どうやら読売新聞は南京大虐殺を否定したいらしい。百人斬り裁判の判決を歪曲したいらしい。
南京事件70年 事実に基づいた議論が必要だ(5月6日付・読売社説)
南京事件を、「慰安婦問題」に続く新たな火種としてはならない。明らかな事実誤認に対しては、政府もはっきりと反論していく必要がある。
1937年12月、旧日本軍が中国国民政府の首都・南京を攻略した際に多数の中国人犠牲者が出た南京事件から、70年を迎える。
米国や中国では、事件をテーマにした映画の製作が相次いでいる。
1月には、ハリウッド映画の「南京」が、米国のサンダンス映画祭でドキュメンタリー編集賞を受賞した。極東国際軍事裁判(東京裁判)の判決を引用し、犠牲者は「20万人以上」と伝えている。他に少なくとも3本の同様の映画が製作される予定だという。
敗残兵で混乱する南京掃討戦の過程で捕虜の殺害や民間人への略奪、暴行が多発したことは、当時の様々な記録や証言から明らかだろう。
事件の犠牲者数については、中国政府が主張する「30万人」説や、東京裁判の「20万人以上」説に対して、今日では多くの研究者が疑問を投げかけている。
遺体の数などから約4万人と推定する説や、合法的な捕虜の処刑以外の殺人はごくわずかだった、とする説もある。
懸念されるのは、誇張された情報が独り歩きしかねないことだ。
映画「南京」は、米国の大手企業幹部が、中国系アメリカ人、アイリス・チャンの著書「レイプ・オブ・南京」を読んで、製作を思い立ったという。
10年前、米国でベストセラーになった同書は、数々の残虐な写真を掲載した。だが、「南京虐殺」を証明するものは一枚もないことが、日本の研究者の検証で明らかになった。例えば、日本兵に守られ家路につく中国人女性らの写真が、強制連行と説明されていた。
戦争中、中国側が抗日のプロパガンダのために使った偽写真が今も流通し、一部書籍に掲載されている。
2人の日本軍将校が100人斬(ぎ)り競争をしたという常識では考えられない話も現地にある「南京大虐殺記念館」などで紹介、展示されてきた。近年、遺族が2人の名誉を回復する訴訟をおこした。東京高裁判決は昨年、「『百人斬り』の戦闘戦果は甚だ疑わしい」とした。
南京攻略戦の検証を踏まえて、その実態を世界に伝えようと、映画の製作に着手した日本の市民グループもある。
日本と中国の歴史研究者でつくる日中歴史共同研究委員会の作業が、これから本格化する。そういう場でも、南京事件について実証的な議論を深めていくことが望まれる。
(2007年5月6日1時45分 読売新聞)
「日本兵に守られ家路につく中国人女性らの写真」とは↓これか?

たしかにこれは連行の現場とは思えない。しかしこれは本当に「日本兵に守られ」ている光景なのか?
「南京事件『証拠写真』を検証する」(東中野修道/他著 草思社)のP-111〜113によると、この写真は「アサヒグラフ」1937年11月10日号に掲載された上海近郊の宝山県の光景で、「我が兵士に護られて野良仕事より部落へかへる日の丸部落の女子供の群」という説明が付いていたという。しかしなぜ「アサヒグラフ」の説明を信用できるのだろうか。日本軍は何者から民衆を守っていたのだろうか?むしろ危害を加える立場だったではないか。ただ日本軍と民衆が偶然一緒に橋を渡っていただけではないか?
南京で「合法的な捕虜の処刑」などあったのか?軍事法廷が開かれたのか?もし「便衣兵の処刑」のことを言っているのなら、安全区から連行した敗残兵(らしき者)はどのような「便衣活動」を行ったのか?そもそも、本当に敗残兵だったという確証があったのか?これらを明示して欲しいものである。
あきれて言葉も出ないのが百人斬り裁判の記述。高裁判決をちゃんと読んだのか?最高裁でケリがついたことを知らないのか?
(inti-solさんのサイトより)つまり、戦闘中に日本刀で敵をバッタバッタ100人も倒したなどというのは法螺話だが、「競争」が行われたことは事実・・・と判決が認めたのである。「百人斬り貌争」とは無抵抗な捕虜や農民に対する虐殺であったことを、裁判所が認めたのである。なんのことはない、被告の本多勝一先生が著書「南京への道」や「中国の旅」で最初から書いていたことが正しいという当たり前の判決が出ただけである。
(12) 原判決111頁4行目の一見して明白に虚偽」を「全くの虚偽」に改め,20行目の「宮村喜代治は,」の次に「向井少尉が,」を加え,21行目の「南京攻略戦」から末行の「前記認定事実によれば,」までを次のように改める。
「南京攻略戦当時の戦闘の実態や両少尉の軍隊における任務,1本の日本刀の剛性ないし近代戦争における戦闘武器としての有用性等に照らしても,本件日日記事にある「百人斬り競争」の実体及びその殺傷数について,同記事の内容を信じることはできないのであって,同記事の「百人斬り」の戦闘戦果は甚だ疑わしいものと考えるのが合理的である。
しかしながら,その競争の内実が本件日日記事の内容とは異なるものであったとしても,次の諸点に照らせば,両少尉が,南京攻略戦において軍務に服する過程で,当時としては,「百人斬り貌争」として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実自体を否定することはできず,本件日日記事の「百人斬り競争」を新聞記者の創作記事であり,全くの虚偽であると認めることはできないというべきである。
前記認定事実によれば,」
しかしこの社説を読むと、なんだか原告側の主張が認められたのかと錯覚を起こしかねない。悪質な印象操作というものである。
早速読売に電凸してみたが、「暖簾に腕押し」状態だった。
代表電話にかけると「読者センター」に回され、中年男?が出た。
「5月6日の社説の件ですが、読売新聞は百人斬り裁判の結末を知っているのですか?」
「えーと...」
「最高裁で確定したんですよ」
「えー... そうなんですか...」
馬鹿かこいつ?
