仕方ないから近所の外科に行ったよ。5年前マンホールの蓋で指を挟んだときと同じイケメン先生。2時間くらい待たされ、レントゲンのあと膝の水を抜かれた。トマトジュースみたいのがコップの半分くらい出てきたぞ。先生がレントゲン写真見ながら「膝の関節の骨がちょっと変形してますね。以前から痛めてたでしょ?」と指摘、ご明察だな。昔、草サッカーで痛めたからな。両膝とも。
湿布と飲み薬のお蔭で痛みは和らいだが、二週間くらいは違和感があったな。歩いてて向き変えたとき「グキッ」ってなったりして。今でも膝がコキコキ鳴るし。
そもそも去年あたりから階段昇り降りするとき微妙に痛いし。またそのうちなんかのはずみで痛めるだろうな。事故った車はフレーム修正をやっても元に戻ることは無いのと同様に。オンボロ中古車みたいなものだからな。歳は取りたくないねえ。だけどライブは楽しかったよ。今まで傷つき苦しんだ全てがライブを楽しむためのことだった。今はもう痛みさえ愛おしいw
そんで自宅に戻って準備して、一日早いけど【3.11反原発福島行動'14】に参加するため出発。鈍行で行こうと思ったが、もう時間が遅いんで大宮から郡山まで新幹線。1時間もかからなかったな。そして磐越西線の急行で磐梯熱海駅へ。
降りてみるとかなり寒い!雪降ってるし。毎年冬に行く新潟方面だって寒いがこちらも寒い。なんか体に響く。
そんで磐梯熱海温泉に一泊した。同居人が、温泉に入れるんなら付き合ってもいい、って言うんで。医者には「今夜は風呂に入るな、シャワーくらいにしとけ」って言われたのに、温泉入っちゃったし、酒も飲んじゃったよw
朝になったら道路がこんなことになってた。晴れているのに寒い
東電の水力発電所
磐梯熱海駅のモニタリングポストは0.131μSV/h
10時にチェックアウトしたから時間が余っちゃったんで、郡山駅西口前の「ビッグアイ」展望台に登ってみた(無料)。昔の郡山駅のジオラマをNゲージが走ってて、ちょっと面白かったぞ。「ふれあい科学館」は有料(入らなかった)。
そんで昼飯食ってから路線バスで会場の総合体育館へ。そういえば2年前は駅から開成山球場まで歩いたよな。つーかさ、平日だぞ、どの程度集まっているのか不安になる。国家権力の人たちはスタンバイしてるけど・・・
このオブジェ、霞ヶ関あたりで見たような記憶が・・・!
■ (以下はミクシィ他への投稿の焼き直し)「希望の牧場ふくしま」の展示を見てから、メイン会場に入りうちのユニオンの仲間と合流。広いフロアはほぼ満員、1100人が結集したとのこと。
福島現地で闘う椎名千恵子さん、佐藤幸子さん、福島の高校生と大学生、海外国内外の闘う労組・反原発活動家・農民、「希望の牧場ふくしま」代表の吉沢正巳さん、ふくしま共同診察所の医師の布施幸彦さんら多くの方々が発言した。
ドイツ・ゴアレーベン核廃棄物処分場建設反対同盟のケアスティン・ルーディックさんは、東電原発事故は決して天災などではなく人災だと指摘。アメリカ・運輸労働者連帯委員会のスティーブ・ゼルツァーさんは、アメリカの労働者が連帯して(現地時間の3月11日に)アメリカの日本領事館に対し日本政府の原発政策を抗議する予定であることを告知した。韓国・民主労総のイホドンさんは、民主労総解雇者復職闘争特別委員会・議長。周知のように韓国の労働者は民主労組を軸に、鉄道民営化阻止と朴槿恵政権打倒のため非和解に闘っている。
国労郡山支部・橋本光一さんによると、工場で保守点検を受けた電車は、工場内の粉塵が屋根に降り積もるため、入る前よりも放射線量が上昇しているという。すなわち工場の労働者は被曝を強制されているのだ。
