東電原発事故に関する政府事故調査・検証委員会による聴取記録の引用の続き。2014年9月12日と25日の東京新聞より。
福島第一原発2号機の格納容器の圧力が下がらず破損すれば冷却の術が失われ、溶融した核燃料が圧力容器から露出し大量の放射性物質がまき散らされる。それによって第一原発どころか第二原発からも作業者が撤退せざるを得なくなり、合計10機の原子炉が放置されることになる。遅かれ早かれそれらの原子炉も核燃料が溶融し放射性物質をまき散らし・・・東日本はそれこそ何万年も人間が立ち入ることができない、という事態を迎えただろう。
(それにしても福島県は2ヵ所だが福井県には高浜、大飯、美浜、敦賀の4ヶ所に原発がある。狭い敦賀半島には美浜と敦賀だけでなく「もんじゅ」まである。どれか一ヵ所の原発が重大事故を起こせば他の原発の管理にも著しい影響を及ぼすだろう。事故の想定など全くせずにただ造りやすいところに造っただけなんだな)
2号機が制御不能になった際、東電が全面撤退を申し出たため、菅直人が一喝して留まらせた・・・という話を俺も信じていた。これについては当時の閣僚・側近らも聴取の中で口を揃えている。
■ 細野豪志(当時首相補佐官)は、
「14日くらいまでに、本当にシビアなときだけ私から吉田さんに電話をかけて首相につないでいた。14日夕方、2号機の水が入らなかった時に吉田さんからかかってきて、これまで『いや大丈夫です』『まだやれる』という返事だった人が弱気になっていたから、これは本当に駄目かもしれないと思った」
「清水正孝社長から海江田経済産業相に電話があり、海江田さんは完全に撤退すると解釈していた。電話後、海江田さんがそういう話をしていた。(官邸に詰めていた)武黒一郎・東電フェローもしょんぼりして『もう何もできません』みたいな話をした。一番の専門家の班目さんも『もう手はないから撤退やむなし』と言ったのはがくぜんとした」などと語る。
当時の福島第一原発所長の吉田氏が全員撤退の指示を否定している件については、「吉田さんが言っているのなら信じるが、(当時の官邸は)そうとっていなかった」という。
■ 海江田万里(当時経産相)が全面撤退の話を聞いたのは「清水社長からの電話」だという。
「ぼくが覚えているのは『撤退』ではなく『退避』という言葉。第一原発から第二原発に退避」
「そばにいた人に『どうなる』と聞いた。『第一原発は5号、6号を含め全部爆発ですよ』と。そういう話を聞いたから『それ(退避)は無理だ』と言った。『だめだ』というより『何とか残って下さい』という言い方だったと思う」
第一原発から退避させるのは「ぼくは全員だと思った」。ただし、「(その後清水社長を官邸に呼び)『一部は残そうと思っていた』と言っていた」という。「その後」がいつなのか分からんが。
■ 枝野幸男(当時官房長官)も同様なことを語る。
「(3月14日から15日にかけての)夜に呼ばれて、首相応接室で海江田さんと話し、東電撤退の話も出てきて、そうしたら清水社長から私あてに清水社長から電話がかかってきて、同じ趣旨のことをおっしゃった」
「間違いなく全面撤退の趣旨だったと自信あります。そうでなかったら(社長が)私に電話してきません。社長が私に電話をかけてくるのは特別なことなんです。ほかの必要のない人は逃げますという話は、別に官房長官に上げるような話ではないから、わざわざそんなことで私にかけてくることは考えられない。勘違いとかはあり得ない」
「私自身も吉田所長と(撤退問題の)話をしました。誰かの電話で、これは大事なことだから官房長官と直接話してくださいと。吉田所長も若干弱気でしたので、あなたの肩にかかっているんだから頑張ってくれみたいなことで。その時点での情報は、危ない状況だったと思います」
清水社長に「撤退はあり得ない」と伝えたときは、「わかりました、撤退なんかしませんと」答えたという。
■ 菅直人は3月15日の午前3時ごろ、海江田から「東電が撤退したいと言ってきている」と、枝野にも「自分の方にも来ている」と告げられたという。
「私自身は撤退はあり得ないと思っていました。清水社長は『そんなことは言ってませんよ』という反論は一切ありませんでした。やはり(撤退と)思っていたんだなと」菅は15日早朝に政府・東電の統合対策本部を設置し、東電本店に乗り込んだ。
「行ってみると、200人くらいの会議室で、私なりの気持ちを込めて皆さんに話をしたわけです。苦労しているのは分かると。しかし、ここはなんとしても踏ん張ってもらわないと、日本の国が成立しなくなる。命を懸けてください。逃げても逃げきれない。金はいくらかかっても構わない。日本がつぶれるかもしれないときに、撤退はあり得ない。会長、社長も覚悟して決めてくれと。60歳以上が現場に行けばいい。撤退したら東電がつぶれる。そんな話をしたんです。それ以来、撤退の話は聞かなくなりました」言っておきたいが、もし仮に現場担当者らが全面撤退を決断していたとしても、彼らを非難できるだろうか。命を犠牲にして原子炉冷却作業を続けろ、などと言えるだろうか。だから(この話が真実だったとしても)菅の行動を支持するとも支持しないとも言いたくない。
