2005年04月23日

「満州族」など殆んどいなかった「満州国」

今こちらを見ていただいている方々の中に、

「満州には、満州族が住んでいた。だから満州国を作ったことの何が悪い?」

と思っている方はいらっしゃいますか?
もしもあなたがそのように考えておられるならば・・・恐らくあなたは相当な無知であると思われます。
以下は去年の夏あたりに問答有用に投稿したものから抜粋、加筆。


1931年9月18日、中国の奉天に駐留していた関東軍の一部が石原莞爾と板垣征四郎の計画の下に、満州鉄道を爆破しました。この柳条湖事件という謀略を口実として関東軍は中国東北部になだれ込み、また朝鮮軍司令官の林銑十朗は関東軍の派遣要請に応じて国境を超えて参戦しました(以降林銑十朗は「越境将軍」と名を馳せることになります)。こうして「満州事変」が始まり、以降日本は約14年に渡ってアジア諸国への侵略を続け、そして欧米列強と覇を競うことになります。
そして中国東北部を侵食していった関東軍はこの地域に傀儡政権を作り上げるために、ラストエンペラー=溥儀を担ぎ出しました。1932年3月25日にはこの清朝の遺児を「執政」とする「満州国」の建国が発表されました。国旗には「五族協和」(満州族・漢民族・蒙古民族・日本人・朝鮮人)を表す「五色旗」が採用されましたが、実情は昔の南アフリカのように少数の日本人が中国人を支配し搾取する植民地に過ぎなかったのです・・・。

**以下は全て「日中戦争十五年史 なぜ戦争は長期化したか」(大杉一雄著、中公新書1280)P-105〜107よりの引用です**
火付け役の石原莞爾は「満蒙は漢民族の領土に非ずして、寧ろ其関係我国と密接なるものあり。民族自決を口にせんとするものは、満蒙は満州及び蒙古人のものにして、満州蒙古人は漢民族よりも、寧ろ大和民族に近きことを認めざるべからず」という主張の元にこの地域の領有化を主張しましたが容れられませんでした。それもそのはず、この認識は甚だ荒唐無稽かつ時代遅れなものだったのです。
満州事変当時の「満州」地域の人口は約3千万人と言われていました。
しかしその9割、約2千7百万人は漢民族で、満州族は約2百万人に過ぎませんでした。
満州族だった清王朝が中国を統一した後、満州族は中原に流出し、また「満州」へは他民族の流入が禁止された時代も一時的にありましたが、その後漢民族の流入が続き、特に20世紀に入ってからは年間百万単位の漢民族が「満州」に移住していました。
以上は「戦前の資料による」そうですが、「戦後の研究」によりますと、
「漢民族に対抗すべき満州族はすでに存在しなかった。ただ同系統のものが、満州の奥地で、小さな集団をつくって狩猟をしていただけである」(1985年度版平凡社「世界大百科事典」、旗田魏「満州族」)ということです。
「満州」は実質上、漢民族の土地だったのです。

関東軍の溥儀擁立計画に対し、幣原外相・南陸相連名の、天津の総領事館・桑島主計への訓令は、
「現今満州住民の殆ど全てが漢民族なることに鑑み、宣統帝擁立の如きは、全く時代錯誤の計画と申す外なく、右は将来における帝国の満蒙経営に対し、重大なる禍根となるの虞ありと存ず」と警告を発していました。
「満州は満州族のものだから、満州族の作った清朝の溥儀を皇帝に復帰させてあげよう」なんて戯言など通用するわけがないことは当時の人も認識していたのです。しかし関東軍は独立の大義名分のために溥儀を利用せざるを得なかったのです。
つまり「満州国」の建国とは・・・・かなり突飛な喩えですが、どこかの国がアメリカのアリゾナ州を占領し、「この地の酋長だったジェロニモの直系の子孫を大統領とし、『アパッチ共和国』として独立させる」と宣言するような滅茶苦茶なものだったのです。下手すぎる喩えでスマソ(w
posted by 鷹嘴 at 23:51| Comment(44) | TrackBack(1) | 歴史認識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 最近歴史を修正解釈しようとする右翼がインターネットで幅をきかせていますね。
 こういった現象の背景には、やはり発展する中国や韓国に対する、ある意味脅威と妬みがあるように思うんです。
 しかし、それと歴史の歪曲とは次元の違う話です。日本の過去の侵略を美化して南京大虐や従軍慰安婦を否定して何になるのでしょう。
 人権保護法や外国人参政権が成立しない背景には、こういった軍国主義的な歴史観が今だ断ち切れていないという現実があるのです。
 
