ご注意:この投稿は吾妻ひでお先生の「不条理日記」と「失踪日記」のネタバレ満載です!
13年前(インターネットを始めた頃)、2ちゃんねるの「夢・独り言」という板(だったと思う)に、「不条理日記」というスレッドを立てた(未確認だが過去ログ倉庫に残っているらしい)。内容的には職場の愚痴などを呟いただけで、大して盛り上がらず終わってしまった。
そして2004年、流行のブログというものを作ってみようと思い、タイトルについてはあまり考えず「以前2chに立てたスレの名前でいいか」と、安易に決めてしまった。最初の頃のアクセス数は一日に十数件だったが、NHK番組改竄問題を取り上げたころから徐々に増え始め、嫌韓流批判を書きはじめるとかなりのアクセスが集まり、多くのコメントとトラックバックを頂くようになった。最近は月に一件二件しか投稿しないので随分寂しくなっちまったが、それでも一日に600〜700人の方々からアクセスして頂いている。ありがとうございます!投稿の内容によっては突発的にアクセス数が跳ね上がることもあるが。
ところで、吾妻ひでお先生の名作と同じタイトルにしてしまったわけだが、決して意図的にパクったつもりはない。この作品はずーーと昔に本屋で立ち読みした記憶がある。インターネット始めるよりずーーと前だからほとんど記憶に残っていなかった。たまたま同じタイトルにしちゃっただけだよ。そういうことにしといて下さい(笑)。実際のところ「不条理日記」というタイトルのブログはいくつもあるよ。
ご本家の「不条理日記」がどういう作品かというと・・・酒を飲んだり、ドッペルゲンガーに会ったり、過去の妻を襲ったり、チンポがタンポポになったり、電車に取り残され思わず復讐を誓ったり、おばあさん900人とすれちがったり、新婚6年目の夏に傷ついたりする漫画である・・・。
これらのネタはSF作品からのパロディが多いらしいが、ほとんど読書しない俺は「新婚6年目の夏に傷つく」というのが筒井康隆先生の「傷ついたのは誰の心」のパロディだと気付いた程度である。ところで俺の手元にあるのはアマゾンで買った「定本不条理日記 1993年3月8日初版」だが、巻末にその当時の吾妻先生の仕事、つまりガス配管工事のことが短く紹介されている。この仕事については吾妻ひでお先生が失踪中の体験を告白した「失踪日記」に詳しく描かれている。そういうわけで「不条理日記」についてはもう語れることはないので、「失踪日記」について語ってみる。なかなか不条理な展開だべ(笑)。ってゆうか「失踪日記」はすっごく面白いから是非読んでほしいんだよね。
■ 1989年11月、吾妻先生は締切に追われる生活に嫌気がさし酒で紛らわせていたが、ついに自殺を決意?し、とある山中の斜面で木に結びつけたロープを首に巻き付け、酒を飲みながら眠った。しかしそんな他力本願なやり方で死ねるわけがなく、かといって家に帰ることも出来ず、ホームレス生活を始めることになった。しかし食料調達も寝床の確保も容易ではない。ビニールシートに包まりながら寝ていたら「寒風に吹きさらされている夢から目覚めると、寒風に吹きさらされていた。これでは夢としての機能を果たしていない」。
しかし先生は、生ごみを漁ったりシケモクを拾ったり瓶の中に僅かに残った酒を集めてカクテルを作るなど、様々な工夫を凝らしながら生活していく。そのうち大手スーパーの「うまげや」(いなげや?)のゴミ置き場にまだ食べられる惣菜やパンが棄てられていることに気づき、たらふく食って太ってしまったので、家に戻ったとき顰蹙を買ったそうな。
しかしホームレス生活をしていれば、当然の如く世間の目は冷たい。手配中の空き巣と疑われて交番に連行されたときなど、空き巣の疑いが晴れても「なんか悪いことして逃げてるんじゃないか?」などと疑われる。警官が本署?に電話して「前科無しですが一応逮捕して・・・できないですか?いや前はこじき罪とかあったんですけどねー」などと会話していたという。こんなひどい警官がいたとは信じられないが「全部実話です」というから事実なんだろう。ってゆうかこじき罪って今でもあるんだとさ。
