2014年06月02日

【自衛隊という密室】 ”ヒゲの隊長”当選の内幕

 元自衛官で参議院議員の佐藤正久という男は、(かつてこのブログでも取り上げたが)2007年8月にマスコミの取材に対し、イラク派遣の体験に関して驚くべきことを述べていた。
 「自衛隊とオランダ軍が近くの地域で活動していたら、何らかの対応をやらなかったら、自衛隊に対する批判というものは、ものすごく出ると思います」
 ゆえに、もしオランダ軍が攻撃を受ければ「情報収集の名目で現場に駆けつけ、あえて巻き込まれる」という状況を作り出すつもりだったという。つまりはなし崩し的に自衛隊をアメリカによるイラク侵略戦争の実際の戦闘に巻き込もうと考えていたのだ。
 「巻き込まれない限りは正当防衛・緊急避難の状況は作れませんから。目の前で苦しんでいる仲間がいる。普通に考えて手をさしのべるべきだという時は(警護に)行ったと思うんですけどね。その代わり、日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれてやろうと」
 軍人が中央司令部や政府の意向を無視し独断で行動すれば、民衆は戦争の渦に巻き込まれ虐殺されていくことは世界の歴史が証明している。これは張作霖爆殺事件や柳条湖事件を起こし日本を侵略戦争に引きずり込んでいった旧日本軍将校を連想させるような恐ろしい発言だ。ハッタリだったとしても絶対に許せない。こんな男が未だに議員の職にあることが信じられない。次の選挙で落選させなければならない議員の一人だ。(もっともこのような感覚の自衛隊幹部は佐藤だけではないようだ。別記予定)

 ところでこの男と自衛隊は、2007年参院選の前段階に於いて不可解な関係にあったらしい。有体に言えば自衛隊は、この一立候補者を全力でサポートしていたようだ。「自衛隊という密室」(三宅勝久/著 高文研)の第U部第3章「ヒゲの隊長と防衛省の官製選挙疑惑」(P-130〜 )より引用する。


 2008年9月12日、07年分の政治資金収支報告書が公開された。前年7月の参院選で初当選した佐藤正久(元陸上自衛隊一佐)の資金管理団体「さとう正久を支える会」の報告書も公開され、田母神俊雄(当時航空幕僚長)や折木良一(当時陸上幕僚長)ら、自衛隊の高級幹部7人から政治献金を受けていたことが明らかになった。田母神は10万円、折木陸幕長は8万円などで、合計46万円に上った。自衛隊幹部OBも多く献金していたが、個人献金4136万円のうち約3000万円は、5万円以下の献金のため記載義務が無い。上記以外の現職自衛官からの献金もあったのかもしれない。
 もちろん自衛官の政治活動は自衛隊法によって「制限」されている。ある元陸自幹部は「私たちがもし献金して、それが上司に発覚すれば大変なことになる」と語る。しかし防衛省はこの件について「個人的な献金ですから問題ありません」と突っぱねた。

 佐藤は04年に半年間イラクに赴き、「ヒゲの隊長」などとマスコミにもてはやされていた。その後全国の部隊で「イラク人道復興支援活動の教訓に関する巡回説明」と題した「講和」を39回も行った。07年1月9日、防衛庁は防衛省に昇格し、翌10日佐藤は「講和」で、額賀防衛庁長官(当時)から打診されて参院選出馬を決意した旨を発表。11日付けで自衛隊を退職した。
 そして佐藤は、今度は「教官」ではなく「部外講師」という肩書で全国の部隊で「講和」を行った。防衛省が認めたものだけで65回に達するという。立候補を表明した元自衛官が自衛隊で講演したのだ!事実上の選挙運動に他ならない。全国の自衛官の支持を集め、票につなげる計画だったのだろう。

 さらに07年3月に佐藤は「イラク自衛隊 戦闘記」を出版。この本の広告を「事実上の自衛隊広報紙」である朝雲新聞が繰り返し出した。また防衛省は選挙前の3月から5月にかけて、同著を4480冊も買い上げていた。契約金額では556万円という。我々の税金がこんな馬鹿げたことに使われていたのだ。
 4月には佐藤は朝雲新聞に「後輩に伝えたい/海外任務の体験と教訓/ヒゲの隊長・佐藤正久元一陸佐」と題する手記の連載を始めた。朝雲新聞の発行部数は約25万部、読者のほとんどは自衛隊員だという。
佐藤の後援会「佐藤正久を支える会」の会長である山本卓眞は偕行社の会長だった。偕行社は1877年(明治10年)に設立された陸軍将校の団体であり、軍需品の販売や旅館・学校の経営などの事業を行い、「絶大な財力と資金力を持っていた」。戦後はGHQによって解体されるが、1957年に厚生省所管の「公益財団法人偕行社」として復活。「陸軍関係の戦争犠牲者の福祉増進と会員の親睦」と称して靖国参拝などの活動を行ってきたという。また、「南京戦史」など出版事業も手掛けてきた。
 元々は「自衛隊と一線を画してきたはず」の組織だったが、2001年からは「主として陸上の幹部自衛官であったものを正会員に加え」るようになった。2007年3月には「陸上自衛隊殉職隊員の慰霊等」を行うという理由で所管官庁に防衛省が加わった。自衛隊幹部OBの勧誘を始め、約800人のOBが加入しているという。
 こうして偕行社は、旧陸軍将校の親睦団体から、「旧陸軍将校と元幹部自衛官の会」へと変貌した。自衛隊と旧日本軍の連続性――つまり専守防衛などではなく旧日本軍のような侵略戦争のための軍隊――を、この公益法人が示していると言える。

