のあざな)兄からお二人がカを合わせて抗日を念願されていることを聞き、自分は政府を代表して歓迎の意を表する。ここにまずお二人に申さねばならぬことがあるので注意されたい。この宋哲元は決して売国ではないので、今後お二人が私に対し他人行儀をされないよう希望し、かつ立場をしっかりさせて、再び動揺しないよう希望する」。

こう言い終わると蕭振■(冀察政務委員会経済委員主席)に命じ、二人にそれぞれ一万元を渡した。

 二人がお礼の言葉と共に「われわれは今後協力して委員長に追随し、国家のため忠節を尽くしたい」と述べると、宋哲元は「すばらしい、すばらしい」と言って握手した。このことが保安隊の通州決起と関係がある、と張慶餘は書いている。

 この時期、宋哲元は日本の田代軍司令官を真の友人であると称し、日本軍との協力を誓っていた。日本軍は全く迂闊でお人よしだったと言えるが、その理由は日本軍に中国と戦う意思がなかったからで、目的とするところは、居留民の保護と権益の擁護であった。ところが、国民政府や中国共産党は、その権益擁護や日本人の居住することを「侵略」と考えていたのである(他の諸外国に対してはそう考えなかったらしいが)。

 盧溝橋事件が勃発したとき、宋哲元は山東省の郷里に帰っていたが、張慶餘は腹心の部下・劉春台(保安隊教育訓練所副所長)をひそかに北京に派遣し、河北省主席(第三十七師長)馮治安に指示を仰いだ。宋哲元から馮治安に張慶餘、張硯田との密約が伝えられていたことが察せられる。

 馮は「現在、わが軍と日本軍とは、和するか戦うか未決定であるから、張隊長にしばらく軽挙しないよう伝えられたい。わが軍が日本軍と開戦するときを待って、張隊長はその意表に出て通州で決起し、部隊を分けて豊台を側面から攻撃して挟撃の効果を収められたい」と述べ、第二十九軍参謀長・張 樾亭と連絡を保つよう申し付けた。劉春台はその足で張樾亭に面会し、張樾亭は張慶餘と張硯田の部隊を中国第二十九軍の戦闘序列に入れた。


 同じ頃、通州の和木特務機関長は冀東保安隊幹部と連絡会議を開き、通州を第二十九軍から守ることを協議した。この席で張慶餘は、各県に散在する部隊を通州に集中することを提起した。これに よって張慶餘の第一総隊と張硯田の第二総隊が逐次通州に集結したのである。第三、第四総隊は動かなかった。
 
 そして張慶餘は「自分は日本軍が大挙して南苑を侵犯し、かつ飛行機を派遣して北平を爆撃したのを見て、戦機すでに迫り、もはや坐視出来ないものと認めて、ついに張硯田と密議し、七月二十 八日夜十二時、通州で決起することを決定した」と書いている。
 
 日本軍は北京を爆撃したことはない。南京のラジオ放送は「北京の日本軍は中国軍に撃滅され、蒋介石は近く二十九軍を提げて通州を攻撃し、売国奴殷汝耕を血祭りに上げる」と宣伝していた。形勢を観望していた 張慶餘が、この放送で意を固めたことは想像し得る。
 
 通州城外の傳鴻恩部隊が萱島部隊に攻められたとき、これを見殺しにして動かなかったことは、張慶餘が必ずしも第二十九軍に忠節を尽くしていたとは言えない。

(『正論』1990年5月号所収 P225〜P227)
 
 
Posted by 偏将軍K-5(美周郎) at 2009年11月25日 21:26
上記の続きです。 ただし、張慶餘の回想は、「抗日」のスタンスを強調する方向での一定の「脚色」がある可能性は否定できません。例えば、秦氏は、このようなこのような見方をしています。

秦郁彦「盧溝橋事件の研究」より

張慶餘は、回想記のなかで久しく以前から抗日を決意し、冀察幹部と通謀して反乱の機会を狙っていたと主張するが、二十七日早朝の戦闘で傳営(ゆう注 「傳営長」の誤植と思われます。中国側第ニ九軍)と共に戦う機会を見送っている点からみても、説得力は乏しい。むしろ保身に徹するか、勝ち馬に乗ろうとして形勢を観望していたと思われる。