結局、奥さんが捜索願を出していたため余計な疑いは晴れ(しかも本署の刑事に吾妻先生のファンがいた)、自宅に戻ることになった。そして漫画家として復活するが、1992年4月にまた「原稿を落として逃げてしまった。頭から何やら湧いてきたせいだ」。しかしホームレス生活も二度目なので数々のノウハウを身に付け、快適に?暮らしていたようだ。たとえば朝4時に起きてゴミ捨て場から食事・デザートを確保し、自販機のお釣り返却口から小銭を漁り、昼間は暇なので図書館で借りた本(利用者カードは無いので無許可拝借)を公園で読んだり、など。
しかし先生はこの二度目のホームレス生活の中で、人恋しさを覚えるようになる。宗教の勧誘が自分にだけは声をかけてくれなかったり、ホームレス仲間が出来そうになったと思ったら実はそいつはリア充だったり(笑)、金持ちホームレス(働いているが住所不定)が公園の東屋で宴会してるのを羨ましく思ったり、「オレもちょっと働きたい」と思うようになったり・・・。
■ そして偶然にも、ガス工事店の上森さん(仮名)に声をかけられ、寮に住みながら配管工見習いとして働くことになる(「日本ガス」の孫請けということだが、要するに東京ガスの孫請けと思われ)。そして吾妻先生のガス配管工見習い生活が始まるが、これが何度読み返しても面白い。ガテン系労働の中でも最も過酷と言われる(?)、土木・建設労働者(つまり、高度な技能を身に付けた「職人」と呼ばれる工事現場の労働者)の生活を克明に描いた漫画など、極めて少数ではないか?現役の職人さんも、かつて職人やってた人も、俺みたいに途中で逃げ出した人も、是非読んでほしい。職人の世界を体験した人なら「こうゆうこと、あるよねw」と、思えるはずだ。
ガス配管工事は、配管を組み立てるだけではなく、穴を掘ったり一輪車で土砂を運んだりする重労働らしい。吾妻先生は、解体する家屋のガス管撤去が専門の柳井さん(もちろん仮名)とペアを組みことになったが、かなりおっかない人。突然「ボーっと見てないで、次何するか考えて動かないと仕事終わんないよ!」と怒鳴り散らしたり。見習いなんだからもうちょっと優しく教えてあげればいいのにと思うが、職人の世界じゃ当たり前のことなんだよな。
■ 俺もかつて建設工事の見習いやったことあるが、怒鳴られっぱなしだったぜ。常に先輩の動きから仕事の流れを読み、次に何の工具が必要か見極めて素早く手渡さなければならない(先生は徐々に慣れていったようだ)。ボケっとしてると怒鳴られる。バカだのボケだの帰れだの辞めちまえだのと、罵られる。
噂で聞いた話だが、先輩が「これをよこせ!」と手で何か掴むような仕草をしたので、取りあえず圧着ペンチを渡したら、その圧着ペンチで(ヘルメットの上から)殴られた。「バカ野郎!俺がこうやったら(手で掴む仕草)、ニッパに決まってんだろ!」
その数十秒後、また先輩が「これをよこせ!」と手で掴む仕草をしたので、今度こそ間違いは無いと思ってニッパを渡すと、また殴られた。「バカ野郎!俺がこうやったら(手で掴む仕草)、圧着ペンチに決まってんだろ!」
それどころか、先輩の指示通りのことをして、その指示自体が間違っていた場合、「お前も少しは考えろ!」と怒られる。先輩が行った作業をチェックしていれば「お前は俺の仕事を疑うのか!」と怒られる。先輩の行った作業をチェックしなかったので後から間違いが見つかった場合は「なんでお前がチェックしなかったんだ!」と怒られる。全く不条理な世界だ。軍隊もこういう世界だろう(もっとひどいかも)。しかし気が利く奴、要領のいい奴は全然怒られないどころか好かれるんだよね。俺には全く向いてないw
ってゆうか、この漫画の中には吾妻先生が車を運転するシーンは出てこないけど、見習いは車を運転させられるよ。安全運転してると「チンタラ走ってんじゃねえ!」って怒鳴られるよ。それに工事現場の朝礼が朝8時だとしても、会社の車で行くのなら確実に間に合うように集合しなければならない。朝6時とかに集合だよ。要するにさ、車の運転が得意で朝が強くて手先が器用で気が利く人じゃないと、職人の世界は厳しいなあ。俺には全く向いてないw
■ 柳井さんは一見優男風だが、スコップで穴を掘るときなど実に手際がいい。そういえば肩まで埋まるくらいの穴を掘っても作業着が全然汚れない人もいるって噂で聞いたな。そういう人が職人に向いてるんだよ。すぐ泥だらけ油まみれヘドロまみれになる俺には全く向いてない。