 このように自衛隊は露骨に佐藤の選挙戦を支援していた。三宅勝久氏は、佐藤の選挙資金集めについて重要な証言を得た。北日本の部隊の航空自衛官が次のように語った。
 「(所属部隊の)総務課のカウンターの上に『佐藤正久氏を応援するために協力して下さい』という寄附の用紙と、郵便局の振込用紙が置かれていた」
 ご丁寧にも「(鉛筆書きの司令の名で)部隊名ではなく個人名で寄付せよ、という注意書きまであった」という。自衛隊が佐藤の選挙資金カンパを勧めていたのだろうか。これが事実だとすれば完全に自衛隊法違反だ。
 参院選公示前日の07年7月11日には陸上自衛隊別府駐屯地の朝礼で奇妙な「寸劇」が行われた。その台本には「個人得票数の多い順に当選が決まりますから、当選させたい立候補者がいるなら、政党名ではなく個人名を記入して下さい」というナレーションあったという。暗に「佐藤正久」と記入するように勧めるつもりだったのだろうか。同僚隊員に成りすまして参院選の期日前投票を行おうとして公職選挙法違反で検挙された隊員もいた。頼んだ側は「投票に行くのが面倒だった」と言い訳した(頼んだ側は4日、頼まれた側は3日の停職処分)。
 こうして佐藤が25万票を獲得して当選すると、偕行社の機関紙に「皆様方のご支援」で当選できた、「特に山本卓眞偕行社会長には格段のご支援を頂いた・・・という謝辞が掲載された。このような当選後の挨拶は「公職選挙法第178条」が禁止しているのだが。そもそも公益法人である偕行社が特定の候補を応援していいものだろうか?

 2008年12月10日、衆院決算行政監視委員会にて、民主党の平岡秀夫委員が当時の防衛大臣の浜田靖一に対し、自衛隊幹部が佐藤に献金した意味を問い質した。
 「どういう目的で寄附が行われたのか?寄附によって利便を得ようとしたのなら、政治的行為として禁止されている」。この追及に対して浜田は「個別の寄附の目的を確認できるわけがない。しかし自衛隊法の中で寄附行為についての制限があるから、それに該当しない」と誤魔化した。確認は出来ないが問題は無い、とは実に不思議なことを言う。まるで「自衛隊の派遣されている地域が非戦闘地域」のような・・・。
 さらに09年4月6日の同委員会で再び平岡委員が浜田に、佐藤が立候補を控えて退官した後65回も「部外講話」を行ったことを追及した。07年4月4日に、防衛省は「選挙における職員の服務規律の確保について」という通達を出していたのである。これによると「立候補予定者に政治的内容を含む部外講話をさせること」「容認されない行為等」の一つになる。佐藤の講和など当然これに含まれるだろう。
 しかし浜田は「イラク派遣の体験を語ることは政治的意図を持っているとは思わない」と恍け、平岡委員は「多くの野党が反対したイラク派遣について語ることが政治的内容を含んでいないとは、あり得ない」と追及した。全くその通りだ。
 平岡委員は最後に「国政選挙立候補予定者が自衛隊で講話した例は他にあるのか?」と質問したが、浜田は「あ、それは聞いておりません」とだけ答えた。実際に佐藤のように自衛隊で何十回も講話した例は無いという。それだけ佐藤のケースが特殊だったということだ。「のらりくらりとした大臣答弁の中で、意味があったのは最後の部分くらいだろう」。

 三宅勝久氏は防衛省に対し、佐藤は講話で何を語ったのか、本当に「政治的内容」は無かったのか陸海空の各幕僚監部に情報公開請求を行ったが、08年末に海上幕僚監部から通知が来た。「特定の個人の権利利益を害する恐れがある」として全面不開示だった。
 「公表すれば佐藤氏の『権利利益』が失われ得るという事実そのものが、”ヒゲの隊長”議員誕生の胡散臭さを雄弁に物語っている」


・・・この「自衛隊という密室」は他にも、田母神の本音や自衛隊の業者との癒着、野放しの”いじめ”などを告発し、自衛隊の本質に迫っている。後日また引用する予定。

posted by 鷹嘴 at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本軍(1950〜) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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