2013年10月25日

『命をかけた犠牲は美しい』・・・のか?

 2013年10月1日、神奈川県横浜市のJR横浜線の踏切で、線路内に横たわっていた高齢の男性を救助しようとした村田奈津恵さんが電車にはねられ亡くなった。村田さんは父の恵弘さんの運転する車の助手席にいたが、横たわる男性に気付くと恵弘さんの制止を振り切り遮断機をくぐって踏切内に入った。男性は鎖骨を骨折したが命に別条はないという。村田さんのご冥福をお祈りします。
 以下は東京新聞【こちら特報部 「美談」より安全対策を】より引用。

 10月6日に営まれた村田さんの通夜の会場には官房長官の菅義偉が訪れ、安倍の名義の感謝状を読み上げた。安倍が村田さんに何を感謝しているのか不可解だが、奴らはこれで満足せず、村田さんへの「紅綬褒章」とかいうものを授与し、遺族へは銀杯贈呈することを閣議決定したという。神奈川県警や神奈川県は村田さんのご両親に感謝状を手渡した。警察庁も「民間人への最高位の表彰である警察協力章」とやらを贈ることを検討しているらしい。「さながら表彰ラッシュの様相だ」。
 香山リカ氏は「メディアを含めて賞賛一色。こうなると、『人助けをしていなければ、今ごろは・・・』といった複雑な感情や悲しみを遺族が表に出しにくくなる危険がある」と指摘。
 踏切事故遺族でつくる「紡ぎの会」代表の加山圭子さんも「いくら周囲に立派だと言われても、お父様はじめご遺族は、悔やんでも悔やみきれないお気持ちなのではないか」と語る。加山さんはかつて踏切事故で母を失い、再発防止活動を続けている。村田さんが亡くなった事故現場を訪れ花を手向けたが、「線路の見通しが悪く、電車の接近がすぐに分からない」と感じた。踏切内にはセンサーもあったが誤作動防止のため自動車程度の大きさでないと反応しない。
 「表彰だけでなく、国や自治体、鉄道関係者は、事故の検証と今後の安全対策に取り組んでほしい」

 「ある鉄道関係者」は、「勇気ある行動を賞賛するのならば、それと同時に線路内に立ち入る危険性をもっと周知すべきだ」と述べる。当たり前のことだが(鉄道会社の職員でも)線路内の立ち入りは厳重に禁止されている。入っていいのは夜間の保守作業や事故発生時だけだろう。
 この記事によると電車は「130km/hを出すことも珍しくない」という。急行や特急のことを言っているんだと思うが。各駅停車ならならせいぜい90km/h程度だと思うが、たとえば自動車だとしても、このスピードで前方に障害物を発見した場合、しっかり手前で止まれるだろうか?ましてや電車が止まれるわけがない。
 「警報機が鳴り始めてから電車の通過までは30〜40秒。屈強な男性であっても、警報機が鳴ってから救助を成功させるのは非常に難しい。そのことを学校教育でもきちんと教えるべきだ」
 たとえば俺は(屈強とは言えないが)体重80kgだが、踏切内に体重40〜50kgの女性か高齢者が倒れているのに気付いたとする。数十秒間で、自分の体重の半分強の重量物を持ち上げるか引きずるかして、踏切内から脱出できるか?まず無理だね。救出は不可能だと思ったほうがいい。俺には真似できない。というか、こういう自分の命をも危険に晒す行為は絶対に行ってはならない。村田さんの行動を賞賛してはならない。

 この「鉄道関係者」も、再発防止策どころか事故の検証も終わっていない段階で安倍政権が村田さんへ次々と表彰を行うのは「大きな違和感がある」と語る。
 「うがった見方かもしれないが、安倍首相が『命をかけた犠牲は美しい』と、世論を誘導しているようにも感じてしまう。村田さんの行動が尊いからこそ、ご本人や遺族を利用するようなことは許されないと思う」
 ・・・俺も「うがった見方」をしてみるか。「解雇特区」で労働者の権利を奪い、秘密保護法でメディアと市民を縛り上げ、憲法を改悪し「公の秩序」とやらを持ち出して個人の権利を否定し、戦前への回帰を狙う安倍自民党にとって、自分の命を犠牲にする行為は奨励すべきものなのかも。だから村田さんの咄嗟の行動を、自分の命を犠牲する覚悟だったと決めつけ、賞賛するのかもね。うがち過ぎかな?

 実際の自民党議員の中に、村田さんの行動を引き合いに出して持論?を展開している者がいる。埼玉8区(所沢市・ふじみ野市・三芳町)の衆議院議員であり、今月衆議院内閣常任委員長に就任したという柴山昌彦という男だ。

 不思議なことを言う奴だ。村田さんや、南三陸町防災対策庁舎で避難放送を行っていた職員(参考)が犠牲になったことと、「自己の権利を声高に主張する」ことに、どのような関連があるのか。そもそも「自己の権利を声高に主張する」ことは、この社会で生きていて当然なことではないか。村田さんや亡くなった職員は「自己の権利を声高に主張する」ことなく命を犠牲にしたのでそれを見習え、というのか。
 彼女たちは、自分の生存に関わることで「自己の権利を声高に主張する」ことは無かっただろう、というのか。そんなわけがない。自分の命に執着しないのであのような行動に出たわけではないだろ。死にたくて死んだわけじゃない。この男の発言は死者を侮辱している。多くの抗議・質問を受けているがまともに答えようとしない(俺も質問したが無視されている)。
 恐らくこの男にとっての「自己の権利を声高に主張する人たち」とは・・・「うがった見方」をしてみるが・・・資本側と非和解に闘っている労働者、TPPに反対する農家、生活保護申請を門前払いあるいは受給を停止された人々とその支援者、再審請求を求めている受刑者、天災・人災の被災者、公害被害者、放射線量の高い地域から子どもの避難を求めて闘う人々を指すのではないだろうか。
 それだけではなく、原発に反対し増税に反対し、少しでも平和で安全に暮らしていける社会を望む我々市民・・・要するに自己にとって当然の権利、生きていくための最低限の権利を主張する人々を指すのではないだろうか。うがち過ぎかな?
 労働者は資本家に逆らわず搾取され続け、用済みになったら黙って死ななければならない。弱者は黙って死ななければならない。かつ、いざというときは自分の命を犠牲にしなくてはならない。お国のために死ななければならない。個人の権利なんか認められない。全てをお国のため、会社のために捧げなくてはならない。・・・というのが、この男だけでなく政治家・官僚・資本側の連中の本音じゃないかな。
 そして奴等は村田さんの死を利用して「世論を誘導」しようとしている。繰り返すが村田さんの行動を賞賛してはならない。赤紙一枚で召集されジャングルに屍を晒した兵士を、靖国神社に祀るようなものだ。奴等に乗せられちゃいけないよ。

posted by 鷹嘴 at 23:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 国内ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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