(P316〜P317)

通州で反乱にぶつかり九死に一生を得た同盟の安藤記者も、二十八日夕方に冀東政府内で同主旨のラジオ放送を聞いているから、張慶餘らはこのデマに踊って反乱に踏み切ったのかも知れない。誤爆や萱島連隊の移動は、それを促進する材料となったのであろう。

(P317)

 以上をまとめると、「密約」が存在したのは事実だが、張慶餘自身はその「密約」の実行をためらっており、最終的に実行に踏み切らせた材料としては「誤爆」なりの要因もあったのかもしれない、ということになりそうです。(なお、このうち「誤爆」が要因であるかどうかについては論者の見解が分かれています)

Posted by 偏将軍K-5(美周郎) at 2009年11月25日 21:29
そもそも、通州事件の事前密約説なんて真珠湾攻撃におけるルーズベルト陰謀説と一緒で、まるで意味がないものだと思います。

なぜなら、どちらもまず「日本が攻撃をした」「中国国内に偽装国家をつくり味方に誤爆した」という事実があり、いくら「事前に知っていた」「無くても攻撃をしだだろう」と言ってもなんの意味もありません。人を殴っておいて「あいつは殴られることを予測していたけど避けなかった」と言っても暴行の事実が覆らないのと同様です。

ルーズベルト陰謀説が“大日本帝国の外務省本局と米国大使館の意思疎通不全の失策、奇襲攻撃の外交的失敗”という事実を塗りつぶす目的で歴史修正主義者が唱えているように、陰謀説の信憑性は検討するに値しない程度のものと考えて良さそうです。

それと「誤爆だった」と

>しかし誤爆の事後処理は通州事件以前には終わっている事実も存在している

も全く意味のない論理でしょう。

現在「誤爆」は米軍の常套句になっておりますが、これについてアメリカ人以外(特にイラク人)誰も納得していないのと同様です。向こうが納得していなければ「処理」にはなりません。

いくら「誤爆」と言い張っても「じゃあ、その爆弾はどこに落とすつもりだったんだ」「なんで日本の軍隊が中国に爆弾持ち込んでいるんだ」と言われたらお終いでしょう。わざわざ拳銃持ち込んだ強盗が「誤射」と言い張っても一体、誰が納得するのか?米軍の「誤爆」を誰も信用しないのはそれが主たる理由です。

結局のとこ通州事件は言えば言うほど日本が中国を侵略しようとしていた事実と日本軍の無能さが明るみにでるばかりでなんの免罪符にもなりません。
Posted by サラリーマン・シャトウ at 2009年11月26日 23:47
>東京裁判では証拠の提出が認められず、中国の歴史からも割愛されつつあり、
日中国交正常化の際に、この類の事件について追及しないことが条件とされているので、
南京大虐殺について記載する教科書があってもこの事件については記載する教科書はまずありません。

>Posted by manforstorm at 2009年11月19日 18:21

そりゃ、事件の規模も犠牲者数も違いすぎますからなぁw てゆうか何で犠牲者数の桁の(ゼロが3つも)少ない事件を南京大虐殺と同等に扱えると思ってんかね?w

てゆうか同等の事件ですら載らないことがあるのに。

コイツはアメリカ人に「東京大空襲について記載する教科書があっても重慶爆撃については記載する教科書はまずありません」と言われたらどうすんだ?
Posted by 海砂利水魚 at 2009年11月27日 00:21
通州事件は日本軍が故意に起こしたらしいよ。
Posted by 京都 観光 at 2009年11月28日 13:37
>向こうが納得していなければ「処理」にはなりません。
当時の保安隊はこの事を問題にしていませんでしたが?

>「じゃあ、その爆弾はどこに落とすつもりだったんだ」「なんで日本の軍隊が中国に爆弾持ち込んでいるんだ」
冀察側の軍に向かって落とすためですが?
少しは調べて言っているんですか?

