2014年05月18日

特定秘密保護法の【本質は国家優先】

 「特定秘密の保護に関する法律」を成立させた自民党政権と、施行を待ち望んでいるであろう政府の組織にとって、この法は何のために必要なのか、何が目的なのか・・・についての東京新聞の論考を引用する。


 2013年12月13日・東京新聞【秘密保護法 言わねばならないこと】(1)にて憲法学者の小林節氏が、政府が指定した「特定秘密」を保護するという名目の特定秘密保護法について「行政官と政治家は過ちを犯さないという前提なのだろう」と指摘している。
 たしかに政権や公的機関が如何なる場合でも常に正しい選択を行い、決して不正を行わないのならば、重大な情報が「特定秘密」に指定されても、我々市民にとって不利益は無いだろう。政治家や公務員はそういう建前の上で、我々の税金で暮らしている。しかし連中は常に(往々にして自らの利益のために)過ちを犯し、不正を行う。特定秘密保護法とは、我々市民がそれらを追及する手段を塞ぐために設けられた。これを設けた側には、政治・行政の情報は市民にも開示するべきだという感覚が無いどころか、隠蔽が当然のことだと考えているようだ。

 13年11月21日 東京新聞【こちら特報部「改憲の中身取り 本質は国家優先」より。12年8月号「中央公論」に石破茂(12年9月より自民党幹事長)が寄稿した「国家機密の耐えられない軽さ」に、次のような部分があるという。
 「国そのものが揺らいだら、『知る権利』などと言っていられなくなるのだ。そういう意味で『知らせない義務』は『知る権利』に優先する、というのが私の考えだ」
 我々有権者は、幹部にこんな人間がいる党を政権に復帰させたことを恥じなくてはならない。
 また2013年11月8日衆院国家安全保障特別委員会で、当時の自民党法案プロジェクトチーム座長である町村信孝が次のように述べた。
 「国民の命が脅かされる、それを防止するためにこの法律をつくるんだということだということが、最も重要」
 「『知る権利は担保しました、しかし個人の生存が担保できませんとか、国家の存立が確保できません』というのは全く逆転した議論」
 「知る権利が国家や国民の安全に優先するという考え方は、基本的に間違い」
 そもそも政府が重要な情報を隠していたせいで「国民の命」が脅かされることのほうが多いことを、歴史が証明しているけどな。
 こいつらの言う「国」とは何なのか。というか、こいつらの頭の中にある「国」とは何なのか。言うまでもなく「国民」や「国民生活」ではない。現在のこの国の(天皇制や日米関係も含めた)体制であり、政府自体であり、自民党政権であろう。政権を守るためには都合の悪い情報は隠蔽し、「国民」を欺き続けなければならない。探ろうとする者には厳罰を下さなくてはならない。こいつらの企みは特定秘密保護法の成立によって完成に近づいている。
 昨年12月6日、国会正門前抗議行動で社民党元党首の福島瑞穂氏が、
 「自民党議員は 『自宅の鍵の置き場所は秘密にするに決まっている』 と言うが、その家の主(あるじ)は、政府ではなく国民だ!なんで主(あるじ)に秘密にするのか!」
 と指摘していたことを思い出す。自民党政権にとってこの国の主(あるじ)は自分たちであり、人民は家来・奴隷に過ぎない。奴隷の分際でご主人様の秘密を詮索するな、と言わんばかりだ。

 「国」の主役は「国民」ではなく国家(統治機構)であるという観念は、2012年4月に自民党が公表した改憲草案にもみられる。現行憲法の「公共の福祉」が削除され、代わりに「国家が判断の主体となる、公益及び公の秩序」という言葉が使われている。
 たとえば現行憲法第12条の
 「常に公共の福祉のためにこれ(憲法が保障する自由及び権利)を利用する責任を負ふ」
 という文言は、
 「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」
 と書き換えられている。
 高橋哲哉教授は、「公共」とは「国民一人一人に共通する」という意味で、「公共の福祉」は「国民それぞれの生命や人権、健康、財産などが大切にされている状態を指す」と述べる。
 現行憲法にある「公共の福祉に反する」行為の制限は、「国民一人一人権利が損なわれないように、意見の対立がある時には調整することを意味する。あくまで国民本位の考えだ」。
 一方「公益」「公の秩序」は、日本では歴史的に「公」は天皇や朝廷、ひいては国家権力を意味してきたと指摘する。
 「自民党の憲法草案では、生まれながら国民一人一人が持つ『天賦人権説』を取り入れていない点が現行憲法と大きく違う。自民党はそもそも国民以前に、天皇をいだく国家があり、固有の文化があるという考え方。国民の人権は国家がトップダウン的に認めると考えている。だから国民本位ではなく、国家ありきになっている」