Posted by ピース at 2005年05月11日 00:40
文章構成から察するに、朝鮮学校の教員の方とかなのかなと思いますが、あいかわらずっちゅうかなんちゅーか、気の触れた御意見ですね。
Posted by 山田としあき at 2005年05月11日 13:56
山田さん、人の意見を「気の触れた」呼ばわりする前に、ご自身の「西郷隆盛は二人いた」説を立証して下さい(笑)
Posted by ノンポリ at 2005年05月14日 00:49
> 「西郷隆盛は二人いた」説
そんなことは言ってませんよ。
西郷隆盛が西南戦争で戦死したとの誤報が「正史」にされちゃったのは日中国交正常化以後のことですから、古い資料をあたってください。
Posted by 山田としあき at 2005年05月16日 18:51
入植者が多数派になれば、多数派の国になるべきなんですね
ネイティブは少数派であれば国家から転落し、自治区以下にならないといかんのかい?
マオリ族、チベット人、その他、日本に中国人が二億人移ったら、日本は中国人の国になるべきなんだね?
アパッチ国のなにが悪いのだろう?イギリス連邦もスコットランドやウェールズあるし、
ロシア共和国内の自治共和国の数はすごいよ?
その論説でいけば、モンゴルもシベリアももうすぐ中国ですよ?・・・・もしかしてギャグ?
Posted by ななめ45℃ at 2005年05月17日 21:20
山田さん、上の人が何を言いたいのか解説して下さい。

「ななめ45℃」ってチンポの角度でしょうか?温度でしょうか?
Posted by ノンポリ at 2005年05月17日 21:47
つうかよー「多数派の国」ってなんだ?
そこからしてそもそも理解できねえんだが。
多数派が主権を持っている国ってこと?
多数派であることが主権を保持する為の重要なファクターであるってことはあるかもしれんが。
「多数派によって国家が運営されなければならない」なんてのは完全にお前の主観・個人的意見だろ?その論理的根拠はなんだ?
言ってみろ。
多数決原理じゃねえのか?
オマイみたいな野郎を学級民主主義って言うんじゃねえの?
先生!みんな僕と同じ意見です!だから僕は正しいんです!とか言い出しそうだぜ。
〜さん。〜が何を言いたいのか解説して下さい。
だあ?意味わからねえふりして逃げんじゃねえよクソボケ。
「お前の言っている意味がわからない」って言って逃げんのは「すいませんもう勘弁して下さい」ってこったぜ?ななめ氏の意見はきちんと論理が成り立ってんだから賛同できねえんなら論理的に反論しろよチキン野郎。
それができねえんならクソつまらねえブログやめちまいな。
チンポの角度がどうとか言い出しやがってお前の品性を疑わずにはいられないな。
歴史認識の問題を論じてるときにハンドルネームが何の意味を持つ?それについて言及することになんの意味があるんだ?
ハンドルネームを馬鹿にすることによって書き込みの内容・書き込んだ人自体をこきおろせるとでも思ってんのか?
哀れすぎて何も言えねえ。
Posted by ヒマジン at 2005年05月19日 03:16
よくわかんないけど、フィーバーですね。
「学級民主主義」って、日本人には殆ど通用しない言葉ですが、私は何故か知ってます。
Posted by 山田としあき at 2005年05月19日 17:35
>ヒマジン

だからよぉ、どっかよその国が、現在の北海道に「アイヌ共和国」を作ってやろう、なんて考えているとしたら余計なお世話だべ?
石原莞爾が考えていたこともそういうこと。
Posted by ノンポリ at 2005年05月19日 21:36
>だからよぉ、どっかよその国が、現在の北海道に「アイヌ共和国」を作ってやろう、
>なんて考えているとしたら余計なお世話だべ?