動労水戸の羽部圭介さんは、常磐線のいわき⇔広野間のポケモントレイン運行を、竜田駅への延伸に向けてのデモンストレーションであると弾劾(参考:2・23いわき集会・デモへ JR常磐線の竜田駅延伸阻もう)。なお羽部圭介さんは2年前、JRの外注化方針を受け入れようとするJR東労組を脱退し、動労水戸に加入した。
■ 「希望の牧場ふくしま」は福島第一原発から14kmの距離にある。ここで飼育されている350頭の牛は当然ながら出荷出来ない。政府は警戒区域内の家畜の殺処分を迫っているが、この牧場では「牛の寿命を全うさせる」ため飼育を続けている。
代表の吉沢正巳さんは「我々被災者は、警戒区域の家畜と同じように、国に棄てられている」と、怒りを込めて訴えた。
三里塚で成田空港会社による農地収奪攻撃と闘う農民の市東孝雄さんは、「農民にとって、農地を奪われることは、死ねということだ」と訴えた。
福島大学の学生は、反原発運動によって学内で不当な扱いを受けていることを報告。突然教授に呼び出されることもあり、「口だけ原発反対の教授」が「過激派とは付き合うな」などと圧力をかけるという。似非原発反対派の目には、反原発のために実際に闘っている学生・労働者が、「過激派」に写るのだろう・・・。
ちなみに福島大学には清水修二というのがいて、このようなことを言ってやがる。阿修羅でズタボロに批判されているが・・・要するにコイツの言いたいことは、被曝問題は心の問題だ、気にせずに住めってことだろう。
■ ふくしま共同診療所の医師・布施幸彦さんは、福島の子どもたちの甲状腺ガンについて報告。現在福島の33人の子どもたちが小児甲状腺ガンを発症し、75人にガンの疑いがある。小児甲状腺ガンの発症率は本来100万人から10万人に一人だが、福島では診察を受けた子供たちのうちから約7000人に1人、という高い確率で発見されている。
日本政府は「チェルノブイリで甲状腺ガンが多発したのは事故の4年後」だとして、東電原発事故の影響を否定する。しかし別の集会(2013年6月15日 埼玉反原発アクション主催)で布施さんが指摘したが、チェルノブイリで4〜5年後に甲状腺ガン多発が確認されたのは、発症した人々の患部が腫れてきたためである。事故から1、2年後に(現在の福島で行われているような)精密検査が行われれば、多くの人々の発症が確認できたかもしれない。
しかも、国の基準では5.2mm以上の大きさの嚢胞は癌と認めるが、5mmなら2年後に再検査ということになる。5.2mmと5mmの区別など全く無意味なことであり、測定の精度によっても左右されてしまう。超音波で測定してもある時は5.5mm、あるときは4.8mmと計測される。(※注)そして布施さんは、甲状腺ガンの問題は福島だけでなく東日本全体の問題であると警告した。
■ 集会後、会場の外で待機していると雪がちらちら舞ってくる。
郡山市水道局前のモニタリングポストは0.274μSV/h。別の場所には0.331μSV/hを示すモニタリングポストもあった。
撮影してないけど、デモコースの脇の空き地に黒いビニールで覆われた塊が山のように置かれていた。除染した土かな?他には、植え込みの中に看板が立っていて、除染したら2μSV/hから0.3μSV/hに下がりましたよ、とか書いてあったよ。
デモ隊の脇を警察官が固めていたが、足止めを喰らうことなくスムーズに行進できた。2年前の郡山集会のデモ解散地点は市役所前だったが今回は郡山駅前なので注目度が高かったと思われる。駅前の交差点で変なの数人で騒ぎ、私服に制止されていたが、トラメガも持ってなかったのでほとんど目立たなかった。充実した集会とデモでした!ところでさ、デモ後のミニ集会で「来年も3.11集会を行いましょう!」という発言があったが、来年と言わず今すぐにでも、全ての原発を廃炉に追い込んで、2015年の3.11は勝利集会にしたいよな!