それにしても、火力発電所のボイラーが爆発すればそのボイラーの釜に近づけない、ということはない。化学プラントが大事故を起こしても、防護服や酸素ボンベなどを装着すれば対処が可能だろう。しかし原発事故なら近づくだけで生命を危険に晒す。このように事故の対処すら不可能になりかねないという点からも、全ての原発は直ちに廃止するべきだ。
■ 当時の閣僚らは以上のように語るが、吉田昌郎元所長は全面撤退するつもりなど無かったと述べる。
「あの退避騒ぎに対して言うと、『何を馬鹿なことを騒いでいるんだ』と。逃げていないではないか、逃げたんだったら言えと。本店だとか官邸でくだらない議論をしているか知らないですけれども、何だ馬鹿野郎というのが基本的な私のポジションで、逃げろなんてちっとも言っていないではないか。非常に状況は危ないから、最後の最後、ひどい状況になったら退避しないといけないけれども、注水だとか、最低限の人間は置いておく。私も残るつもりでした。事務屋とかいろんな方がいらっしゃるわけですから、そういう人は極力、安全なところに行っていてもらわないといけないとは思っていました」吉田氏は(細野らに対しても)「全員撤退して身を引くということは」言っていないが、「最悪のことを考えて、これからいろんな政策を練ってください」「関係ない人間は退避させますから」と覚悟を迫ったという。こうした吉田氏の言葉を、官邸や東電本店が勝手に勘違いしたのではないか。
細野は「吉田さんが電話で弱気になっていた」と言うが、2号機を冷やしたいのにベントが出来ないから水が入らない、という状況で「弱気」になって当然だろう。「最悪なこと」・・・つまり2号機の格納容器が爆発、という事態になれば、全面撤退を待たずして大量の放射能が放出され他の原子炉も制御不能となる。政治家が「いろんな政策を練」らなければならないのは当然だ。
東京新聞は、「『撤退』騒動は、官邸と東電の意思疎通がうまくいかない中、清水氏とのあいまいな電話を発端とする誤解の連鎖が引き起こしたと見られる」と結論付けている(9月25日)。
というか・・・こうした経緯や、東電本店が状況をどのように見ていたかは別にして、改めて感じたことがある。(この調書にも示されているように)あれだけ身の危険も省みずに対応していた吉田氏ら現場担当者が、2号機の状況を前にしても、全面撤退を考えていたとは到底思えない・・・と。
彼らはギリギリのところまで、あるいは本当に打つ手が無くなるまで現場に踏みとどまったのではないか。使命感が撤退を許さなかったのではないか。今更何を言っても失礼だが、俺も菅の話を真に受けていたことを反省したい。
■ 菅が「自分が東電の撤退を止めた」と語っていることについて吉田氏は、
「辞めた途端に。あのおっさんがそんなのを発言する権利があるんですか。あのおっさんだって事故調の調査対象でしょう。そんなおっさんが、辞めて、自分だけの考えを言うというのはアンフェアも限りないんで、事故調の委員会としてクレームをつけないといけないんではないかと私などは思っているんです」と、「あのおっさん」呼ばわりするほど憤りを見せる。たしかに現場の状況も原発の構造も核分裂の仕組みも全く理解せぬままガミガミ文句を付け、しかも「自分が東電の撤退を止めた」などと言いふらす「外の人」には、激しい怒りを感じて当然だろう。
というか、菅のあの性格では嫌われて当然ではないだろうか。わざわざ第一原発を訪れるだけでも迷惑なのに大勢の作業員がいる前で怒鳴り散らし、官邸にいてもトンチンカンなことを言い出して周囲を混乱させるなど、政府のトップとしてあるまじき行動に出るだけでなく、そもそも人間としてどうかと思うんだよね。
以前テレビで見たが、被災者が避難している施設を管が訪問したとき、ろくに声もかけずに立ち去ろうとし、被災者からの「首相!」という声で振り返った・・・という光景を憶えている。
また、以前Jヴィレッジの労働者の話を聞く機会があったが、野田が視察に訪れたときは作業員一人ずつに声かけて励ましていたが、菅が訪れたときは、やはり足早に立ち去ったという。菅直人という男の人間性は、政治家どころか人の上に立つ立場には向いていないと思うな。この前の総選挙でしぶとく比例で復活したそうだが、いっそ政治家は辞めて反原発の市民活動家になったらどうかな(笑)
これはおまけだが、調書の中で菅がちょっといいことを言っているんで引用しておく。9月12日・東京新聞より。
(原発の)「リスクが薄れるのは、原子力村という、ある種の日本的体質が背景にあるのかなという気がします。スポーツから文化から、いろいろなところにスポンサーをしているわけです、電力業界は。強圧的に反対意見を抑えるのではなく、ソフトに心地よく面倒を見てくれるものですから、しっかりやってくれているのだろうと思いたくなるんです。
最後は国民が決めることなのですね。大丈夫と思って、そのリスクを取るのか。これは危ないと思ってリスクをなくそうと思うのか」