アイヌ共和国は正当性あると思います。アイヌ人が主張すればね、貴方は力の理論が正義だという
軍国主義者ですね?アイヌから土地を奪った日本は正しい事になりますよ?
Posted by 長谷川ひでのり at 2005年05月21日 23:01
ノンポリさんは、ノンポリというより左翼さんでしょうか?
それも筑紫哲也キャスターの番組で頷いてしまうような?
Posted by oioi at 2005年05月26日 01:59
>アイヌから土地を奪った日本は正しい事になりますよ?

奪ったこと自体は「正しい」とは言えませんが、かといって今更アイヌ民族に日本列島の半分を返還するわけにはいきませんよね?

Posted by at 2005年05月26日 18:08
↑名前忘れた。
Posted by ノンポリ at 2005年05月26日 18:09
うーん、満州に漢民族が定住、実効支配が許されるのなら、イスラエルのパレスチナ移住、実効支配も正当化されるのかな?
このまま、中共のウィグル、チベットの実効支配を正当化してもいいもんかな?
素朴な疑問ですが。
アイヌ、ネイティブアメリカンより現実的だったもんで。
Posted by galil at 2005年05月26日 20:39
gajiさんいらっしゃいませ。

>うーん、満州に漢民族が定住、実効支配が許されるのなら、イスラエルのパレスチナ移住、実効支配も正当化されるのかな?

これは水原氏にも言ったことですが、
イスラエル建国→パレスチナ人追放を正当化することはできませんが、
しかし今更、「イスラエルという国を解体してユダヤ人を追い払うべきだ」と考えることが正しいとは思いません。
今現在イスラエルに住んでいるイスラエル人にパレスチナ難民と同じ苦しみを与えることになりますからね。


また、「満州」に移住してきた漢民族はイスラエルのユダヤ人のように元々住んでいた民族を武力で追い払ったわけではないと思いますが?清帝国成立以降徐々に移住が始まったものと思います。
Posted by ノンポリ at 2005年05月26日 22:12
> gajiさんいらっしゃいませ。

galilさんです。

> 清帝国成立以降徐々に移住が始まったものと思います。

ノンポリさんが「清帝国」の意味を理解しているとは思えないのですが、これは或る面、当たってます。(笑)
満州国建国に先立って、清と日本との間で覚書が交わされましたが、「清帝国」はそのときの日本から清に送られた手紙の宛名として初めて登場します。

あとですね、満州国のあったあたりに清の成立前に住んでいたのも殆どが漢族で、女真族が大量に流入したのは清の成立以後のことです。
そのため人口が激増しましたが、自然の水利に乏しい地域で農耕適地が少なかったため、もともとの漢族のかなりの部分が他の地域に移ってゆきました。
満州国では農業用水のための水路を建設したり、溜池を造って雨水を利用したりしましたので、農地が増えました。このことにより、再び他の地域から漢族が移住してきたわけですけど、それ以前に、満州国建国の時点で、女真族はとっくにすっかり漢族と同化していましたので、この記事のタイトルは正しいです。
石原莞爾の発言は満蒙開拓団募集のためのものですから、本気でそんなこと考えていたわきゃないですけど。
Posted by 右利きなので左寄り at 2005年05月27日 15:32
レスどうもです。
galilは違うブログのハンドルだったんで、TBさせていただいたブログのハンドル、武悪堂に改めます。
満州国を含めて、歴史上ローマ帝国もアレキサンダーもナポレオンもモンゴル帝国も他国を武力で侵略し切り取って自国の版図を広げ帝国を築いていったと認識しています。
満州国建国もイスラエル建国も歴史上繰り返されてきた一片の”仕様がない”出来事ではないのかな。
ましてや、帝国主義全盛時に建国された満州国が
欺瞞国家であろうが傀儡政権であろうが、現在の
平和な日本の価値基準で善いとか悪いとかに照らし合わせることは、あまり意味のないことではないかと思います。
どちらかと言うと私は帝国主義に危惧を感じます。
イラクやアフガニスタンに武力で新国家を作ったり、チェチェンやウィグル、チベット、内モンゴルを併合し続けたりしていることに現代にも帝国主義が我が物顔に闊歩しているんだなぁ。と
日本にも再び帝国主義が台頭しないことを祈りますが。
しかし、満州に女真族がいなかった(同化ですか)ということはとても勉強になりました。

Posted by 武悪堂 at 2005年05月27日 21:56
>奪ったこと自体は「正しい」とは言えませんが、>かといって今更アイヌ民族に日本列島の半分を返還するわけにはいきませんよね?