>日本が中国を侵略しようとしていた事実
「侵略」という言葉の意味を分かっているんですか?
「侵略」とは、相手の主権・政治的独立を奪う行為のことですよ。
当時の中国はそもそも主権国家じゃないのでw

>犠牲者数の桁の(ゼロが3つも)少ない事件を南京大虐殺と同等に扱えると思ってんかね?w
10万人以上殺されたと信じてるひと居たんだw

>コイツはアメリカ人に「東京大空襲について記載する教科書があっても重慶爆撃については記載する教科書はまずありません」と言われたらどうすんだ?
重慶爆撃は軍事施設を狙ったもので、アメリカの無差別爆撃とは全く違います。
そのくらいの区別もつけられない所はアメリカ人そっくりですねw
Posted by 不条理な男女 at 2009年11月28日 20:50
誤爆がどうのこうの言ってるが、誤爆が原因だったとしても
民間人虐殺である事に変わりはないので国際法違反です。
侵略をされて怒って起こしたとしても、「泥棒に金を盗まれそうになったから、泥棒の友達を殺した」と行っているのと同じ。

>てゆうか何で犠牲者数の桁の(ゼロが3つも)少ない事件を南京大虐殺と同等に扱えると思ってんかね?w
「30万人は嘘だ」と言ったら「数は関係ない」とか言うくせにw
Posted by アホ at 2009年11月29日 14:59
>通州事件は日本軍が故意に起こしたらしいよ。

結局何でもかんでも日本軍の所為にするのなw
なーにが、「日本軍が故意に起こしたらしいよ」だよ!
根拠は何だ?資料も一切無い。


>コイツはアメリカ人に「東京大空襲について記載する教科書があっても重慶爆撃については記載する教科書はまずありません」と言われたらどうすんだ?

はぁ?
重慶爆撃は軍事施設を狙った爆撃であって、
東京大空襲みたいな民間人皆殺し作戦とは全然違うんだけどw
Posted by 尋山 at 2009年11月30日 21:36
>当時の保安隊はこの事を問題にしていませんでしたが?

保安隊が問題にしないのと兵士が納得していたかどうかは完全に別問題です。表向き問題にしていなくても内心ハラワタ煮えくり返っているのも、上司の判断に部下が納得していない例は世の中にごまんとあります。

>冀察側の軍に向かって落とすためですが?
少しは調べて言っているんですか?

それで冀察側の軍の人はどこの国の人なんですか?少なくとも日本ではないですよね?

>「侵略」という言葉の意味を分かっているんですか?
「侵略」とは、相手の主権・政治的独立を奪う行為のことですよ。
当時の中国はそもそも主権国家じゃないのでw

「侵略」とは一般には,『直接武力をもって他国の領域に侵入しまたは他国の領域を攻撃すること,それか紛争の平和的処理に関する法律上の義務に違反すること』を言うんですが?意味がわかっていないのは貴方のほうです。「主権・政治的独立を奪う」というのは侵略の定義の一つにしかすぎません。

「当時の中国はそもそも主権国家じゃないのでw
」も二重の意味でデタラメで滅茶苦茶な話です。当時の中国は政治的に混乱していても国際連盟に加盟していた、国際的に承認された独立国です。また仮に「主権国家」でないにしろ他国に武力をもって侵攻すれば侵略以外のなにものでもありません。

>10万人以上殺されたと信じてるひと居たんだw

これは海砂利水魚さんへのコメントで私が返すのもなんですが、まぁ小林よしのりや歴史修正主義者の嘘八百を鵜呑みにするだけのネトウヨ以外は普通信じていますよ?

>重慶爆撃は軍事施設を狙ったもので、アメリカの無差別爆撃とは全く違います。
そのくらいの区別もつけられない所はアメリカ人そっくりですねw

それでどうして何万もの民間人や民間の家屋が被害に合うんですかね?その言い逃れ方アメリカ人と瓜二つですね。

>誤爆がどうのこうの言ってるが、誤爆が原因だったとしても
民間人虐殺である事に変わりはないので国際法違反です。
侵略をされて怒って起こしたとしても、「泥棒に金を盗まれそうになったから、泥棒の友達を殺した」と行っているのと同じ。

国際法違反であるとしても結局「他の奴だってやっている」というのと変わりないですね。
「泥棒の友達」については、その泥棒の友達が全然関係ない場所にいたとしたらその言い分は通りますが、相手の家に一緒に進入していたら友達というより泥棒の片棒かついでいる相方にしか見えませんよ。よってその言い分は通りません。

