【追記のお知らせ 2017年4月9日】
 記事「【5月7日】雁屋哲さんの講演+井戸川克隆さんと対談」に、「美味しんぼ『鼻血問題』に答える」から福島現地での鼻血の症状についての報告例を引用しました

2014年12月24日

【吉田調書の警告】 "東日本壊滅"の回避は"仏様のおかげ" ・・・?

 「吉田調書」の引用の続き。国会事故調も参考にする。


 2011年3月11日に発生した東日本大震災によって東京電力福島第一原発は甚大な被害を受け、全電源喪失によって原子炉の冷却が不可能となる事態を迎えていた。冷却用の真水が枯渇したため海水を注入していた3号機は、14日未明から早朝にかけて再び圧力が上昇し原子炉水位が急低下。吉田氏は3号機からの作業員退避を命令。7時0分には格納容器の圧力が設計値を超えた。そして11時1分、3号機が水素爆発。吉田氏は事前に水素爆発を警戒し、「(屋外から現地対策本部へ)全員退避をかけて」いた。本店の「いつまで退避させるんだ」という圧力にも、「爆発の可能性があって現場に人間をやれない」と拒否したという。
 しかし武藤(栄・副社長)から、「そろそろ現場をやってくれないかという話があった。ちょっと圧力が落ち着いてきて」、作業再開のため作業員を現場に向かわせた途端に爆発してしまったのだ。
 (作業員が出発してから爆発するまで)「結構短かったです。ゴーかけて、よし、じゃあという段取りにかかったぐらいで爆発。最初、現場から上がってきたのは40何人行方不明という話。私、その時、死のうと思いました。40何人亡くなっているんだとすると、そこで腹切ろうと思っていました。その後、確認したら、一人も死んでいない。私は仏様のおかげとしか思えないんです」

 3号機の爆発によって2号機への注水ホースも破壊された。吉田氏は作業員に復旧作業を「頭を下げて頼んだ」。「本当に感動したのは、みんな現場に行こうとするわけです」。
 吉田氏は2号機に「水位が十分にある間に減圧注水すれば」1号機や3号機のような危機は避けられると思っていた。「できればTAF(核燃料が水面から露出しはじめる)に行く前に水を入れたくてしょうがなかったんです」。しかし3号機の爆発によって注水ホースが破壊し「完全なるロスタイム」になってしまった。

 14日の昼には2号機の原子炉水位も低下していった。「驚異的な耐久力を示しつつ長時間の運転を続け」ていたRCICも力尽きたのだ。
RCIC(原子炉隔離時冷却系)とは、通常時に原子炉に注水しているポンプが停電などで運転出来なくなった場合、緊急的に原子炉を冷却するため原子炉で発生した蒸気でタービンを運転し、その動力を用いて原子炉に注水するシステム。
 2号機のRCICは1号機のベント用の弁と同様に直流電源を喪失していたが、それが却って幸運だった。水位やタービン排気管圧力の上昇によって安全のため停止するはずだったが直流電源が失われているためその機能が働かず運転が継続した。そのため3号機と2号機の危機を同時に対処しなくてはならない最悪の事態は避けることができた。最終的にどのような要因でRCICが停止したかも不明である(国会事故調→事故の進展と未解明問題の検証 (1)→原子炉事故の進展→考察・評価)。
 14日18時22分には2号機の燃料が全て水面から露出し、22時50分には格納容器の圧力が設計値を超えた。注水しようにも格納容器の圧力が高すぎて注水が出来ない(減圧のためのベント弁操作に手間取っている)。しかし東電本店と官邸はこんな小学生でも理解できることを無視して叫ぶだけだった。
 「圧力が下がらない。下がらないところに水を入れても入らない」
 (班目春樹・原子力安全委員長が官邸から電話をかけてきて)早く(ベント弁を)開放しろと。四の五の言わずに減圧、注水しろと。清水(正孝社長)がテレビ会議を開いていて『班目委員長の言うとおりにしろ』とかわめいていました。『現場も分からないのによく言うな、こいつは』と思いました」

 (電話をかけてきたときに)「班目も名乗らないんだよ。あのオヤジはですね。もうパニクっている。なんだこのおっさんは、と思って聞いていると、どうやら班目先生らしいな、と思って」
 「『ベントなどをやっている余裕はないから、早く(水を)突っ込め』と言っているんですよ」
 ベントを行い圧力を下げなければ注水できるわけがない、ということすら理解せずに喚いていただけなんだな、こいつら。
 しかしベントのバルブが開かないという状況下で、吉田氏も「早く減圧させろ」、と「焦っていた」。「私自身パニックになっていました」。
 「廊下にも協力企業だとかがいて、完全に燃料露出しているにもかかわらず、減圧もできない、水も入らないという状況が来ました。私は本当にここだけは一番思い出したくないところです。ここで何回目かに死んだと思ったんです」

 「2号機はこのまま水が入らないでメルトダウンして、完全に格納容器の圧力をぶち破って燃料が全部出て行ってしまう。そうなると、その分の放射能が全部外にまき散らされる最悪の事態ですから。チェルノブイリ級ではなくて、チャイナシンドロームではないですけれども、ああいう状況になってしまう。そうすると、1号、2号の注水も停止しないといけない。これも遅かれ早かれこんな状態になる」

 「結局、放射能が2F(福島第二原発)まで行ってしまう。2Fの4プラントも作業できなくなってしまう。注水だとかができなくなってしまうとどうなるんだろうというのが頭の中によぎっていました。最悪はそうなる」

 圧力を下げるためにはSR弁(蒸気の逃がし弁)を開けなくてはならない。開けるには開けたが圧力がなかなか下がらず、水位がどんどん下がっていく。海水注入を開始しても圧力が高いためたびたび中断した。つまり海水を注入していくとそれが沸騰して原子炉内の圧力が高まり、また注水が出来なくなるという繰り返しだった。
 「圧力が下がり、水を入れるタイミングのときに、消防車の燃料がなくなって、水が入らないと。これでもう私はだめだと思ったんですよ。私はここが一番死に時というかですね」

 「3号機や1号機は水入れていましたでしょう。(2号機は)水入らないんですもの。水入らないということは、ただ溶けていくだけですから。燃料が。燃料分が全部外へ出てしまう。プルトニウムであれ、何であれ、今のセシウムどころではないですよ。放射性物質が全部出て、まき散らしてしまうわけですから。われわれのイメージは東日本壊滅ですよ」


 しかし「21時19分、やっとSR弁が開き、ポンプの水位が回復した」(9月24日・東京新聞)。吉田氏はこれを「やっと助かったと思ったタイミング」だと語る。
 テレビ会議では「まだ望みあるよ」「やった!」の声が響いたが、23時前には再びSR弁が閉まって炉の圧力が上昇し注水が不可能になった。「本店社員からは『高圧で炉心損傷すると、数時間で格納容器破損ということです』という恐ろしい説明もされた」(同上)。
 吉田氏が恐れる「東日本壊滅」が現実のものとなりつつあったが・・・15日の朝6時頃、圧力抑制室が損傷して圧力が低下し、継続した注水が可能になり最悪の事態は避けられた。「吉田氏らの努力というより単なる偶然によるものだった」(9/12東京新聞)。この偶然のおかげで、我々は未だにこの日本列島に住んでいられるのだ。

 2号機は直流電源喪失によってRCICの制御が効かなくなり運転が継続され、それによって注入された水が蒸発し、圧力抑制室のプール水の温度を上昇させたため圧力も高まっていった。
 さらに、RCIC停止後の消防車による原子炉への注水は、すぐに原子炉内で蒸発しその蒸気によって高圧になり度々中断することになったが、その蒸気は劣化した接合部から格納容器内に漏れ出していたと考えられる。ベントが上手くいかず圧力が下がり切らないので、これが何度も何度も繰り返されていた。
 そして蒸気が格納容器から圧力抑制室に噴出されるが、そこのプール水は既に高温のため蒸気を凝縮する(水に戻す)能力が足りず気泡が発生し振動が発生した。つまり圧力抑制室は、「耐圧試験と耐震試験が同時に行われて」いたようなものだ。そもそもMARK I型格納容器は「1970年代末ごろから」強度が劣っていることが指摘され、SBO事故(交流電源喪失状態)に於ける圧力抑制室の破損すら「かなり現実的なものとして想定されていた」(国会事故調)。
 さらに、3号機では取り除くことが出来なかった「ブローアウトパネル」が、2号機では脱落していた。1号機爆発の際に弾け飛んだ破片が当たって脱落し、そのため建屋に流れ込む水素が排出され、水素爆発を免れた・・・と推測されている。最も破滅的状況に陥った2号機でも水素爆発が起こっていれば、全てが終わっていただろう。
 設計・建設段階から、そして運用開始後も、いくつもの不作為が重なりこのような事態に至った東京電力福島第一原発。しかし皮肉なことに、このような不作為が最悪の事態を回避する偶然をもたらした。

 つまり・・・福島第一原発は建設当時、地表が海抜35mのところを海抜10mまで掘り下げられて建設された。東電社内で15mの津波襲来の試算が出ていたのに無視された。格納容器の強度が劣る老朽原発が30年以上(1号機はほぼ40年)運転されていた。非常用発電機やバッテリー設備が地下に設置された。漏水事故があったのに対策が取られなかった。5、6号機の非常電源をケーブルで1、2、3号機まで繋げる案もあったが予算不足のため見送られた。そして津波によって全電源喪失し原子炉の冷却が不可能になった。ベントも出来なくなった。
 しかし全電源喪失のせいで逆に2号機のRCICは長時間運転した。1号機はベントが満足に行えず水素爆発したが、そのせいで2号機建屋のガス抜き穴が開き水素爆発が回避された。ベントと注水が順調に行えず何度も繰り返していたため、元々耐久性が劣る圧力抑制室のダメージが進んだ。
 「レベル7」発展の要因となった多くの欠陥が、最後の最後で破滅から救ってくれたのだ。これも「仏様のおかげ」だろうか。
(つづく)
posted by 鷹嘴 at 01:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 原発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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