それは、満州国の建国と一緒で、日本人の都合というものでしょ。
非常に帝国主義的な考え方で、危険なものを感じますね。
少なくとも、少しは反省すべきだと思いますが、私は間違ってるでしょうか?
Posted by at 2005年05月27日 22:47
本来、北陸以北はアイヌに返還すべきだとすべきですが、不幸なことにアイヌは現在日本国民となってしまい、当事者不在となってしまいました。
大変残念ですが、しかし同じ理屈で考えれば、日本は任那と百済の返還を韓国に求めることが出来ます。日本を侵略した朝鮮人を、追い出すために、自衛隊に活躍してほしいものですね。

Posted by 真のノンポリ at 2005年05月27日 22:57
武悪堂さん、HN読み間違えて申し訳ございませんでした。TBありがとうございました。
Posted by ノンポリ at 2005年05月28日 01:19
山田さんこんばんは。

>あとですね、満州国のあったあたりに清の成立前に住んでいたのも殆どが漢族で、女真族が大量に流入したのは清の成立以後のことです。

ためになる知識を教えていただいてありがとうございます。↓つまりこういうことですね?

 「ヌルハチが挙兵したのは 1616 年 (天命 1),明朝では神宗の万暦 44 年のことである。挙兵の地は,撫順の東方 100km,蘇子河畔ヘトアラ (興京) であって,国号を後金と称した。ついで 19 年,明は討伐のため大軍を動員したが,ヌルハチは得意の機動戦でこれをうち破った。これがサルフの戦で,ヌルハチにとって国運をかけた天下分け目の戦いであった。大勝した勢いに乗じて,ヌルハチは南方平野に進出し,数年のうちに東北のほぼ全域を制圧し, 25 年には都を瀋陽にうつした。このとき,平野部に移住した満州族は,一説によると 40 万から 50 万人といわれるが,同時に満州族はその数倍にのぼる漢人を統治することになった。これは後金にとって初めての経験であった」(ネット辞書より)


しかし・・・

>満州国建国に先立って、清と日本との間で覚書が交わされましたが、「清帝国」はそのときの日本から清に送られた手紙の宛名として初めて登場します。

意味不明。「満州国」が作られたころには「清」という国家など跡形も無かったのですが?
Posted by ノンポリ at 2005年05月28日 01:31
その「ネット辞書」の記事には、かなりの誇張・脚色・創作がありますが、まぁいいでしょう。匪賊と化した明の残党を、女真族の軍勢が征伐したことだけが史実です。

> 「満州国」が作られたころには「清」という国家など跡形も無かったのですが?

満州国を日本が武力にモノを言わせて強引に作ったかのような話が嘘なんです。
清と日本と国民党との話しあいで、清から中華民国へと移行する間、共匪が跋扈する北辺の治安を維持するために、防共の砦として建てられたのが満州国です。中華民国の体制が整うのに合わせて、中華民国と満州国との国境線も段階的に北へと移されてゆきました。
そんな「場繋ぎ」のための「国家」ではありますが、中共が「新生中国」と称していた頃であればともかく、香港返還のために中国の伝統的な国家主権を継承することとなったはずなのに、いまだに満州国を「偽満州国」と呼んでいることは、その正統性に疑義を呈するものです。

ところで現在の「女真族」なんですけど、日中国交正常化の直前に復活したもので、いちおう女真族の子孫ということではありますが、人種・言語・その他の習俗あらゆる点で漢族と区別がつきません。違いは身分証明書の民族欄だけです。北海道の観光地にいる「アイヌ人」は、せめて衣装とかそれっぽくしているのに。
Posted by 右利きなので左寄り at 2005年05月30日 14:05
山田さん・・・

>満州国を日本が武力にモノを言わせて強引に作ったかのような話が嘘なんです。

じゃあ誰がどうやって作ったんですか?

