2005年05月26日

日中関係についての識者の見解をつまみ食い

5/23の加藤周一氏の「夕陽妄語」は、加藤氏が北京に滞在した際に感じた学生たちの赤裸々な対日感情を伝えている。
「今年の3月末に私は北京のある歴史家と話していた。場所は清華大学の構内、窓からは静かな中庭の木立が見えた。しかし、会話の内容は、必ずしも静かなものではなかった。日本の首相がなぜ靖国神社参拝に固執するのか理解できない、と彼はいった。私はその感情が中国の大衆、殊にたとえば学生たちの間に、どの程度まで拡がっているのかを知りたいと思った。「それは広い、知っている学生たちの全部かもしれない」と彼は呟き、「私が心配しているのは、このままゆけば、いつか戦争になるかもしれないということですよ」とつけ加えた。」
つい先ごろの反日デモ騒動はすっかり終息したようだが、中国人一般の反日感情が収まったわけではない。靖国問題や教科書問題で我を貫いて中国人の感情を逆撫ですることは、自らの首を絞めることになるだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・つーことでこの記事では各界の先生方の発言をピックアップしてみる。古い話になってしまったが、先月下旬にインドネシアのバンドンで行われたアジア・アフリカ首脳会議に於いての日中首脳会談について、元レバノン大使の天木直人氏が自身のHPで、小泉や日本のメディアを辛辣に批評していた。
白状するとこの記事はクマさんが問答有用にコピペしたことで知ったのだが、天木氏の以下の部分を、
「日本の味方をしているのは米国だけだ。しかもその米国さえいざとなったら中国との関係を優先するのだ。と、太文字で強調していたのが印象に残った。
この問題に関連する保阪正康氏の発言を、先日の朝日夕刊への寄稿より部分引用する。
反日に揺れる中国を訪ねて
史実の直視 より重要に 若い研究家が進める実証的調査

(前半は省略)
たとえば、日本の指導者たちは、「反日教育をやめよ」などといった筋違いの発言をしているが、これは中国に対して「近代史を教えるな」と同義語であることに気づいていない。
実際に、中国社会では日本軍がいかに非道なことを行ったかは、祖父の世代から孫の世代へと着実に語り継がれている。私も東北部で「祖父の一族は皆、殺された不明だ」という青年の話を聞いている。中国では30代、40代の研究者が、実証的な手法で今、聞き書きや日本軍閥の再調査を行っている。未だ知られていない史実は、強制連行や毒ガス作戦を始めとして今後続々とでてくるのではないかと予想される。こうした史実は大半が日本側が直視してこなかったこともあり、日本はますます謙虚に史実にむかいあわなければならない時代が来るだろう。
今回の滞在で、日本企業の北京駐在の幹部が「日中間の経済関係は相互に深い関係があり、中国側にとっても反日デモは益するところがない」と言う言を聞いた。いや日本側に常にそのような理解がある。これを耳にした中国人実業家が、「日本が歴史を自省しないで、経済、経済というなら、経済関係などゼロにしても、日本に復讐するという世代の声があることも忘れてもらっては困る」と反論したのが印象的だった。上海や深圳のデモには、日本企業が安い労働賃金で中国人を搾取しているとの日ごろの不満が、教科書問題への怒りと結びついて増幅されたとも聞いた。
若い世代の反日デモは、一見多様のようだが、「史実」を忘却しようとする私たちの国は、「史実」によって復讐されるのではないだろうか。
「日中間の経済関係は相互に深い関係があり、中国側にとっても反日デモは益するところがない」という見方も決して誤ってはいないと思う。また、両国民の政治的な反目がどのように日中の経済関係に悪影響を及ぼすか、現段階では断定的なことは言えないだろう。実際に反日デモが吹き荒れる最中、北京でオープンしたイトーヨーカドー(何店舗目だっけ?)は、現地からの中継によると開店セールで大混雑だった。買い物カゴを下げたおばさんが「安けりゃどこでも買うわよ」と答えていたことが印象に残る。(それが消費者の本音かもしれない。反米反米いってる俺だってパソコンのOSはウインドウズだしw)
しかし、これが日本企業の社員のセリフであるところに非常な驕りを感じてしまう。たしかに現状では日中の経済関係には親密なものがあるが、しかし日本がこのまま侵略戦争の美化を続けていれば、「いつか戦争になる」ことはなかろうとも、「経済関係などゼロにしても」復讐したいという「世代」が成長するに従いどのように変化するのか、あきんど(笑)として不安に駆られないのだろうか?
また、4月27日に発表された朝日の世論調査によると、
日本人が「経済的に重要な国」だと感じる国は、中国が一位(39%)、アメリカが二位(33%)なのに対し、
同じ質問に中国人は一位にアメリカ(37%)、二位にEU(29%)を挙げ、日本はわずか6%だった。