>「30万人は嘘だ」と言ったら「数は関係ない」とか言うくせにw

私は「30万人は嘘だ」と言う人がいたらその根拠となる主張(と言うよりペテン)を論破して「そっちの方が嘘だ」と言いますが?大体「30万人は嘘だ」と言う人は「当時の南京市には20万しかいない」「20万も殺すには原爆2個使わなきゃムリ」と小林よしのりの戦争論の嘘を鵜呑みにしているだけなんで実に簡単ですから。「事件当時の南京市の人口は50万人であることが確認されています」「南京事件の範囲は南京市だけではなく周辺の都市や農村も含まれます」「1日2日なら原爆は必要だが武装した兵士が10万もいて6週間も時間があれば楽々達成できる」と言えばあっさり論破できます。でもそう言うとウヨは逃げるか話を変えたりするんでキリがないんですが・・・。

「数は関係ない」と言うのも、そもそもウヨの方が数を問題にするんですけどね?それでいて論破されると数と関係ない話に逃げたりする。本当にどうしようもないとしか言いようが無い。
Posted by サラリーマン・シャトウ at 2009年12月01日 00:01
>保安隊が問題にしないのと兵士が納得していたかどうかは完全に別問題です。表向き問題にしていなくても内心ハラワタ煮えくり返っているのも、上司の判断に部下が納得していない例は世の中にごまんとあります。
ふーん、じゃあ元寇の事を大昔だから政府は気にしていないけど、俺は納得していないから中国人とモンゴル人と朝鮮人を殺してくるわw

>それで冀察側の軍の人はどこの国の人なんですか?少なくとも日本ではないですよね?
反日勢力。

>「侵略」とは一般には,『直接武力をもって他国の領域に侵入しまたは他国の領域を攻撃すること,それか紛争の平和的処理に関する法律上の義務に違反すること』を言うんですが?
侵略(しんりゃく、aggression)は、ある国家・武装勢力が別の国家・武装勢力に対して、自衛ではなく、一方的にその主権・領土や独立を侵すこと。攻撃して攻め入る侵攻(invasion)と異なり、相手の主権・政治的独立を奪う行為のことである。

>それでどうして何万もの民間人や民間の家屋が被害に合うんですかね?
故意ではない。

>「事件当時の南京市の人口は50万人であることが確認されています」「南京事件の範囲は南京市だけではなく周辺の都市や農村も含まれます」「1日2日なら原爆は必要だが武装した兵士が10万もいて6週間も時間があれば楽々達成できる」
その事は既に「南京事件FAQ」で知っているよ。たださ、主張するなら根拠を示せ。「30万人」の根拠は何だ?

>「数は関係ない」と言うのも、そもそもウヨの方が数を問題にするんですけどね?それでいて論破されると数と関係ない話に逃げたりする。本当にどうしようもないとしか言いようが無い。
糞馬鹿ゴミウヨ差別主義者どもが何言ってるのかは知らんが、「大虐殺」という表現が冠されている以上、数に重要性が求められるのは当然だろう。
てゆーか、お前の言う「ウヨ」って誰の事だ?俺達の事か?そうだとしたら思考停止に過ぎない。ウヨの大好きなレッテルである「在日」と同じ。
Posted by 尋山 at 2009年12月01日 19:08
>重慶爆撃は軍事施設を狙ったもので、アメリカの無差別爆撃とは全く違います。
そのくらいの区別もつけられない所はアメリカ人そっくりですねw
Posted by 不条理な男女 at 2009年11月28日 20:50

>重慶爆撃は軍事施設を狙った爆撃であって、
東京大空襲みたいな民間人皆殺し作戦とは全然違うんだけどw
Posted by 尋山 at 2009年11月30日 21:36

一九三九年の重慶爆撃は無差別爆撃ではありませんが、一九四〇年の重慶爆撃は無差別爆撃です。最初は軍事施設をねらったものですが途中から民間人の殺害を目的とした無差別爆撃に変わったというのが現在の定説です。

