2013年11月18日東京新聞記事「帝国議会でも同様論戦」より引用。1937年10月に施行された改正軍機保護法案は、前に述べたように宮澤・レーン事件のような凄惨な弾圧事件を起こした恐るべき悪法だが、これの国会審議の際、現在行われている特定秘密保護法案の審議と似たような論戦が展開し、議員から「秘密の範囲は?」「憲法違反だ!」と厳しい質問が行われていたという。
日本帝国主義が盧溝橋事件を発端に全面的な中国侵略戦争を開始し南京大虐殺事件を起こした1937年。2月に政府が「明治期に制定された現行法は時勢にそぐわず、不十分」という理由で、「改正軍機保護法」を帝国議会に提出し、審議が開始した。この当時日本は、31年の石原莞爾らのテロを利用して中国東北部を侵略し傀儡政権を作っていた。そして32年には五・一五事件、36年には二・二六事件が起こり、軍部に物言えぬ時代にさしかかっていた。
議員が「予算審議するには、軍隊の組織、内容、軍の動きも調べる必要があるが、これは軍機保護法で処罰されるのか」と質問すると政府側は、「秘密と知りながら質問すれば秘密の探知・収集にあたる」と答弁した。「秘密」事項は国会でも扱えず、迂闊に探れば議員さえ逮捕されかねない危険性は秘密保護法案と同じだ。この質問をした議員は政府答弁について「憲法政治の破壊だ」と批判した。
■ 軍保護法は「秘密」の指定は大臣が行うとされたので、「現行法は何が軍事上の秘密かを裁判所が決めている。改正案では大臣が命令で決めたものが秘密になり、その命令に基づいて処罰することは憲法上問題だ」という批判が行われた。この点も、「行政の長」が好きなように「特定秘密」を定めるとしている秘密保護法案と同様だ。議論の末に政府側は「裁判になった場合は(秘密をめぐる大臣決定の妥当性を)裁判所が決める」と答弁した。
また次のような議論もあった。
議員「一個師団が何人かというのは秘密か」
政府側「そうです」
議員 「そんなこと小学生でも知っている」
小学生でも知っているようなことでも口にすれば摘発されるような法案であり、実際そのように運用された。
■ 審議の結果、軍機保護法改正委員会は「高度の秘密なるをもって本法の運用にあたるべし」という付帯決議を採用した。これを受けて海軍大臣は「法の適用にあたって、慎重に考慮して誤りのなきようかりたい」と答弁した。
そして1937年10月に改正軍機保護法が施行されると(更に1941年に改正)、摘発人数は1937年に38人、38年50人、39年289人と激増。しかし起訴率は4%未満だった。趣味で写真を撮影していて軍事施設を写してしまったというケースも多く、40年には憲兵本部指令部長が「法の解釈に適切さを欠くものがある」と現場で注意した。
この記事に挙げられた摘発例は、飛行場建設現場で働いていたことを他人に話した、弾丸製造工場のことを両親に話した、撮影した写真に海軍の設備が写っていた・・・など些細な事例であり、「高度の秘密」の暴露などではない。これらは罰金刑か執行猶予付き懲役刑程度の刑事処分だったが、市民にとっては「軍のことを迂闊に口にすると危ない」、と委縮させる効果は充分だっただろう。
特定秘密保護法案も同じ目的があるだろう。政治を批判しただけで非国民・スパイ扱いされた戦前戦中のような社会が、この悪法と共に甦るのかもしれない。
2013年12月03日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック