昭和天皇裕仁がアメリカの大使や高官に対して、アメリカの国際戦略と対日方針に謝意を述べ、またアメリカ軍駐留継続を求めていたことを示す記録が公表されました。これは日本の政治・歴史研究家がアメリカの国立公文書館などで入手したそうです。
1.1953年2月、「ロバート・マーフィー駐日米国大使」に対して、「朝鮮戦争の休戦や国際的な緊張緩和が、日本の世論に与える影響を懸念している。米軍撤退を求める日本国内の圧力が高まるだろうが、私は米軍の駐留が引き続き必要だと確信しているので、それを遺憾に思う」と述べ、「そして、ソ連と中国の指導者への不信を表明する一方、台湾の蒋介石総統が同大使に示した日本・韓国・台湾の反共提携構想に好意的な反応を示した」そうです。
2.1956年2月17日、「駐米大使として赴任直前の谷正之氏」に、「米国の軍事的・経済的援助が、戦後日本の生存に重要な役割を果たしてきたことに深く感謝し、この援助の継続を希望する。日米関係が緊密であることを望み、それが両国にとって持つ意義を十分認識している」と述べ、これをアメリカの要人に伝えるよう依頼したそうです。
ちなみに谷大使は赴任後、天皇のこの発言を「ジョン・F・ダレス国務長官」に告げたところ、「同長官は『日本の安定と統合に天皇が果たしている、目立たないが重要な役割』に触れ、『将来の日本と良好な二国間関係に天皇の影響力は重要だ』と述べた」そうです。
3.1958年10月6日、「ニール・マケルロイ米国防長官」に、「強大なソ連の軍事力から見ると、北海道の脆弱さに懸念を持っている」と述べたそうです。
4.1962年10月、園遊会にて「ジェイコブ・スマート在日米軍司令官」ににじり寄り、「最近の出来事(キューバ危機)を注意深く見ていたが、平和的な結果に安心した。米国の力と、その力を平和のために使ったことに個人的に称賛と尊敬の念を持つ。世界平和のために米国がその力を使い続けることを希望する」 と述べたそうです。ジェイコブ某は、「出席者の多い園遊会で天皇が米軍高官を選んだことは重要で、ソ連代表が聞こえる距離にいたのも興味深い」と語ったそうです。
5.1973年3月、昭和天皇は「アーミン・マイヤー駐日米国大使」の「米中接近と世界の緊張緩和にもかかわらず、米政府はアジアの平和にとって日米関係ほど重要なものはないと考えている」という発言に「目に見えて感動し、感謝の意を表した」そうです。
・・・・このように大戦末期には無意味に終戦を引き伸ばし、何よりも三種の神器を失うこと(つまり自分が天皇たる地位を失うこと)を恐れ、終戦直後には保身の為にマッカーサーに取り入った昭和天皇裕仁は、
戦後は近隣に社会主義国が存在することを恐れ、「防共」のためにアメリカへ最大限の媚を売ることを惜しまなかったようです。
しかし、万が一日本が東側陣営に取り込まれるようなことがあれば今度こそ自分の首と胴が離れるだろうと恐れるのも人間として当然のことでしょう。迷惑極まりないことですが自分の命と立場を守るために、己が持つ政治・外交に対する大きな影響力を利用したのです。あるいは彼にとって最大の擁護者であるアメリカが去れば国民は決して自分を守ることはないだろうと、むしろ自分の戦争責任に言及し、肉親の命を奪われた怒りを爆発させるだろうと予感していたのかもしれません。
つーかこの文章はNC4歴史ボードに自分が3年前立てた「昭和天皇を偲ぶスレ」に投稿しようとしたのだが現在日本茶はダウン中。あのスレにはヒロヒトのみっともないザマを散々書き込んだので今回も参考にしようと思ったのだが。2年前パソコンを買い換えたときに下書き文章を全て移し変えたつもりだったのだが見当たらず。日本茶ダウンは毎度のことで過去ログが失われたことはないのだが、最近ダウンする周期が早くなってきている。嫌な予感・・・
気を取り直して以下コピペ。
昭和天皇が「米重視」の発言 米で公文書6点見つかる
2005年06月01日05時59分
昭和天皇が占領終結後から70年代にかけて、日米の外交官や米軍幹部に米軍の日本駐留継続を希望し、米国の日本への援助に謝意を表明するなどの発言をしていたことを示す米公文書が、米国で相次いで見つかった。53年から72年の計6点で、象徴天皇制下での天皇と政治とのかかわりを探る手がかりになりそうだ。
占領期の天皇が日米関係や安全保障にかかわる発言をしていたことは知られているが、その後も長く同様の発言を続けていたことになる。
文書は、立教大の中北浩爾教授(日本政治史)がスタンフォード大フーバー研究所で、沖縄国際大の吉次公介助教授(外交史)が米国立公文書館で入手した。すべて英文のため、日本語の言葉遣いは確認できない。
フーバー研所蔵のロバート・マーフィー駐日米国大使が記した公文書によると、昭和天皇は朝鮮戦争の休戦が近づいた53年4月20日、離日する同大使夫妻との昼食の席で「朝鮮戦争の休戦や国際的な緊張緩和が、日本の世論に与える影響を懸念している。米軍撤退を求める日本国内の圧力が高まるだろうが、私は米軍の駐留が引き続き必要だと確信しているので、それを遺憾に思う」などと述べた。そして、ソ連と中国の指導者への不信を表明する一方、台湾の蒋介石総統が同大使に示した日本・韓国・台湾の反共提携構想に好意的な反応を示したという。
キューバ危機直後の62年10月31日付のジェイコブ・スマート在日米軍司令官からフェルト太平洋軍司令官あての電報によると、前日の皇居広庭での園遊会で天皇は、列を離れてスマート司令官に近づいてこう述べた。「最近の出来事を注意深く見ていたが、平和的な結果に安心した。米国の力と、その力を平和のために使ったことに個人的に称賛と尊敬の念を持つ。世界平和のために米国がその力を使い続けることを希望する」
72年3月2日付と推定される駐日米国大使館発米国務長官あて電報では、ニクソン米大統領の訪中直後の同日、アーミン・マイヤー駐日米国大使と会見した天皇は、同大使の「米中接近と世界の緊張緩和にもかかわらず、米政府はアジアの平和にとって日米関係ほど重要なものはないと考えている」との発言に「目に見えて感動し、感謝の意を表した」という。
文書を発見した吉次助教授は「天皇が冷戦下で一貫して日米安保条約や米軍の日本駐留を極めて重視していた点が重要だ。ただし実際に天皇が外交に与えた影響や、天皇の考えや行動の時代による変化などを詳しく検証するには、日米両政府、とくに日本側のさらなる史料公開が必要だ」と話している。