 海軍航空隊の指揮官として、重慶爆撃に参加した巌谷二三男氏の証言
「 [一九四〇年]六月上旬頃までの爆撃は、もっぱら飛行場と軍事施設に向けられていたが、重慶市街にも相当数の対空砲台があり、そのため味方の被害も増大する状況となったので、作戦指導部は遂に市街地域の徹底した爆撃を決意した。すなわち市街東端から順次A、B、C、D、E地区に区分して、地区別に絨毯爆撃をかけることになった。」
「 建物が石材や土などでできている中国の街は、一般に火災は起こしにくかったのであったが、重慶の場合はよく火災の起こるのが機上から見えた。これは市街中央部の高いところは、水利の便が悪かったのであろう。また使用爆弾も、戦艦主砲弾(四〇センチ砲弾)を爆弾に改造した八〇〇キロ爆弾から、二五〇キロ、六〇キロの陸用爆弾、焼夷弾などをこのごも使用した。」
「六月中旬以降の陸攻隊は連日、稼働全兵力をあげて重慶に攻撃を集中した。その都度偵察写真が描き出す重慶市街の様子は、次第に変わり、悲惨な廃墟と化していくように見えた。何しろ殆ど毎日、五十数トンから百余トンの爆弾が、家屋の密集した地域を潰していったのだから、市街はおそらく瓦れきと砂塵の堆積となっていったことだろう。」
「 ことに[八月]二十日の空襲は陸攻九〇機、陸軍九七重爆十八機、合わせて百八機という大編隊の同時攻撃で、これまた一連空が漢口からする最後の重慶攻撃となった。
 この日、爆撃後の重慶市街は各所から火災が起こり、黒煙はもうもうと天に沖し、数十海里の遠方からもこの火煙が認められた。」
(巌谷二三男 「海軍陸上攻撃機」朝日ソノラマ)

 陸軍航空隊独立第一八中隊(司令部偵察飛行隊)の一員として重慶爆撃に参加した、河内山譲氏の証言
「五月末迄2連空は夜間爆撃を主としていたが、途中で1連空と共に昼間に切換え、目標も重慶の軍事施設だけを選別していたのを改め、市街地をA・B・C・D・E地区に区分した徹底的な絨毯爆撃に変更した。」
(河内山 譲 「司令部偵察飛行隊 空から見た日中戦史」叢文社 P一六五)

「[一九四〇年]七月下旬漢口に進出した零戦隊の飛行隊長横山大尉は十月頃のある日(期日は明らかでないが十月中と思われる)命により重慶爆撃の効果確認のため、単機重慶の低空偵察を結構したがその時の重慶市街は文字通り廃墟と化し、惨憺たる光景を呈していた。」
(「日本海軍航空史 4戦史篇」日本海軍航空史編纂委員会編 時事通信社 P五六九)

 絨毯爆撃=無差別爆撃ととる限り、一九四〇年の重慶爆撃は無差別爆撃であったと言わざるを得ません。
 
Posted by 偏将軍K-5(美周郎) at 2009年12月01日 19:56
通州事件の犠牲者は300人と言われているが、
そもそも198人しか居なかった通州で300人が殺されるわけがない。
「数は関係ない」で逃げる奴はいないよな?
Posted by 真日本人 at 2009年12月01日 21:38
>重慶爆撃は軍事施設を狙ったもので、アメリカの無差別爆撃とは全く違います。
>重慶爆撃は軍事施設を狙った爆撃であって、
東京大空襲みたいな民間人皆殺し作戦とは全然違うんだけどw
>故意ではない。

大ウソつきwww
Posted by 傍観者 at 2009年12月04日 19:51
>manforstorm
>(自称本物の)殿
>(自称本物の)ロミオ
>アホ
>不条理な男女
>尋山

要するにこれって強姦魔が女の家に不法侵入して強姦する際、思いっきり抵抗されて腕に後が残るほどひっかき傷付けられたからこの傷忘れるんじゃねえぞとかって叫んでるようなもんだろwww

右よりの人が今になって戦争肯定するのはあの女にも隙見せるなど問題あっただの性欲抑えるためには仕方なかったんだとかあれは合意だったと一方的に叫んでるようなもんでしょ?