郡山駅前のモニタリングポストは0.19μSV/h
帰りこそ鈍行で帰ろうと思い、宇都宮までは順調に来たが、同居人が餃子を食べたいとか言い始めた。仕方なく駅を出て焼き餃子と水餃子のセットを食った。しばらく餃子見たくねえな(笑)そんでかったるくなったから新幹線で帰った。
※注: 福島の子ども26万9354人を対象とした甲状腺検査(2013年まで)は以下の通り。
A判定(A1)しこりやのう胞が発見されず 134,805人
A判定(A2)5mm以下のしこりや20mm以下ののう胞を発見 117,679人
B判定 5mmを超えるしこりや20mmを超えるのう胞を発見 1795人
C判定 ただちに二次検査を要する 1人
B、C判定は二次検査を受けることになるが、A判定ならば2年後に再検査、20歳を超えれば5年後に再検査ということになる。甲状腺ガンと判明した子どもの中には5mmを少し超えた「しこり」の状態の子どももいる。布施さんが指摘するように多くの子どもたちのガンが見逃されてしまうのではないか。
甲状腺は発育や新陳代謝を促すホルモンを分泌する重要な器官である。甲状腺ホルモンの主な原料はヨウ素(ヨード)だが、甲状腺は放射性ヨウ素も取り込んでしまうので、細胞の遺伝子が傷つけられガンを発症する。全て摘出した場合、一生ホルモン剤を服用し続けなければならない。
甲状腺ガンから他の部位へ転移することもある。ベラルーシに於いてチェルノブイリ原発事故の影響で1986年〜97年に甲状腺ガンを発症した子どもたちの中で、437人の子どもがリンパ節に転移し、102人の子どもが肺に転移したという。(以上、「前進」2627号より)
・・・この問題について、3月11日にテレビ朝日の「報道ステーション」で特集が行われた。集会から帰宅してから慌てて録画した。
以下に内容を要約し、勝手な感想を述べる。【みんな楽しくHappy♡がいい♪】がテキスト化しているので参考にさせていただきました。
◇ 子どもが甲状腺がんに・・・ 母が苦悩の告白3-11報道ステーション(内容書き出し)
◇ 「甲状腺がん増加は4〜5年後」チェルノブイリの“知見”検証3-11報道ステーション(内容書き出し)
◇ 「不安あおる」と県に止められた甲状腺初期被ばく調査3-11報道ステーション(内容書き出し)
■ 福島に住む田中佳子さん(仮名)の子どもが、県が実施している甲状腺検査を受けたところ、(B判定のため)「二次検査をお勧めします。二次検査の実施については別途お知らせします」という通知を受けたが、半年以上待たされた。
待ちきれずに一般の病院に検査の予約をしてから訪れたところ、
「(病院の事務所の)手違いだから検査は出来ない。県が決めていることだから」と拒否された。
予約の際には「どうぞ検査においで下さい」と言われたのだが。
県の方針としては、甲状腺検査は福島県立医大だけが行うことになっている。「来年度」(2014年度?)から他の病院でも検査が出来るようにする予定があるが、エコー検査するだけで診断はせず、データはすべて県立医大に送るという不可解な条件が付いている。そして医大が一括して判定するというのだ。
福島県立医大・鈴木眞一教授は「県立医大と同じ診断をしなければ異なる判定が出て混乱を招く」と語る。要するに県立医大による患者切り捨て方針を妨害されたら困る、ということか?
20mm以下ののう胞(二次検査は必要無いとされる)が見つかった女子中学生は、検査について「混んでいたからしょうがないかもしれないが、3分や5分では足りないのかなと。流れ作業のようだった」、母は「説明は一切なく、(小さなしこりやのう胞があるが二次検査は必要無し、という)通知だけ」と語る。
県の対応に不安を感じるこの中学生は「ふくしま共同診療所」の診察を受けたところ、長い時間かけてじっくり検査を行ってくれた。
松江寛人院長は「県の検査を受けても不安になるのは当然。県立医大は受診者に直接説明するなと言っている。それも我々がやるから、文章で渡すから、直接説明するなと。こんなことありえない」と語る。
この中学生は定期的に検査を受けている。
「先月、三か月ぶりに検査を受けたが、新たに突然「しこり」が突然出来ていて、この先どうなるのかなという不安な気持ちと、何も終わっていない、この先も続くという思いで生活している」彼女は事故後体調を崩し、教師に放射能の不安を相談したが、心配し過ぎと言われただけだった。不信感が募り、通学出来なくなった。
「包み隠さず情報を公開して欲しい。情報を公開することで救われる人たちもいると思うし、これから生まれてくる人たちのことも心配なので・・・」
■ 福島県立医大での甲状腺検査結果は、たとえ受診者本人であっても、検査データを受け取るには県に対して情報公開請求を行わなくてはならない。昨年11月に簡素化されたが、申請書類を受け取るまで3週間もかかる。「甲状腺のエコー検査は渡さないのが一般的。渡すとなると渡し方に責任がある、患者の不利益や齟齬も多いので・・・」(前出の鈴木氏)
田中さんの子どもは甲状腺ガンの切除手術を受けたが、医師には次のように言われていた。
「甲状腺ガンの進行は遅く、危険なガンではない。いま大きくなることはないから心配しなくていい、焦らなくていい、いまここで切らなければ、30歳40歳になって症状の出て見つかったときに切ればいい」というので田中さんが「じゃあ2、3年待って下さい。子どもの判断能力がついてから、手術してもいいのでは」と言うと医師は、
「発見されてから放置しておく前例はない。見つかったんだから直ちに切るのが本当でしょう」と、前言を翻すことを述べたので手術を決断したという。医学的には直ちに処置するべきだが、(県民の被曝被害を隠蔽しようとする福島県の)社会的事情に従えば、放置してほしい、沈黙してほしいということだろうか。
県民健康管理調査検討委員会・星北斗座長は「これまでの知見では(放射能の影響は)考えられない、想定される範囲だ」と述べるが、県民の不安を拭えるわけがない。
「(親戚にも)まだ放射能のことばかり考えているの、それじゃ前に進めない、切れば治るでしょ?大したことない、と言われる。だけど大したことあるんです。それが苦しい。本当のことを知るのは罪なんだろうな、と思っています」(田中さん)
■ 福島県平田村の「ひらた中央病院」では、県よりはるかに長い時間をかけて、無償でエコー検査を実施している。子ども用のホールボディカウンターもある。
「原発事故から3年しか経っていない。まだ終結していない。放射能の心配はいらない、と言い切れるわけではない」(佐川文彦理事長)
しかし御用学者らは東電がまき散らした放射能の影響を頑なに否定する。あの山下俊一は、甲状腺ガン発症が多数発見されたことについて「スクリーニング効果そのものだ、だから自覚症状のない患者も見つかったのだ」と主張する。大勢の子どもを対象に検査が行われたのだから、多く発見されて当然だと言うのだ。
前出の鈴木氏も
「チェルノブイリ事故の影響では、最短で4年〜5年で急増した。0歳から4歳の発症が多かったが、福島では発症していない。だから事故の影響とは考えにくい」と語る。ちなみにこの御用学者は、このような意味不明のことを述べていたそうな。
しかし北海道深川市病院の松崎道幸氏は、「チェルノブイリのとき、甲状腺ガン激増の想定が無かった。現地での最初の4、5年のデータには疑いがある」と指摘する。
番組はチェルノブイリ原発事故の影響が残る地域へ取材を行った。ウクライナの首都キエフの「内分泌代謝検査センター」では国中から患者集まり検診を受けている。甲状腺ガン検査を受けていた男性は事故当時2歳、事故の影響を心配している。故郷は立ち入り禁止であり、妻も甲状腺ガンの手術を受けているという。
事故から4、5年後から甲状腺ガン患者が急増し、同センターのミコラ・トロンコ所長が放射能の影響を疑い世界中に訴えたが、現地の被曝量や、広島・長崎原爆投下のデータを元にして、影響はないと主張する学者の意見もあり、大論争が起こった。
広島・長崎で甲状腺ガン多発がしたのは8年後だった、だから早くても8年後・・・というのが、当時の「医学界の常識」だったのだ。スクリーニング検査(高性能の機器で大規模な検査を行った)のため、元々あったガンが多く見つかっただけだというのだ。
そもそも広島・長崎については、当時の日本政府やアメリカ政府が、放射能が人体と環境に何をもたらすのか理解していたのだろうか(そもそも両国は放射能の影響を隠蔽しようとした)。終戦後の社会混乱のため、原爆被害者の甲状腺調査どころではない。「8年後に多発した」というのは、8年も経ってやっと気づいたということに過ぎない。
■ ミコラ・トロンコ氏は、様々なデータから、チェルノブイリ原発事故が影響していることを確信した。放射性ヨウ素の半減期は8日だが、この元素の影響が消えた後の子どもはほとんど発症せず、その前に生まれた子の発症率は高かった。事故から10年経って、国際原子力機関も原発事故の影響を認めた。
チェルノブイリ原発から110kmのコロステンも放射能で汚染されたが、居住が許可されている。コロステン検診センターのアレクサンダー・グテーヴィチ副所長は、
「当時は何の機器も無かったので触診で診察するしかなかった。1990年くらいに初めてエコー診断装置や線量測定器が入り、高性能の検査ができるようになった。初期段階で高性能の検査機器が揃っていれば、もっと多くの子どもの甲状腺ガンを発見できたと思う」と語る。 ミコラ・トロンコ氏も、「当時のソ連にエコー診断装置は無かった。1989年ごろアメリカの富豪などから寄贈を受けた」と当時を振り返る。
つまり、当時のソ連でも現在の福島のようにエコー検査が行われれば、多くの子どもたちの病変が発見できただろうということだ。事故から4、5年後から発症したわけではなく、その時期になって診断機器が充実したため多く発見できたということだ。
ミコラ・トロンコ氏は、福島での甲状腺ガンについて、
「(東電原発事故の放射能が影響している)可能性は低い。我々の知る福島の線量はわずかだ。ただ調査はすべきだ。科学は予想外のデータを示す。と警告する。この警告に従わなくてはならないだろう。
(事故から)28年経つが、私たちは得た回答より疑問点の方がはるかに多い」
(チェルノブイリ原発事故による甲状腺ガン多発は)「広島・長崎に比べて早すぎる、と言われた。スクリーニング検査の結果だと。現在の福島の事態については、チェルノブイリの例に比べて早すぎる、とみんなが言っている。皆さん20年前に仰ったことを忘れたのかな」(京都大学・今中哲二助教授)
■ 東電原発事故による福島県民への影響について、重要な初期の内部被曝のデータが決定的に不足している。元原発事故調査委員会委員の崎山比早子は、「一生懸命やればできたのに、それを止める力が働いた」と語る。
2011年3月26日〜30日に、原子力災害対策本部が飯館村など3自治体で1080人の子どもを対象に甲状腺被曝調査を行ったところ、3人の子どもの被曝量が高かった。
3月30日、原子力安全委員会が対策本部に対し、この3人の子どもを「甲状腺モニター」を使って詳しい検査をするように助言したが、対策本部は検査を行わなかった。