>清と日本と国民党との話しあいで、清から中華民国へと移行する間、共匪が跋扈する北辺の治安を維持するために、防共の砦として建てられたのが満州国です。

満州国が作られたころには清という国家など影も形もありませんでしたが?

>中華民国の体制が整うのに合わせて、中華民国と満州国との国境線も段階的に北へと移されてゆきました。

では最初の「満州国」の国境線はどのあたりだったんでしょうか?

山田さんのお陰で電波系ブログへと成長しそうです(笑)
Posted by ノンポリ at 2005年05月31日 23:53
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/manchu2.html  満州国についてのページを見つけました。
「満州」を領有した民族・国家
扶余 高句麗 粛真 靺鞨 渤海(靺鞨族) 遼 (契丹族) 金 (女真族) 元 (モンゴル族) 清 (女真改め満州族)
等ですが、何(いず)れも非漢民族国家ばかりです。ヌルハチが生きていた時代、明王朝が支那を統治していましたが、その明でさえ、「満州」 ── 当時の「女真」(南から「建州・海西・野人」の三地域に大別)については、地域の部族長に適当な官職を授けて懐柔し、明に刃向かわない様にし向ける程度で、直接支配をする気はありませんでした。と言うよりも、そもそも、明(支那)は、万里の長城の東端、山海関を境に北に広がる「野蛮人」(遊牧・狩猟民族)の住む「満州」に足を踏み入れよう等とは露とも思ってはいなかったのです。そして、その明を、ヌルハチに始まる清朝が滅ぼし、ヌルハチの曾孫(ひまご)、康煕帝の代に支那全土の「征服」を達成したのです。ですから、支那本土と「満州」が一体(一つの国)だった清の時代とは、支那が「満州」を併合したのでは無く、逆に「満州」が支那を併合したと言うのが正しい見方な訳です。しかし、こう言われる方もおありでしょう。

「満州国」建国前、既に満州は、張作霖・学良父子(奉天軍閥)が支配していたでは無いか。いや、それ以前に、満州には多くの漢民族が住んでいたでは無いか
と。確かに、「満州国」建国以前、「満州」に既に多くの支那人が住んでいたのは事実です。しかし、だからと言って「満州」が支那人の土地であるかと言うと、決してそうではありません。何故なら、当時、「満州」に住んでいた支那人の多くが「不法侵入者」(及びその子孫)だったからなのです。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/manchu3.html
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/manchu4.html
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/manchu5.html
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/manchu6.html
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/manchu7.html
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/chuuka_minkoku1.html 以下次のページ
このページに書いてある事はデタラメでしょうか?ノンポリさんのお勧めページを教えてください。
Posted by zensin at 2005年06月01日 07:26
> 満州国が作られたころには清という国家など影も形もありませんでしたが?

例えばですね、「日中国交正常化交渉」は1972年と年表に載っているわけですが、実際に交渉が行われていた期間は1961年〜1972年です。
「満州国建国」とされている1932年も、満州国の体制が調って日本に国家として承認された年ですので、ノンポリさんの認識する「満州国が作られたころ」ってのがアレなんです。「満州事変」から半年でだなんてのは、ありえない話でしかありません。


> 山田さんのお陰で電波系ブログへと成長しそうです(笑)

私が来るよりとっくに前から、電波は萌えていましたよ(笑)
Posted by 右利きなので左寄り at 2005年06月01日 16:15
zensinさんご提示のサイトによると、要するに「封禁策」を破ったから「不法侵入」だということですが・・・まあその時代は日本だって勝手に他藩に移動するのは違法でしたよね?武士なら「脱藩」、農民なら「逃散」でしたっけ?

しかしその原則は清朝の滅亡で「チャラ」と考えるべきではないでしょうか?
ましてや「その流入量は、辛亥革命によって清朝が滅亡し、各地に軍閥が乱立した「中華民国」の時代、爆発的に増加」したということですから。

それに、流入した漢民族は難民キャンプみたい生活をしていたのでしょうか?