それにしても柳井さん、頭上で別の業者さんが鉄骨の溶接を行っていて火の粉が降っているのに平然とガスを吹かしながら配管工事作業を進めるところなど、実に職人らしい人だと感じる。たとえばガソリンが気化した場合の燃焼範囲(空気との比率。薄すぎても濃すぎても燃焼しない)は1.4%〜7.6%だが、都市ガス(13A)は5%〜15%というから、直ちに引火してドカン!とはならないだろうが・・・柳井さんがそこまで頭に入れて作業しているのか分からんが・・・他の業者さんが何してようが自分らの作業を行わないと仕事は終わんないんだよ。工事現場ってのはいろんな業者さんが入り乱れつつ、怒鳴り合ったり譲り合ったりしながら働く現場なんだよ。ちなみに型枠屋さんとか鉄筋屋さんはかなりおっかない。大工さん、ボード屋さん、クロス屋さんもおっかない。設備屋さん(衛生、空調など)や電気屋さんはいじめられる。もっとも立場が弱いのが弱電屋さん(電話やLAN配線など)らしいが・・・。ってゆうかすっごい怒られたと思ったら、次の日にジュース奢ってくれたりしたこともあるよ。基本はみんないい人(だと思う)。
しかし柳井さんのようなベテランだってミスを犯すことはある。一本のガス管が途中で分岐して複数の家屋に供給している構造もあり、そのような「共用管」を切断してしまえば、解体する家屋だけでなく別の家屋のガスも止めてしまう。そういう場合、「直ちに支社に連絡して救急事故車を呼ぶべきであるが」、柳井さんの場合は「怒られるから自分で直す」。
しかしこのように慌てて復旧作業を行った場合、ベテランらしからぬミスを犯すこともある。配管のつなぎ目にパッキンを入れ忘れてガス漏れが発生し、工事した本人が気付かない間に救急事故車が到着し、大目玉を食らったという。
■ 柳井さんは仕事中に吾妻先生に対して散々怒鳴ったりネチネチと嫌味言ってたクセに、移動のため車に乗ると「テレクラで人妻と知り合って、やった」などと、まるで親しい友人と同乗しているようなノリで雑談を始める。職人さんって、こういう人いるよね。さっきまで人のことを馬鹿ボケ辞めちまえ、とか罵っていたクセに、車に乗った途端に人生語り出したり、説教始めたりして。
一方、銭湯で吾妻先生とばったり出くわしたときなど、両者の頭上に「毎日仕事で組んでるやつとフロでまで会いたくねえ・・・」という(心の動きを示す)吹き出しが浮かんでいた。職人さん同士はプライベートの付き合いはあんまりしないのかなあ。俺が見習いやってた職場でもそういう雰囲気はあったよ。
そもそも柳井さんは職場で嫌われ者だからプライベートな付き合いなんかあるわけがないだろう。同僚らも、「俺も柳井と組んだことあるけど合わないな」とか、「オカマの蛇みたいな奴だ」などと、極めて手厳しい。仕事中も大事なビスを隠して吾妻先生を困らせたりなど意地悪をするし、ある人に風俗を勧めたせいでその人がハマってしまい借金してまで通いつめ問題になったことも。「他人を陥れるのが大好き」な小悪魔だ。
しかし「自分以外の人間全てが嫌いな」彼も、ケンちゃん(社長)には従順だ。彼にとってケンちゃんは「ただ一人尊敬していて大好きな人」なのだ。腕自慢の職人も資本家には逆らえないのだ。
このケンちゃん、若いけど太っ腹で、吾妻先生が働きだした初日に前払いで5万円もあげちゃうし、給料日にはみんなをファミレスに連れて行ってご馳走するし、自宅にみんなを招いて焼肉大会をすることもある。気前がいいだけでなく、なんつーかカリスマ性がある人で、だから柳井さんのような一匹狼な職人にも慕われるんだろうね。
俺が見習いしてた小さい工事店の経営者も、先輩方から「社長は(新品の)VVFケーブルの束を両手に六つ、首に一つ下げて、ビルの10階まで階段で登っちゃうんだよ」と噂されていた。本当かな?新品のケーブルの束は一つ10kg以上あるんだけど?ともかく小さい会社の社長って、こういう人格的な魅力がある人が多いよね(ワンマンで怖い人も多いけど)。
もっともケンちゃんの会社もせいぜい十数人の小さな工事店みたいだから、社会保険は全て労働者が個人で加入してたんじゃないかな。俺がいたところも労災の名目で毎月2000円引かれてただけ。そういうちっちゃい工事店って結構多いよ。腰道具と脚立と車さえあれば始められるみたいな。一人親方がバイト雇ってるみたいなノリだよ。