Posted by 傍観者 at 2009年12月04日 20:11
市民を巻き込む被害を出した空襲ではありますが無差別ではありません。WWTから行われていた都市爆撃の一例に過ぎないと思います。戦略爆撃はミッチェル等が唱えた当時の理論を正直に実行すると重慶への全面毒ガス攻撃になってしまう程徹底した皆殺し理論なのです。陸軍の爆撃機はその為の装備を研究していましたが、九六式では実力的にも無差別爆撃には無理があります。
Posted by ヴォルゥーク at 2009年12月05日 13:42
>陸軍の爆撃機はその為の装備を研究していましたが、九六式では実力的にも無差別爆撃には無理があります。

「その為の装備を研究」ってことは結局皆殺しにしようと?

無差別が無理なら軍事施設だけ狙うなんてはなから無理じゃないかwww
Posted by 川獺 at 2009年12月05日 16:41
>「侵略」とは、相手の主権・政治的独立を奪う行為のことですよ。
当時の中国はそもそも主権国家じゃないのでw

>侵略(しんりゃく、aggression)は、ある国家・武装勢力が別の国家・武装勢力に対して、自衛ではなく、一方的にその主権・領土や独立を侵すこと。攻撃して攻め入る侵攻(invasion)と異なり、相手の主権・政治的独立を奪う行為のことである。

揃いも揃ってウィキのコピペw それ以外に無いの?w 

「侵略」の定義は様々で、辞書によれば「他国に攻め入って土地や財物を奪い取ること。武力によって、他国の主権を侵害すること」(大辞泉)、「ある国が他国の主権・領土・政治的独立を侵すために武力を行使すること」(大辞林)と定義されている。

表現に違いはありますが基本的には自国の政治的、経済的、軍事的利益のために他国の領土・主権を侵すことが「侵略」だとなっていますね。

それにこの2人がウィキのコピペに従ってもやっぱり侵略だったことになりますね。

だって「自衛ではなく、一方的にその主権・領土や独立を侵」したのですからw

中国が当時、国際的に承認された独立国家である以上その政治的独立を奪ったのだから間違いなく「侵略」です。

主権国家じゃないから主権を奪ったことにはならないというのも無茶苦茶な話です。

なぜなら「主権国家」を辞書で引くと

「植民地、自治領、保護国などと異なり、主権を完全な形で行使できる国。「独立国」とほぼ同義語」

となっているからです。

基本的に主権国家というのは、「主権」つまり「政府が自分の力で自分の国を統治し独立的な権利を行使できるような国」のことを意味します。つまり外国に支配されていない、占領されていない、属国になっていない国のことですね。

政府が外国の支配を受けていなくて国際社会から認められていれば、主権国家といえます。

ですから他国の植民地でもなく自治領でもなく保護国でもないと国際連盟が認めて独立国として加盟している以上、当時の中国は主権国家以外の何物でもありません。
Posted by キャプチュード at 2009年12月05日 17:42
>そもそも198人しか居なかった通州
380人居ましたけどw

>大ウソつきwww
そう思うなら本当だという事を示す資料を出せ




>主権を完全な形で行使できる国
出来てませんねwwwwwwwww

>無差別が無理なら軍事施設だけ狙うなんてはなから無理じゃないかwww
そんな事はないがなぁw
Posted by サン at 2009年12月08日 14:20
>要するにこれって強姦魔が女の家に不法侵入して強姦する際、思いっきり抵抗されて腕に後が残るほどひっかき傷付けられたからこの傷忘れるんじゃねえぞとかって叫んでるようなもんだろwww

全然違う。当時の価値観で考えろ。

>揃いも揃ってウィキのコピペw
ウヨ辞典のコピペはいいのか?w
偽殿の書き込みもウィキの編集前だしw

大体日本が侵略を行ったとしても、当時は帝国主義の時代だったし、「アホ」さんが言っているように、中国が慰留民を襲った事が国際法違反である事に変わりは無い
Posted by サン at 2009年12月08日 14:32
>Posted by 偏将軍K-5(美周郎) at 2009年12月01日 19:56
証言だけでは無差別爆撃があった事にはならない。自白の強要の可能性もある。

>「その為の装備を研究」ってことは結局皆殺しにしようと?
そういう事だ。だが、結局司令部に
「民間人殺傷を目的とした空襲はやめろ」と言われてやめている。

>そもそも198人しか居なかった通州で300人が殺されるわけがない。
その198人という数字はどっから出てきたの?
当時の通州の人口は約380人だぜ。
Posted by くりぷとん at 2009年12月08日 21:45
>そう思うなら本当だという事を示す資料を出せ

偏将軍K-5(美周郎)さんが出してますが?