(このアンケート結果はせっかく切り抜いてあったのに紛失してしまったので、Internet Zone::Movable TypeでBlog生活様から引用させていただきました)
このように中国人は、日本人が中国を重視しているほどには日本を重視していないのである。むしろアメリカを向いているのである。いつか中国に見放され、アメリカにもソッポを向かれ・・・という日が来ないと言えるだろうか?今後も小泉が靖国参拝を続け、妙な教科書が検定合格のお墨付きを受け、この国がアジア諸国からとことん軽蔑され続けても、貿易立国たる立場を失わない自身を政財界のお偉方はお持ちなのだろうか?

(以下、コピペなど)

当然の要求が公明党から出ている。
公明、首相に靖国参拝自粛を要求 日中関係の改善促す
2005年05月26日07時08分

公明党は25日、中国の呉儀(ウー・イー)副首相の突然の帰国などで悪化した日中関係の改善に向け、小泉首相に靖国神社参拝の自粛を党として求めることを決めた。これまで神崎代表らが記者会見などで参拝中止を求める発言は繰り返していたが、首相に前向きな反応がみられないため、首相側に働きかけを強める必要があると判断した。
 首相は参拝の自粛に応じる姿勢は示していないが、国連安保理常任理事国入りなど外交面での手詰まり感が強まるなか、連立与党の公明党から正式に自粛要求を受けたことで、あらためて首相の判断が焦点となる。
 神崎代表は25日の記者会見で「事態を沈静化させるためには、小泉首相が靖国神社参拝を自粛する、靖国神社に合祀(ごうし)されているA級戦犯を分祀(ぶんし)する、国立の追悼施設をつくる。この解決法しかないと思う」と語り、「首相が参拝を自粛することが、この局面では一番重要だ」と強調した。これに対し首相は同夜、記者団に「様々な意見がありますから、いいと思います」と語るにとどめた。
 公明党のこうした考えは、自民党の武部勤幹事長とともに北京で胡錦涛(フー・チンタオ)国家主席と会談した冬柴鉄三幹事長が、訪中報告の形で23日に首相に既に伝えている。
 公明党幹部によると、神崎代表らが日中関係の改善に向けた対策を協議した結果、首相が靖国参拝を自粛するしか解決策はない、との結論に達したという。同党幹部の一人は25日、「この局面の関係悪化は、すべて首相の衆院予算委での答弁が引き金だ」とも語った。また、別の党関係者は、支持団体の創価学会を通じて首相側に理解を求める方策も検討しているとしている。
 公明党が方針を固めた背景には、党として最重要視している東京都議選の告示を来月に控え、これ以上の日中関係の悪化に対して手をこまぬいている形になるのは得策でないと判断したこともあるとみられる。