それはともかくケンちゃんさえも「柳井と組ます新人はすぐやめちゃうんだよね」と不信感を隠さない。
■ 最初のうちはホームレス生活で体がなまっていて「炎天下、スコップを持ったまま気絶していた」ような吾妻先生も、「半年後には筋肉パンパン」。
俺はすぐ辞めちゃったから筋肉つくほどじゃなかったけど、5〜6kgぐらいは脂肪分が消え、腹筋が割れてきた。なにしろ早寝早起きだもん。2チャンネルに糞スレ立てようと思ってもビール飲んで飯食えば眠くなるし。職人の生活は健康的だよ。だけど休みは日曜だけだから仕事以外何もやる気起きないけどね。辞めたら途端に体重戻った。あの体型を維持したまま市民活動の世界に入っていれば、何か新しい出会いがあったかもしれないとか夢想したりして。当時はウヨクから「このガキが!」と罵られるほど若く見えたし。今は腹が臨月のように出ているだけじゃなく頭もかなり白くなって、年相応に見られるようになっちゃった。つーか某観光左翼は俺より年上のクセしやがって(以下自粛)。
それにしても吾妻先生は1950年生まれだから、ガス配管工事をしていたのが1993年頃だとしたら、40歳を過ぎてから全く違う業界に飛び込んで一人前の職人に育ったんだから素晴らしいよ。関連性のある仕事(工場労働)してたのに修行について行けず3ヶ月で逃亡した俺より数兆倍偉い!そして柳井さんと離れてケンちゃんの班(新設工事?)に入ったころには、技術力がアップしガス配管工事の資格も取り、「がぜん仕事が楽しくなった」。
しかしそんな先生を災難が襲う。上森さんに貰った自転車が実は盗難車だったので、交番にしょっ引かれてしまったのだ。そして二度目の捜索願いを出していた奥さんに連絡が入り、家に戻ることになった。「このへん笑えないので略」とのこと。仕事は家から通うことになった。この上森さんて人、「社長は俺のいいなりだからよ」などと言うので、よほどの実力者だと思いきや・・・実は「楽な現場に廻され車の助手席で酒飲んでるだけの会社の厄介者だった」。こういう人、いるよね。しかも上森さんには弟もいて、兄弟揃って借金を踏み倒すは、家電のローンを無理矢理組ませてマージン取るは、吾妻先生が辞めた途端にローンの残ってる家電を盗むは、トンデモない奴らだったようだ。これだけひどい奴らも珍しいが、まあたまにいるよね。俺の経験だと職人見習いしてたころはそんな奴いなかったけど、〇芝〇中工場で孫請け労働者やってたころは、ひどい奴等がいたね。新人さんや地方から実習に来た人から借金しまくって踏み倒したり、某宗教にしつこく勧誘したり・・・。
■ それはともかく社長に実力を認められた吾妻先生は、柳井さんの代わりに撤去工事の責任者になるように命じられる。変人の柳井さんと新人を組ますことを回避するためだったかもしれないが・・・そのためにはまず柳井さんから責任者としての業務(図面作成、書類作成など)をマンツーマンで教わらなくてはならない。しかし柳井さんは、一緒に現場作業しているときどころではない意地悪さで吾妻先生をしごく。先生も「今まで数多くの新人が辞めてったのはこれが原因だな」と悟る。
ケンちゃんは、吾妻先生を責任者にして元税理士の植下さんと組ませる方針だった。ちなみに植下さんは「共産主義国家日本を目指す」闘う労働者。吾妻先生に「労働者は結束しよう!雨の日は仕事を拒否しよう」と呼びかける(結束じゃなくて団結の間違いだと思うが)。職場を組織しようとしてるんだから立派だよ。俺なんか口先ばっかりで何にもしてないし。
ある日柳井さん・吾妻先生・植下さんの3人で作業を行ったところ、植下さんはたった一日で「なんだあの柳井って野郎は、どーゆー性格なんだ!」とブチ切れ。吾妻先生は1年以上付き合ってるのにね。
そして寮で先生と植下さんの二人で柳井さんの悪口を言い合ってたらケンちゃんもやってきて、先生もついつい愚痴りまくってしまう。そしたらケンちゃん、「そんなに腹立ったんだったら殴っちゃえばいいのに」と意外なことを言う。もちろん先生はそんな言葉を本気にしないけど。
結局、「さんざん言った悪口は社長から柳井さんに伝わるだろう」と思い、辞めると言ってしまった。たしかに、ケンちゃんが柳井さんに「おい、後輩を指導するときは優しくしてやれよ」とか注意すりゃ、柳井さんは「吾妻がチクったな」と感づくだろう。それにケンちゃんだって、仕事できるし自分には従順な柳井さんが可愛いだろうし。こうして先生のガス屋さん生活は終わり、漫画の世界に戻った。