4月1日に対策本部から原子力委員会に送られた文書は、「甲状腺モニターは相当な重量物だから移動が困難。追跡検査を行えば、本人、家族、地域に多大な不安、いわれなき差別を与える恐れがある」として検査を拒否するものだった。
「いわれなき差別」が行われるとすれば、それを糾弾するべきではないのか?県民の被曝を隠蔽するための馬鹿げた言い訳だ。
「常套手段ですよ、いつもそうじゃないですか。何かの時にやらない言い訳に、不安を与えるからとか言う。きちんと測ってもらったほうがが不安はない」(崎山氏)
弘前大学被曝医療総合研究所の床次眞司教授は震災直後から、浪江町などで県民の初期被曝量の調査を始めた。放射性ヨウ素の8日が半減期のため、早期の被曝検査が必須だが、福島の担当者から横槍入った。
「そこはもうやめてくれ、これ以上やらないでくれ」「不安を煽るから止めろ」と要求されたのだ。行政の協力が無ければ行えないことであり、断念するしかなかった。
「放射線の被曝線量が分かっていないということは、ガンになっても放射能の影響かどうかの根拠が無いではないか」(崎山氏)つまり将来ガンを発症し補償を求めても、これまで多くの国家犯罪の被害者が切り捨てられたように、「根拠が無い」と拒絶されるのだ。「証拠が無い」の一言で門前払いだ。(福島県はこれを狙って被曝量調査を止めさせたのだろうか??)
■ 福島県県民健康管理課の小谷尚克主幹は、この横槍を否定しているが、政府や行政といった連中は、後になったら責任逃れのため否定するのは言うまでもない。
床次氏は、当時の被曝検査を巡る異様な空気を憶えている。
「何か知らないけど静かだった。(研究者の世界が)静寂だった。本来なら甲状腺検査を行わなければならないのは分かっているのに誰も何も言わなかった。おかしいな、と思った。その雰囲気が」国と県の圧力の前に沈黙した、というよりも自分の立場と生活を守るために、科学者として本来為すべきことを放棄したのだ。被曝調査はタブーであることを察したのだ。このように、多くの(御用学者と言うほどの者ではなくても)学者たちは自ら暗黙のルールを設け、物議を醸すことについては研究さえ放棄する。
(たとえば遺伝子組み換え作物による固有品種の遺伝子の汚染については、世界中の科学者は口先で反論するだけで実証実験は避けているという。これも「偽りの種子」(原題“Seeds Of Deception”、Jeffrey M.smith/著、家の光協会)参照のこと)
毎日新聞の日野行介記者は、
「私が着目したのは県による情報の管理。自分たちで情報を独占して自分たちで評価する。独占することによって、被曝の影響はないと前提する、結論付けられるシステムが得られる」と指摘し、そして「福島県の目指しているもの」を次のように喝破する。
「避難指示の解除によって住民の帰還を促し、人口減少を防ぐ。その先にある産業復興。福島県が産業を立て直す、という以外に目的は無い」
以上のように、政府や行政というものは住民へ与えた被害を、御用学者を使って科学的にナンセンスな言い訳を考えさせ、被害を軽く見せかけようとする。都合の悪い事実は隠蔽する。これを追及する者には圧力を加える。そして住民の健康など無視して大企業の利益を優先する。歴史上何度も繰り返されてきたことだ。
かつて水俣病の被害を拡大し患者を見殺しにした「仮構性」は、東電原発事故を含めて全てに当てはまる。
除染が済んだ「ということにして」帰還を促し、
原子力は安全で経済的「ということにして」原発再稼働を進め、
今後ガンや白血病が多発しても、放射能の影響は考えられない「ということにして」補償を拒否するのだろうか。
それはそうと、写真が新幹線でなく、東武のスペーシアなのは、なんででしょうか???
磐越西線の車両については、にわか鉄道ファン(笑)の私には分かりません。単純に、東武から買い取ったとか?
今度は福島⇔新潟を在来線で旅してみたいです。