 戦前、1893年制定の出版法(参考)や1909年制定の新聞紙法(参考)では「安寧秩序を妨害する文書や図面を出版した時には内務大臣が発売、頒布を禁じる」などの規定があった。このような言論を縛る悪法によって軍部の暴走が止まらなくなったのだ。
 関西大学・高作正博教授は、
 「近代国家の理念は国民の自由や人権を守るために国家が存在するのであって、逆ではない。国民は国家が暴走せず、自分たちの要望に沿ってかじ取りしているか、チェックしなくてはならない。その判断基準を得るために『知る権利』は不可欠」
 と指摘する。
 特定秘密の保護に関する法律の第一条「目的」には「我が国及び国民の安全の確保に資する」という記述があるが、「言葉の順番として、国民より国家が先に来ている。どちらを優先したいかが表れている」。「自民党の改憲草案の前文でも最初に国の記述があり、次に国民が出てくる。法案でもその姿勢を踏襲した」。
 また第22条2項には、
 「出版又は報道の業務に従事する者の取材行為については、専ら公益を図る目的を有し、かつ、法令違反又は著しく不当な方法によるものと認められない限りは、これを正当な業務による行為とするものとする」
 となっているが、
 「言い換えれば、国が自分たちに都合の悪い取材を『公益に反する』と判断すれば、報道を規制できるということ。国民の知る権利が容易に損なわれてしまう」。以上、2013年11月21日 東京新聞【こちら特報部】より引用。
 マスコミの取材も、デモも、ネット上の発言も、政権にとって都合が悪ければ『公益に反する』として摘発するのが、この悪法の目的の一つだろう。

 特定秘密保護法成立直後の2013年12月11日、日本記者クラブで石破茂の記者会見が行われ、質疑応答の中でこの悪法を成立させた本音を漏らした。

 問題の発言は53分くらいから。「報道機関が特定秘密を著しく違法な方法ではない手段で入手し、さらにそれを報じた場合」について問われ、以下のような意味のことを語った。
 「(特定秘密が)報道されることによって我が国の安全保障に重大な影響を与える場合は、常識的に考えれば何らかの方法で抑制されることになるだろう。条文上の解釈や法理論的な構築については分からないが、法目的からしてそうなのではないか?」
 「我が国だけでなく関係する国々にも影響を与えることを知りながら報じるということは、どんな目的なのか?そういう行為は抑制されてしかるべき」
 さらに「入手はいいが、報道はダメということか?」と問われ、
 「多くの人々の生命を危機に陥れることを知りながら発表するのであるから、『入手は罰せられないが発表は罰せられるというのは、おかしいのではないか?』、というのは少し違うのではないか?」
 「最終的には司法の判断になる。罰せられないこともあるかも」
 と、言い放った。
 まず、石破は特定秘密保護法の内容自体を理解していない。この法律では、特定秘密を扱う者がそれを漏らした場合、第三者が何らかの不正によって特定秘密を取得した場合、それらの未遂、又は「共謀・教唆・扇動」した場合に罰せられる(第23条〜25条)。
 であるから、たとえば公務員が逮捕覚悟で提供した特定秘密を報道機関が報じれば、その公務員は罰せられても報道機関は罰せられない。解釈も何もそういう条文が存在しない。この悪法を強行採決した与党の幹事長がこのざまだから世も末だ。あるいは石破はそれも承知の上で、報道機関の委縮を狙って牽制したのだろうか。どちらにせよ絶対に許せない。
 しかしコイツの腹の中は別として、報道をも「抑制」させるのが「法目的」だというのは・・・政府の不正を告発など厳重に禁じるだけでなく報道さえも禁じようというのは・・・この悪法を成立させた連中の本音であり、まさにこの悪法が狙うものではないか。

 石破はこの翌日(2013年12月12日)のラジオ番組(ニッポン放送)にて、「報道は処罰対象にならない」としながらも、
 「外へ出すと国の安全に大きな影響があると分かっているが報道する。(その結果)大勢の人が死んだとなれば『それはどうだろう』となる」
 と述べたという(2013年12月12日・東京新聞夕刊)。
 前日と同様に、迂闊に報道すればどんな仕打ちが待っているか知らねえぞ、と示唆している。繰り返すが、政府にとって都合の悪い情報こそ洗いざらい公表したほうが「大勢の人が死ぬ」ような事態は避けられるだろう。この国の主(あるじ)たる我々支配者が持っている情報は、我々が独占すべきもの。単なる家来あるいは奴隷である一般民衆に知らしめる必要など無い・・・とでも思っているからこんなことが言えるんだろうね。
 なお安倍は2013年12月9日の記者会見で、
 「秘密が際限なく広がる、通常の生活が脅かされるといった懸念の声があったが、断じてあり得ない。(処罰対象に)一般の方が巻き込まれることは決してない」
 と述べていたという(2013年12月10日・東京新聞夕刊)。
 しかし・・・たとえばマスコミが「特定秘密」をすっぱ抜けば、あるいは誰かがSNSで拡散すれば、不正な手段で取得したのではないか・・・という容疑で摘発されるだろう。それとも「特定秘密」を詮索するマスコミやインターネットで発言する者は「一般の方」とは言えない、とでも?
 石破の本音暴露が無かったとしても、全く信用できない。正反対のことを述べたと肝に銘じるべきだろう。「秘密が際限なく広がることはない、通常の生活は脅かされない、処罰対象に一般の方が巻き込まれることない」ということは断じて言えない、と。この悪法は、マスコミや市民団体だけでなく「一般の方」を委縮させ、弾圧するのも目的の一つだ。この悪法は戦前、宮澤・レーン事件など凄惨な弾圧を起こした「改正軍機保護法」を手本にして対象を拡大した法と言える。根室の海軍飛行場の事を知人に語っただけで投獄された大学生は、「一般の方」でなければ何者なのか?この「稀代の悪法」を、施行の前に廃止に追い込まなくてはならない。
posted by 鷹嘴 at 21:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 悪法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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