>山田さん
> 「満州事変」から半年でだなんてのは、ありえない話でしかありません。

事実ですが?
Posted by ノンポリ at 2005年06月04日 03:12
清国が崩壊したらチャラである。つまり満州人の故郷満州に漢民族が流入していい?

日本が崩壊したら漢と朝゛入ってもいい?

朝鮮王朝が崩壊したら
チベットが、モンゴルが、ウイグルが、ベトナムが、カンボジアが、東南アジア諸国が、
そういえば清国末期から清国内に祖借地だらけでしたね
Posted by 前進 at 2005年06月14日 05:09
>日本が崩壊したら漢と朝゛入ってもいい?

何か論点が拡散している気がしますが、
移民が増加していけば、その移民に定住者としての権利を与えるべきでしょう。
Posted by ノンポリ at 2005年06月15日 01:03
Googleで満州国のことを調べていたら凄い電波を見つけたので一言。

>あとですね、満州国のあったあたりに清の成立前に住んでいたのも殆どが漢族で、女
>真族が大量に流入したのは清の成立以後のことです。

女真族は一体どこから湧いてきたんでしょうか?
Posted by at 2005年07月03日 10:22
>移民が増加していけば、その移民に定住者としての権利を与えるべきでしょう。

今後ふえる、中国人朝鮮人移民にも、日本の定住権を与えるべきと?>ノンポリ氏
Posted by at 2005年08月18日 01:10
満州族について誤認があります。

誤解の根元は、中国で、そもそも民族を名乗るのに父方の姓を名乗るのか、母方の姓かという問題です。

現実問題として中国人は乱世には、非漢族の地方
の民族名名乗り、統一期には、漢族としての姓を
名乗ってきました。

これは、遊牧的農業では母系制で姓を名乗るのか
漢族的=儒教的に父の姓を名乗り、民族を名乗る
のかという問題です。

純粋漢族もなければ、純粋満州族もいないです。

両方の血と伝統を受け継いでいるのが現実の中国
東北区の人民です。
Posted by Ame-no-Uzume at 2005年08月21日 16:27
アパッチ共和国がなんの問題が?→のんぽり氏
名前がインディアナ州もありますが、一応ネイティブアメリカンの自治区もあるし
テキサス共和国のハワイの併合は事後承諾するしかない歴史の結果かもですが
今後の事例としては反対なのでは?
一番認めやすいのは、ユタ州のモルモン教徒の事例でしょう。
満州には密入国した子孫の朝鮮族自治区の存在と、漢民族なるまとまった集団はないこと
現在の漢民族が、清国時代の満州族意識を共産革命の便宜上刷り込まれた事も留意しましょう。
Posted by 中田 at 2005年08月22日 08:35
移民も参政権も制限無しが絶対なら
ネイティブの尊厳はどう担保すると?
Posted by at 2005年09月22日 21:26
 押し寄せる中国難民に、少数民族が国を乗っ取られたという話ですよね。
 そして今、同じようにチベット人が国を奪われようとしています。
Posted by 街の常識人 at 2005年10月04日 23:52
チェジュ島はもともと
朝鮮人の国ではない

だから
チェジュ島は原住民に返還し
韓国人は出て行かなければならなくなるな

日本の都合だから北海道をアイヌに返せって言うのはそういうこと

同様に
内蒙古自治区の漢人は出て行かなきゃね
Posted by at 2005年10月29日 23:28
ノンポリさんが移民による多数派ノットリに
事後承諾派である事はわかりました。

つまり侵入はけしからなんが、多数派になれば勝ちでしかも正当性あるという
人民ライクのチキン市民のようですね
Posted by at 2005年12月01日 07:21
結局は日本も漢族に乗っ取られます。
即ち、文末が「です」「ます」から「アルヨ」「ヨロシ」に変わるということです。あなおそろしや。
Posted by 白石苗穂 at 2005年12月09日 19:18
いまも中国の55の少数民族に、満族は居ますので、消滅したわけではありません。
また、人口でいえば、満族の人口は増えています。
Posted by 中国人(山東省出身) at 2008年07月19日 03:18
そんな少数で“漢民族”を支配した、満州族は漢民族より大分優秀に違いないな。
ところで、漢民族は統一された定義がなく、人種的には架空の存在(“漢民族”と中国共産党の定める人々のDNAに違りが有り過ぎる。)といえる上、海峡付近の“漢民族”とやらが地理的に一方的な農業発達での食料の過剰供給で、18〜19世紀より過剰に人口が増えた(日本の人口が歴史的に爆発的に増えていたのに、さらに倍以上増えていた。)為、当時9割が漢民族だったというのは難があると思う。