>出来てませんねwwwwwwwww

「外国に支配されていない、占領されていない、属国になっていない国」だから主権国家だろうが。そもそも主権国家でなければ侵略したことにならないとでも思ってんのか?

>そんな事はないがなぁw

マシンガンでそこら辺に乱射する(無差別)こともできない奴が狙撃(特定相手を攻撃)できるとでも?

>全然違う。当時の価値観で考えろ。

だから日本の中国進攻は当時の交際社会において侵略と見られていたんだろうがwだからアメリカと戦争になったんだし。いわば当時の価値観で強姦以外の何物でもない結論が出ているなw

>大体日本が侵略を行ったとしても、当時は帝国主義の時代だったし、

結局、「山田君だってやってるよ!」て訳だw他がやってりゃ自分もやってもいいとでも思ってんのかよw 汚職事件が日々絶えないからといって、汚職が許されると思ってんのか?w

こんな名言がある

「人がやってたからと言って、自分の行為を免罪しようとするのは、教師に怒られた小学生の言い訳に過ぎない」

まぁコイツこどもの頃からこういう言い逃れしてきたんだろうけどねw こういう奴いたなぁw で、先生に「他は関係ない!お前の事を言ってるんだ!」と余計に怒られるというwww ちなみにキツイ先生だと「みんなやってる?じゃ、みんな死んだらお前も死ぬのか?」と言われたりするwww

>「アホ」さんが言っているように、中国が慰留民を襲った事が国際法違反である事に変わりは無い

正式な宣戦布告もなく他国に攻め入る国際法違反は問題なしで、相手がやり返したら国際法違反かw ヤダヤダw 他国に与えた痛みを棚上げにして、自国の受けた痛みばかりを強調する姿勢も、子供じみたものだ。

仮に国際法違反だとしても

「そりゃ誰だって殴られたら殴り返すわ。先に殴っといて何ぬかしてんの。」

それで終わりだwww

結局日本の非が正当化されるわけでもなし何の意味もなしwww
Posted by 傍観者 at 2009年12月09日 22:42
>証言だけでは無差別爆撃があった事にはならない。

証言だけでなく様々な資料があるなwww 多くの民間人の死傷者が出ている以上あったとしか言いようがない。

>自白の強要の可能性もある。

大爆笑!www なんだそりゃwww もう単なる妄想じゃないかwww

なんで
>朝日ソノラマ
>叢文社
>日本海軍航空史編纂委員会
>時事通信社
がそんな自白を強要しなけりゃならないんだよ?www

可能性すらないけど、そうだと言うなら根拠を示せよwww 証言以外でなwww

>そういう事だ。だが、結局司令部に
「民間人殺傷を目的とした空襲はやめろ」と言われてやめている。

根拠なし。証言じゃなくて資料だしてw
Posted by 傍観者 at 2009年12月09日 23:13
産経新聞社の「正論」2004年6月号の「せいろん調査室」というコーナーから


 ▼質問=武蔵野市の長屋恒久さん(78歳)から。

 日本軍による重慶爆撃について、具体的なことをお教え頂きたいのです。

 広島・長崎への原爆投下と、三月十日の東京大空襲は、市民に対する無差別攻撃であることはよく分かりますが、これと同列に並べて、重慶爆撃が市民に多くの犠牲をもたらす大規模空爆であったとする昨年八月八日の朝日新聞の「窓 論説委員室から 吉田文彦」のコラムに疑問があるのです。

 日本軍の飛行機は、双発の九六式陸上攻撃機だろうと思いますが、積載量は米軍機の半分にも満たないだろうし、当時の我が国の国力から考えて参加機数も僅かであったろうと思います。

 軍事施設を狙った爆弾が外れ、たまたま一般市民に死傷者が出た程度だったのではなかろうかとも想像しておりますが、大新聞の論説委員さんの署名入りのコラムなので、日本を悪者にするために敢えて嘘を書いたとも思えず悩んでおります。