・・・以下は完全に脱線だが、“バンドン 胡錦濤 小泉”というキーワードでググってみたところ、
酔夢ing Voice - 西村幸祐様の、バンドンから日比谷へ 小泉外交の限界という記事が出てきた。これは最近ではシーサーブログランキングの一位をキープしている超人気ブログであり、西村幸祐氏の経歴については皆さんとっくにご存知かと思われる。
しかしその内容については実にお寒いものがあると言わざるを得ない。

日支首脳会談が行われたアジア・アフリカ会議は別名バンドン会議と呼ばれている。現時点で日本側から胡錦涛に首脳会談を申し出る必要は何も無いのに会談を行い、小泉首相はよりによってバンドン会議冒頭の演説で、あの悪名高い村山談話を引用した。50年前にバンドン会議が行われた時、敗戦国日本を熱狂的に迎えたのは、大東亜戦争後に独立を勝ち得たアジア諸国の代表団だった。ジャカルタの前田精海軍少将の官邸で草案が練られたインドネシアの独立宣言をスカルノが私邸で発表したのが、60年前の8月17日だった。

我々インドネシア国民は、ここにインドネシアの独立を宣言する。権力の移行についての諸事やその他の事柄は、秩序ある方法でできるだけ短期間に執行される。
インドネシア国民のために         スカルノ ハッタ
05年8月17日

この独立宣言の年号05年は、もちろん西暦でなく2605年から取ったものだ。そう、皇紀2605年である。小泉首相はこんな歴史事実さえ無にするかのように、日本戦後史の汚点である村山談話を引用した。

(以上、コピペ)

・・・インドネシアでは、「300年にわたるオランダの支配よりも、日本の3年間の支配の方が苛酷だった」と語られることもあるという。大戦中インドネシアを占領していた日本は、住民を強制労働に動員し、「ロームシャ」(労務者)「バゲロー」(馬鹿野郎?)「キヲツケ」(気をつけ?)などの単語をインドネシアに残した。その人数はインドネシア側統計によると410万人、日本側統計でも20万人に上り、重労働に見合う賃金はおろか満足な食事すら与えられないこともあったという。
「枕木一本につき一人の死者を出しても構わないから早く作れ」との号令によって突貫工事が行われた泰緬道路建設にも、連合軍捕虜だけでなくインドネシアから徴集した「ロームシャ」も動員され、多くの命が失われた。
このように労働力を奪ったことや、さらに農作物を強制供出させたことによって食糧不足が発生した。また全ての学校で日本語を必修科目にするという馬鹿げたことも行ったのである。このような支配に耐えかねた民衆は各地で抗日運動を起し、日本軍は苛烈に弾圧した。1943年10月、「カリマンタン島ポンティアナック」では海軍特別警察隊が抗日陰謀の疑いをかけて約1500人の住民を虐殺し、1944年10月、東部の離島「ババル島」では、村の住人700余名のうち僅か20名を残して虐殺したという。

また敗戦後、日本軍がどのように動いたのかは故・藤原彰先生の講演記録に詳しい。
敗戦後の日本軍は、今度は連合国と共にインドネシアの独立を妨害したのである。(もちろんインドネシア独立軍に武器を引渡したり、帰国せずに独立戦争に身を投じた日本兵もいたが)
敗戦の二日後の「独立宣言」に海軍将校が協力したからといって誇れるものなどあるだろうか?むしろそれに「皇紀」などという、空想上の人物が即位したとする年を基点とした年号が使われていることは恥じるべきでは、ないだろうか?(しかし皇紀というのは下の桁が年号と一致するので昭和や平成と違って便利だね?明治の人がそれを考慮して設定したとか?なんちゃって♪)
posted by 鷹嘴 at 17:43| Comment(0) | TrackBack(1) | 靖国問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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[IZ]:藤原彰先生の講演「日本のインドネシア占領と独立運動」
Excerpt: 懐かしいものを見つけてしまいました。映画「プライド」が公開された時に、「映画の自由と真実を守るネットワーク」の学習会で藤原彰先生がおこなわれた講演記録です。 「...
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