まあ、漢民族の定義が人種ではなく、文化的体質程度だから。
中華人民共和国には白人も、イスラム人も、チベット人も、ベトナム人も、韓国人も、モンゴル人も、台湾人も、南中国人も、満州人も元々済んでいる事実を踏まえて。

アメリカ人に異なる州や人種ばかりで、固有のDNAが全く存在しないのと同じ。


植民地というのは物凄く、過剰な例え。
Posted by gunnota at 2009年12月09日 23:15
むしろ、中国人と名乗る“漢民族”が他民族を思想や文化、宗教、人種を否定したら、それこそ植民地だ。

もし、植民地存在を否定したいならば、現在の中国共産党を否定する記事を書くべきだと思う。

不平等−つまり悪といわれる行動を堂々行う“漢民族”はとても、好感が持てない。


この記事は存在が矛盾している。
Posted by gunnota at 2009年12月09日 23:22
入植者の数が原住民を上回ったたらその土地は入植者のものになってしまうんですか?例えば、人口の少ないミニ国家に日本から百万人単位で送り込めばその国は日本のものになってしまうんですか?自分と違う考えを無知呼ばわりしてらっしゃいますが、あなたの考えは帝国主義的だと思いますよ。

Posted by 真室川 at 2012年10月14日 11:05
> 人口の少ないミニ国家に日本から百万人単位で送り込めばその国は日本のものになってしまうんですか?

全然なりませんよ。あなたの例えは違います。

どっちにしろ、日本が口出しすることじゃなかったですよ。

Posted by 鷹嘴 at 2012年10月14日 20:16
客観的に見ると有史以来の人間の感情としては満州国に
大義名分が成り立つとはとても考えられません。
一応申し上げておくと基本的に中国は大嫌いですが
これに関してはすべての大義名分が吹き飛ぶくらいの日本の不手際でったと言わざるを得ない。
もっとうまいことやるべきだった。
このコメントを見た日本人は今後の為にしっかり反省するように。
Posted by 初めまして at 2013年09月14日 09:35
そもそも満州国は「満州族」のための国家ではありません。建国時に掲げた理念は「五族協和の王道楽土」であって、民族自決方針は満州の地に住む五族がお互いに協力し合って「満州人」という新たな国民概念を作った上でのものです。
じゃあなんで皇帝に清朝皇帝を担ぎ出したのだと思われるかもしれませんが、君主制国家を樹立するために正当性を持った家系が他にいなかったためです。もちろん必ずしも君主制国家である必要性はなかったのですが、それはやはり建国を日本人が主導したからでしょうね……


ですから、確かに満州建国の正当性というものは疑わしいものがありますが、掲げている理念には矛盾は生じておらず、さらには理想的なものであるとも言えます。
また、満州国は結局日本人に主導されて建国されたため他民族への差別があったことも事実ですが、開拓国家として自由の気風を持ち合わせ、差別撤廃の議論や運動が盛んに行われるなど、東アジアの諸民族の関係の新しい形を生み出す力を持ち合わせていました。こういいった風土から、満州国は日本人のみならず朝鮮人や中華民国からの漢人などからも人を惹きつけていたのです。

あまりにも多くの問題点を抱えていた満州国ですが、こういった良い点・可能性も多数持ち合わせている国家であったことも知っていただければ幸いです。
Posted by 初めまして at 2014年01月05日 00:07
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満州国をめぐって
Excerpt:  近代史はいろんな制約があって、歴史の専門家としてはきっぱり言い切れない部分があるのは分かる。だから歴史の専門家に代わって、素人の私が本当の事をきっぱり書こうと
Weblog: パープルナイト
Tracked: 2005-05-25 00:28