 各爆撃の参加機数・投下爆弾の種類数量・死傷者数などを具体的にお教え下さい(四月号)。

 ▽回答=富士宮市の慈光寺崇浩さん(71歳)から。

 この重慶爆撃は、主に海軍航空隊によって行われたもので、昭和十三年二月十八日を皮切りとして、同年には三次、十四年には十三次、十五年には四十六次、そして大東亜戦争の始まる直前の十六年には、重慶さえ叩けば蒋介石政府が手を上げるだろうとの見当違いの予想のもとに特に激しく行われ、五月三日から九月二十八日までの間に海軍航空隊だけで三十二次も重慶を空襲したとのことです。特に八月中旬から月末にかけて行われた第二十六次から第三十次の攻撃は凄まじく、この間昼夜のべつまくなしの波状攻撃で、漢口の基地から重慶に飛んだ海軍の重爆撃機は、延べ二千四百機、投下した爆弾は一万五千個と記録されているそうです。

 この間重慶空軍の反撃はほとんど無く、対空砲火は有ったでしょうが、たいした抵抗は受けず、我が軍の損害はほとんど無かったそうです。この重慶定期便もいたずらに爆弾を消耗するだけで、一向に効果が上がらないうちに大東亜戦争となり、海軍航空隊は南方戦線に転進して、重慶爆撃は一段落したとのことです。以上、元毎日新聞社ラジオ報道部副部長、益井康一氏の『大陸航空決戦の實相』に記述されています。

 このことから考えると、ほとんど無抵抗の都市にこれだけの攻撃を加える軍事基地が有ったとは考えられず、残念ながら無差別爆撃であったと言われても、よほどの証拠が無い限り反論の余地は少ないものと思います。」

だとさw

あの「正論」にこう載ってるんだから、さすがにウヨ系でも無差別爆撃であったのは否定できないんだろ。

軍事施設だけ狙ってなんでこれだけ長期に渡るのか?
なんで軍事施設だけ狙ってこれだけ民間に被害がでるのか?

これで故意でなければ日本軍というのは、どこまで無能だったんだったんだろうか?
Posted by SAPIO at 2009年12月10日 17:59
>だから日本の中国進攻は当時の交際社会において侵略と見られていたんだろうがw
あのな、当時の国際社会は白人の社会でしかないだろうが。
白人による侵略だけOKの帝国主義の時代だったんだから分かるだろ。

>だからアメリカと戦争になったんだし。
アメリカと戦争になったのはアメリカも中国の市場や資源を狙っていたからだろ。
また、「有色人種のくせに偉そうにしてる日本」を叩きのめすためだ。

>他がやってりゃ自分もやってもいいとでも思ってんのかよw
他がやってりゃじゃねーよ。お前価値観の問題も分かんないの?

>正式な宣戦布告もなく他国に攻め入る国際法違反は問題なしで
>先に殴っといて何ぬかしてんの
撃ってきたのは中国だろうが。

>証言だけでなく様々な資料があるなwww
じゃあ出せよ。

>大爆笑!www
と、「侵略」だけでなく、「爆笑」の意味まで間違えてる。
草はやして誤魔化してもお前が恥かくだけだぞ。
Posted by アホ at 2009年12月11日 13:14
このエントリーは、3年前の夏淑琴裁判の報告です。
この裁判については最高裁で確定し、被告側は名誉毀損の賠償金を支払いました。すでに終わった話です。

裁判支援をしていたのは「南京への道・史実を守る会」という団体です。
私もこの活動に参加していましたが、「とほほ」さん追放などいろいろなことがあったのですっかり嫌気が差し、活動から退きました。
現在では単に一会員としての立場に過ぎません。単なるお客さんです。
要するに私は現在、「史実を守る会」の活動に一切責任を持たない立場になっているのです。

ですから、このエントリーで議論が盛り上がるのは困ります。いっそこの関連のエントリーを全削除したい気分です。「史実を守る会」にとっても迷惑でしょう。

しかも、この裁判に関することならともかく、直接は関係の無い話が続いてます。

申し訳ございませんが、このエントリーでの議論は締め切らせていただきます。
続きはこちらでどうぞ。

http://otd4.jbbs.livedoor.jp/2017492/bbs_plain
Posted by 鷹嘴 at 2009年12月12日 14:56

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