■ そして先生は再び漫画家として忙しい生活に戻ったが、あるとき喫茶店でコーヒーを飲んでいたら手の震えに気付いた。「アル中かな?ははは」と笑っていたが笑い事じゃなかった。元々先生は「15年くらい毎日焼酎やウイスキー5合」も飲んでいたほどの酒豪だが、1998年春頃、先生は「完全な連続飲酒状態になっていた(眠っている時以外は酒を飲んでいるという典型的なアル中の症状)」。
とにかく目覚めてもコーヒーや食事は胃が受けつけず、コンビニで紙カップの酒を買い、一日中飲みっぱなし。夜は寝ゲロ。当然翌日は二日酔いだが、ゲロ吐きながら酒を飲む。しかも「となりの家に女の子が監禁されてて出してーって叫んでるよ!」などと幻視・幻聴に悩まされ(酒の禁断症状と思われ。「離脱」というらしい)、酒飲んで気を紛らわすという悪循環。そういう俺は風邪ひいて喉痛くてタバコ吸っても味が分からないのに吸い続けるニコ中(ってゆうかただの馬鹿)だけど幻覚症状はねえぞ(笑)。酒の自販機を探して街を彷徨っているとき、通行人が恐ろしい顔で睨んでいるような気がしたり、自分の「気が狂う」という呟きが頭の中で「狂う」「狂う」「狂う」とリフレインして、とてもじゃないが先生の可愛らしい絵でなければ正視に堪えないような地獄だ。
■ 先生のアル中はどんどん悪化し、一日中飲み続け吐き続け、外に出れば転んで怪我するという末期的症状。ついに家族によって「三鷹にあるH病院」に強制入院させられてしまった。奥さんと息子さんに押さえつけられて、医者に睡眠薬?を打たれて、気が付きゃ鉄格子の部屋でベッドの上で両手足を縛りつけられ、腕には点滴の針、下半身にはおむつ。こうして入院生活が始まったわけだが、タバコを吸うのも、小遣い(家族が病院に預けてある)を引き出すのも、いちいち看護婦にお伺いを立てなければならない。なんつーか医者と看護婦に生殺与奪を握られているというか・・・。精神病院とアル中病院にだけには入院したくないね。
大人しくしていれば外出許可が出るのだが、シアナマイド(シアナミド)飲まされてるのに酒飲んでひっくり返って救急車で自分の病院にお帰りになる患者も。この薬はアセトアルデヒドを分解する酵素の働きをブロックするとかなんとか、要するに酒に弱くなるんだってさ。この薬を服用したあと酒飲むと七転八倒の苦しみだってよ。
■ そんでさ医者が言うの。「そもそもアルコール依存症とは不治の病です。一生治りません。ぬか漬けのキュウリが生のキュウリに戻れないのと同じです」。だったらこんな病院も無意味じゃんかよ。ってゆうか巻末の吾妻先生と「とり・みき」先生の対談によると、アル中の快復率は20%、多くの患者はまた酒飲み始めて入退院を繰り返すんだって。実を言うと俺の親族にもアル中がいたな。退院して、しばらくは大人しいけどまた飲み始めちゃうんだよ(俺も血を引いてるからそのうち?)。そんで大抵は50歳くらいで死んじゃうってさ。きっぱり酒を止めた吾妻先生は数少ない勝利者かもね。
この病院にも、いろんなクセのある人が多くて退屈しなかったらしい。自分はアル中じゃないと主張するが勿論アル中でしかもシャブ中の人、看護長と喧嘩して飛び出して早速大酒喰らって救急車で戻ってきたけど看護長に入院を拒否される人、夜中に逢引してるカップル、高給取りのサラリーマンで酒も強くて離脱も出ないけど自主入院した人、ヤクザすら恐れる大入道、その大入道を僕(しもべ)にしてる謎の尼さん・・・。つーか、ガス屋さんやってても入院しててもいろんな人と友達になれちゃうのは吾妻先生の人徳のなせるわざだろうね。
長々と引用しちゃったけど、この「失踪日記」、面白いし色々なことを感じさせてくれるから是非読んでほしい。ところで10月に。「失踪日記2 アル中病棟」が発売されるそうなので今度はアマゾンでもブックオフでもなくて普通の本屋で買おうと思う。ところで先生は今でもガス屋さんのバイトやってるらしい。いまどき漫画じゃ食えないんだって。マジっすか??
そーゆーわけで、このブログのほうも今後ともよろしくお願いします。月に一回更新するのが目標です(笑)