「この社説を書いた人はいますか」
「えーと...別室なんですけど...」
「その人に代わって下さい」
「今いるかどうか分かりません...あの、お問い合わせは論説委員宛ての文書でお願いします」
虚しくなって「じゃあそうしますよ」と言って切った。しかし読者の質問に対応する能力が全くない「読者センター」とは、恐れ入谷の鬼子母神であるw
そういうわけでねちっこい文章を作成して送ってみることにするか。
ところで同じ5月6日のもう一つの社説も凄い!
集団的自衛権 個別事例の研究で終わらせるな(5月6日付・読売社説)
集団的自衛権の問題の意識改革を促す動きと言えよう。
「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が5月中旬に初会合を開く。今秋に検討結果をまとめる予定だ。
「保有しているが、行使はできない」――。集団的自衛権に関する政府の憲法解釈は長年、日米同盟と日本の国際協力活動の重大な足かせとなってきた。
懇談会は、集団的自衛権に関する個別事例の研究を行う。日本が米国の同盟国として当然なすべき自衛隊の活動などの可能な範囲を広げる狙いがある。
だが、より効果的な活動を実現するためには、事例研究にとどまるべきではない。集団的自衛権の行使の容認に踏み込むことが必要である。
安倍首相は、事例研究を昨秋の自民党総裁選の公約に掲げ、就任後の所信表明演説でも明言していた。
政府は当面、同盟国に向けて発射された弾道ミサイルをミサイル防衛(MD)システムで迎撃するケースなど、4類型の研究を進めるとしている。
ミサイルの迎撃について、トーマス・シーファー米駐日大使らは「日米同盟の根幹にかかわる問題」と強調する。
公海上で米軍艦船が攻撃された場合、海上自衛隊の艦船が反撃するケースは長年の課題だ。「反撃できなければ日米同盟は崩壊する」と指摘されてきた。
第三国での国際協力活動中の他国軍が攻撃された際、駆け付けて反撃するケースや、米軍に対する輸送・医療などの後方支援も研究対象となる。
ミサイル迎撃については、日本上空の危険物を除去するという警察権の援用で対応が可能との見方がある。公海上での反撃は、個別的自衛権などでの対処が検討される。4類型の研究は、いずれも政府の憲法解釈の維持が前提となる。
しかし、この問題は本来、「何が憲法上、可能か」ではなく、「何をすべきか」という視点を優先すべきだ。
北朝鮮の核や国際テロの脅威が深刻化する今、日本は米国との連携を一層強化する必要がある。安倍首相が憲法解釈の変更を視野に入れた発言をしているのも、そうした問題意識からだろう。
政府・与党内には、「時の政権次第で簡単に憲法解釈が変更できるようでは、法的な安定性が損なわれる」との慎重論もある。この懸念の払拭(ふっしょく)には、集団的自衛権の行使の基準などを定める安全保障基本法を制定することも一案だ。
こうした具体的な方法論を検討するのも、有識者会議の重要な役割となる。国民に分かりやすい、オープンな議論を期待したい。
(2007年5月6日1時44分 読売新聞)
どうやら読売はアメリカと一緒に戦争をするためなら憲法など無視していい、と考えているようだ。

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そして悪しきゴミウヨクを滅ぼそうじゃないか。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/
5月3日のものもなかなか香ばしいと思います。
負けた裁判を勝ったように描いたのでは本末転倒と言うところでしょうか。
一般人を虐殺したとする軍の命令文章が見つからないとか、慰安婦を強制的に集めるように正式に指令を出した文章がないから「虐殺はなかったとか強制連行はなかった」とはいえないでしょうねえ。
正論を粘り強く発信していただきたいと思います。
追 新聞社に直接、連絡を取るのもおもしろいと感じました。
そりゃあ言えるわけないでしょww
全称命題の証明なんかほぼ不可能なんだからw
「ある事実」が存在しないことを証明するのはかなり困難であるため、「ある事実」が存在すると主張するものが示した資料に対して、「ある事実」が存在しないと主張するものがその資料に対して反論し証明されたことで、「ある事実」は存在しないという結論になるのが、史実を語る上での条件であるし、裁判の基本でもある。